未分類0杯, 筋肉少女帯, 非日常

焦った。とても焦った。何故なら目が覚めたら三時半だったから。もちろん昼の。会場は十七時。開演は十八時。わりと結構、時間が無い。

そして己はチョコパンを四個食べて服を着替えて水を飲んで歯を磨き、急いで仕度を整えて赤坂ブリッツに向かったのであった。A二百番前後のチケットを財布に突っ込んで。

結論から言えば何とか間に合った。視界も良好で最高だった。前から二列目のベストポジションで、最後の曲の「釈迦」では押されに押されて最前から観ることも出来た。しかしあと十分目覚めるのが遅ければこの恩恵は得られなかっただろう。寝坊という点で己の体内時計は確実に狂っていたが、それでもギリギリのところで間に合うあたり、筋少に対する熱意を感じざるを得ない。そんなに好きか。そんなに好きだよ!

今回のライブは新譜発売記念ツアーということで、新譜「おまけのいちにち(闘いの日々)」がメインの選曲でありつつ、珍しい曲あり、いつもの曲あり、まさかの替え歌や意外なあの曲まで盛りだくさんで、お腹一杯の楽しいライブだった。前回の橘高さん三十周年記念「ヘドバン地獄」と比較して、オーケンは「通常営業の筋少ライブ」と言っていたが、その通常営業がたまらなく楽しく嬉しいのだからたまらない。

開演SEは「大都会のテーマ」で、「レジテロの夢」から「パリ・恋の都」ならぬ替え歌「赤坂・恋の都」を挟みつつ、「混ぜるな危険」「球体関節人形の夜」「枕投げ営業」と続き、アルバムの曲順通りのセットリストだったため、今回は覚えやすいぞーと油断していたら「バトル野郎~100万人の兄貴~」や「生きてあげようかな」などが入ってきたことで記憶がまぜこぜになってわからなくなった。よって今回のセットリストは曖昧というか、わからないので演奏された曲だけとりあえず書き記そうと思う。


開演SE:大都会のテーマ

レジテロの夢
赤坂・恋の都(パリ・恋の都の替え歌)

混ぜるな危険
球体関節人形の夜
枕投げ営業

バトル野郎~100万人の兄貴~
LIVE HOUSE(おいちゃんボーカル)

時は来た
イワンのばか

別の星の物語り
生きてあげようかな
夕焼け原風景

踊るダメ人間
ワインライダー・フォーエバー
ゾロ目
サンフランシスコ
労働者M

~アンコール~
大都会のテーマ(演奏)
地獄のアロハ(筋少オンリーver)
おわかりいただけただろうか
釈迦

終演SE:気もそぞろ


書いてみたら意外と覚えていた……気もするが、「時はきた」「イワンのばか」の塊がもうちょっと別のところにあったかもしれない。あと「踊るダメ人間」から「サンフランシスコ」までの曲順は全く自信が無い。とりあえず「記憶がぐちゃぐちゃになるほど楽しかったんだね!」と思っていただきたい。

さて。新譜発売記念ライブでいきなりこれについて語るのか、と言われそうだが語りたいので勝手に語る。まさか「地獄のアロハ」をやるとは思わなかった! ワジーボーカルの箇所は橘高さんが、研ちゃんボーカルの箇所は内田さんが担当し、ワジーのギターソロは橘高さんのギターソロに。そして「ぼくらは筋肉少女帯人間椅子~」と皆で合唱するところは「ぼくらは筋肉少女帯なんですよ~」という歌詞に変わっての、まさに筋少版「地獄のアロハ」!

こうして筋少版を聴くと、いかに筋肉少女帯人間椅子がお祭り騒ぎであったかとてもよくわかる。筋少版は「筋少」として、騒がしいながらもまとまっているのだが、筋肉少女帯人間椅子は、そりゃあ人数と楽器の数からして当たり前なのだが、あっちからもこっちからも音が鳴っていて、狭い空間に大人数をぎゅうぎゅう詰めにしたような熱量と圧迫感があったことが思い出される。また、もう随分前な気がするのに、まだあれから一年も経っていないという驚き。何と濃い一年だったことか。

ちなみに「地獄のアロハ」冒頭のオーケンの歌唱シーンでは、おいちゃんと橘高さんが撮影でも使用したあの懐かしのウクレレを爪弾いた。ウクレレのターンが終わった後、橘高さんのピンクのフライングVウクレレが軽々と袖で待機するスタッフの手元に飛んで行ったのが、いつものフライングVに比べて重量感が無く、ふわ~としていて、何だか可愛らしかった。

一曲目の「レジテロの夢」はまだ探り探りな感じがして、新譜発売記念ライブらしいなぁとしみじみしていたら「パリ・恋の都」ならぬ「赤坂・恋の都」! 会場が赤坂ブリッツということで、赤坂周辺の地名や建物を歌詞に盛り込むという暴挙。「フレーーーーンチキースー」か「カフェーーーーオーレー」のところが「ひえーーーーじーんじゃー(日枝神社)」になっていて笑った。何より「パリ」という二文字に無理矢理「あかさか」という四文字をはめ込んで、その箇所だけものすごく早口になっているのがおかしい。

「混ぜるな危険」はシングル発売前に一度聴いたきり、ライブで聴くのはこれが初めてなので新鮮だ。しかし毎週のアニメでこれでもかと聴きこみ、しっかり体に染み付いているので、まるで定番曲のよう。「おうぃ!!」と拳を振り上げるのが楽しい。ちなみに語り部分は語られず、煽りパートになっていた。

「球体関節人形の夜」がすごかった。ここでぐわっと押しが発生したのである。皆! そんなに球体関節人形の夜が好きなのか! わかる! 己も大好きだから!! と思いつつ、「踊れ踊れ」と煽りながら指をくるくる回すオーケンに合わせて懸命に指を振り回した。

今更だが、今回の立ち位置は内田さんと橘高さんの間くらいで、前述の通り前から二列目だったので、橘高さんの手元をこれでもかというほど凝視することが出来た。生憎技術的なことは何もわからないが、あの指からこの空間中に響き渡る音が紡がれているのかと思うと感慨も一入である。それを間近で見られる贅沢さったらない。

「枕投げ営業」に入る前に、オーケンが「ついにあの曲!」というようなことを言っていて、枕投げ営業の人気を把握しているのだなぁと思った。いやあこれ、やっぱり楽しい! 期待通りにノリノリになれて、気持ちの良い曲だった。

「LIVE HOUSE」ではオーケンがはけて、おいちゃんの独壇場が披露された。おいちゃんが全力でおいちゃんファンを殺しにかかってきているのが感じられる格好良さ。あぁ、でもおいちゃんとオーケンの声の重なりのハーモニーも素敵だったから、それも生で聴きたかったなぁ!

ちなみに、「LIVE HOUSE」での立ち位置は下手から内田さん、おいちゃん、橘高さんという順。おいちゃんがセンターに立ち、内田さんがおいちゃんの位置に移動。笑えたのはおいちゃんのスタンドマイクがスタッフによってセンターに運ばれたときで、オーケンがわざとらしくショックを受けたような顔をしていたこと。曲に入る前にもオーケンは、オーケンが「LIVE HOUSE」を一人で歌う、というようなことを言ったとき、オーディエンスから「えーーーー」という声が上がって、「これは不倫ですよ!!」と文句を言う小芝居をしていた。そうか、不倫になるのかこれは。ははは。

「時は来た」は内田さんのベースを堪能出来る曲。筋少はリードギター・リズムギター・ピアノ・ドラム・ベースが重なり合うため、ベースの音が単独で目立つことはあまり無いので新鮮である。そして嬉しい。こういう、ベースが目立つ、ちょっと静かで大人な曲もいつか作ってくれたら良いなぁ、と思った。

「時は来た」の語りではオーケンが絶好調。冒頭の「嘘だよーんけらけらけらけらけら~」のところも実に楽しんでいるようだったがそれ以上にはっちゃけた! 「いまどき誰が音楽で飯を食おうとするかー!」から始まり、「物販を買えー!」と煽り、本当か否かわからないものの物販の原価をぶっちゃける! 良いの!? それ! 大丈夫なのか!? と心配したのは一瞬にして原価率を計算してしまったから! 客の購買意欲大丈夫? 下がらない? と心配している最中もトークは止まらない! 原価率○%の物販の売り上げでウェポンを買い、ウェポンの力によって目からビームを出したりできるようになり、最終的にはライブの後にはなの舞や磯丸水産で打ち上げをしてかんぱ~い!

この間奏の煽りで盛り上がりに盛り上がった結果、入りを間違えるのがまた実にオーケンらしかった。

「別の星の物語り」「生きてあげようかな」「夕焼け原風景」は椅子に座って。「夕焼け原風景」は内田さんだけが起立してベースを弾き、他のメンバーは座っての歌唱・演奏。そこから盛り上がるにつれて、全員が立ち上がっての演奏となる構成が格好良かった。

あと、「夕焼け原風景」はアルバムで聴いたときはそうでもなかったのだが、ライブで聴いたときはジンと来た。何だろう。何が作用したのだろうか。

「別の星の物語り」に入る前に、今回のライブで一番印象的だったことがオーケンによって語られた。それは、「おまけのいちにち(闘いの日々)」には、「過去」「未来」「現在」という言葉がちりばめられているが、「時間」そのものがテーマではない。キーワードになるのは「未練」で、「未練をいかに断ち切るか、あるいは、未練を断ち切るか否か」が、アルバムの根底にあるということ。そのことにリハーサルの最中に気付いたと言う。そしてそれが一番如実に表れているのが「別の星の物語り」だそうだ。

ストンと、引っかかっていたものが落ちて納得した。「おまけのいちにち(闘いの日々)」というアルバムを考えるにあたり、「時間」が大いに関係していることは感じ取れていた。だが、昭和四十年代五十年代を題材の一つにしつつ、決して懐古趣味では無い。しかし前向きかと言えば必ずしもそうではない。「今」を生きてはいるが、立ち止まったりもがいていたり、もがいている人に語りかけたりしているようだ。

誰しも生きていれば未練を感じることはあるだろう。それに縛られたり、断ち切ろうともがくこともあるだろう。それは年を重ねるごとに増えるかもしれない。でも未練を残しながらも日々を生きていかなければならないのかもしれない。自分だけが静止していると思うこともあるかもしれない。その中でトコトコと歩いて行かなければならないのかもしれない。

ということを考えていたら「ワインライダー・フォーエバー」。未練があるであろう人に語りかける曲。熱愛の末、別れた女優と俳優の話を持ち出し、意外と大丈夫だよ、と語りかける一曲。メンバー全員が楽器を下ろし、マイクを片手にステージを練り歩きながら大盛り上がりする楽曲で、盛り上がりながら考え込むことになろうとは思わなかったなぁ。

本編ラストは労働者M。メンバー全員がドラム台に集合する姿は格好良いが、この曲をライブで聴くとどうしてもスーッとテンションが下がるので、ちょっとつらい。現実に引き戻されるのだ……。

アンコール一曲目は意外なことに「大都会のテーマ」! 開演SEでかかっていたのでこれは演奏されないと思っていたら! そして何と、オーケンがスーツにサングラスで登場! さらに、手にはモデルガン! マーシャルアンプの裏からちょこちょこ顔を出してモデルガンで狙撃の真似をしたりと遊びまわる! 実に楽しそうである!!

このスーツ、このために購入したものだそうで、ヴィヴィアン・ウエストウッドの良いものだそうだ。オーケンのライブ愛が感じられる。

「おわかりいただけただろうか」の前だっただろうか? 新譜発売記念ツアーを猿岩石のようにヒッチハイクで回る! とオーケンが言い出した。「ヒッチハイクで行く! そしてトラックの運ちゃんが良い感じの人なの。筋肉少女帯? あの高木ブーの? 知ってる知ってる俺もロックが好きでね~なんて言って、寝ていいよって後ろの席を空けてくれて、メンバー四人で並んで雑魚寝して……いや昔もそんなことしたことないですけどね。そしたらチェーンソーの音がして……みんなバラバラになるの。なんと運ちゃんは猟奇殺人犯だった! 皆さん爪とかもらっていってくださいね」という急展開かつブラックなMCに。「爪とかもらっていってくださいね」ってそんな庭の畑に出来すぎたトマトじゃあるまいしし、もらっていってくださいねってどういうことですか大槻さん……。

最後は「釈迦」で締め! 予想外だったのは橘高さんがマーシャルの壁を蹴り倒すパフォーマンスをしてくれたこと! 何で? どうして? 今日は通常営業のライブなのにありがとうございます!!!! と感動しつつ、ヘドバン地獄でやり忘れたのだろうか……と思った。

オーケンは「オーディエンスは筋少に(お金を)搾り取られていると思っているかもしれないが、搾り取られているのは我々だ! オーディエンスは我々の若さを搾り取っているんだ!」と冗談を言っていたが、何の何の。もうすぐメンバー全員五十代と言えども、加齢加齢と言っていようとも何と格好良いことか! 誰がどう言おうとオーケンの銀髪は最高に格好良いし、年齢を重ねたゆえに生まれたであろう楽曲の数々は愛おしい。きっと十代二十代の頃は「未練」がテーマの楽曲などそうそう生まれなかっただろうから。だからこそ今を楽しみつつ、今後に期待して我々は搾り取られるのである。

今年、己が行く筋少のライブはあと二回。全力で搾り取られる所存である。



日記録0杯, 日常

2015年10月19日(月) 緑茶カウント:0杯

心臓がドクドクと鳴る。耳の下で血管が脈打つ音が枕を通して頭まで響く。眼が冴えて眠れない。何これ、恋?

こんな病的な恋があってたまるか。そもそも相手がいやしねえ。しかし由縁がわからない。ここ数日、布団に入るも心臓の音がうるさくて眠れない日々が続いていた。心臓の音が、血管の音が暗闇の中でドクドク鳴ってうるさい。そしてその振動がいつまでも感じられる。いったい何なんだ、これは。

寝不足に悩まされる昼間、ようやく気付いたその正体。最近己は風邪気味だった。よって葛根湯を服用していた。この副作用。交感神経が刺激されて興奮したり眠れなくなったりするらしい。これだ! これだよ! 確かに寝る前に飲んでたよ! ちゃんと決まりに従って食前に飲んじゃあいたが、食事の時刻が遅いために食べて時間を置かずに布団に入っていたのだ。結果、葛根湯が効いてきて眠れなくなったのである。なるほど!

葛根湯と言えども薬は薬。気をつけなきゃいけないのだなぁと思いつつ。今日はビールを呑んで寝るのである。だって呑みたかったから。

葛根湯と一緒に飲んではいないので、そこはご安心を。



日記録3杯, 日常, 筋肉少女帯

2015年10月18日(日) 緑茶カウント:3杯

筋肉少女帯の新譜「おまけのいちにち(闘いの日々)」を発売から十日ほど、一日も欠かさず毎日夢中になって聴き続けているが、これは己にとってある意味で特別な位置づけにあるアルバムである。どこが特別か。残念ながらちょっとネガティブな意味である。己はこのアルバムのコンセプトに共感出来ないのである。そしてまた、全体の根底にあるであろう空気を全く理解出来ないのである。

前作「THE SHOW MUST GO ON」はライブをテーマにしたコンセプトアルバムである。このアルバムを聴いたとき、筋少の楽曲は好きだが筋少のライブに一度も行ったことのない人達はどのように受け取るのだろうか、と疑問に思いつつ興味を抱いた。ファンの全員がライブに足を運ぶわけではないことを考えれば、一定数いるはずである。その人達に「THE SHOW MUST GO ON」というアルバムは面白く聴こえるのだろうか。自分達以外に向けられた音楽として受け取って、つまらなく感じることはないのだろうか。

この疑問の答えを誰かから聞いたことはない。しかしその次作で自分がその人達と同じ立場に立つことになろうとは思わなかった。

本当にわからないのである。

昭和六十一年生まれ。さほど若いわけではなく、来年には三十になる身の上だ。ただ映画やドラマにはさして興味が無く、昭和四十年代五十年代の空気を間接的にさえ知らない。そして、「大都会のテーマ」「私だけの十字架」が当時の人々にとってどのような存在だったか体感していない。刑事ドラマの主題歌ということと、当時どんな時代だったかは調べたことで知識を得たが、実感として湧かないのである。ゆえに、その二曲のカバーがアルバムに織り込まれることによって生じる効果が得られず、「なんか格好良いな」「気持ちよさそうに歌っているな」程度の感想しか抱かないのである。

十日近く毎日聴き続けているにも関わらずこの二曲について何の感慨も湧かない。そして思う。これって結構致命的なんじゃないか? と。

そんなわけでちょっと悔しい思いをしつつ聴き続けているが、何となく感じ取れるのは、過去の刑事ドラマのテーマのカバーが入りつつも、これは決して懐古趣味的なアルバムではないということだ。「過去」をテーマの一つとして根底に敷きつつ、「昔は良いものだった」と語っているわけではないのが面白い。

例えばおいちゃんの楽曲「LIVE HOUSE」は、三十年前に作られたものだが、これは懐古趣味的な意味で収録されたわけではない。時間が経ったことで当時とは違う価値観が生まれ、その良さが理解されたことで収録された。つまり「LIVE HOUSE」という楽曲がタイムスリップすることで再評価されたのである。「今だからこそ良さがわかった」のだ。

「球体関節人形の夜」と「おわかりいただけただろうか」は二つで一つの曲であるように感じられる。「過去の恋愛」に縛られて「今」から前へと進めなくなっている球体関節人形。一見、球体関節人形には過去しか見えていないようだが、「人形に戻れ」と言いつつその結果は夜という他者にゆだねている。つまり、人として生きるか人形に戻るか決めかねてもがいている姿を歌っているのだ。

そしてそこに「おわかりいただけただろうか」で「未来」という選択肢を提示する、と考えると綺麗である。おわかりいただけたかどうかはまた別の話として。

さて。かと思えば「時は来た」では、ついに「今」がやってきたと言いつつ、肝腎の敵が誰だかわかっておらず進むに進めないというオチ。「S5040」も昭和五十年代四十年代へタイムトラベルしているように見せかけてどこに行くか決めかねて今の時代を漂っている。そして「夕焼け原風景」。これも「君」の生まれた土地を歩きつつ、「これから」という「未来」を見つめている。懐古趣味のようで、懐古趣味ではない。

「今」を生きている姿が描写され、その「今」こそがおまけのいちにちであり、「今」の連なりが「闘いの日々」であることを感じさせる。しかしあと一歩、掴めそうで掴めないのがもどかしい。「おまけのいちにち(闘いの日々)」は、そんな、わかるようでわからない、どこかストンと落ちきらないアルバムとなった。

もしかしたらいつか、わかる日が来るかもしれない。



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(10月13日4時の方へ)アッテンボローさん初めまして、メッセージありがとうございます。

まず体調をお気遣いいただきありがとうございます。薬を飲み、たっぷり寝たら熱も下がり今は平静に戻っております。アッテンボローさんは橘高さんのファンなのですね。ではより一層あの宴は素晴らしく感じられたことでしょう! 「詩人オウムの世界」もやってくれたし、新曲もやってくれたし、本当に盛りだくさんの良いライブでした。

東京の筋少ライブにはほぼ参戦していて、ちょこちょこ感想も書いているので良かったらまたお暇なときにでも遊びにきてください。もったいないご感想、ありがとうございました。


他、拍手をくださった方々ありがとうございました。嬉しいです。



未分類6杯, 筋肉少女帯, 非日常

我らがギターヒーロー橘高さんのデビュー三十周年記念ライブであり、半年ぶりの筋少ワンマンライブであるのだが、この日己はちょっと疲労が蓄積して微熱が出ていたので、本来であれば前に突っ込んでわーわー騒ぎたいところであったが、柵に掴まりながらゆったりわーわー騒ぐに留めた。

体調不良ゆえ、流石に体力の低下を実感しつつの参戦ではあったものの、大好きな音が奏でられるこのキラキラした空間にいるとやはり元気が出るし、どうしたってニコニコ笑ってしまう。しかも何て言っても今回は特別なライブ。橘高さんのデビュー三十周年記念ライブなのだ。己が筋少を知ったのはおよそ十年前で、橘高さんを知ったのも同じ頃。あれから十年。橘高さんの活動時間の三分の一をリアルタイムで追えていることが嬉しい。そして今後、その割合は徐々に大きくなっていくに違いないのである。

今回は全曲橘高さんの曲、ということでメタル尽くしのメタル祭り。演者も観客もハードである。あのいつもニコニコ笑顔のおいちゃんですら、あまりのハードさゆえに「今日は笑えないかもしれない」と言ったほどである。ただ、それを言うおいちゃんはやっぱりいつもの笑顔だったが。

とはいえ、ステージに立つ人も見上げる人も、それを全力で楽しんだに違いない。新譜から三曲の新曲と、定番の人気曲にレア曲。そして橘高さん一人がステージに立っての渾身のギターソロ。ブゥウウウウウウンと地を這うような重低音が響き(残念なことにそれが何の音なのか己にはわからなかったのだが)、メキメキと早弾きを始める橘高さん。どこか「家なき子と打点王」を連想させるフレーズで、奏でたギターソロがサンプリングされて、時間差で流れる中さらにソロを奏で続け、会場が橘高さんの音で一杯になった。そして「愛のリビドー」のフレーズが入り、まさか「愛のリビドー」のためにこのギターソロを…!? と「愛のリビドー」に対してちょっと失礼なことを考えていると、「スラッシュ禅問答」のフレーズに移行し、迫力の中始まったのは「再殺部隊」。圧巻である。

このギターソロ、今日が橘高さんが主役の橘高さん祭りだからこその催しだろうが、これ、毎回とは言わないので、たまに筋少のライブでもやって欲しいなぁ。

新曲もバッチリ格好良かった。「おわかりいただけただろうか」を橘高さんのボーカルで聴けたのは嬉しいサプライズである。あと、今日のオーケンのボーカルはすごかった。最近はシャウトの場面でも、声を抑え目にすることが多いが、「球体関節人形の夜」でがっつりバッチリ叫んでくれたのである! オーケンのシャウトが大好きな人間としてはたまらなかった。

不意打ちだったのは「ノゾミのなくならない世界」。しかも今日、偶然「ノゾミのなくならない世界」の物販Tシャツを着ていたので尚更嬉しかった。これの「あなたあたしの~」からの疾走するようなドラムとギターが大好きなのだ。

このあたりでセットリストを。


ゾロ目

くるくる少女
ノゾミのなくならない世界
踊る赤ちゃん人間

レジテロの夢
球体関節人形の夜
おわかりいただけただろうか(ふーみんボーカル)
小さな恋のメロディ(ふーみんボーカル)

交渉人とロザリア
レティクル座の花園

再殺部隊(「家なき子と打点王」を連想させる長尺のギターソロから始まり、「愛のリビドー」「スラッシュ禅問答」のフレーズに移り、「再殺部隊」へ移行。)

詩人オウムの世界
パブロフの犬
アデイインザライフ

~アンコール~

Thank you(ふーみんボーカル)
影法師
少女の王国
イワンのばか
トリフィドの日が来ても二人だけは生き抜く

「ゾロ目」の後で橘高さんを祝うオーケン。祝いつつもちゃかすのが実にオーケンらしく、「おめでとうおめでとう!」と散々言った後に何がめでたいのか橘高さん本人に問い、「そこからぁ!?」と笑いながら呆れる橘高さん。そしてデビュー三十周年と言えば、「二十四歳で三十周年だなんて計算が合わないよ!」とお約束の反応。このやりとりが微笑ましい。

嬉しいことにめでたいことは続くもので、今回のライブではオーケン、うっちー、ふーみんそれぞれの五十歳記念ライブ、さらには毎年恒例十二月二十三日の筋少ワンマンライブの開催も発表された。そして、来年には再結成してからの活動期間が、再結成前の活動期間を超えるという話も。(※これは仏陀LからSAN FRANCISCOではなく、猫のテブクロからSAN FRANCISCOを指すと思われる。)オーケンがニコニコしながらオーディエンスに向かって、みんな年をとりましたね、といったことを言ったが、そうやって年を取れるのはありがたいものだよ、と思う。

また、今回嬉しかったのが、エディが橘高さんの曲について、嫌いな曲が一つも無い、ピアノを弾きまくれるから楽しいと言っていたこと。橘高さんがエディへの愛と尊敬を語る場面を何度も見てきたことがあっただけに感動してしまった。

同時にエディの嫌いな曲ってどれだろう……? という興味も湧いた。何だろう、ピアノの出番が全く無い曲かな。

そういえば今回の「小さな恋のメロディ」も、後半でオーケンがマイクを持って入ってきたのだが、歌心が邪魔されることは無かったようである。オーケン、気を遣ったのだろうか。一応。

忘れてはいけないのが「影法師」。メンバー間が微妙な時期に作られたため、今まで筋少メンバーで演奏されたことが無かった曲だ。五年前の二十五周年記念ライブで期待しつつも演奏されなかったので今回は諦めていただけに嬉しい。当時の気まずい空気も既に笑い飛ばせるようになっているというのは素敵なことだな。

余談だが「影法師」の語りは語られず、間奏中オーケンが神妙な顔で間奏終わりの出番を伺っていたのが何か面白かった。

本編ラストは「アデイインザライフ」、アンコールラストは「トリフィドの日が来ても二人だけは生き抜く」で、明るいライトがパァーッとついて、気分がふわっと広がるような楽しさの中で終わるのは実に気持ちが良いなと思った。いやトリフィドの場合は大勢が食人植物に食い殺されていて好きな男と二人っきりになりたいがために全人類見殺しにしている状態なんだけどね。そういう状態ではあるのだが、特にこういう記念ライブで多幸感に包まれながら終息を迎えるのは、続きが感じられて満ち足りた思いがするのだ。

全ての曲が終わり、流れるSEは「航海の日」。橘高さんは最後までステージに残ってピックをばら撒き観客と握手をし、まだまだ橘高さんのヘヴィメタルギタリストとしての航海の日々は続いていくことを感じつつ、いつもはさっさと家に帰るのだが、ゆっくりとビールを二杯呑んで、苦手なタバコの煙が充満する中余韻に浸った。幸せな時間だった。