食パン

2017年6月11日(日) 緑茶カウント:4杯

最近めっきり胃が弱くなったことを自覚している。少し食べただけで食べられなくなり、夜遅くに飯を食べれば翌朝胃もたれするのが常だ。そうして胃が重いからと朝食を省略するようにしたら一時快適になったものの、ますます胃が弱くなった気がしてならず、それでいて大した量を食べていないにも関わらず太りやすくもなり、困ったものだなぁと思っている。

筋トレはじわじわとしている。しかしなかなか結果に結びつかない。

これも年齢のためだろうか、と思うものの、歳を重ねて得たものは悪いことばかりでもない。先日の日記でらんま1/2のストラップに三千九百円を費やしたことを告白した。それはらんま1/2にはまっていた小学校高学年の頃の自分は到底できない出費である。そしてまた、五年前の自分にも到底不可能なことだったのだ。

当時、己は金銭的に苦労していた。生活はできたが、切り詰めなければならなかった。食費は月一万二千円と決めていたため、毎回決まったものしか買えなかった。玉ねぎ、人参、大根、ゴボウ、舞茸、きゅうり、もやし、トマト、鶏肉、豚肉。何にでも応用の利く安いものしか買えなかった。パプリカなどは贅沢品でなかなか手が出なかった。食パンは安いスーパーで売られている一斤八十円のものしか買えなかった。パン屋で見かける二百五十円の食パンは雲の上の存在で、いつかあの食パンを日常的に気負いなく買えるようになりたいと願っていたが、その日は一生来ないものとも思っていた。

辛かったのが衣類の購入だ。新しい服を買う必要性を感じつつも費用を捻出できない。削るとしたら娯楽費しかない。しかしこの娯楽費を削ったら心が死んでしまうのは目に見えていた。漫画、本、ライブチケット。ライブも当時は厳選せざるを得なかった。当時を振り返ると、ぐっと参戦数が減っているからわかりやすい。

あれから五年。パプリカも二百五十円の食パンも気負いなく籠に入れられるようになった。財布の中身を確かめずにふらりと外食できるようになった。ライブにも好きなように行ける。夢のようと言うよりも、嘘のようである。決して富裕層でも何でもないが、ちょっとした贅沢が許させる身の上になれるとは思えなかったのだ。あの頃と言えば常に頭の中は金勘定ばかりで、ちょっと金が入っても必要経費が差し引かれればすぐに残りは入金前とさして変わらぬ金額となり、いつもいつも金のことばかり考えねばならないことがまたしんどかった。そこを脱出できて嬉しい。

しかしあの頃毎日食べていた食パン、卵、ヨーグルト、バナナを今の自分は省略する生活を送っていて、あんなに憧れていた二百五十円の食パンを購入する日もほとんどない。だが、たまに気まぐれに手にとってトースターで軽く焼き、バターを乗せてかじったとき。小麦の良い香りが口中に広がり、甘さがとろけ、しみじみと幸福を噛み締める。そうしてあの、己の命を繋げていた八十円のパサパサの食パンの味を思い返すのだった。



日記録4杯, 日常