日記録0杯, 日常

2016年5月5日(木) 緑茶カウント:0杯

最近酔いやすくなったなぁ、数年前よりも呑めなくなった気がするぞ、と思っていたのだが、連日五百ミリのビールを五、六本呑んでも二日酔いにならないという事実が判明したので、意外とまだまだ呑めるのかもしれない。問題はペースなんだろうなぁ。ゆったり呑めば大丈夫なのである。

相変わらず「おそ松さん」にはまっている。先日、小学校の友人の家に伺い、お茶を飲みながら話す機会があった。もともとは昼食を食べに出かけようと話をしていたのだが、友人が出かけられなくなったため友人の家でお茶会をすることになったのだ。茶菓子を持って友人を訪ねると「ごめんね、急なお葬式があって家族が出払っちゃって」とのこと。友人の家はお寺であり、友人はお坊さんなのである。「夏休みはお盆、シルバーウィークはお彼岸があるから、忙しくない連休って行事のないゴールデンウィークくらいなんだけどごめんねー」と言いながらアールグレイを淹れてくれた。

友人は仏教で、自分は神道。互いの宗教観について話をする機会はなかなかないので、友人との会話はちょっとだけ特別だ。お坊さんの年間行事の話や檀家さんとのお付き合いについて聴くのは楽しい。

友人に「おそ松さんに滅茶苦茶はまっている」と言うと、「ウヲもなんだ! すごく流行ってるよね、周りにもはまってる人いっぱいいるよ」と話してくれた。そしていつだったか偶然テレビで「おそ松さん」を観たとき驚いたという話も。友人曰く、すごく早口に聴こえたそうだ。登場人物がすごく早口で喋り、言葉に言葉を被せていくスピード感に面食らったという。なるほど確かに。言われてみれば早口だ。

ちょうど前日十年ぶりくらいに家で「サザエさん」を観たが、彼らの言葉は非常にゆっくりだ。誰かが喋った後に、間を置いてから他の誰かが喋りだし、老若男女が聴き取りやすいように作られている。家族皆で観ることが前提に作られた「サザエさん」と、アニメに慣れた大人が観ることを前提に作られた「おそ松さん」。その違いが言葉のスピード感にも表れているのかもしれない。

酒が入らなくても話は弾むもので、四時間喋り通しだった。素面でもこんなに喋れるもんなんだねと笑いあいつつお寺を出て家に帰り、その日もビールを五本呑んだ。そんな連休を楽しんだのである。



未分類0杯, 100曲ライブ, 水戸華之介, 非日常

100曲ライブ最終日、ということで安定の澄田さん回である。内田さん回でテクノをやってから、何もアコースティックにこだわることもないと気付いた水戸さん。そのためか今回はアコギとエレキが半々ほどの構成で、新曲あり、定番曲あり、珍しい曲ありの大盤振る舞い。非常に盛り上がって非常に楽しかった!

五月十八日発売のニューアルバム「人間ワッショイ!」からは「生傷エトセトラ」「光あれ」「あるがまま」の三曲が披露された。「生傷エトセトラ」はDNAに刻まれた昭和歌謡を歌いたいという欲望が詰め込まれ、「光あれ」は予想外の展開に驚きを隠せない一曲。「あるがまま」は水戸さん曰くいつまでも歌っていたい曲で、皆が飽きてしまうので四番までしかないが、十八番まで歌えるそうだ。

新曲を歌うにあたって、アルバムを発売する前にバンドバージョンではない方を先に聴かせるのもどうかと迷ったそうなのだが、とにかく水戸さんがこの曲達を早く歌いたかったとのこと。ある曲などは風呂掃除のとき、風呂を磨きながらご機嫌で歌っているという。作者が何よりも気に入っているって良いよなぁ。

ちなみに新曲では「生傷エトセトラ」がすごく気になっている。早くアルバムを入手したい。

聴けて嬉しかったのは「銀の腕時計」「夜の行進」「天井裏から愛をこめて」「ミミズ」「地図」「見事な夜」。「雨のパレード」「バラ色の人生」も好きだ。「小さな罪の小さな罰」はぐっと来たなぁ。

「夜の行進」では学生時代の予想外のエピソードも。まさかあの曲があんな青春の思い出から作られていたとは……と驚きを隠せない。「風船」はものすごく好きな人が何人かいて、ものすごく熱く水戸さんに「風船」への想いを語ってくれたことが今までに何回かあったそうで、「そうかそんなに好かれているのか」と思ってやってみると反応がそうでもない……というコアなファンがついている曲だそうだ。

そしてもう一つ。「この曲のおかげで乗り切ることができた」などの熱い声が届くことのある曲……ということで始まったのが「地図」! うわーーーーー!!!! それ! そこまで熱くないかもしれないけど! 「地図」への想いは手紙に書いたことがある! はい自分です「地図」大好きな人間はここにいますよ水戸さん! と挙手しそうになりつつ拳をグッと握り締めガッツポーズをし、曲に聴き入った。

狭いライブハウス。水戸さんの指差すすぐ先には低い天井があり、ライブハウスの外は黒い夜空が広がるばかりなのだが、明るい真っ青な空が見える気がしてならなくなる。

「雨のドライブ」「雨のパレード」「夜の行進」「見事な夜」。水戸さんは、自分の曲には雨の曲と夜の曲が多いと話していた。夜型人間で、午前中は寝ているから昼の曲がないと冗談めかして語っていたが、己は水戸さんの声には青空のイメージも強くある。どこまでも広がって行ってどこまでも行けるような。そんなのびのびした力強さを感じる。それは、雨と夜の世界から抜け出した先のイメージを見せてくれているからかもしれない。

最後の曲を歌う前に水戸さんは熊本への想いを語った。熊本は青春に深く関連づいている土地で、思い入れも深い。それゆえに今回の地震にはとりわけ感じるところがあったと言う。そんな中で、デビュー前に初めて熊本に遠征した先の学園祭で、大いに盛り上がり気に入ってもらえた一曲「見事な夜」が演奏された。

水戸さんは歌う前に言った。「革命の歌なのでそぐわないかもしれない」「不謹慎に聴こえるかもしれない」と。だが、「今夜切り崩せ!」という叫びは、きっと現状を切り開く力になってくれると聴いている己は思った。

アンコールはコアなファンがついている「風船」、そしてダブルアンコールでは「涙なんか海になれ」が歌われ、明るく気持ちよく終わった。

最近水戸さんは野球に夢中になっているそうで、一時は遠のいていたのだが、選手を親目線で見るようになってから感情移入するようになったと言う。今日もライブが始まる前まで、野球の試合の行く末が気になって仕方なかったのだが、始まってみればすっかり歌に夢中になって野球のことなどすっかり忘れてしまい、そんな自分を偉いと自画自賛していたのがキュートだった。とはいえやはり気になっていたそうで、アンコールで楽屋から戻ってきた水戸さんはニコニコ笑顔。楽屋に戻っている間に試合の状況を確認したら勝っていたらしい。嬉しそうな水戸さんに観客も歓声をあげ、100曲ライブはハッピーに大団円で終わったのであった。

水戸さんは言う。春だけでなくこの100曲ライブを一年間ずっと続けてみたらどうなるかと。「いつまでついて来てくれるかな」「年末には三人しか残らなかったりして」と笑いつつ、ただやってみたいけど、やったらツアーが出来ないし、そしたら地方のお客さんに悪いし、ということで、もしやるとしたら機材車移動がつらくなった七十歳あたりだろうと。

そしたら己はきっと時間を見つけて通うだろうな。何より先のことを話してくれるのが嬉しい。どうか七十歳になっても八十歳になっても、その歌声を聴かせて欲しいと願いつつ、水戸さんが八十歳だと己は六十歳であることに気付いてふはっと息が漏れる。

あぁ、先はまだまだあるななぁ!



日記録0杯, 日常

2016年4月29日(金) 緑茶カウント:0杯

おはよう!! と、勢いよく挨拶する現在の時刻は三時半である。早朝というよりも深夜の。では、何故このような時間に「おはよう!」と言っているのかと言うと、起きてしまったからである。では何故こんな時間に起きてしまったのかと言うと、変な時間に寝てしまったからである。

まず昨日の朝六時に寝た。
そして十四時半に起きた。
その後十九時半に眠くなったので眠り、日付が変わって二時半に起きた。

八時間半睡眠をとった後、五時間後に寝て、五時間経って起きたということである。何だこの睡眠。何だこの生活。金曜日に起きていた時間が五時間しかないというのもすごい。すごいと言うかひどい。己は何のために生きているのだろう。

そして今はすっかり眼が冴えてしまったのでこうして日記を書いている。明日は朝から活動したいのだがいったいどうしたものだろうか。とりあえず寝てみようと考えている。



日記録2杯, 日常, 筋肉少女帯

2016年4月24日(日) 緑茶カウント:2杯

筋肉少女帯の新曲「週替わりの奇跡の神話」。発売されてからここ数日、何度も何度も延々と繰り返し聴いている。アニメ「うしおととら」のために作られた主題歌であるこの曲は、潮ととらの二人の関係性を歌うと同時に、「だけど変わらないあいつらいると言う ああ 時を超え生きてるからさ」と、物語が完結した二十年後にアニメとなって現代に蘇った「うしおととら」という作品そのものについても歌っているのが実ににくい。

そして特筆すべき点は、筋少にしては珍しく「永遠がある」と歌っていること。これは今までの筋少の歌詞にはなかったことだと思う。

「愛など存在はしない、この恋もどうせ終わるさ だが二人の出会えたきらめき」と歌う「きらめき」。

「いつか恋も終わりがくるのだから、一人ででも生きてけるように君の頭をよくしてあげよう」と歌う「香菜、頭をよくしてあげよう」。

「たった一つの輝きを失くしたとしても大丈夫、形が変わっていくだけさ」と歌う「ワインライダー・フォーエバー」。

永遠と思っていたものも、愛も恋もいつかは終わる。でも大丈夫だよ、と終わりがあることを受け入れさせ、声をかけてきたのが今までの筋少である。そんな中で、「永遠なんだと信じていたものもいつかは終わる、だけど変わらない絆がある」と歌う「週替わりの奇跡の神話」は異端な歌詞だ。永遠がないという前提を覆し、「ある」に転じる歌詞。「うしおととら」のための曲だからこそなのか、それともオーケンの考え方が変わったのか。

しかし。「永遠がある」と希望的なことを歌っているように聴こえるが、結局「奇跡の神話」の中にしか「変わらないもの」はないのであった。もっと言えば、物語の中にしか「永遠」はない。つまり、神話の外の世界である我々の世界は移ろい行くのが常であり、永遠など存在しない。ないはずの永遠があるからこそそれは「奇跡の神話」なのである。ギリギリを生きて、命を賭けてつるむほどのことをしなければ永遠なんぞ手に入らないのである。

オーケンは何も変わっていなかった。表現方法を変えただけで、今までと同じように「永遠なんて滅多にない」と歌っていた。ただ、表現方法が変わっただけで、「あるかもしれない」と錯覚しそうになるのである。その点で「週替わりの奇跡の神話」は、「ない」と言い切る他の歌詞よりも残酷であり、そして切ない。

だが、だからこそ物語の中の永遠が輝きを放つのだ。そうしてそれが、移ろい行く現実を生きるうえでの糧となる……が、輝きに目が疲れることもある。そんなときに己は「ワインライダー・フォーエバー」を聴いて足元を確かめ、コトコトコトコト歩き出すのである。

永遠は、神話の中にしかないのだ。



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■4月23日11時「はじめまして。ブログを拝読させていただいている者です。」の方へ

初めまして! 「あろまさんぽ」の零と肆の違いを教えていただきありがとうございます。あの後結局どちらを買おうか迷った挙句、どちらでもない「ZUTTOMO」の方を買うという迷走をしていたので情報をいただけてすごくありがたいです。なるほどなるほど。そういう違いがあったんですね。すっきりしたのでこれで安心して買えそうです。

「ZUTTOMO」の方はeoheohさんの中身が丸出しでびっくりというか、これまたジャンルがよくわからないハートフルな本でどのように受け取るべきか迷いつつ、すげー楽しそうだなー特にFBさん、と思いながら読みました。FBさんすげー楽しそうですね。あとところによってeoheohさんのモザイクがすっごく雑で笑いました。いいんだそれで……。