日記録0杯, 日常

2017年5月7日(日) 緑茶カウント:0杯

それは布よりも最早タタミイワシに近く、乾くとバリバリに固まり、雀の涙程度なら吸うんじゃなかろうかという吸水性で、顔を拭けばガサガサとした肌触り、髪を拭けば吸いきれなかった雫が額を垂れて水浸し。かつてタオルであったものの、既にタオルとしての機能が完全に失われた死骸のような布で、それらが我が家のタオルの九割を占めていた。

気にはなっていた。ストレスも感じていた。何て言ってもタオルに求められる一番の機能、吸水性がゼロに近く、申し訳程度にしか水を拭えないうえ、ふんわり感は全くない。しかし長髪の民であれば苦労もあろうが短髪ゆえに何とかならないこともなく、不便を感じつつもずるずると使い続け、たまに実家に帰省してふわふわのタオルを使うたびに「これがタオルか……」と感銘を受け、我が家のタオルに思いを馳せて情けなさを感じていた。

帰省中に父が録画していたドラマ「逃げるは恥だが役に立つ」を全話観た。かねがね面白いという噂は聞いていて、周囲の盛り上がりも知っていたが、盛り上がりを知った頃にはドラマは中盤に差し掛かっていたため機会を得ず、今まで観ることがなかったのである。しかし気にはなっていて、父も面白いと絶賛していたので休暇を利用して一気に観た。非常に面白かった。気付いたら原作の漫画を全巻買っていて、今はブルーレイの購入を検討しつつ、有料配信サービスを探し三十日の動画レンタルを利用した。そうして楽しく観返している。

あのドラマを観た自分はみくりさんと平匡さんの関係性を興味深く眺め、二人の恋愛を応援しつつも、どこか恋愛に発展してしまったことを残念に感じてもいた。ドラマとしては無論恋愛に発展した方が面白い。しかし恋愛に発展しない道を観てみたかったとも思うのだ。

様々な登場人物が持つ悩みや課題、置かれた状況。観る人はそれぞれに感情移入し、自分が知らなかった立場の人の境遇への気付きも得るだろう。ゆりちゃんや沼田さんのエピソードも非常に良かった。特に最終話でポジティブモンスターに発したゆりちゃんのメッセージ。また、序盤で沼田さんと風見さんが津崎家に宿泊することになったシーンで、平匡さんがゲイへの偏見に気付くシーン。印象的だった。

そして自分が思うのは、広くて綺麗な部屋に住み、週一で家事代行サービスを頼めるほどになりたいものだということで、とりあえず今できる快適な住まいを目指す第一歩ということで、家のタオルは全て雑巾にし、ふかふかの新しいタオルをどっさり購入したのであった。

新しいタオルは全て洗濯して今部屋の隅に干されている。他の人はあのドラマのどこに共感し、どこに気付きを得て、どこに憧れを抱いただろうか。どこかで語り合ってみたいものである。



日記録0杯, 日常

2017年5月2日(火) 緑茶カウント:0杯

食べられんくなったなぁ。しかしそれもまた良し。

己は小柄である。残念ながら。百八十センチの身長を望むも望むべくもなし、地に這うようにほそぼそ生きて、たまに宙を見上げる、そんな有様で楽しく過ごしている。受け入れてしまえばそれはそれで良い。もとより背の順で並べば必ず前の方に陣取り、奇跡のように中盤に陣取った学年では、他のクラスに比べ随分と背が低い学級であるとそのアンバランスさを問題視された記憶がある。どうやら他の関係性、成績や人間関係を考慮した結果我がクラスはミニマムが集結したそうで、体育祭では不利を強いられつつも、それはそれで愉快であった。

食べられなくなった。過去に比べて。以前はチビのわりによく食べると言われていたが、ついにその図体に等しい食欲になってしまった。それはどうにも寂しく悲しいが、胃の腑の容量は広がらない。特に愛好するビールは腹に溜まりやすく、すぐに胃の腑を膨張させ、隙間を少なくさせてしまう。寂しいなぁ。と思いつつも、そんなもんかなと思っている。ちまちまと時間をかけながら箸を動かす陽気。食べられんくなったなぁ、と笑いながら。あぁ。



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■5月1日0時「初めまして、初めてコメント致します。」の方へ

初めまして。ご覧いただきありがとうございます。ネウロに共感いただけて嬉しいです。ネウロはまさに! とてもよくできた漫画だと思うのです。どうか暗殺教室の波に乗って……と願望を抱いたのも久しく感じます。あぁ。いつか……とこれからも強く願い続けます。願い続けましょう。



日記録0杯, 14周年企画, 日常

2017年4月30日(日) 緑茶カウント:0杯

子供の頃は夕飯の時間にアニメが流れていた。あれは五歳の頃だっただろうか。「今日から新しいアニメがあるから観てみない?」と母に言われ、視聴を始めたのが「クレヨンしんちゃん」。当時の自分はしんのすけと同い年。いつからかしんちゃんのアニメを観なくなったものの、たまにしんちゃんのイラストを見ると当時と変わらぬ姿で駆ける彼の姿に、時の流れをしみじみと感じる。

クレヨンしんちゃん、セーラームーン、ドラえもん、チンプイ、キテレツ大百科。ちびまる子ちゃん、サザエさん、ツヨシしっかりしなさい、とんでぶーりん、忍たま乱太郎、平成イヌ物語バウ。学級王ヤマザキ、ポケットモンスター、スラムダンク、るろうに剣心。七つの海のティコ、ロミオの青い空。ブラックジャック、犬夜叉、名探偵コナン。魔法陣グルグル、ぼのぼの、クマのプー太郎、ONE PIECE。これらを親と一緒に食卓を囲みながら観た記憶がある。アニメに夢中になって箸が止まるたびに母に叱られたものだ。

我が家はわりと自由にアニメを観せてもらえる家で、チャンネル権を譲ってもらえることも多かった。十九時には大抵アニメが流れていて、毎週毎週わくわくしたものだ。そんな中で特に好きだったのは「クレヨンしんちゃん」「七つの海のティコ」「ONE PIECE」。

「クレヨンしんちゃん」をどうして自分は好んでいたのだろう。あえて理由を考えてみるとわからないが、尻を出したり局部を出したり、自由闊達に生きている様が爽快だったのかもしれない。それでいて決して下品なだけでなく、しんちゃんと本屋のやりとり、しんちゃんと不良のやりとりが面白くて仕方なかったのだ。

「七つの海のティコ」はシャチと少女の関係性に憧れを持った。海を自由に泳ぎ、シャチと会話をする少女。物語の詳細を覚えてはいないが、あの海の描写がとても好きで、ティコが死んでしまったときはとても悲しく寂しかった記憶がある。

「ONE PIECE」を初めて観たのはクリスマススペシャルか何か。アーロン編のクライマックスで、ルフィがナミの部屋をぶっ壊すシーン。それまで「ONE PIECE」を読んだことはなく、タイトルから服飾をテーマとした少女漫画と勝手に想像していたのだが、全く違う内容であったことを思い知った日であった。それから単行本を買い集め、ジャンプを買うようになったのだ。それまではコロコロを読んでいた。

あぁ、忘れてはいけないアニメがあった。「ゲゲゲの鬼太郎」である。小学生の頃、レンタルショップで「ゲゲゲの鬼太郎」の第三期を借りてもらい、それから鬼太郎と妖怪の魅力に夢中になった。家にあった鬼太郎の文庫本や妖怪図鑑にのめりこみ、べとべとさんの存在を身近に感じて夜道に恐怖を覚えたものだ。そうして妖怪の苗床を育み、大学生の頃に発売された「ゲゲゲの鬼太郎」第四期のDVDボックスを、アルバイト代を貯めて買ったのだ。確か四万か五万か。当時で一番高い買い物だった。

さらに同時期に深夜アニメで「墓場鬼太郎」がスタートし、そのクオリティに毎週毎週大喜びしつつ、下宿先の部屋の本棚をゲゲゲの鬼太郎と水木しげる関連の書籍で埋めていったのだ。

水木しげるが亡くなったときの喪失感は計り知れなかった。同じ水木しげるファンの母とともに、仮に彼があの世に旅立つことがあっても、きっと彼は妖怪になるだけさと笑いあったものだが、実際にその場面に遭遇すると声の一つも出てこない。寂しかった。

成人してから夢中になったアニメと言えば、その筆頭は「おそ松さん」だろう。Twitterで「銀魂っぽいよ」と聴いて視聴を始めた第三話。そこから週を重ねるごとに夢中になり、気付けばブルーレイまで買っていた。「おそ松さん」の魅力についてはこれまでにも語っているが、やはりあの「異常な日常」を垣間見る気持ち悪さとほのかな違和感が魅力だろう。月曜日の深夜、「えっ……何だこれ……?」と動揺しながら布団に潜るあの感覚。あれをまた味わいたい。

あとOVAでは「HELLSING」も素晴らしかった。単行本を読んで心をつかまれ、レンタルショップで少しずつ借りて観ては興奮した。あの作品をよくアニメに出来たものだと感嘆する。あの台詞回しを耳で楽しむことが出来て実に嬉しかった。

そうそう忘れてはならないジブリ作品。「もののけ姫」が最高に好きで、それはきっと思うに、ゲーム「サムライスピリッツ」のナコルルに惚れた小学一年生のあの日から地続きになっているのだろう。アニメではなく漫画だが、「乙嫁語り」のアミルさんへの愛も地続きであるように感じる。しばらく「もののけ姫」のポスターを部屋に貼っていたなぁ。

そして今願っているのが、いつか「魔人探偵脳噛ネウロ」の完全版アニメを観てみたいということ。あぁ、いつか。願うならいつか。テレビ版? ……ははははは。ははははは。いつか観てみたいものである。



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■4月25日18時「マインクラフトは『遊び場を用意したから~」の方へ

いろいろ情報をいただきありがとうございます。マインクラフトは様々な遊び方ができる自由度の高いゲームなんですね。すごいなぁ、時代は変わったものだなぁ。

ふと、もしもM.S.S. Projectが音楽からスタートしていたら、今とはまた違った形で活動しているのではと思うことがあります。自分はゲームはどちらかと言うと観るよりもやりたい、けれども昨今はゲームそのものへの興味がさほどない、そんな人間です。よって、ゲーム実況への関心も必然的に高くないのですが、ゲーム実況という文化に育まれて生じたエッセンスは非常に魅力的に感じます。例えばライブのオープニング、幕間、CDに収録されている無駄トーク。サイゼリヤでドリンクバーを飲みながらだらだらする学生のような懐かしい空気。大人が全力で遊ぶ姿への憧れもありましょう。どれもいいなぁ、と思います。今後もライブや音楽、書籍で彼らの持つ独特の色合いを堪能していくつもりです。次回の音楽ライブの開催も楽しみにしています。