日記録4杯, 日常

2017年6月4日(日) 緑茶カウント:4杯

床に積んでいる本を全て本棚に納められたらどんなにか心地が良いだろう。数えれば一、二、三、四、五、六、七、八、九、十。本棚から溢れた本の山が床に積み重なり、時には雪崩を起こし、見るも無残な有様。いつかこれを本棚に納めたいと思いつつ、本棚を置く場所がないためにその願望を叶えられずにいる。そろそろどうにか引っ越しをしたい。

最近は太宰治にはまっていて、おすすめの作品を太宰好きの人々から教えてもらい、一つ一つ読み進めている。太宰治と言うと陰鬱なイメージが強く、故に深入りせずに過ごしていたのだが、読んでみて己の認識が間違っていたことに気が付いた。ユニークな話や滑稽な話もたくさんあり、バラエティに富んでいる。てっきり自ら命を絶ち、この世とグッド・バイする暗い話だと思い込んでいた「グッド・バイ」は、十人の愛人とグッド・バイして身辺整理をして妻子と田舎で暮らしたいなぁアハハ、という望みを持つ男が、強烈かつ魅力的な女性に振り回されて全く計画がうまく行かず困り果てる話であった。未完であるのが非常に残念である。

これらの太宰作品は青空文庫で読めるため、kindleのおかげで床面積を支配されずに済んでいるが、新書の類はなかなかそうも行かず、先日購入した本川達雄の「ウニはすごい、バッタもすごい」と町田康の新刊「ホサナ」を買ってまた床面積が一つ減った。そして最近なるしまゆりの「少年魔法士」がついに完結した報せを聴き、本屋を回るも手に入らなかったためamazonで既刊を注文した昨今。ちなみに「少年魔法士」はファンタジー漫画なのだが、発売元の「新書館」はボーイズラブ作品を多く出版しているらしく、件の棚を探しに行ったら非常に場違いな思いをした。しかし発見もあった。何故かボーイズラブ作品の表紙は、カップルがカメラ目線でこちらを見ている構図が多いのである。故に目が合った。すごく目が合った。何故お前らこっちを見る。見つめ合いなさい、自分らを。

いつか本棚だけで構成された部屋を一つ持ちたいものだ。そのように願いつつ、今日も一つ雪崩を起こす。あぁ、図鑑が! 資料集が! まぁ数年後。もう数年後にはどうにかしよう。流石にね。



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■6月4日3時「お題リクエストした者です、丁寧かつ読み応えの~」の方へ

リクエストをいただきありがとうございました。結構な時間お待たせしてしまってすみません。少しでも楽しんでいただけたなら何よりです。

普段CDの感想を書くときは、聴いたばかりの興奮に任せて書くことが多いため、こうして時間を置いてからじっくり書くのは自分にとっても珍しい経験でした。こうして冷静に一枚のアルバムを見つめ直すのも楽しいものですね。



日記録0杯, 14周年企画, M.S.SProject, 日常

2017年6月3日(土) 緑茶カウント:0杯

さしもの夜型人間の己であっても、二十一時に目が覚めたら驚くのである。しかもそれは携帯電話の振動音によって無理矢理覚醒されてのもの。かの振動音が無ければいつまで寝続けていたかわからない。

疲労の自覚はあったがここまでとは。我ながら驚くばかりである。

さて、睡眠と読書以外にろくろく何もしていない今日。せっかくなので日記を書こうかな、ということで14周年企画でいただいたラストのお題「M.S.S.Phantasia感想と、M.S.S. Projectの現在の印象」について書いてみようか。「M.S.S.Phantasia」が発売されてからおよそ四ヶ月。エンドレスリピートの日々を過ぎ当初の興奮は落ち着いている今、感じることとは何だろう。

聴き始めの当時を思い出してみると、最初の印象は「随分ポップになったな」というものであった。「M.S.S.Planet」「M.S.S.Phantom」と違い、ライブの存在が大きく意識されているように感じる。それは前作「M.S.S.Party」にも感じたもので、より一層顕著になったのが今作「M.S.S.Phantasia」である。いかに皆で盛り上がるか、盛り上げるかということが要になっているように思う。

その象徴たるものが「MISSING LINK」と「I’ll be…」である。前者はあろまほっと、後者はeoheohによる歌唱だ。今までCDにおいて、彼ら二人は無駄トークとコーラスの一部でしか姿を見せていなかったが、ついにこの二人が音楽にも身を乗り出した。彼ら二人はライブにおいてはパフォーマーの役割を担い、初めて観たライブでは各々が思い思いに動いていたが、二回目のライブでは曲に合わせた振り付けのもと、世界観を演出していた。そして三回目に行った武道館ライブではメドレーで代わる代わるソロを披露。たどたどしさもありながら、役割の幅が広がった瞬間を見せてくれ、大いに驚いたことを覚えている。

そこに至る過程を己は知りえないが、活動をする中で「もっとやりたい」という思いが生まれ、その結果であるのなら、それはとてもわくわくするもので、素敵だ。自分の領域以外のところへ踏み込み進んでいく、それは「今後、いかに変化していくか」期待させるものである。

M.S.S. Projectとは不思議なグループだ。音楽がやりたかった二人が集い、四人でゲーム実況を始め、ゲーム実況によって名を馳せた。そうしてCDを発売し、ライブを行いつつゲーム実況も続けながら、それぞれが書籍を発売し、様々なメディアとコラボレーションを組む。その軸はきっと音楽とゲーム実況なのだろうが、やろうと思えば何にでも進出できるのではなかろうか、と思わせるところが面白い。

アルバムでは「Glory Soul」「プロトレジエム」「WAKASAGI」「ReBirth」を特に気に入っている。中でも一等好きなのが「プロトレジエム」で、この系統の曲だけ集めたアルバムを作って欲しい!! と思うほどだ。中盤の「ベーンッベーンッ……」と続くところが気持ち良く、いつまでも聴いていたいと思う。

「Glory Soul」はまず、「貴方がたは海賊だったのかい」と突っ込みつつも、ミュージカルのような曲調が楽しくてたまらない。この曲はライブでも楽しかったなぁ。何となく、彼らの頭の中の海賊はONE PIECEの世界観のそれのように感じる。冒険をして、戦って、宴会をして大笑いをする陽気な奴ら。家族ではないが擬似的な家族に近い存在。M.S.S. Projectにも通じるところがあるだろう。

「WAKASAGI」は何と言ってもFB777の伸びやかな声が耳に心地良い。何度か書いているが、あらゆるものから解放された歌のお兄さんを彷彿とさせる清清しさが大好きだ。とても気持ち良さそうに歌っているなぁ、と思うのだ。この曲は頭の中に映像が展開される。昔観たNHKの「みんなのうた」のような素朴でカラフルな映像が頭の中のテレビ画面に映し出されて、楽しい。

「ReBirth」はちょっとした発見があった。初音ミクの言葉が最初から聴き取れたのだ。M.S.S. Projectの音楽を聴くまで初音ミクとは縁が薄く、電子的な声に慣れていないせいか、歌と言うよりも「音」として聴こえていたため、言葉として認識するまで結構な時間がかかっていた。しかしこの「ReBirth」については最初から「初音ミクの声」としてその言葉を聴き取ることが出来たのである。M.S.S. Projectの音楽を聴くうちに耳が慣れたこともあるだろうが、はっきりくっきり発声されていることも大きいだろう。この曲は聴いていると頭の中に青空が広がる。爽やかで綺麗な曲だ。

「音楽をやりたい」から始まり、作りたい音楽を作る中で、音楽を聴くオーディエンスの存在がだんだんと意識されるようになっているように感じる。ファンを楽しませたい、喜ばせたい、一緒に楽しみたい、そんな思いが創作に反映され、変化しているように思う。

ニコニコ動画は視聴者が投稿したコメントが動画に反映されるシステムだ。もともと彼らの活動の場所は、視聴者やファンの声が届きやすい環境で、その存在を意識しやすい。だからこそ、視聴者やファンをいかに楽しませるか、ということは常から意識されているものだろう。それがライブでより一層ダイレクトに届くようになり、受け取ったものを咀嚼し、飲み込み、新しいものができる。「ライブ」の影響を受けてできたであろう「M.S.S.Phantasia」から、次回作でどのように変化するかが興味深い。

M.S.S. Projectの印象自体は、実は当初から今に至るまで大きく変わらない。彼らは一つの憧れであり、己にとっての幻想である。彼らの活動を見ていて思い出すのは学生時代の仲間達とのふざけ合い。毎日のように顔を合わせ、学食で安いカレーを食べながら何時間も話し、誰かの家に集って酒を呑んで笑い合う他愛の無い日々。社会人になってからはなかなか得られない時間を懐かしみつつ、生じるのは憧れとうらやましさ。それは小さな夢である。そしてまたその夢を、いつまでも見せて欲しいと願う。ONE PIECEの海賊のような、擬似家族のような関係性。そこに映し出されるものこそがある種のファンタジーであり、はたまたユートピアかもしれない。



未分類2杯, 水戸華之介, 非日常

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とにかく、もう、格好良かったのだ。

新譜「知恵ノ輪」のジャケットデザインを見たときに心が躍った。何て格好良いのだろう! 「楽観 Roll Show!!!」「人間ワッショイ」と賑やかなデザインが続いていて、今回も同じ系統かと思いきや、アスクレピオスの杖を天に向ける水戸さんに、スラリとしたロゴ。うわあ、格好良い! と思わず声が出た。

そうなんだよ。水戸さんは格好良いんだよ!

そして今日のライブはオープニングからしていつもの不死鳥とは違っていた。面白映像も無ければ神輿も無く、祭りの雰囲気は一片も無い。暗いステージに何も言わずメンバーが集まり、大人っぽい雰囲気の中、シックに演奏が始まったのである。水戸さんの衣装は黒の帽子に黒の隈取、白いシャツに緑の唐草文様のネクタイを締め、深い色のオーバーオールで身を包む。それはもう、ドキッとするほど格好良かった。

お祭り騒ぎの中、刀のレプリカを背負って忍者のコスプレで現れて、大いに会場を沸かせてくれる水戸さんも好きだ。しかし。水戸さんの歌詞の力強さと説得力、歌声の響きをより一層魅力的に映し出すのは、今日のような衣装ではないか。背が高く足が長く、体格が良い水戸さんの格好良さが存分に引き出されていて、もしも自分が水戸さんのような恵まれた体格であったなら、即座に服装を真似するに違いないと思うほど魅力的であった。

ゲストは杉本恭一、アキマツネオ、宮田和弥の三名。恭一さんは始まりからメンバーと共にステージに現れ、ゲスト扱いされずに演奏が始まった。今回の不死鳥は新譜「知恵ノ輪」の発売記念ライブを兼ねており、「知恵ノ輪」をプロデュースしたのは他でもない恭一さん。そんなわけで恭一さんは、「大プロデューサー先生!」と水戸さんに何度も呼ばれては、参ったなぁと言うように照れ笑いを浮かべていたのであった。

MCの中で語られていたこと。水戸さん曰く、恭一さんは絵を描くように曲を作る人で、そこで今回水戸さんも言葉で絵を描いてみようとしたそうだ。また、恭一さんはこのアルバムでとにかく水戸さんの格好良さを存分に引き出すことに注力したそうだ。己は新譜を今日のライブで買うと決めていたため、新曲は全てこの日初めて聴いた。そうして思ったことと言えば、確かにどの曲も格好良く、また大人っぽい雰囲気も漂っているということだった。

特に印象的だったのが「可能性はゼロじゃない」。この曲は、ともすれば間抜けに聴こえる楽器「カズー」にスポットライトをあてたもので、序盤から長々と存在感を発揮する。そのカズーの音色が、まるでビブラートを強くきかせ、さらに機械で肉声を無理矢理変質させたような歪みが感じられ、本当に本当に良く知らないのにこんなことを言うのも申し訳ないのだが、椎名林檎を彷彿とさせたのだった。

己はほとんど椎名林檎を知らない。知っているのは友人がカラオケで歌う「歌舞伎町の女王」と「カーネーション」くらい。何も知らないのだ。その断片的な印象により浮かび上がるイメージは、きっと実在の椎名林檎とはかけ離れたものだろう。しかし尚、己はそのように感じたのである。

「涙は空」から「知恵の輪」まで新曲の披露が続き、ドキドキわくわくしながら全身で聴いた。ライブで初めて聴いた曲を、改めてアルバムで聴き返す楽しみが後にあることがとても嬉しい。水戸さんがシングルカットにしたいと思うほどのイチオシ「イヌサルキジ」は、初めて聴くにも関わらずノリやすく、拳を振り上げるのが非常に楽しかった。

このあたりでセットリストを。メドレーの「幽霊」と「S子、赤いスカート」の位置が逆な気がするが、その他は概ね合っていると思う。


無実のためのレインボー
涙は空

失点 in my room
ひそやかに熱く
イヌサルキジ
知恵の輪

泥まんじゅうで腹一杯(一部だけ)
祈り
砂のシナリオ

君と瓶の中
Romanticが止まらない
風船

特急キノコ列車
すべての若き糞溜野郎ども
犬と夕暮れ

可能性はゼロじゃない
蝿の王様からメドレー
~幽霊
~S子、赤いスカート
~泥まんじゅうで腹一杯
~蝿の王様

天井裏から愛をこめて
おやすみ

~アンコール~
まぼろ市立美術館
アストロボーイ・アストロガール

~ダブルアンコール~
ジョニーは鼻毛がヒッピースタイル


ド派手な衣装のアキマさんがステージに現れ、「君と瓶の中」「Romanticが止まらない」「風船」を独特の歌声で歌ってくれた。MCでは主に野球の話で盛り上がり、応援している球団がアキマさんも水戸さんも不調とのことで、今日のライブが始まる前に残念な試合を観たらしく、テンションが下がったと言っていた。

「風船」の前で、「水戸さんの曲はコードが難しい」とアキマさんが言い、それに対して水戸さんが「俺じゃなくてブースカがそういう曲を作りたがるんだ」と反論。そこから音楽の話になって野球の話になり、Fコードに挫折した奴がギタリストになれなくて、大リーガーや政治家になるんだ! という面白話に発展した。

アキマさんが退場して、JUN SKY WALKER(S)の宮田さんが入場、宮田さんは昔、水戸さんの家に遊びに行ったことがあるとのこと。仲は良かったが機会がなく、今まで不死鳥に呼べなかったがようやく念願叶ったそうだ。そこでまず始まったのが「特急キノコ列車」。この曲を昔、宮田さんが褒めてくれ、宮田さん自身は褒めたことを忘れていたが、水戸さんは「和弥が褒めてくれた!」と今に至るまでずっと覚えていたそうだ。キュートなエピソードである。

宮田さんはハーモニカを吹いてステージを縦横無尽にかけ回り、次の「すべての若き糞溜野郎ども」でもアクティブさを発揮しまくったところ、ステージに立てかけていた自分のギターにぶつかり、ギターが倒れるアクシデントが発生。ギターの無事を確認すべく三曲目の前にMCで繋ぐことになり、ステージにハラハラした空気が立ち込めたのであった。結果、ギターは無事だったらしい。良かった……。

「可能性はゼロじゃない」から怒涛のメドレーに移り、「天井裏から愛をこめて」ではオープニングで綺麗な歌声を響かせてくれたコーラスの二人……と思われるうさぎと蛙の被り物を被った人外が紙袋を持ってステージに乱入。袋から取り出されるは赤いクラッカーで、火薬の匂いとともに赤いテープがオーディエンスの頭上に撃ち出され、天井からは風船が舞い、お祭り騒ぎの中本編終了。もちろん、まだまだ終わらない。

アンコール一曲目は新曲「まぼろ市立美術館」……なのだが、この曲に入る前にちょっと面白いことが起こった。風船を抱えてステージに戻ってきた内田さんがオーディエンスにポンと風船を投げると、バレーボールの如く打ち返されたのである。それを見た水戸さん、「そこはキャーッって言って持って帰るだろ?」と指摘。内田さんも打ち返されるとは思っていなかったようで、「受け取ってよ」とすねたようにつぶやき笑いが起こる。はっはっはっ。条件反射だよなぁ、これは。

アンコール二曲目「アストロボーイ・アストロガール」では、あの印象的なベースソロにピヨピヨと軽やかなテクノサウンドが乗っていて、Zun-Doco Machineの片鱗が垣間見えて面白い。大いに盛り上がって、さてさて帰るかと水戸さんがステージから去っても、残った内田さんがベースを奏でれば引っ張り出されてしまう。そういう構成であることはわかりつつも、まるで内田さんがベースで水戸さんを操っているようで面白かった。

最後の最後、ゲストも登場してのダブルアンコール。さて、何が来るかと思えばびっくり。「大セッション曲を!」という水戸さんの号令のもと始まったのは「ジョニーは鼻毛がヒッピースタイル」! すごい! 水戸さんのラインナップの中ではまだまだ若いこの曲が最後の最後を締めるとは何たる大出世! こうして曲が成長していく様を見られるのは最高に嬉しい!!

ゲストが代わる代わる歌い、上手側では内田さん、恭一さん、アキマさんが目の前で大サービスを繰り広げてくれて何とも豪華な光景だった。「生涯ラブアンドピース!」と両手を掲げてダブルピースする内田さんに合わせて、思いっきり両腕を高く上げてピースを作る多幸感。切なくもハッピーなこの曲でライブのエンディングを迎えられる嬉しさ。楽しいったらありゃしなかった。

終演後にはサイン会が開かれ、いそいそと新譜のプレミアムセットを買って列に並び、自分の番が来たときに開口一番言ったのは、格好良かったです!! という一言。そうなんだ。水戸さんは格好良いんだ。水戸さんの歌詞も歌声も、たまらなく格好良いんだ。その格好良さが今日のライブでは一際発揮されていて、とても魅力的で、この姿をどうかもっともっと多くの人に見てもらいたい。そう思わずにはいられないのだ。

来年は十五回目の不死鳥で、水戸さんにとっては三十周年の節目とのこと。どうかどうか多くの人に観てもらいたい。この格好良い大人の姿を。きっと、生きる気力になるから。



日記録2杯, 日常

2017年5月26日(金) 緑茶カウント:2杯

とある下り坂に面したこじんまりとしたイタリアンレストラン。ドアーにはめられたガラスから中を覗くと店内にはカウンターとテーブルが二つ。いつ見ても満席で、興味を覚えつつもドアーを叩くことなく通り過ぎていた。そしてある日その店は閉店、否、移転した。壁には移転先の地図とこれまでの感謝の言葉が書かれた貼り紙が一枚。あぁ、ついぞ機会を得ることなく遠くに行ってしまったか、と若干の寂しさを抱きつつ通過したのは幾月前か。そう、確かにあのとき己は地図をよく見なかった。

駅から自宅までの道、それのまた違うルート。気まぐれに歩いた別の道にその店はあった。何と。遠くに行くどころか近くに来ていたとは。軒先は美しい観葉植物で彩られ、ドアーの奥には広々とした空間が広がり、暖かな色合いの光で染められている。これも何かの縁だろう。ちょうど腹も空いている。そうしてついに自分はそのドアーを押し、店内に踏み入ったのだ。

入り口のドアーも、観葉植物も、足元のタイルも、傘建ても、店を構成する一つ一つに気が配られていて、内装も凝った調度品が置かれ、美しい。布でできたランプに、回転する照明。あの小さな店の主はここに移る際、きっと喜びと希望をこの店に詰め込んだのだろう。理想の店を作るべく、あらゆるものにこだわりを発揮したのだろう。そのこだわりの一つが手書きのメニュー表かもしれない。

かもしれない。が、読めない。
いや、読める。ギリギリ読める。読めるが、非常に読みにくい。

それはミミズがのたうったような字で、文字と文字が奇妙に繋がり、変形し、文字から図形へと変化していて、意味を読み取ることが難しい代物であった。それが美しい和紙のメニュー表全体にバラバラと散らばっていて、さらにはカウンターの真上の壁に設置せられた巨大な黒板にも同種のミミズがのたうっていて、布でできたランプや回転する証明が作る美しい空気に堂々と勝負を仕掛けてきているのである。のたうつミミズが。

何だこれ、と衝撃に狼狽するも他の客は楽しげに店員と会話をしていて、再びまじまじとメニュー表を眺めるもやはりそこにはミミズがのたうっていて、黒板にものたうっていて、念のため断っておくとそれは英語やイタリア語の筆記体でも何でもなく、純粋な日本語の偏やつくりが自由奔放に跳ね回る、というか悶え苦しんでいるような有様で、しげしげと眺めるにやはりこれは妙だよなと再認識し、何でこの字が野放しになってんだ、誰か指摘しないのかと疑問を抱きつつ、何とか読み取ってチーズの盛り合わせとソーセージのソテーを食べてビールを呑み、不思議な空間を後にした。

のたうつミミズ、のたうつミミズ。味は普通。味は普通だった。味は、普通だった。味は。