日記録2杯, 日常

2015年11月24日(火) 緑茶カウント:2杯

シュンシュンと蒸気を噴き出すやかんの火を止め、さてお茶を淹れようか、と急須を手にしたところ、ポロリと軽い感覚。手にあるのは取っ手だけ。その先は棚の上に佇んでいる。何事も無かったかのように。

何の衝撃もなく前触れもなく。急須の取っ手がとれたのだった。ポロリと。

共に過ごしてきてそろそろ十年目を迎えようとする最中。ポロリと。取っ手が。いきなり。とれた。水色の陶器製。一人暮らしを始めてからずっとこいつで茶を飲んできた。緑茶も紅茶も飲んできた。その急須が壊れてしまった。今まさに緑茶を飲もうとしたときに。

傍らのやかんと手の中の取っ手を交互に見比べる。ずっと使ってきた急須が壊れた寂しさ、もあるのだがそれよりも。急須が壊れてしまった今、この緑茶を飲みたいという欲求を己はどのように処理すれば良いのだろう。え? マジで? このタイミングで? もう緑茶飲む気満々だったのに? 三杯くらいは飲むつもりだったのに? マジかよーやだよーうわーーんうわーーああああ……。

日記を書くたびに記録している緑茶カウントによると、サイトをこの形態に作り変えてから己は1018杯の緑茶を飲んだらしい。模様替えしたのは2013年4月末。二年半で1018杯ということは、十年で4000杯くらいは飲んでいるのだろうか。多いのか少ないのかよくわからん数字である。

感慨に浸りつつ今日も今日とて緑茶を飲んでいる。セロハンテープは偉大だね。あぁ、温かい。あぁ、美味。急須よ、今までありがとう。



未分類0杯, 筋肉少女帯, 非日常

20151123

タワーレコード新宿店でインストアイベントが行われたトーク&ミニライブ。インストアイベントでは大抵、メンバーの頭が見えればラッキーくらいの位置なのだが、今回はがっつりと頭から爪先まで見える位置を確保出来た。ありがとう素敵な整理番号。途中何度かオーケンと目が合った…そんな幻覚が発生して非常に幸せだった。こういうことは思い込んだ方が勝ちかもしれない。

演奏された曲は「香菜、頭をよくしてあげよう」「おわかりいただけただろうか」「別の星の物語り」「LIVE HOUSE」の四曲。最初に香菜が始まったときは「えっ!? おまけのいちにちのイベントなのに!?」と度肝を抜かれたが、オーケンがギターを弾ける曲、ということで選ばれたようだ。

また、今回のイベントで特徴的だったのはメンバー全員が歌ったこと。香菜はオーケンで、おわかりが橘高さん、別の星が内田さん、LIVE HOUSEはもちろんおいちゃん。まさか全員の歌唱を間近で堪能出来るとは思わず、何とも豪華だなぁと非常に満足したのであった。

さて、覚えている内容を簡単にまとめてみようと思う。言い回しや順番が不正確な箇所もあるかもしれないが、大目に見てもらえるとありがたい。

■始まり
「お足元の悪い中ようこそ起こしくださいました」というオーケンの挨拶から始まり、今回のインストアライブこそがツアーファイナル、いや後夜祭だという話に。そして「おまけのいちにち(闘いの日々)」というアルバムに言及。再結成後は、「筋少はこうである」という確認と思い込みから始まり、「THE SHOW MUST GO ON」で完成形が出来た。そしてその後に、こんな変わったアルバムを作れた。それが嬉しい、という内容だった。

■レジテロの夢はビートルズ
「おまけのいちにち(闘いの日々)」に収録されている曲の話へ。「レジテロの夢」の歌詞についてオーケンが解説。序盤の「地獄ない 天国ない 空と今があるだけ」はビートルズの「イマジン」の歌詞の和訳から来ている。だから「ジョン・レノンでさえない」という言葉がある。ただ、筋少を聴く人はビートルズを聴く人が少なそうだからここで説明してみました、とオーケン。

■「香菜、頭をよくしてあげよう」演奏コーナー
オーケンがアコギを弾き、メンバーがオーケンのアコギに合わせて演奏……するのだが、何故かメンバー全員がオーケンを凝視していて、どこか戸惑っている空気が感じられる。そして探り探りのような危うさ。何だろう? と思ったら演奏後に判明。オーケンはこの曲を、人間椅子のワジーをはじめ、いろいろなミュージシャンとアコギで共演してきたのですっかり忘れていたそうなのだが、筋少メンバーと演奏したことは一度も無かったそうなのだ。まさかこの曲をアコギでどのように弾くか筋少メンバーがわからないとは夢にも思わなかったらしい。「ここでブレイクがくるなんて思わなかったよ!」と橘高さんが笑いながら抗議していた。というか、一度もメンバーと合わせずに本番に臨んだのか! すごいな!

■「おわかりいただけただろうか」演奏コーナー
橘高さんボーカルの力強い「おわかりいただけただろうか」。ここでオーケン、ギターの弦を木製の洗濯ばさみのようなもので挟み、さらに音が出ないようにしてほしいとスタッフに指示。このあたり、細かいところはおいちゃんが指示していた。ここから先はギターを持ちつつのエアギターで好き勝手にやるそうな。その件について橘高さん、ついこの間のライブのレポートがネットで公開されていたのだが、そのレポートに掲載されている写真がまさにギターを持ちつつエアギターのオーケンで、その写真だけ見るとものすごくギターが上手そうに見えることに言及。オーケン「良い写真を選んでくれましたね!」橘高さん「あれはずるい! 滅茶苦茶うまく見える! シールド刺さってないのに!」

そんなやりとりの後、「おわかりいただけただろうか」の演奏へ。橘高さん曰く、この曲をアコギで弾くと油断すると遅くなってしまうので気をつけて、とのこと。そして実際聴いてみると、アコギでやるのは無理があるんじゃないか!? と思う迫力だった。

■「別の星の物語り」演奏コーナー
この曲の作曲者は橘高さん。橘高さんといえばヘヴィメタル。そんな橘高さんが橘高さんらしくない曲を作ったその意図は? と尋ねるオーケン。「意図ぉ!?」と反応に困る橘高さん。そこから、「自分の担当ではない曲をたまに作ると面白い曲が出来る」という話へ。そこからさらに「THE SHOW MUST GO ON」の「恋の蜜蜂飛行」の話へ飛ぶ。この曲が出来たのは最後だそうで、もう一曲橘高メタルが欲しいなぁ、とオーケンが言ったところ、橘高さんが「メタル~…?」と渋り、そこへ「それは君の仕事だろう!」とオーケンが突っ込んだ、という懐かしい話へ。そうそう、そんな話もあったなぁ。

また、こんな話も。「別の星の物語り」はオーケンが歌う曲だが、オーケンの意向で内田さんのキーに合わせて通常よりも低くなったらしい。曰く、内田さんが歌うと似合いそうだったからとのこと。そして実際特典のCDで歌唱することになった内田さんは野口五郎を意識。さらにオーケンも実は野口五郎を意識して歌っていたことを告白。「わかる、わかるよ!」と笑う橘高さん。そろそろ己も野口五郎に手を出さねばなるまいな……と思った。

さて、演奏に移り、内田さんがウクレレベースをポクポクと叩き、メンバーもそれに合わせてギターをポクポク叩く。そのまま数秒。曲は始まらず、「この間は何?」「誰がカウントをとるの?」「内田がカウントをとるんじゃないの?」と突っ込むメンバーの声。その後ようやく内田さんがカウントをとることで曲が始まったが、しばらく無言の「ポクポクポク」が続き、「筋少は振ってるのに応えてもらえなかった、何か振られているけどそれがわからない、そういうのが多い、そのままここまで来てしまいました」という話に。

「別の星の物語り」のとき、内田さんが「手を振りながら去ってく」と歌いながら手を振る仕草を見たオーケンが、ワンテンポ遅れて真似して手を振っていたのがキュートだった。

■「LIVE HOUSE」演奏コーナー
たびたびネタにされていた「LIVE HOUSE」だが、実はエッグレイヤーでしかやってない、という話に。有頂天でも伝染病でもやっていない。伝染病をやっていた頃にはそもそも「LIVE HOUSE」は存在していなかった、とおいちゃん談。その露出頻度のわりに大いにネタにされていたせいか、おいちゃんの中で「LIVE HOUSE」は封印されていたそうだが、そんなにやっていなかったのに印象に残っていたってことはやっぱり良い曲だったってことだよ!! とオーケン。照れるおいちゃん。

いよいよ「おまけのいちにち(闘いの日々)」で「LIVE HOUSE」を録音することになったとき、エンジニアに参考までに当時のテープを聞きたいと要望があったそうで、おいちゃんは当時の録音テープを渡したそうだ。しかし、エンジニアから返信は来ず。後日会ったとき、エンジニアはとても何かを言いづらそうな顔をしていたそうで、その理由についてオーケンが言及。曰く、オーケンでもわかるくらい、ギターもベースもチューニングが合っていなかったそうだ。それなのに自信満々な歌唱が乗っていた、という代物らしい。しかしオーケンはこの若さの勢いのようなものをいたく気に入っているようで、特典にあのテープをつけたい、という話をしていた。

また、「LIVE HOUSE」の歌詞について、最初おいちゃんはうろ覚えで歌詞買いたそうなのだが、後で確認したら間違えていたのでリリース前にちゃんと直したそうだ。「うろ覚えはいけないね」と言うおいちゃんは、「LIVE HOUSE」の手書きの歌詞を未だにきちんと保管しているそうで、実現こそしなかったものの、その手書きの歌詞を歌詞カードに印刷する案もあったそうだ。

あと、ちょっと意外で嬉しい話が。「LIVE HOUSE」に収録されている歓声が、ライブでオーディエンスが実際あげた声を録音したものだそうだ。橘高さん曰く二公演分で、ここにいるお客さんならきっと入っているだろうね、とのこと。やばい興奮する。そこにオーケン「どうして二公演なんですか? 一公演じゃ足りなかったんですか?」と茶々を入れる。すかさず橘高さんが「よりたくさんの人の声を入れたかったんだよ!」と反撃。しつつ「素晴らしい素材をありがとうございます」というようなことを言って「素材!!!!」とオーケンに突っ込まれる。それをいなしつつ我々の方を向いて「声が入っているから、CDデビューしました~って親戚の人に手売りしてくれても良いよ」とニコニコ。くわあ。売りそう。

「LIVE HOUSE」の演奏中は手拍子が鳴り響き、さながらここがタワーレコードではなくまさにライブハウスのような空間に。濃い色のサングラスをかけたおいちゃんの歌唱が響き渡る。おいちゃんはわりと歌うのが好きで、歌いたくてエッグレイヤーを結成、というか乗っ取って「LIVE HOUSE」を歌ったそうだ。そんなおいちゃんに「よく今まで黙ってましたね」と言うオーケン。「歌いたいけど録音するほどじゃなかった」と返すおいちゃん。いやおいちゃん、あなたの歌唱は格好良いですよ。歌ってくださいよ。

ちらちらとスタッフのおねえさんが残り時間が書かれているであろうノートを持ってステージ前に乱入してくるのが微笑ましい。「LIVE HOUSE」が終わった後だっただろうか、来年、筋少が再結成後十年の節目を迎える話になった。早いなぁ。当時己は二十歳だったよ。それが三十になるんだよ。そりゃあ年もとるわなぁ。ありがたいありがたい。しみじみしていると、「LIVE HOUSE」のおいちゃんの手書きの歌詞のように、そういった年季物が他にもあるから、それを特典につけるかもしれないね、あぁでも言ったらつけなきゃいけなくなるねという話に。うわあつけてくださいよ! 是非! 後追いファンはそういったものに飢えているのだから! と興奮する自分。まあもちろん全員が全員じゃあないだろうけど。

■その他
あと、どこだったかな。立ち位置を変えると面白い、という話もあった。普段、皆さんいつも同じ位置で見てるでしょうけど、違うところに行くと別の景色が見えますよ。例えばいつも前方にいる人が後方に行くと照明の素晴らしさに気付いたり。そういえば前方はマーシャルの音がまっすぐに届いていますが大丈夫ですか? などなど。橘高さんもマーシャルの音を直に受けないよう調整しているそうだ。また、若い頃は特に、花道で花火などが爆発する演出があり、それが怖いので「わーーーーーー!!」と叫んでいたそうだ。そして今は橘高さん、おいちゃんと向き合うと「気付け」のためにお互い反射的に「わーーーー!」と叫んでいるそうだ。目が合うと「わーーーーー!!」二人が向かい合ったとき、ニコニコしながら大口を開けている様を目にしたことは多々あるが、あれ実際叫んでたんか。

それと最近、メンバーがライブ終了後、ステージから去るのが遅くなっている話へ。「再結成前はそうじゃなかったよね?」「だんだん遅くなってるよね?」とオーケン。頷く橘高さん。対してものすごく早いのがエディで、橘高さんがマーシャルを蹴り倒している頃には既にステージからいなくなっている。そこから、今度は「今エディが新幹線に乗りましたーもう名古屋を通過しましたー」とオーディエンスにアナウンスしようかという冗談が飛び交う。

最後は十二月二十三日の、リキッドのライブについて。「LIVE HOUSE」のトークから、「良い素材を提供してくださいね」と笑うオーケン。そしてメンバーが退場。今回、メンバー全員がサングラスをかけていて、オーケンはちょい悪親父ぶっていたのだが、最後にサングラスを外してくれて、見える目。やっぱ素顔の方が好きだなぁ格好良いなぁ、と思った。橘高さんはスタンドマイクに貼り付けたピックをパラパラと投げてくれ、己はそのおこぼれをちょうだいして、内田さんのスタンドマイクにはピックがくっついていたけど内田さん、指でウクレレベースを弾いていて、あれもしかしてのピック、ほとんど意味なかったんじゃね? と気付きながら、楽しいイベントは終わったのであった。おいちゃんはいつも通りニコニコの笑顔。橘高さんは気のせいかいつもよりクルクルのパーマ。オーケンの靴下はもしかしたらファンに言及されるかもしれないデザインで、内田さんは暖かそうな格好で。それを全て見られて嬉しかったなぁと思いつつ。四十五分の短さを知ったのである。



日記録4杯, おそ松さん, 日常, 漫画

2015年11月22日(日) 緑茶カウント:4杯

毎週、あはははは、と笑う中、ふとしたときに感じるゾッとしたもの。この正体について考えたくなったのでちょっとまとめてみようと思う。

赤塚不二夫の漫画「おそ松くん」が原作のアニメ、「おそ松さん」。小学生だった六つ子が大人になった世界を描くギャグアニメだ。先に断っておくと、己は原作の「おそ松くん」をそもそも読んでいない。イヤミと「シェー!」というギャグこそ知っていたものの、それが「おそ松くん」由来だとは知らなかったくらい知識が無い。ただ大人になった「おそ松さん」達は、成長したことで各々個性が生まれているらしいという知識は得ている。

「おそ松さん」の世界では、成人するも就職せず、家でだらだらしながらモラトリアムを満喫する六つ子の日常が描かれている。彼らは屋台で酒を呑み、ギャンブルをし、性にも興味を持っている立派な成人男性だ。しかしここがポイントで、彼らの見た目は成人男性らしさが一切ない。一見すると、小学生の「おそ松くん」と大差ないのである。丸っこいディフォルメのきいたキャラクターデザインで、衣装はおそろいの色違いパーカー。ヒゲも無ければすね毛もなく、中には小学生よろしく半ズボンを穿いている者も。そして居間でだらだらしたり、梨や今川焼きに狂喜乱舞したり、一枚の布団で六人仲良く寝たりするのである。

そう、彼らはあくまでも「大人」という設定であるにも関わらず、その外見と言動には子供らしさが色濃く残ったままなのだ。故に視聴している最中、たびたび彼らが「成人男性」であることを忘れてしまう。

ところが。このアニメは「彼らが成人男性である」ことを忘れて良い世界観で作られていない。彼らが生きているのは、明るくポップな色彩で描かれていて、パンツ一丁で町を歩くデカパンがいて、無限増殖する怪人ダヨーンがいて、人の心を喋る猫がいる。まるで現実と切り離されたユートピアのようだ。だからいつまでも働かずモラトリアムを楽しんでいられる、そんな幸福な世界観……ではない。

「おそ松さん」達の住む世界はダヨーンも喋る猫もいるが、決してユートピアではないのだ。しっかりときっちりと、「大人は年相応に働かなければならない」という価値観が存在していて、視聴者の住む世界と地続きになっている。だが、ユートピアでも何でもない「こちら側」に近い価値観の世界に住んでいながら、彼らは六人揃って二十歳を過ぎても働かず昼過ぎに起きて、子供のようにおそろいのパーカーを着て暮らし、同じ布団で眠るのである。

そしてここが味噌なのだが、彼らは「完全に中身が子供」でもない。大人であることを求められる世界で、大人になりきれていないくせに、酒やギャンブルを楽しむ大人らしさは持っているのだ。

では、そんな人間を「こちら側」の価値観にあてはめて考えるとどう捉えられるだろうか? その答えは既に作中で語られている。それも本人達によって。

子供らしさを色濃く残した十四松を筆頭に、彼らは大人になりきれない。そのうえそんな六つ子を「ニート達」と呼びつつも母親は優しく受け入れている。剥いた梨を与える姿はまるで小学生に対するもののようで、そして六つ子も子供のように喜んでいるが………これはほほえましいのだろうか……。そう疑問符が浮かんだ瞬間に、恐怖を感じるのである。

何が怖いって、「おそ松さん」達はあたかも子供のように描かれていながら作中でそれが常に否定されていて、たびたび「彼らが異常であること」を意識させる仕掛けになっていることだ。作中では何度も何度も念押しするように「クズ」「ニート」「無職」といった言葉が出てくる。もっとライトな「バカ」程度じゃ済ませてくれない。そして視聴している空間がユートピアでないことを思い出すたびに、彼らの存在をリアルに考えさせられるのだ。例えば十四松。彼は愛すべきキャラクターだ。野球が大好きで、まっすぐで、時折目の焦点が合っていなくて、どぶ川をバタフライするなどといった突拍子もない行動をとる、おバカで可愛い奴だ。アニメキャラとして考えるととても魅力的だ。しかし一旦、「こちら側」の世界観で見つめてしまうと……。

その怖さは不安に近いものかもしれない。

おそ松さん達の日常は、永遠にモラトリアムが許されたのんびりした空間のように見えるのに、実際は全くそんなことはなく、よく見るとブラックな、笑えない世界が描かれているんじゃないか……? そんな風に思わされるのである。

六つ子達のイタズラと暴力がまたえぐい。パチンコに勝って数万円儲けただけで、何の罪もないトド松は縄で縛られて自転車で引きずられる。誘拐され火あぶりの刑に処せられたカラ松は兄弟全員から石臼やフライパンを投げられて流血のうえ気絶。そしてまたトド松だが、彼はアルバイト先で知り合った女の子との呑み会でえげつない姿で裸踊りをやらされて、築いた地位から引き摺り下ろされる。まぁ、トド松の裸踊りに関しては、トド松自身にも非があるのだが……。

念のため言っておくが、己は「アニメでこんなにひどい暴力を描くなんて!」と怒っているわけではない。ただ、子供のように見えるが実は子供でも何でもない彼らの手によって、唐突にえぐい暴力が突っ込まれるギャップに背筋がちょっとゾッとするのである。無論、再三ここにも書いているが、作中で飲酒をするシーンもギャンブルをするシーンも描かれている。決して子供では無いと物語は語っている。しかしやっぱり子供、良くても高校生にしか見えないのだ。

そして、手加減を知らない子供ならまだしも、そろそろ無邪気を脱出しなきゃいけない年齢だよな……? と気付くと、よりえぐく見えるのである。

子供みたいな見た目で、子供みたいな言動をする六つ子達に垣間見える「大人」のギャップによる違和感に怖さを感じながら、今の状態で二十数歳になるまでにどんな履歴があったのかと考えてしまう。トド松がアルバイト先で大学生と偽っていたことから類推するに、彼らはせいぜい二十歳ないしは二十二歳くらいだろうか。すると、六人全員が同時に大学に行くには学費の捻出が厳しいため、高校卒業後は就職という前提で進路を決めたにも関わらず、何と無くだらだらして今に至ってしまったのかもしれない。

話を戻そう。これが大事なところなのだが、「おそ松さん」という作品に抱く違和感による恐怖について長々とここに書いたが、その恐怖が決して不快なわけではなく、むしろ味わい深いのが面白い。単純に笑いながらふとしたときに現実に引き戻される瞬間、六つ子達を非現実の世界から現実の世界へ引っ張り込み、より一層近しい存在と捉えて思考し興味を抱く。単純にギャグアニメとして面白いのだが、その、何とも言えない妙味に己は引きつけられているのかもしれない。

と、こんだけ語っておいて己は未だ満足に六つ子を見分けられないのだが。十四松はわかる。一松もわかる。最終回までには見分けられるようになりたい。



未分類0杯, 初参戦, 町田康, 非日常

この「宮川企画」の趣旨を全く把握しないままにチケットを取ったのは憧れの町田康が出演するから。「汝、我が民に非ズ」というプロジェクト名にて、ついに町田康がライブをやってくれるから。

そして。結局己はこの「宮川企画」が何を意図した企画だったのか知ることなく帰路に着いたのだが、ただただ多幸感。あぁ、だって、やっと町田康の歌を、姿を、生で堪能出来たのだから!

前から二列目で視界も良好。町田康の前に三組の出演者がステージに現れ、それぞれ楽しんだり合わないなーと思ったりしながら町田康の登場を待ちわびた。リアルタイムでサンプリングしながら歌う「UHNELLYS」は面白く、日本語ラップの「MOROHA」は、言葉と声に力強さを感じつつも自分の好みには合わなかった。台詞量が非常に多いので、西原理恵子や新井理恵のふきだしみたいな密度だな……と思ったことは印象に残っている。「行方知れズ」はすごかった。というか客の盛り上がりがすごかった。叫びながら踊り狂うはステージに乱入するはダイブが発生するわと直前までの空気から一変。横を見ればステージに背を向けて携帯電話を片手に自撮りを行う者もいる。おいここ写真撮影禁止だろうが、だめじゃないか何だこれ。今までこういうノリのライブに参加したことが無かったためちょっと戸惑った。

そして最後の出演者が町田康。グレーのジャケットに黒のシャツ、ダメージジーンズという出で立ちで、片手には歌詞が書かれた紙。長い髪が邪魔になるのか、たびたび髪を耳にかける仕草をしていた。眼鏡はかけていない。近年、書籍などで町田康の写真を見るときは眼鏡がかけられている姿が多かったので、ちょっと意外で嬉しかった。

一曲目は「305」。INU時代の曲で、何度となく聴いた曲である。この日は町田康名義ではなく「汝、我が民に非ズ」名義ゆえ、一曲目から知った曲をやってくれるとは思いもしなかったので興奮してしまった。

町田康と言うと目をかっと見開き、ギョロギョロさせながら歌うイメージを持っていた。しかし今目の前にいる本物の町田康は目をギューッとつむって力強く叫びながら歌っていた。時折、楽しそうに笑顔を見せながら歌うとき開かれる目がキュートである。膝を軽く折り、スタンドマイクを握り、叫ぶ声歌う声を聴く。危うさよりも穏やかさが感じられ、楽しそうだなと思った。

タイトルは不明だが、「遠く離れていても大丈夫ー遠く離れていても仲間だよー」といったような歌詞を歌っていたとき。きちんと聴き取れなかったので歌詞の全体像を把握出来なかったのだが、多分単純にハートフルな曲では無いのだろうな、何かあるのだろうなと思いながら聴いていたとき。曲中でぼそっと「俺から離れられると思うなよ」といった内容の言葉を町田康が呟いて、このときそこここから悲鳴が上がった。この一瞬の表情がとても格好良かった。

「305」の他、INUの曲では「フェイド・アウト」と「つるつるの壷」を歌ってくれた。「お前の頭を開いてちょっと気軽になって楽しめー」と歌うとき、町田康は両手を広げ、にこやかに楽しそうにしていて、それを見ている自分も楽しくなって、そしてこのフレーズが大好きな自分を再確認して、自分の頭を開いてちょっと気軽になりたい気分になった。

終始、楽しそうで嬉しかったなぁ。しつこい野次もあり、ちょっと黙ってろよと観客に対し腹の立つ場面もあったが、町田康本人は拾うところは拾って上手にいなしていた。「INU--!!」としつこく叫ぶ客がいれば「最近は猫の本も書いていまして」と言って笑いを誘う。歌詞を覚えていないと告白し、歌詞の書かれた紙を用意するも風に飛ばされしっちゃかめっちゃか。床に散らばった紙を拾いつつ、次の曲の歌詞がなかなか見つからず、本当に困ってしまったようで、「二分待ってください」「しばしご歓談を」と弱りながら観客に声をかけてまた笑いが起こる場面も。

最近野球に興味を持てない、何故なら誰が誰だかわからず感情移入出来ないから、というMCから、では誰が誰かわかった方が楽しめるでしょうから……とメンバー紹介が行われる場面も。他、告知もあったがアルバムやライブの予定については特に無かった。

新曲を聴ける嬉しさと、新曲を反芻出来ないもどかしさがない交ぜになる。リアルタイムで、今まで聴いたことが無かった町田康の曲が聴けるのは嬉しいのに、それを今度いつ聴けるかわからないなんて! ただ、新しくプロジェクト名を名乗るからには、きっと今後もちょこちょこと活動があるんじゃないかしら、あってほしいなぁと願いつつ。思えば聴きたい曲は他にもたくさんあって、「犬とチャーハンのすきま」の曲も聴きたいなぁそういえば新曲に「チャーーーーハーーーーーン!!!」「ラーーーーメーーーーーーーン!!!」って絶叫する曲があったなぁあれはいったいどんな歌詞だったのだろう読みたいなぁ、と思う夜。

思えば今週は二回も夢に町田康が出てきた。いったいどれだけ楽しみにしていたんだよと我ながら思ってしまう。初めて町田康を知ってからそろそろ十年。最初はエッセイから入り次にCDを買って文章も音楽も好きになった。特に文章にはちょっとどうだろうと思うくらいに影響を受けてしまった。大学の頃は町田康の詩集を常に鞄に忍ばせていた。あの頃も、一度観てみたいと思っていたのだ、そういえば。ついに叶ったんだなぁ。

最後に。今日、楽しそうに穏やかに歌う町田康の姿を観たとき。感動し興奮すると同時に、様々な人の口から語られる、昔の狂気じみた頃の姿、それはもうイメージでしか無いのだが、そのイメージがふっと出てきて、きっと全然違うのだろうな、と思った。だがそれを求めている人もいるのだろう。自分も全くゼロでは無い。ただやはり今こうしてここにいる町田康が好きで、その履歴も好きで、その先も観たいと思う。ギューッと目をつむって歌う姿から感じられる必死さをまた観たい。きっといつか、またどこかでやってくれることを願って。願って!



日記録2杯, 日常

2015年11月15日(日) 緑茶カウント:2杯

浴室の換気扇が湿気を吸ってくれない。換気扇を一日中つけっぱなしにしても、鏡はくもり、天井には結露して生まれた水滴が所狭しと吸い付いている。ここが極寒の地であったら見事なツララが下がることだろう。しかしここは雪国でもなければ鍾乳洞でもない、ただのアパートの一室の浴室である。カビの生えるスピードもとんでもない。いったいどうしたものかと悩んでいた。

天井につけられた小型換気扇を覗き込む。中はよく見えない。ファンが回る音はする。もしかしてゴミか何かが詰まっているのだろうか。たまに気がついたときにタオルなどで外側のほこりをぬぐっていたが、空気とともに吸い込まれた分が中に堆積しているのかもしれない。

しているのかもしれないと予想はつけたが、まさか泥のような固形物が手のひらから溢れるくらい取れるたぁ思わないよ。

マジかよ。マジだよ。試しに隙間から綿棒を突っ込んで左右に細かく動かしてみるとボトボトと黒いものが落ちてくる。若干ゾッとしつつ作業を続行。綿棒の白い部分は真っ黒に染まり、水分を含んで膨らんだ。綿棒では埒があかない。割り箸を持ってきて二つに割り、片方を再度狭い隙間に突っ込んでゴソゴソやる。

怖いほど泥が落ちてきた。めっちゃゾッとした。湯船に落ちる見慣れない物体。泥のように見えるそれは埃が水気を含み、カビが生えたものの成れの果てだろうか。わからない。よくわからないがめっちゃ落ちてくる。何だこれ! 何だこれ!!

一通りこそぎ落とし、内部は見えないもののどうやら綺麗になったようで、ファンを回すと掃除前よりも大きな音がした。やはり詰まっていたのか。この泥のようなものが。

しかしこれ。確かに今まで一度も掃除をしたことが無かったが、一度換気扇が故障して取り替えてもらってから二年も経っていないはず。これでこんなに溜まるのか。というかこれどうやってお手入れするのが正解なんだ。試しに換気扇のカバーを留める螺子をプラスドライバーで外してみたがカバーは外れない。固定されているのかくっついているのか。つまりカバーを外して中のファンを取り出すことは困難なようで、出来ることと言ったら今回のようにカバーの隙間から割り箸を突っ込んでこそぎ落とすくらい……なのか……?

どこか気味の悪さを感じつつ、元気よく回るファンの音を聴きつつ。これからは定期的に割り箸を突っ込もうと思った次第であった。