2015年2月3日(火) 緑茶カウント:2杯
世の中にこんなにも悲しいことがあるなんて思わなかった。
楽しかった思い出を思い出すことが、そのまま悲しみに繋がるのが悲しい。まるで自分を傷めつけることを目的にしているようにさえ感じてしまう。頭がぐらぐらして、涙が出て、上手に寝付くことが難しい。
まだまだどうして、やりきれない。
うずわみだまし
2015年2月3日(火) 緑茶カウント:2杯
世の中にこんなにも悲しいことがあるなんて思わなかった。
楽しかった思い出を思い出すことが、そのまま悲しみに繋がるのが悲しい。まるで自分を傷めつけることを目的にしているようにさえ感じてしまう。頭がぐらぐらして、涙が出て、上手に寝付くことが難しい。
まだまだどうして、やりきれない。
2015年2月2日(月) 緑茶カウント:0杯
何か樽みたいな形してんなぁ、と思ってよく見たら、本棚が崩壊しかけていた。
やばい。
組み立て式の本棚である。側面の木の板の内側に、点々々、と等間隔で穴が開けられており、そこに付属の金属を差し込み、穴から突き出た金属の上に板を乗せることで、好きな高さに棚を作ることが出来る。そんな組み立て式の本棚だが、まっすぐに直立すべきはずなのに気付けばたわんで樽のような形になり果て、内側の仕切りの板が金属の支えからこぼれ、斜めに傾いでいるのである。
そしてその板は、板と板の間に収納された本によって支えられているが、支えきられず斜めに傾いでいるのである。
やばい。
どうすんだこれ。何かの刺激で崩壊しそうである。しかしどのように手を打つべきかわからない。本棚の周囲をぐるりと紐で縛って引き締めれば良いのだろうか? と思うも手元に紐が無く、代用として使っていないLANケーブルを巻きつけようとしたら妙なところで引っかかってとれなくなり、本棚におかしな装飾がついてしまって、絶望的なありさま。傾いだ本棚を眺めている。眺めつつ困っている。困惑している。
2015年1月27日(火) 緑茶カウント:0杯
これは違う。きっと気温が上昇したせいだ。春が近付いているのだ、と、思おうとしているが、変化が生じたのはちょうど部屋に新しいカーテンを設置してからで。よってわかっているのだ。しかし認めたくないのである。
寒い寒いと思っていた部屋が暖かい。
いやまさか。たった二枚の布でこうも変わるわけがない。今まで暖房をガンガンに入れてもなかなか暖まらず、震えていたというのに、あのときから設定温度を六度も下げても快適だ。いや、わかっている。だって己が使用していたのはただの古いカーテンでは無く、窓のサイズに合わない寸足らずのカーテンで。ガラス窓が一部剥き出しになり、冷気がしんしんと差し込んできていて、そりゃあ寒いに決まっているさと思いつつ、だって古い家だからと。そのように信じてきて、今。
怠惰を極めた結果がこの有様。快適な部屋で呆然としている。そしてまた、友人が泊まりに来ることが無ければ未だ寸足らずのカーテンと共に冬を過ごしていたこともわかっていて。思わず頭を抱えるのである。己の馬鹿さ加減に呆れながら。
あぁ。あぁ!!
2015年1月25日(日) 緑茶カウント:3杯
普段、あまりテレビを観ない生活をしているが、最近はドラマ「怪奇恋愛作戦」と、アニメ「暗殺教室」を観るために、週末の深夜にテレビをつけていることが多い。しかし残念なことに今週は暗殺教室が放送休止。情勢に配慮してとのことである。あぁ、楽しみにしていたのになぁ。
何となく、諦めきれない気持ちでテレビをつけっぱなしにしていた。暗殺教室はアニメでどこまでやるのだろう。鷹岡回まで観られるだろうか、観たいなぁ、と思ったり、まったく別のことをしたりしながら時間は過ぎ、視界の端に映る番組も移り変わっていった。
すると唐突にテレビから、妙に明るい歓声が聞こえた。興味を引かれて画面を見ると、フライパンで釘やプラスティックを炒めている。通販番組だった。どんなに手荒く扱ってもこのフライパンはびくともしないし、料理は焦げず、ヘルシーに美味しく出来るということを強くアピールしている。そして皆がこのフライパンを絶賛し、このフライパンを手にしたことでいかに生活が幸福になったか語るのだ。
気付くと、己はわくわくしながらその番組を視聴していた。すごい! 高温の釜に入れても壊れず、コールド・コンプレッションテクノロジーや、ゴールド・アウターコーティングという何やら格好良い名前の技術が駆使されて出来ており、油を使わなくても綺麗に焼け、余熱調理も思いのまま。そのうえ全額返金保証つきで、番組終了後三十分以内に電話をすれば五千円も安くなる!
皆このフライパンを手に入れて幸福になっていた。己もきっと幸福になれるに違いない。このフライパンを手にするだけで、何もかもが上手くいく! そう錯覚しそうになるほど、「すごさ」と「お得」が畳み掛けてくる。そう、この畳みかけが心地良いのだ。
「これはすごいんですよ!」と言った直後に、もったいぶらずにその「すごさ」を見せてくれるのが実に良い。バラエティ番組ではCMを挟んで、CM前に流したVTRを再度流して、さらにCMを挟んで、ともったいぶりまくるであろうところで、全くもったいぶらずにすぐに「いかにすごいか」を見せてくれる。これは通販番組という性質上、限られた時間の中に、いかに「すごさ」と「お得」を詰め込んで、視聴者に買ってもらうかが鍵となっているためだろう。もったいぶっている余裕なんか無いのである。
結果、番組を観てて感じるストレスが無い。望むものを望むままにストレートに享受出来る満足感と安心感。その番組は二十分か三十分あり、同じ内容が何度か繰り返していたが、それでも飽きずに観続け、プラスティックを炒めても全く焦げ付かないフライパンの丈夫さを堪能し、結局最後まで観てしまった。
テレビを観なくなったのは、単に新聞をとっていないため番組表が手元にないことと、生活スタイルの関係であまりテレビに縁が無いためだと認識していたが、あのやたらとCMを挟んでは引き伸ばす手口にストレスを感じていたことも原因かもしれない。引っ張って引っ張って焦らして焦らしてもったいぶるのなら、せめてフライパンでプラスティックを炒めるくらいのものは見せて欲しいものである。次回予告程度で焦らされちゃあ焦らされる甲斐が無いんだぜ。
2015年1月21日(水) 緑茶カウント:2杯
最近どうにも、疲労が取れない。そしてなかなか寝付けない。しばらく落ち着いていたが、悲しみを感じてぼーっとしてしまう。考えもまとまりにくく、同時進行がしづらい。頭の中がとっちらかって、あることを為すために十の準備が必要とわかりつつ、二、三抜けてしまい、うまくいかない。
こういうときは酒よりもお茶だ。熱湯を沸かし、落ち着かせ、緑茶を淹れた。好きな味だ。安らげる気がする。でも、まだ思いを馳せてしまう。なかなかどうして、やりきれない。