未分類2杯, ケラリーノ・サンドロヴィッチ, 初参戦, 有頂天, 非日常

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指でなぞると左側がザラザラしている。スッと投げられたそれは、降って湧いた宝物のように感じた。

有頂天の新譜「カフカズ・ロック/ニーチェズ・ポップ」に心を奪われたのが数ヶ月前か。特に「カフカズ・ロック」が大好きで、何度も何度も繰り返し聴いた。中でも好きなのが「monkey’s report(ある学会報告)」。明るい曲調と歌声により描かれる切なくやるせない物語がたまらなく、胸が締め付けられる思いがする。だから今日、アンコールでこの曲を聴けたとき己はきっと会場の誰よりも興奮したに違いない。思わず爪が刺さるほど、拳をぎゅっと握り締めてしまった。あんまり嬉しかったから。

有頂天は「カラフルメリィが降った街」「でっかち」「カフカズロック/ニーチェズ・ポップ」しかまだ持っていない。ケラさんと言うと有頂天よりも先に空手バカボンでその存在を認識した人間である。ライブに行くのも初めてだ。ほんのちょっと前にケラさんのツイッターでライブの開催を知り、もしかしたら「カフカズロック」の曲を聴けるかもしれない、と期待を胸にチケットをとったのだ。そして自分の念願は、望みどおり叶えられた。あぁ、生で! 「monkey’s report(ある学会報告)」を聴けるなんて!

また、別の理由でも今日この日のライブに行けて良かった、と思った。

昨日の日記を書いてから、己の腹の中では気持ち悪いものがぐらぐらと煮え続けていた。いや、正確には日記を書く前からか。書いたことに後悔はしていない。署名に協力をしてくれた方もいて、すごくありがたいと思う。だが、文章化することにより当時のつらさ、やるせない思い、怒りと憎しみが明確化され、それがどうにも頭から離れてくれず、ずっとしんどかったのだ。

暗闇の中、パステルカラーのライトを浴びて歌うケラさんの底抜けに明るい声。ポップで陽気な音楽。しかし、明るいだけじゃない歌詞。これらがステージから降り注ぎ、浸透した。三曲目では念願の「100年」、「墓石と黴菌」「世界」「幽霊たち」「ニーチェズ・ムーン」「懐かしさの行方」! それに、聴きたくて聴きたくてたまらなかった「monkey’s report(ある学会報告)」! アンコールを受けてステージから戻ってきたクボブリュさんがマイクを前に「学会の諸先生方!」と語り始めたとき、涙が出るかと思った。知らなかった、あの語りはあなただったのか! 何度もCDで聴いた冒頭の文句を生で聴ける喜びで、頭の中が真っ白になった。

あぁ、今日この日この場所で有頂天の音楽が聴けて良かった。

まだ聴いたことがなかった曲もたくさん聴いた。「君はGANなのだ」の勢いと、やわらかい色合いで光るライトの対比が印象に残っている。あと、後半でケラさんが「ビージー!」と叫んだことで始まった猛烈な曲。筋少で言えば「釈迦」か「イワンのばか」か、水戸さんで言えば「アストロボーイ・アストロガール」か、平沢進で言えば「Solid air」か。オーディエンスの爆発と熱狂が凄まじく、この曲のタイトルと成り立ちを是非知りたいと興味が駆られた。

MCは共謀罪の話に始まり、筋肉少女帯の話題が出つつ、有頂天のメンバーの変遷についても。このあたり、詳しくないので興味深かった。夏の魔物に出演する話では町田康の名前も出て、さらに追い出しの音楽も「INU」。素敵な音楽を生でどっぷり聴いた後に、ドリンクチケットと引き換えた発泡酒を呑みながらINUが聴けるなんて、何と言う贅沢だろう。フルコースを喰らった気分だった。

また、筋少ファンとして気になっていたのは「うるささ」だ。ケラさんはたびたび、今の筋肉少女帯はうるさいと言う。話を聴くに橘高さんのギターが好みでないらしい。しかしCDを聴いたところ有頂天も決してうるさくなくはない。賑やかである。自分は音楽は好きだが音楽のジャンルの違いをよく理解しておらず、自分の好きなものは好き、という漠然とした姿勢で生きているため、ケラさんがどのあたりを苦手としているのか、有頂天との違いは何かわからなかったのだ。それをいつか知りたいと思っていた。

念のため断っておくと、己はケラさんの発言に腹を立てているわけではなく、糾弾したいわけでもない。こちらの日記に書いたように、ただただ興味があるだけなのである。自分の好きな対象については何でも知りたい、そういうオタク気質を持っているだけなのだ。

結果、わかったかと言うと、今日ライブに行ったことで何となく理解した。なるほど確かに、有頂天ではギターがゴリゴリ言わない。代わりにベースが存在感を発揮しているように感じる。このあたりの音の違いかな、と言うことが何となくわかった。何だろう、種類が違うのである。双方別の音色を持っている、という話で、そこに好みの差が出るという話なのだ。

と言うと結局ジャンルの違いの話であるが、ジャンルの違いも肌で体験しないと理解できなかったのだ。

MCでケラさんが「アンコールを求められれば何度でもやる」と言い、オーディエンスによる鳴り止まないアンコールが起こり、二回も三回もステージに出てくれた有頂天。最後、ケラさんは笑いながら「何度でもやると言ったけど!」と言いつつも、また演奏をしてくれた。踊る観客、振り上げられる拳、朗々と響く明るい歌声。知らない歌詞を耳で追う。そのときばかりは頭の中が歌と音楽と歌詞でいっぱいになり、考えたくないことを忘れられた。いや、意識しないですんだ。腹の中で渦巻くものの存在を無視することができた。あの声を今日聴けて良かった、と繰り返し繰り返し思った。

雨の中。長靴を履いて辿り着いたロフトプラスワン。新宿ロフトと同じではないことに気付いた瞬間は焦ったが、慌てず地図を探そうと、邪魔にならないよう人通りの少ない道へ向かった先で偶然見つけた本来の会場。路上で開場を待っていると、隣のバーから有頂天の音楽が聴こえた。きっとそれは「良かったら帰りに寄ってね」というメッセージなのだろうが、まるで世間が己に寄り添ってくれているような喜ばしさを感じた。腹の中にはまだ嫌なものが渦巻いている。しかし、二時間半の間意識せずにいられた。それがこのうえなく嬉しかった。



日記録2杯, 日常

2017年6月17日(土) 緑茶カウント:2杯

署名しました。

十年ほど前の話をしよう。きっと、友人はこのサイトを見ていないはずだから。

十年か九年か八年か。きちんと調べ直さねばわからないがそのくらい前のこと。確か土曜日か日曜日か。己は下宿先のアパートの一室で、カチカチとマウスを操作しながらネットサーフィンを楽しんでいた。そうして何の気なしにクリックした友人のブログ。あの文章を見たときの感情を己は忘れない。初めてパソコンを前にして、「嘘だろ」と悲鳴のような声が出た。

信じられない気持ちでブログを読み直し、スクロールして見直して、また読み直して、己は部屋を飛び出していた。

それは友人の趣味のブログであったが、そこで綴られていたのは、実生活において友人がとてもひどい目にあった告白だった。

部屋を飛び出し、駆け出して、駅ビルのケーキ屋に行った。美しく果物が飾られたケーキを四つ買った。それを持って電車に飛び乗り、友人の実家に向かった。涙がボロボロこぼれた。電車に揺られながら震える手で友人にメールを打った。連絡がとれた。友人は実家にいなかった。別の場所に避難していると知った。そのまま自分は友人の実家がある駅を越え、自分の実家に一度帰った。父と母とケーキを食べ、一泊して下宿先のアパートに戻った。

未だにあのとき買ったケーキ屋を見ると胸が締め付けられる思いがする。以降、そのケーキは口に出来ていない。ケーキ屋は何も悪くないのに。

当時、友人は大学進学のため実家を離れて一人暮らしをしていた。そして言葉に言い表せないようなひどい目にあった。言葉に言い表せないようなひどいことが、ブログに綴られていた。あれを見た自分は、きっと友人は実家に戻っているに違いないと思った。何とか心を慰めたくてケーキを買った。

やりたいことがあって進学した大学だったのに、友人は大学に通えなくなった。心が崩れ、外出もままならない身になった。いろいろなことがあった。しかし友人は生きていくための別の道を見つけた。結婚もした。不安定な精神を抱えながらも、精力的に活動している。それを悲しくも、喜ばしいと思う。

犯人は数年前に出所したらしい。

顔も名前も知らないが、己はその人物を頭の中で何度も殺している。日常の中でふと思い出し、腸が煮えくり返るような思いが沸き起こることがある。友人は努力をした。結果、通常であれば歩まなかった道を歩めているとも言えるだろう。しかしその道へと歩めたことがどんなに素晴らしいことであろうとしても、そのきっかけを作った人物を、己は絶対に肯定しない。絶対に許さない。今も殺してやりたいと思う。

だが。もし、奇跡的なことが起こって、その人物と出会うことがあり、そいつの所業を知ったとして、己はそいつを殺せるのか。殺してやりたいが、殺せるわけもないだろう。また思う。友人は警察でもつらい目にあった。ふざけんなと思った。腹立たしく、悲しかった。

友人のブログを読むまで、自分はずっと、自分の周りの人間がひどい目にあうはずはないと無邪気に信じて生きてきた。生きてきたが、違うことを知った。今も腸は煮えている。

その中で、ある人がこのプロジェクトを紹介し、署名を求めているのを見た。その方も被害者で、経緯を読んでから今日までの一日、ずっと気分が悪く、すごく悲しく、やるせない。己の友人が、家族が、知人が、知らない人が、こんな理不尽なひどい目にあってたまるかと思う。

だから署名した。殺せないまでも、現状をどうにか変えたいので。
どうかそんな、言葉に言い表せないほどつらい目にあう人がいなくなってほしい。仮につらい目にあう人がいたとしても、きちんと糞野郎が裁かれてほしい、と願って。


日記録4杯, 日常

2017年6月11日(日) 緑茶カウント:4杯

最近めっきり胃が弱くなったことを自覚している。少し食べただけで食べられなくなり、夜遅くに飯を食べれば翌朝胃もたれするのが常だ。そうして胃が重いからと朝食を省略するようにしたら一時快適になったものの、ますます胃が弱くなった気がしてならず、それでいて大した量を食べていないにも関わらず太りやすくもなり、困ったものだなぁと思っている。

筋トレはじわじわとしている。しかしなかなか結果に結びつかない。

これも年齢のためだろうか、と思うものの、歳を重ねて得たものは悪いことばかりでもない。先日の日記でらんま1/2のストラップに三千九百円を費やしたことを告白した。それはらんま1/2にはまっていた小学校高学年の頃の自分は到底できない出費である。そしてまた、五年前の自分にも到底不可能なことだったのだ。

当時、己は金銭的に苦労していた。生活はできたが、切り詰めなければならなかった。食費は月一万二千円と決めていたため、毎回決まったものしか買えなかった。玉ねぎ、人参、大根、ゴボウ、舞茸、きゅうり、もやし、トマト、鶏肉、豚肉。何にでも応用の利く安いものしか買えなかった。パプリカなどは贅沢品でなかなか手が出なかった。食パンは安いスーパーで売られている一斤八十円のものしか買えなかった。パン屋で見かける二百五十円の食パンは雲の上の存在で、いつかあの食パンを日常的に気負いなく買えるようになりたいと願っていたが、その日は一生来ないものとも思っていた。

辛かったのが衣類の購入だ。新しい服を買う必要性を感じつつも費用を捻出できない。削るとしたら娯楽費しかない。しかしこの娯楽費を削ったら心が死んでしまうのは目に見えていた。漫画、本、ライブチケット。ライブも当時は厳選せざるを得なかった。当時を振り返ると、ぐっと参戦数が減っているからわかりやすい。

あれから五年。パプリカも二百五十円の食パンも気負いなく籠に入れられるようになった。財布の中身を確かめずにふらりと外食できるようになった。ライブにも好きなように行ける。夢のようと言うよりも、嘘のようである。決して富裕層でも何でもないが、ちょっとした贅沢が許させる身の上になれるとは思えなかったのだ。あの頃と言えば常に頭の中は金勘定ばかりで、ちょっと金が入っても必要経費が差し引かれればすぐに残りは入金前とさして変わらぬ金額となり、いつもいつも金のことばかり考えねばならないことがまたしんどかった。そこを脱出できて嬉しい。

しかしあの頃毎日食べていた食パン、卵、ヨーグルト、バナナを今の自分は省略する生活を送っていて、あんなに憧れていた二百五十円の食パンを購入する日もほとんどない。だが、たまに気まぐれに手にとってトースターで軽く焼き、バターを乗せてかじったとき。小麦の良い香りが口中に広がり、甘さがとろけ、しみじみと幸福を噛み締める。そうしてあの、己の命を繋げていた八十円のパサパサの食パンの味を思い返すのだった。



日記録0杯, 日常

2017年6月10日(土) 緑茶カウント:0杯

後悔はしていない。後悔はしていないが、馬鹿だとは思う。
三千九百円かけて、うっちゃんのストラップを手に入れた。

街中をふらふら散歩していたら、あるゲームセンターの入り口に設置せられたガチャガチャに目が行き、一瞬で釘付けになったのだ。何と、らんま1/2のガチャガチャ。小学校高学年の頃に夢中になり、お小遣いを貯めて中古の単行本を集めた思い出が蘇る。確か当時のお小遣いは週に二百十円で、ぷよぷよのプラスティックケースを貯金箱代わりにしてちまちまお金を貯めていた。そうしてようやく千円貯まった頃、親にブックオフへと連れて行ってもらって、一冊百円か二百円の中古の単行本をこれまたちまちま買っていたのだ。

当時の自分からすれば大金の三千九百円。こいつをガチャガチャの投入口に三百円ずつ差込み、ハンドルを十三回まわした。うっちゃんが欲しかった。最初に出たのはシャンプーだった。可愛い。次に出たのは女らんまだった。可愛い。その次に出たのは男らんまだった。可愛い。しかし、うっちゃんが欲しかった。一番欲しいのがうっちゃんだった。そのうっちゃんが出てくるまでに十二回ハンドルを回し、うっちゃん以外の全員をコンプリートした。

そうして三千九百円かけて手に入れたうっちゃんのストラップ。可愛い。後悔はしていない。後悔はしていないが、馬鹿だとは思う。

その後、菓子屋でスナック菓子を二つ買った。二百円だった。ストラップ一個分にも満たない値段だった。次にドラッグストアでコンタクトレンズの洗浄液、牛乳石鹸、風呂用洗剤、整髪料、整腸剤など必要なものをたっぷり買った。三千二百円だった。次に通りすがりのバーにふらりと入り、ベルギービール二杯とピクルス、ソーセージを食べた。二千九百円だった。

鞄の中にある十三個のストラップ。子供の頃より愛した漫画のストラップ。ドラッグストアの品々よりも、バーでの飲食よりも高い値段。後悔はしていない。しかし馬鹿だとは思う。馬鹿だとは思うが、きっと今後も魅力的な品を見つければ繰り返すだろう。帰宅して机の上にストラップを並べる。好きだなぁ、と思う。そうしてきっと、あの頃コツコツ小遣いを貯めて中古本を買っていた自分も今の自分を知れば喜ぶに違いにない、と確信した。手にとってかえずがえす眺める。幸せだな、と思った。


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日記録0杯, 日常,

2017年6月7日(水) 緑茶カウント:0杯

作り置きしていたポーク・ソテーを温めながら、何のソースをつけようかと冷蔵庫を開く。目に入ったのはケチャップ、マヨネーズ、ウスターソース、青じそドレッシング、醤油、白だし、マスタード。この間はケチャップとマヨネーズとウスターソースを混ぜて温めたものをつけて食したが、それすらも面倒くさい気持ちが生じている今。で、あればと冷蔵庫の隅から取り出したのはトンカツソース。合わないことはないはずである。

そうして口の中に広がったのは驚くかな、錯覚の味である。これはポーク・ソテーである。しかし、卵もパン粉もついていないのにトンカツの味がするのである。トンカツソースをかけるだけで、脳がトンカツと錯覚するのだ。そう、それはまるで衣を剥いだトンカツを食べているような。そう、それはまるで衣を剥いだトンカツのような味になってしまったのだ。

一時の後、虚無の味が広がった。もともとはポーク・ソテーという一人前の料理だったはずの代物が、衣を剥いだトンカツのようなもの、という悲しい一皿に成り果てた。それはまるで二級品のトンカツのような、トンカツもどきのような、トンカツを食べたい人が無理矢理自分を騙しているような、そんな虚しい味がした。

虚無の味。

皿にあるのはポーク・ソテー。豚肉に塩胡椒を振って、小麦粉をまとわせ、オリーブオイルでソテーした肉料理、だったもの。傍らのトンカツソースは黙って食卓の上で直立している。己はそれを眺めている。脳には虚無が広がっていた。そんな一つの夕食だった。