日記録0杯, 日常

2015年12月6日(日) 緑茶カウント:0杯

痒い。激烈に痒い。あまりに痒くて眠れないほど痒い。左足の小指の股。何でこうも痒いのか知らぬがとにかく痒く、キンカンを塗って痒みに耐えつつ眠ったが朝には靴下が脱げていて悲惨な有様。見事に掻き毟られて血液と汁がにじんでいる。じゅっくじゅくに。

絶対水虫だろこれは。って思うじゃん。思うでしょうよ。このじゅくじゅくした感じ、この痒さ。水虫以外の何者でもないでしょうよ。白癬菌をどっかからテイクアウトしたんでしょうよ。公衆浴場もプールも利用していないけどテイクアウトしたんでしょうよどっかから。って思ったらもう善は急げ。素人がどうこう考えても仕方がないっつーことで皮膚科へゴー。水虫の診断を受けるために皮膚科に行って参りました。

患部の皮膚をちょこっとつまみとられ、白癬菌の存在を調べる検査を実施。さあさっさと診断を下すがよろしい。そして薬を処方してくださいませ。己はとにかく早くこの痒みとじゅくじゅく感から解放されたいの、解き放たれたいのですと死刑宣告ならぬ水虫宣告を待っていたのに。いたのにだよ。我が左足の小指の股には白癬菌はいらっしゃいませんでした。

「湿疹が出来て掻き毟ったのが良くなかったんでしょう。湿疹のお薬出しておきますね」

マジか。マジかよ。あのね、このように書いているけどね、ちょっとはこう決心と言うか、踏ん切りが必要だったんですよ。だって嫌じゃん水虫持ちって宣告されんの。出来たら「あれー何か気付いたら治ってたー」って感じに水虫の薬を使わずにさらっと治ってたって状況が理想じゃん。でもめっちゃ痒いじゃん。眠れないほど痒いじゃん。激烈に痒かったら我慢出来ないじゃん。だから意を決して皮膚科の扉をノックしたのに水虫じゃあなかったよ! 湿疹だったよ! えー! 嬉しいけど! えー!!

薬は激烈に効いてじゅくじゅくも痒みも五日で治った。その後再検査を受けたもののやはり白癬菌はいなかった。嬉しかった。嬉しかったけどここまで決心して! と思う気持ちも残っていた。でも左足の小指の股がサラサラになったからもう何でも良いやと思った。快適って素敵だね!



日記録1杯, 日常

2015年11月30日(月) 緑茶カウント:1杯

あまりにも悲しい。

縁起でもないことだが、思っていたんだ。もしも水木しげるに何かあっても、きっと彼は生きる世界が変わっただけと捉えられるはずだって。人間でありながら妖怪になりかけているように感じられていたその人なら、きっとあっちの世界でも楽しくのんびり暮らし、たまにこっちの世界に遊びに来てくれるんじゃないかと。だからきっと、そんなに悲しみを感じることはないんじゃないかな。お疲れ様でした、ありがとうと、見送ることが出来るんじゃないかな。

しかしどうだろう。訃報を目にした直後は信じられない気持ちでいっぱいで、信じたくない気持ちでいっぱいで。己は出先に知ったので、家に帰りパソコンをつけてニュースを検索すればトップに記事が掲載されていて。座ったまま、呆然として動けなくなって、悲しみが溢れてきてたまらなかった。心の大事なところが失われたような気さえした。

子供の頃、家にあったゲゲゲの鬼太郎の文庫本を読んだ。地獄の風景を覗ける石の形をしたテレビ、だるまの群れ、悪魔ベリアルが印象的だった。妖怪図鑑のページをドキドキしながらめくった。レンタルビデオ店で借りてもらった第三期ゲゲゲの鬼太郎に夢中になった。暗闇に妖怪がいることと、妖怪を感じることを水木しげるは教えてくれた。

大学生になったとき墓場鬼太郎のアニメが始まり、同時期に第四期ゲゲゲの鬼太郎のDVDボックスが発売された。ある程度自由になるお金を手にしていたので、この頃から水木しげるの本を集め始めた。実家のどこかにあるものと、今まで読んだことがなかったものと、実家にあるけど手元におきたい本と。アニメのDVDボックスを買ったのも鬼太郎が初めてだ。こんな高額の買い物をしてしまうなんて、とドキドキしつつ満足感を得ていた。

今も暗闇には妖怪がいる。電灯が明るく夜を照らしていても妖怪は陰に潜んでいる。その感覚を教わったおかげで、自分はたくさんの楽しみに出会うことが出来た。己の「感覚」に大きな影響を与えてくれた人だった。

きっと今は、鬼太郎やねずみ男達とあの世の散歩を楽しんでいるに違いない。けれど、ただただ、今はとても、悲しい。
水木しげる先生、妖怪の感覚を教えていただきありがとうございました。ご冥福をお祈りいたします。



未分類0杯, 平沢進, 非日常

サッカーや野球のようなスポーツ観戦とライブコンサートの違いの一つに勝敗の有無がある。前者にはあり、後者には無い。よって通常、ライブコンサートの場合、終了後に勝利の美酒に酔うこともなければ贔屓チームの敗北に肩を落とすこともない。だいたい「今日の演奏良かったなー」「あの曲をやってくれて嬉しかったー」と満足して終わるが、今日は帰りの電車の中で、確かに己はうなだれていたのである。

まさかの、二日連続バッドエンド。
しかも、ほとんど同じルートで。

初めて参戦したインタラ「ノモノスとイミューム」では、二日連続グッドエンドで、さらにそれぞれ別種のルートを観ることが出来たのでルンルン気分で帰宅したが今回は。橋が破壊されず安心したのも束の間、アヴァターのポケットから転がり落ちたΣ-12の目玉が谷底へ落ちた瞬間の絶望感と言ったら無い。もう一度チャンスをくれと叫びたい気分だが今日は公演最終日。もうチャンスは無いのである。

そしてこの二日間で己はすっかりアヴァターに愛着を持ってしまっていた。己が参戦した一日目でアヴァターは何度も谷底へ落ちた。家に帰ってストーリーを思い返しながら歌詞を読み曲を聴き、どうにか彼をグッドエンドへ連れて行きたい、自我が無く不安ばかり抱えているアヴァターが堂々と己の信じる道を歩けるようになってほしい、と思ったのに。己の選択ミスにより、アヴァターはふたたび谷底へ突き落とされたのであった。

悲しかった。

アヴァターが何度も谷底へ落とされたかと思えば火事場のサリーのところに戻り、また落とされ、といった繰り返しの映像を見た後の「鉄切り歌」。冒頭で「何度も落ちる人を見た」と歌われ、まさにさっきの映像そのものでともすればギャグになりかねないが笑う余裕が無い。過去向く士に利用され、過去向く士の差し向ける幻影の衛星からの声を頼りに必死にホログラムの断崖を登っていたアヴァター。実際その崖は崖でも何でもなかったが、確かにあいつは頑張ったと思うぜ。

平沢の全力の歌唱「ホログラムを登る男」は今日も迫力満点で、この一曲で全ての力を使いきろうとしているのではないかと思うほど。この曲もグッドエンドルートへ進めていれば、怯え迷いながらも断崖を登りきり、真実を見つめることが出来るようになったアヴァターを祝福する歌になっていたんだろうなぁと思うとまた切ない。

とはいえ悲しくて切ないばかりではない。バッドエンドは残念だったがライブそのものはとても楽しかった。昨日は二階席から俯瞰の眺めを楽しみ、本日はアリーナ九列目の中央寄り。真正面から平沢をガッツリ観ることが出来た。両方味わえてラッキーだった。

二階席から観たときは降り注ぎ旋回する光の雨を見下ろせたので、ステージと会場がキラキラと彩られる様を視界に収めることが出来た。対して本日はまさに光の雨の中にいると言った感じ。カラフルなスポットライトが平沢を照らし、ライトは色も形も変えて縦横無尽に動き回る。青いライトで照らされるとまるで海の中にいるような心地になり、幾本もの細く白いライトがステージを照らせばまるで平沢が後光に照らされているように見えた。神々しかった。

そしてとっておきが最後に一つ。今回自力で「WORLD CELL」を回すことが出来なかったが、アンコールでステージに再登場した平沢、「私はどの平沢でしょう?」と口にする。何とアンコールで登場した平沢は今までステージに立っていた平沢ではないそうで、さっきまでの平沢に頼まれて「WORLD CELL」を回しにやってきたという、別次元の平沢だそうだ。つまり谷底に落とされたショックで自我を取り戻し、元のタイムラインで「WORLD CELL」を回したアヴァターそのものか…!?

別次元の平沢は「コツをつかんだ」と言っていともたやすく「WORLD CELL」を回した。もしこの彼があのアヴァターであるなら、不安ばかり抱えていて、自分で考えることが出来ず、過去向く士についてきた挙句に利用された男が、我々の世界を救うためにまたタイムラインを飛び越えてやってきてくれた……と考えると、バッドエンドではあるが、ここまでの道は無駄じゃなかったのかもしれないと思える。

「WORLD CELL」はまるで花咲くように徐々に開き、回転し、「穏やかで創造的な知識活動」の象徴だろう、光の粒子を集めていく。光はWORLD CELLを中心に渦に飲まれるように回転し、気付けば平沢の頭上には銀色に輝くミラーボール。そしてスクリーンと会場が一体となり、まるで自分達がWORLD CELLの中心にいるかのような錯覚を覚える光景に包まれたのである。美しかった。

あぁ、でもこれをお情けでなく、自力で観たかったなぁ。

他に印象的だった場面も書き記しておこう。「オーロラ」の最後の繰り返しで、背が多少弓なりになりつつも、余裕の表情で歌っていたことに驚いた。まだまだ余力はたっぷりある、といった様子である。流石だなぁと舌を巻いた。

「火事場のサリー」ではPEVO一号と共にステージの段差に座り、タルボを抱えて弾き語り。足でトントンとリズムをとりながら歌っていたのがキュートで、サビの声の美しさに聴き惚れた。透明感があってたまらない。そして「ハッ!」と言うところでは真面目な表情で右を向く仕草。格好良かった。

特筆すべきは「鉄切り歌」。通常、ミュージシャンが観客に合唱を促す場合、観客にマイクを向けることが多いと思う。しかし平沢は歌っている最中に不意に口をつぐみ、明後日の方向を向いて黙った。ここでその様子から読み取れた。「おまえらがうたえ」という言葉が。そして発生した「だんだん切れ!」という楽しい合唱。腰に手を当てて仁王立ちをして客席を睨みつける平沢は合唱をしている我々の様子を見守っているようにも見えれば、二日連続でバッドエンドルートを選んでしまったことに対するお怒りの表情にも見え、「あぁごめんなさい平沢様!!」と叫びたい気持ちになりつつひたすら「だんだん切れ!」と合唱した。めっちゃ楽しかった。

あと、Σ-12が海水浴に行くと言っていたのが面白くもあり嬉しくもあった。白虎野で公開手術の刑を受けた別次元の平沢がΣ-12である。結構な悲劇である。そのΣ-12がノモノス・ハンターとして働いたり、海水浴に出かけたりと、何だかんだで楽しそうにしているのが嬉しい。

インタラクティブ・ライブから帰り、日常に戻りつつある今はひたすら「ホログラムを登る男」を流しながらちょくちょく歌詞カードを手にとって読んでいる。ライブの後からアルバムの聴こえ方が変わった。点と点が繋がったのである。ただ耳に心地良かっただけの音が意味を持って脳に入ってくる。

谷底に突き落とされるあの背中はきっと、誰のものにもなるのだろう。あの二日間であれだけの愛着をアヴァターに持ってしまったのは、彼の要素が自分の中にもあるからに違いない。また、平沢の発するメッセージと正反対の人物「アヴァター」もまた平沢進の姿そのものだ。彼は別次元の平沢という設定だが、平沢の中にもそういった部分があって、それを自覚しつつ外道であり邪道である道を選ぶ覚悟を持って進んでいるのだろうか。

バッドエンドの悔いがあるせいか、ついつい考えてしまう。グッドエンドを観たかった気持ちに変わりは無いが、この余韻はこれはこれで、少し楽しい。



未分類3杯, 平沢進, 非日常

照明演出の豪華さとスクリーン映像のシンプルさが印象的なライブであった。二階席からの観覧により、ステージの平沢とアリーナ席が視界に収まり、ぐるりとホール内を見渡せばどの席もぎっちり満員御礼で、立見席にまで人がずらり。己が初めて平沢のライブを観たのは2011年の東京異次弦空洞だが、年々動員が増えているように感じるのは気のせいだろうか。

ステージの脇に近い座席からはステージのスクリーン映像が見えにくくなっているが、天井近くにモニターがあり、そこにスクリーン映像とステージの様子が映し出される配慮もあった。流石にインタラでスクリーンが見えなかったら物語が把握出来ないし辛いものなぁと納得。ありがたいことである。

今回はいったいどんな物語だろう、いったい何人の平沢が物語に組み込まれるのだろうか、とわくわくしていると開演の合図。しかしいつもとちょっと様子が違う。ステージの下手にスタッフのお姉さんが立ち、分岐の方法について解説と練習を行うとアナウンスが。何だ何だ? と思うとスクリーンに映し出されたのは機械的なデザインの円二つ。左が赤で、右が青。

ストーリーで分岐が発生した際、今までは右に進みたい人は右の表示が出たとき、左に行きたい人は左の表示が出たときに大声を出し、その声量の強さよって進むべき道を定めるパターンが多かった。しかし今回は、赤はメジャーコード、青はマイナーコードと定められ、自分が行きたい道の方の音程で大声を出し、その響きによって進むべき道を判定すると言う。

おおーう面白いけど難しそうだなーと思いつつ練習。実際、面白いけど難しかった。まず赤の円が存在を主張し、メジャーコードのサンプル音が鳴り、それを真似して大声を出す。次に青のマイナーコードを練習。そして赤と青、交互に声を出し、最後に赤と青が同時に点灯。無論メジャーとマイナーを同時に発生することなどできないので、ここで自分が進みたい道の音を選び、大声で叫ぶのである。

ホール中に響く二種の音。やってみるとわかるが、どうしても多い方に釣られそうになる。探り探りにもなる。こいつぁ大変だ、頑張らなきゃなと気合を入れたところで練習終了。ついに本当の開演と相成ったのである。

無人のステージに掲げられた巨大スクリーンに白髪のヒラサワこと「過去向く士」が映し出され、ストーリーが語られる。ものすごくざっくり言うと、この世界の存亡に関わる「WORLD CELL」が停止してしまったので、再稼動させなければならない事態になった。そこにやってきたのが「過去向く士」こと別の世界のヒラサワ。さらに、「過去向く士」を追ってやってきたのが「アヴァター」で、これもまた別の世界の平沢だが、主体性がなく常に不安を抱えて右往左往している。「過去向く士」はそんなアヴァターを利用して「WORLD CELL」を再稼動させようとしているのだが……。

ちなみに今回の公演ではバッドエンドのルートを辿り、アヴァターがいなくなった後いつの間にか現れて鉄を切る平沢と、背中に黒い羽の生えたヒラサワが空を飛んでいく映像が映し出された。過去向く士、アヴァター、ステージの平沢、Σ-12、鉄を切る平沢、黒い羽の生えたヒラサワ、この公演だけで六人の平沢が発生している。今までインタラを全て合計したら何人になるのだろうか。この無数の平沢を見分けることを考えたらおそ松さんを見分けるなんて余裕のよっちゃんなんじゃあないか? などとエンディングのスタッフロールを見ながら思った。

「断崖を登る」シーンがメインなこともあり、今回の映像は比較的シンプルである。崖と空と平沢と、宙に浮かぶ奇抜な登場人物。前回の「ノモノスとイミューム」に比べると随分あっさりしているが、準備期間の短さを考えるとよく間に合わせたな……と思わざるを得ない。

対して照明の豪華さはすごかった。ステージから客席に放たれるレーザーハープの美しさはもちろん、曲に合わせて色とりどりの光がホール中を旋回するのである。多彩な光の演出は息を呑む美しさで、音楽の美しさをより一層引き出していた。溢れる光と音の中、豊かな声で叫ぶ平沢を観て、光と音の魔術師というどこかで聴いたようなフレーズが脳裏に浮かんだ。

一曲目は「舵をとれ」で、二曲目から「アヴァター・アローン」「アディオス」「回路OFF 回路ON」と続いた。「ホログラムを登る男」以外で演奏されたのは「舵をとれ」「オーロラ」「橋大工」の三曲。「オーロラ」のとき、オレンジの光が照射されていてそれが実に美しかった。

「MURAMASA」では助っ人のPEVO1号が刀を持って登場し、振りかぶってレーザーハープの弦を切るという演出が! 切られた弦からイントロの「ビーッ!」という音が流れ、スクリーンには断崖を登るアヴァターの頭上に無数の刀が降り注ぐ。そして何故かアヴァターの眼下にはタコ! 巨大なタコ! スクリーンとステージ、どっちを観れば良いんだ、そもそも何故断崖にタコが……。このとき己は若干混乱していたと思う。

どの曲か忘れたが、ギターの出だしを間違えたのか、無音の中で「ピョーンッ」と響いた後、何事もなかったかのように弾きなおしたり、曲の入りがちょっと不安定だったりといった場面があって満足した。いやあやっぱり人間なんだなぁ……と思ってしまうのである。重々承知しているはずなのだが、未だに。

ド迫力だったのは「ホログラムを登る男」。始まりの声のパワーの強さに圧倒された。他の曲ももちろんすごいのだが、この曲が一等抜きん出ていた。生の歌声であることを強く実感した瞬間だった。CDも迫力があるのだが、あれはあえてやわらかく抑えているのか? わざと? と思うほど。脳と心臓を突き抜けていくというか。すごかった。

あと「オーロラ」のアレンジ。ライブで聴く機会が多い曲は、そのたびごとに別のパターンを楽しめるのが嬉しい。何とも得した気分である。

帰り道で「Wi-SiWi」の歌詞を反芻する。あのエンディングから考えるに、「起きろ外道」「笑え邪道」の「外道」と「邪道」は罵倒語の意味合いではなく、主体性なく道に迷いながら何となく周囲の空気に合わせて歩まれる「正道と言われているもの」の反対を表しているように思う。そしてあの谷底に落ちつつも目覚めたアヴァターのように、意思を持ってあえて外れた道、邪とされる道を進むことこそを祝福しているのだろうか。あぁ、でも歌詞カードをまだ読み込んでいない。

ライブの余韻に浸りつつ、反芻しながら今日は歌詞カードを味わおう。もしかしたら明日の公演で新たな発見を得られるかもしれない。



日記録2杯, 日常

2015年11月24日(火) 緑茶カウント:2杯

シュンシュンと蒸気を噴き出すやかんの火を止め、さてお茶を淹れようか、と急須を手にしたところ、ポロリと軽い感覚。手にあるのは取っ手だけ。その先は棚の上に佇んでいる。何事も無かったかのように。

何の衝撃もなく前触れもなく。急須の取っ手がとれたのだった。ポロリと。

共に過ごしてきてそろそろ十年目を迎えようとする最中。ポロリと。取っ手が。いきなり。とれた。水色の陶器製。一人暮らしを始めてからずっとこいつで茶を飲んできた。緑茶も紅茶も飲んできた。その急須が壊れてしまった。今まさに緑茶を飲もうとしたときに。

傍らのやかんと手の中の取っ手を交互に見比べる。ずっと使ってきた急須が壊れた寂しさ、もあるのだがそれよりも。急須が壊れてしまった今、この緑茶を飲みたいという欲求を己はどのように処理すれば良いのだろう。え? マジで? このタイミングで? もう緑茶飲む気満々だったのに? 三杯くらいは飲むつもりだったのに? マジかよーやだよーうわーーんうわーーああああ……。

日記を書くたびに記録している緑茶カウントによると、サイトをこの形態に作り変えてから己は1018杯の緑茶を飲んだらしい。模様替えしたのは2013年4月末。二年半で1018杯ということは、十年で4000杯くらいは飲んでいるのだろうか。多いのか少ないのかよくわからん数字である。

感慨に浸りつつ今日も今日とて緑茶を飲んでいる。セロハンテープは偉大だね。あぁ、温かい。あぁ、美味。急須よ、今までありがとう。