未分類6杯, 筋肉少女帯, 非日常

我らがギターヒーロー橘高さんのデビュー三十周年記念ライブであり、半年ぶりの筋少ワンマンライブであるのだが、この日己はちょっと疲労が蓄積して微熱が出ていたので、本来であれば前に突っ込んでわーわー騒ぎたいところであったが、柵に掴まりながらゆったりわーわー騒ぐに留めた。

体調不良ゆえ、流石に体力の低下を実感しつつの参戦ではあったものの、大好きな音が奏でられるこのキラキラした空間にいるとやはり元気が出るし、どうしたってニコニコ笑ってしまう。しかも何て言っても今回は特別なライブ。橘高さんのデビュー三十周年記念ライブなのだ。己が筋少を知ったのはおよそ十年前で、橘高さんを知ったのも同じ頃。あれから十年。橘高さんの活動時間の三分の一をリアルタイムで追えていることが嬉しい。そして今後、その割合は徐々に大きくなっていくに違いないのである。

今回は全曲橘高さんの曲、ということでメタル尽くしのメタル祭り。演者も観客もハードである。あのいつもニコニコ笑顔のおいちゃんですら、あまりのハードさゆえに「今日は笑えないかもしれない」と言ったほどである。ただ、それを言うおいちゃんはやっぱりいつもの笑顔だったが。

とはいえ、ステージに立つ人も見上げる人も、それを全力で楽しんだに違いない。新譜から三曲の新曲と、定番の人気曲にレア曲。そして橘高さん一人がステージに立っての渾身のギターソロ。ブゥウウウウウウンと地を這うような重低音が響き(残念なことにそれが何の音なのか己にはわからなかったのだが)、メキメキと早弾きを始める橘高さん。どこか「家なき子と打点王」を連想させるフレーズで、奏でたギターソロがサンプリングされて、時間差で流れる中さらにソロを奏で続け、会場が橘高さんの音で一杯になった。そして「愛のリビドー」のフレーズが入り、まさか「愛のリビドー」のためにこのギターソロを…!? と「愛のリビドー」に対してちょっと失礼なことを考えていると、「スラッシュ禅問答」のフレーズに移行し、迫力の中始まったのは「再殺部隊」。圧巻である。

このギターソロ、今日が橘高さんが主役の橘高さん祭りだからこその催しだろうが、これ、毎回とは言わないので、たまに筋少のライブでもやって欲しいなぁ。

新曲もバッチリ格好良かった。「おわかりいただけただろうか」を橘高さんのボーカルで聴けたのは嬉しいサプライズである。あと、今日のオーケンのボーカルはすごかった。最近はシャウトの場面でも、声を抑え目にすることが多いが、「球体関節人形の夜」でがっつりバッチリ叫んでくれたのである! オーケンのシャウトが大好きな人間としてはたまらなかった。

不意打ちだったのは「ノゾミのなくならない世界」。しかも今日、偶然「ノゾミのなくならない世界」の物販Tシャツを着ていたので尚更嬉しかった。これの「あなたあたしの~」からの疾走するようなドラムとギターが大好きなのだ。

このあたりでセットリストを。


ゾロ目

くるくる少女
ノゾミのなくならない世界
踊る赤ちゃん人間

レジテロの夢
球体関節人形の夜
おわかりいただけただろうか(ふーみんボーカル)
小さな恋のメロディ(ふーみんボーカル)

交渉人とロザリア
レティクル座の花園

再殺部隊(「家なき子と打点王」を連想させる長尺のギターソロから始まり、「愛のリビドー」「スラッシュ禅問答」のフレーズに移り、「再殺部隊」へ移行。)

詩人オウムの世界
パブロフの犬
アデイインザライフ

~アンコール~

Thank you(ふーみんボーカル)
影法師
少女の王国
イワンのばか
トリフィドの日が来ても二人だけは生き抜く

「ゾロ目」の後で橘高さんを祝うオーケン。祝いつつもちゃかすのが実にオーケンらしく、「おめでとうおめでとう!」と散々言った後に何がめでたいのか橘高さん本人に問い、「そこからぁ!?」と笑いながら呆れる橘高さん。そしてデビュー三十周年と言えば、「二十四歳で三十周年だなんて計算が合わないよ!」とお約束の反応。このやりとりが微笑ましい。

嬉しいことにめでたいことは続くもので、今回のライブではオーケン、うっちー、ふーみんそれぞれの五十歳記念ライブ、さらには毎年恒例十二月二十三日の筋少ワンマンライブの開催も発表された。そして、来年には再結成してからの活動期間が、再結成前の活動期間を超えるという話も。(※これは仏陀LからSAN FRANCISCOではなく、猫のテブクロからSAN FRANCISCOを指すと思われる。)オーケンがニコニコしながらオーディエンスに向かって、みんな年をとりましたね、といったことを言ったが、そうやって年を取れるのはありがたいものだよ、と思う。

また、今回嬉しかったのが、エディが橘高さんの曲について、嫌いな曲が一つも無い、ピアノを弾きまくれるから楽しいと言っていたこと。橘高さんがエディへの愛と尊敬を語る場面を何度も見てきたことがあっただけに感動してしまった。

同時にエディの嫌いな曲ってどれだろう……? という興味も湧いた。何だろう、ピアノの出番が全く無い曲かな。

そういえば今回の「小さな恋のメロディ」も、後半でオーケンがマイクを持って入ってきたのだが、歌心が邪魔されることは無かったようである。オーケン、気を遣ったのだろうか。一応。

忘れてはいけないのが「影法師」。メンバー間が微妙な時期に作られたため、今まで筋少メンバーで演奏されたことが無かった曲だ。五年前の二十五周年記念ライブで期待しつつも演奏されなかったので今回は諦めていただけに嬉しい。当時の気まずい空気も既に笑い飛ばせるようになっているというのは素敵なことだな。

余談だが「影法師」の語りは語られず、間奏中オーケンが神妙な顔で間奏終わりの出番を伺っていたのが何か面白かった。

本編ラストは「アデイインザライフ」、アンコールラストは「トリフィドの日が来ても二人だけは生き抜く」で、明るいライトがパァーッとついて、気分がふわっと広がるような楽しさの中で終わるのは実に気持ちが良いなと思った。いやトリフィドの場合は大勢が食人植物に食い殺されていて好きな男と二人っきりになりたいがために全人類見殺しにしている状態なんだけどね。そういう状態ではあるのだが、特にこういう記念ライブで多幸感に包まれながら終息を迎えるのは、続きが感じられて満ち足りた思いがするのだ。

全ての曲が終わり、流れるSEは「航海の日」。橘高さんは最後までステージに残ってピックをばら撒き観客と握手をし、まだまだ橘高さんのヘヴィメタルギタリストとしての航海の日々は続いていくことを感じつつ、いつもはさっさと家に帰るのだが、ゆっくりとビールを二杯呑んで、苦手なタバコの煙が充満する中余韻に浸った。幸せな時間だった。



日記録0杯, 日常

2015年10月6日(火) 緑茶カウント:0杯

筋肉少女帯の新譜「おまけのいちにち(闘いの日々)」をフライングゲットした。そして今二周目を堪能している。至福。

音が全体的に重く激しい。「おまけのいちにち」という平仮名のタイトルからこの重さは想像出来なかった。また、前作「THE SHOW MUST GO ON」に比べ、オーケンが始終叫んでいる印象である。ここまで咽喉を酷使して大丈夫なのだろうかと心配しつつ興奮する。しかし激しい曲ばかではなく、特にラスト二曲目は驚きだ。

「ムツオさん」のように、あからさまに怪しい曲が無いかと思えば、歌詞カードに記載されていない語りが叫ばれる「時は来た」。「おわかりいただけただろうか」はタイトルからは想像出来ないストレートなラブソング。まさか今収録されるとは思わなかった「LIVE HOUSE」は、オーケンが絶対書かなかっただろう歌詞を熱唱するツインボーカルを楽しめる。唯一残念なのは己が「大都会のテーマ」を全く知らないことで、そのためにこの曲がカバーされた由縁を想像することが出来ないこと。あぁ、これがわかったらもっと深く味わえるだろうに!

何故今「おまけのいちにち」がタイトルになったのか。何故「闘いの日々」がカッコで付け足されたのか。それについてはこれからじっくり、堪能しながら考えたい。

あぁ、それにしても格好良いなぁ!!



日記録3杯, 日常

2015年10月4日(日) 緑茶カウント:3杯

温かい緑茶が美味しい季節になった。十月である。早いものだなぁ。

早いといえば近隣の店舗で、どうしてか知れぬが、前触れもなくいきなりシャッターを下ろし看板を下ろし「閉店しました」と書いた貼紙をピシャッと貼り付ける店舗が多いのがどうにも気になる。しかもそれが一軒や二軒では無いのである。

良く言えば手際が良い。思い立ったら即決断。閉店しようと思った直後には看板をブチ割るスピード感。何て思い切りが良いのだろう。きっと彼の人々の辞書には優柔不断と言う文字は無い。そしてそのスピード感の結果、唐突に表出する空き店舗。その目の前で呆然とする自分。財布と買い物袋を手に提げて。

いったいここらで何が起こっているのだろう。幽霊でも出現しているのだろうか。それともよっぽど閉店セールをやりたくないのだろうか。理由は知れず、原因は知れず。ただただ圧倒されるのである。そのスピード感に。



日記録0杯, 日常

2015年9月29日(火) 緑茶カウント:0杯

長かった! 2013年10月より止まらない咳に悩ませられ、医者に行って咳喘息との診断を受け治療に二年がかかると言われたあの日から。治療のための吸入薬を使い続けること約二年。このところはずっと調子が良かったものの油断大敵ということで用心深く続けていた吸入薬を、ついに卒業出来ることになったのである!

あぁ、長かった!

風邪から気管支炎に移行し、咳喘息を患い、2013年の10月から2015年の1月まで毎日咳が出続けてもう一生治らないかと思った。呼吸をすれば咳が出るのが当たり前の日々だった。あのときの苦しさが嘘のように、今は平静に呼吸が出来ている。嬉しい。当時はこんな日が来るなんて思わなかった。しかし、時間がかかったなぁ。

日記にも咳喘息との闘いの日々は記されている。ずっと咳が止まらず、ようやく止まったかと思えば再発したり、薬が減ったかと思えばまた増やさざるを得なくなったり。春には吸入薬の他、花粉症の薬も必要になり、薬代に苦しんだり。あぁ、大変だった。実に大変だった。

以下はその記録である。始まりは2013年10月より。そして終わりは本日2015年9月29日である。

    長い月日がかかったが、医者の指示通り二年間、きちんと吸入薬を続け、定期的に病院に通い続けたおかげで咳喘息が本物の喘息に移行せずに済んだ。そして今は平穏を取り戻している。根気良く続ければ治るのである。一生治らないかもしれないと思った咳が治るのである。

    もしかしたら今この日記を見ている人の中にも、止まらない咳に苦しんでいる人がいるかもしれない。その人に対して、絶対に治るから大丈夫だよ、などとは言えない。己は医者じゃないからである。よってこの文章は確約ではなくただの経験談だが、あぁこんな人もいたんだじゃあもうちょい続けてみよう、と感じていただけたら、嬉しい。己もどうにも、治療中は不安になったので。



    日記録2杯, 日常

    2015年9月27日(日) 緑茶カウント:2杯

    親切心とわかっている。わかっているが、どうか放っておいてくれ! と叫びたくなるのである。

    その人は己が眼鏡を手に取るたびにタイヤのついた姿見をガラガラと引っ張って顔の前、もしくは真横に持ってきてくれる。場所は眼鏡屋。そして己は眼鏡を新調するためにここに来ている。よって店員の気遣いはありがたいはずなのだが、とにかく、ちょいと試してみようと移動して眼鏡を手にとればガラガラガラガラ、何か違うなと思ってまた移動して眼鏡を手に取ればゴロゴロゴロゴロゴロンゴロン、一挙一動を見守るかのごとく、監視されているかのごとく、姿見を手についてくるのであり、そのプレッシャーたるや相当なものであり、騒がしさもなかなかのものであり、全くもって落ち着かない。

    そもそも姿見が無くても己は困らないのである。何故ならその眼鏡屋の店内には至るところに大小の鏡が設置されているのだ。ちょっとかけて様子を見る程度なら事足りるし、事足りるように店舗も設計されているのである。一人の店員につきっきりで姿見を持ってきてもらう必要は無いのである。無いはずなのに、三歩進めばガラガラガラ、十歩移動すればゴロンゴロンゴロンゴロン、良いから! 良いから! お構いなく! どうか放っておいてくださいよ!

    最終的にちょうど良い眼鏡を購入することに成功はしたが、眼鏡選びとは別のところで疲れきったのであった。どっとはらい。