日記録4杯, 日常

2015年9月15日(火) 緑茶カウント:4杯

初日は九割、二日目が八割、三日目に七割電池が残っていたのなら、今日は六割だろうと思いきやいきなり「電池残量ゼロです」と表示されるのだから恐れ入る。kindleの眠りはいつも突然である。そして己はやろうとしていたことのいくつかが出来なくなって諦めるのである。

しかし。そんな難点はあるもののkindleは楽しい相棒だ。本屋に行くのも楽しいが、深夜ふと思いついたとき、自宅で本を購入出来るのも嬉しい。メモ帳やスケジュール帳、カレンダーとして扱えるのも愉快だ。これは一度手にしたら手放せなくなるなぁ、と魅力にはまりつつも平気で二三日放置して電池が空になることもあり、そのたびにまた慌てるのである。

最近は折口信夫の著書を読んでいる。大学在籍時に日本文学を専攻していたので懐かしい。学ぶと言うと大げさだが、もう一度なぞってみようかな、と思いながら電子のページをめくる。これも一種のノスタルジーかもしれない。



日記録2杯, 日常, 重陽の節句

2015年9月9日(水) 緑茶カウント:2杯

本日は重陽の節句である、と会う人会う人に伝えることを己の使命として活動してきてはや何年か。なかなか成果が得られぬが、今年はついに「職場の人に重陽の節句の話をしたら物知りだねと言われた」というご報告をいただくことができ、やったね! 言い続けてきた甲斐があった! と握りこぶしをつくった喜び。

菊の花の節句である。五節句の一つである。重陽の節句である。どうぞよろしくお願いします。



日記録4杯, 日常

2015年9月8日(火) 緑茶カウント:4杯

その人の祝うべき発表に対して、己は拍手を打ちながら、ただただ首を傾げたのであった。それは祝福すべき事柄であったが、己にとって、なかなか理解が難しい事柄であったのだ。

何があったのかと言うと、その人は結婚を発表したのであった。それ自体は祝福すべきことであり、己も異論は無い。ただ、ひたすら理解出来なかったのだ。

何故か。その人は結婚に無縁であると数日前まで自称していた。そうして、一人で生きていくために、若い身空で老人ホームの見学をし、老いた先に永住する場所を調べていると公言していた。交際相手もいないとのことだった。そして年上の人から結婚を勧められると、苦笑しながら一人で生きていくための持論を述べていた。故に、己はそれを否定せず、世の中には様々な人がいるのだからと、それを当たり前の一つとして受け入れていたのだが。人間は心変わりする生き物とはいえ、この本日の瞬間的な発表に、ただただ困惑するのである。わからないのだ。それはポーズだったのか、真実だったが大きな事件があって瞬間的に事情が変わったのかが。

また、己もこのように、いつしか変化するに違いないと信じられながら、己の言葉を上っ面のものとして受け止められていたら恐ろしいな、と今更ながら思いつつ。祝福に対し異論こそ無いものの、ただただ考え込んでしまうのであった。



日記録4杯, 日常

2015年9月6日(日) 緑茶カウント:4杯

大学の友人と下北沢に集まって昼からビールを呑んで中身の無い話で盛り上がった。清清しいほど真面目な話を全くしていない。阿呆な冗談を言っては悪乗りを繰り返しどんどん展開を進めていく快感。いやあ、濃かった。

つまみをちまちま食べただけで満足してしまったのはご愛嬌。いつ会っても大学の頃の空気のままだが、食欲までそのままとはいかないようだ。しかし、代わりに安いものを大量に食べるのではなく、ちょっと良いものを味わうようになったりもして。そういう変化も楽しい。

さぁ、明日も頑張ろう!



日記録1杯, 日常

2015年9月4日(金) 緑茶カウント:1杯

毎日のように緑茶を飲んでいるので、己の緑茶好きは身内を問わずわりと知れ渡っている。そのためありがたいことに、お土産に緑茶をいただいたり、うちは珈琲党だからといただきものの緑茶を譲っていただくことがある。

そしてこの日もまたある人が、家にあるけど誰も飲まないから良かったら持って行ってと緑茶を譲ってくれた。百グラムの緑茶が五パック。我が家では百グラムを約一ヶ月で飲みきるので、ほぼ半年分の量である。嬉しいなぁ、とありがたく頂戴し、早速今日から飲もうと家で開封したら五パック全部玉露だった。

山積みの玉露。普段は煎茶を飲み、たまに特別な気分のときに玉露の缶を開けて、丁寧に湯を注ぎ美味しさを味わっていたが、五パック全部玉露。五パック。そして玉露は日常となった。わりと雑に楽しんでいる。美味しい。