日記録7杯, 日常

2020年1月2日(木) 緑茶カウント:7杯

たくさん緑茶飲んだよ。
そんな年始だったよ。

あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願い致します。

ね。



日記録7杯, 日常

2019年1月10日(木) 緑茶カウント:7杯

遅くなりましたがあけましておめでとうございます。今年もよろしくお願い致します。

そしてですね。当たりました。筋肉少女帯の握手会に当選しました。帰宅したらハガキが届いていて仰け反りました。やばい。嬉しい。やばい。どうしよう、とりあえずあれだ、外套を新調しようかな。それからそれから。あー、焦ってしまう。ウキウキしてしまう。嬉しいなぁ。嬉しいなぁ。

新年早々こんなに良いことがあって良いのかなぁ。今年は良い年になりそうである。



日記録7杯, 日常

2015年12月27日(日) 緑茶カウント:7杯

日曜日の賑やかな商店街。込み合ってはいるが歩きにくさを感じるほどではなく、ちょっと気になったところで立ち止まったり奥を覗いたりするくらいの余裕を持てる、そんな時間。午を少し過ぎているが軒先からはまだ良い匂いが漂っていて、ちょっとした屋台で買い食いをしている人もいる。己は腹に底を入れ目当ての本も手に入れたので、後は帰るだけ。だが特に急ぐ理由もなかったので、ぷらぷらと歩きながらたまに頭上を見上げていた。

商店街の二階はちょっとした異界である。看板を出したり暖簾を出したりと人を迎えるための装いで整えられた一階と、雰囲気が断絶している二階の差異。ある店の二階ではスヌーピー柄のタオルケットがはためいていて、その横で一抱えもあるぬいぐるみが日干しされている。ある店の二階には子供の体操着が吊るされている。またある店の二階は完全に窓が締め切られていてしばらく開けられた形跡が無い。きっと倉庫として活用されているのだろう。

丁寧に手入れをされた植木と手作りのプレート、ドアーを飾る手製のリース、磨きぬかれた窓の奥にはパッチワークが施されたテーブルクロスとクッション。水色のペンキで塗られた壁はいつ見ても色鮮やかだ。しかしペンキが塗られているのは一階だけで、壁を伝って視線を上に移動させると薄汚れた木の壁と色褪せた屋根が見える。窓には内側から木の板が打ち付けられ、茶色くなった新聞紙がガラスの隙間を埋めるように貼られている。ただ単に使われていない空間というだけなのだろうが、一階を見て、二階を見て、また一階を見て、一つの建物が上と下で全く別の空間に切り分けられているギャップに、いつも不思議な心地になる。果たしてこの店の人ににとってどちらが日常の世界なのだろうか。どちらが主の世界なのだろうか。

カフェの先へ進むと、前に入っていた店の看板が二階に残ったままのイタリアンレストラン。二階の看板はかろうじて電器屋と読めるがもう大分ボロボロだ。このレストランに入る人はきっとわざわざ空を見上げて電器屋の文字を読もうとしないだろう。きっと誰も気に留めないからそこに残ったままなのだ。まるで化石のようである。

日常と化石が混在する二階と、同じ高さで歩けたらさぞかし楽しかろうなぁ、と思いつつ。気の向くままにふらふら歩く。こういう時間が、わりと好きである。



日記録7杯, 日常

2014年5月31日(土) 緑茶カウント:7杯

昨日の日記で書いたことについて、自分はとても気落ちしていて、やりきれない思いで一杯で心は憂鬱、そしてまた、悲しい気持ちでがっかりしていたのだが、その日届いたCDがありまして。平沢進の新譜でして。それは変則的なライブアルバム。収録される全ての曲が「ライブの一曲目」であり、曲の冒頭に長々とした出囃子がついた異例のアルバム。ライブならではの激しい音と歓声がつんざく怒涛のアルバムだ。

ぐったりしながら聴き始めたんだ。気分転換をしたい、と思いながら。するとイヤホンを通して耳に流れるのは、「格好良い!」の一言に尽きる、興奮と歓喜の源。うわーーーー、と嬉しくなった。何て格好良いんだろう! 素敵だ! こんな曲が聴けるなんて嬉しい! 自分は大喜びし、喜びながら、気付けばニヤニヤと笑っていた。曲があんまり格好良かったから。

憂鬱の全てが消えたわけでは無かったが大分気持ちは楽になった。あぁ、音楽一つでここまで人の気持ちは変えられるのか。ありがたいなぁと思いつつ、それだけ単純ならばいつだってどうにかなるんじゃないの、と思い込もうとしながら生きている。



日記録7杯, 日常

2013年7月15日(月) 緑茶カウント:7杯

筋肉少女帯の「ノゾミのなくならない世界」は秀逸だなぁ、と改めて思う。

すごく良いことがあった。すごく良いことがあったが、「この人あたしをわかってる 私の心を歌ってる 恋したわ!」になっちゃあいけないな、と思うのだ。

すごく嬉しかったが、すごく嬉しかったからこそ、ノゾミちゃんのようにならないよう気をつけよう。嬉しいからこそ冷静になろう。全てを呑みこまないように、一度全て噛み砕いて吟味して、自分で判断するようにしよう。その人はとても信頼出来るが、信頼出来るからこそ、その人に寄りかかって思考停止しないように気をつけよう。

ずっと人からだめだだめだと言われていたことをすっ飛ばしてくれたのである。そしてそれ以上に良いところがあると言ってくれたのである。すごく嬉しかった。だから自分は妄信しないように気をつけなければならないことを確信した。妄信してしまったら、せっかく自分を肯定してくれた人にとっても無価値の人間になってしまうだろうから。

気をつけよう。