日記録2杯, 日常,

2015年3月1日(日) 緑茶カウント:2杯

スプーンにへばりついたべっこう飴を舐めながらハーゲンダッツを食す。

違う。こんなことをしたかったのでは無い。もっと素敵なデザートを楽しむはずだったのに何故こんなところに帰着した。しかもこれがなかなか、味は良いのが憎たらしい。

ハーゲンダッツから季節限定で、カスタードクリーム味が出たのである。これを先日食べてみたところ、カラメルソースの無いプリンとでも言うべきお味。美味しい。好きな味である。しかしカラメルソースがあったらもっと美味しいに違いない。そこでカラメルソースを自作し、アイスにかけて食べようと思いついたのである。冷たいアイスクリームにとろりとからまるカラメルソース。絶対美味しいに決まっている。

そこで本日、アイスを購入し、砂糖と水を用意してカラメルソース作りに励んだ。カラメルソースは作り方を間違えるととろりと行かず、固まってただの飴と化してしまうそうなので、しっかりレシピを確認して、実行したら鍋が焦げた。

真っ黒である。悲惨である。しかも慌てて水道水をぶっかけたので半端に固まった飴が鍋の底にへばりつき絶望的なありさま。こびりついた飴が鍾乳洞のように存在感を主張していて悲しい気持ちになる。まぁ、古い鍋を使ったのだから仕方が無い。こいつの始末は後でするとして、他の鍋で再チャレンジをすることにした。気持ちを切り替えるのが肝腎だ。

今度は上手く行った。あと少しでカラメルソースが出来そうである。よし! と思ったところで台所に響くけたたましい音! 耳障りな警戒音! カラメルソースを焦がしたときに発生した煙を感知して火災報知機が作動したのである。やばい! うるさい! 手が届かない! 天井の火災報知機を止めるべく、まずは火を止め、流し台に乗り上げ、警報音を止めるスイッチを押した。無論鍋の中は放りっぱなしだ。かき混ぜる人間などいやしない。

そして飴と液体の中間のようなカラメルソースが出来た。だが、粘性は強いものの一応べっこう飴よりもカラメルソースよりの存在である。まぁいいんじゃないか? いけるんじゃないか? とゴーサインを出してアイスを取り出し、蓋を開け、表面にカラメルソースを乗せたら完全に固形と化した。冷えたから。

だが、己は戦った。頑張って固形化したカラメルソースを伸ばそうとスプーンを活用した。結構な力を入れた。そして固形化したカラメルソースもといべっこう飴は完全にスプーンと一体化し、棒付きキャンディとアイスクリームがその場に発生したのである。

飴を舐め、アイスを食べ、飴を舐めるの繰り替えし。口の中でカスタードプディングになった。しかしそれはカスタードプディングでも何でもなく、あくまでもべっこう飴とアイスであった。

無念。しかし美味。あぁ。



日記録0杯, 日常

2015年2月24日(火) 緑茶カウント:0杯

先日の日記にも書いたが、考えがまとまらず、何かにつけては涙が出て、憂鬱な気持ちになることが多い。そして「よろしくない」と自覚した日の後に、「あ、こりゃあやばいな」と気付く出来事があったので、今日になって手を打つことにした。

この憂鬱はいつか消えるかもしれないが悪化するかもわからない。悪化した場合、回復に苦労することを己は知っている。好きなミュージシャンの体験談、エッセイ、友人の話によって。じゃあ今のうちに手を打つのが吉である。ということで、心療内科に予約を入れた。自分自身でどうにか出来ないならさっさと専門家の手を借りるのが良い。

思い浮かんだのは、大槻ケンヂが精神のバランスを崩したとき、やばいと気付いて心の病気について調べまくった話である。エッセイで読んだか自伝で読んだか定かでは無いが、あのエピソードがポンと浮かんで、それが力となった。

こんな場面でまでオーケンに助けられるなんてなぁ、といつか笑い話になる日が来るだろう。きっと長い人生、こういう時期は誰しもあるのだ。それをどうにか消化して乗り越えて先に進むのである。

全く、人生というのはなかなか楽では無いね!



日記録3杯, 日常,

2015年2月22日(日) 緑茶カウント:3杯

面倒くさい、には様々な種類がある。本日、己はベーコンエッグを焼き、食パンに挟んでラップでくるんだものを三つ作った。朝食は摂りたいが、朝にフライパンを使うのが面倒くさくなったためである。そして一週間分のほうれん草のお浸しを作り、柚子大根を作り、おかずを作り、おにぎりを握り、それらを冷蔵庫と冷凍庫に突っ込んだ後、今晩の夕飯である明太子パスタときゅうりの豆板醤漬けを作った。

二時間かかった。我ながら、これはかえって面倒くさいのではないかと思うことがある。特にベーコンエッグくらい朝にさっと焼けば良いじゃないかと思う。しかし面倒くさいのである。いちいち、今日は何を食べようかと考えるのが面倒くさいので、バーッと一気に作って、出来合いのものを軸として、副菜を決めていきたいのである。

結果、週末に作るものがだんだんと増えてきていて、ちょっとした大仕事になっている。だが、やっぱりこれが己にとって、一番面倒くさくない方法らしいので続けているのだが、たまに、何だか阿呆みたいだなぁ、と思うこともありつつ、冷蔵庫にぎっしり入った調理済みの品々を見ると、ちょっと愉快な気持ちのなるのである。ふふふ。



日記録2杯, 日常

2015年2月21日(土) 緑茶カウント:2杯

内心、これはかなりよろしくないなぁ、と思っている。

いくらか落ち着いたと思ったものの動揺は未だ消えず、些細なことで蘇る。例えば、ああこの菓子を愛していたなぁと思い出したとき、あぁあのライブをいつか観たいなぁと言っていたと思い出したとき。様々なことで記憶が蘇り、一番悲しいあのときのことが鮮明に思い出され、昼間、唐突に涙ぐんだり、何も考えられなくなることが起きている。

酒量が増えている。よろしくない。間食も増えている。よろしくない。それでいて無気力になりつつあり、何も考えない時間を欲している。今自分が欲していることは、何も考えず、一週間ほどぼーっと過ごすことだ。とにかく何もやりたくない。そして休息に努めたい。

行き詰っている。溢れ出しそうでもある。よろしくない。とてもよろしくない。



日記録0杯, 日常

2015年2月17日(火) 緑茶カウント:0杯

先日報告したリストの不具合は、一部が解決し、一部が爆発した。ライブの感想の一覧は直ったのだが、日記録の一覧が壊れてしまっている。ただ、何とかなりそうな気がしなくもないので、今週末対処しようと思う。

ところで、今度結婚式を挙げる友人から引き出物のリクエストを聞かれた。今までにいくつかの結婚式には参列したが、欲しい引き出物を聞かれたのはこれが初めてである。そしてまた、「欲しい引き出物」を考えることが難しいことを同時に知った。引き出物に対しての欲望を持ったことがないので考えようが無いのである。

では、今までもらった中で何が嬉しかっただろう? と考えてみると、グラスや耐熱容器などの食器の類は使い甲斐があって嬉しかった。バウムクーヘンなどの菓子も美味しくいただけるので嬉しい。どちらかと言うと、カタログギフトより品物そのものが入っていた方が個人的には嬉しいが、カタログギフトでもらった蜂蜜は美味しかったなぁ。

いっそ、新郎新婦のラブラブ写真が印刷された大皿などをリクエストしてみようか、と思いつつ、友人は結構本気で準備に苦労しているようなので、下手にちゃかさず、様子を見守ろうと思う。幸あれ!