未分類0杯, 筋肉少女帯, 非日常

クリスマスを前にすると決まってカップルへの呪詛を聞く機会が増える。ある人は交際相手のいない自分をネタにする自虐ネタとして冗談交じりに、ある人は他者から無遠慮にクリスマスの予定を聞かれ笑われることへの不快感を走らせながら、またある人はカップルに呪詛を吐くことそのものをエンターテイメントとして楽しんで、とパターンは様々だ。同じく交際相手のいない自分はそれらの呪詛を傍で聞きクリスマスの予定を問われるも、いつも他人事のように思っていた。何でそんなに呪詛を吐くのだろうとすら思った。それはクリスマスを一緒に過ごす交際相手がいなくとも、己にとっては何のダメージもなかったからである。

しかしふと、十二月二十三日の祝日が今後、天皇陛下の退位とともに平日になる可能性があると聞いたときに、もしかしたらこの毎年恒例の楽しみがなくなるかもしれないと思ったときに、何とも言えない喪失感を抱いたのである。

そして思い出したのだ。クリスマスの予定を聞かれるたびに自分は決まって「筋肉少女帯のライブに行きます」と笑顔で答えていたことを。この毎年恒例のライブこそが自分のクリスマスとありがたく受け取り、ずっとそれを堪能してきたことを。

この楽しみが今後、なくなってしまうかもしれない。

クリスマスという大きなイベントに、何の予定もない虚無感。クリスマスソングが流れ、イルミネーションが輝く街並みに、手を取り合って楽しそうに浮かれ歩く人々。そんな華やいだ空気の中で自分だけが何の予定もなく、いつも通りの日常が淡々と流れている。それは交際相手の有無に関わらず、寂しさを感じても不思議でないことだろう。

そうか。筋肉少女帯のおかげで寂しさを感じる隙がなかっただけかもしれない。筋肉少女帯のおかげでたまたま恵まれていただけなのかもしれない。とすると、クリスマスを前に呪詛を吐く人々に対して己が何かを思うことなどできないよなぁ。

そんなことを考えながら、ゴトゴト電車に揺られ恵比寿へ向かう。財布の中にはツリーとオーナメントで可愛らしくデザインされた、いかにもクリスマスらしいデザインのチケット。しかしクリスマスとはどこにも明記されておらず、ライブタイトルすらない。だがこの日は会場に集うファンなら誰しも知る特別な夜で、いつものライブにはない様々な趣向が用意されている。筋少物販では数量限定の福袋が販売され、橘高さんの物販では終演後に橘高さんとドライブに行ける抽選会のチケットが配布される。開演前にはクリスマスソングが流れ、アンコールではおいちゃんと橘高さんが赤い帽子とリボン、ケープをそれぞれつけてサンタクロースに扮し、お菓子や飴を撒いてくれる。パッと空中に浮かぶ色とりどりのキャンディーに、わっと興奮して手を伸ばす人々。同じように手を伸ばしながら、その光景があまりにも幸せで楽しくて、たまらない気持ちにさせられるのだ。

オープニングSEはまさかの「イワンのばか」。ポコポコとイントロが始まり、「えっ、いきなりイワン?」とどよめくもメンバーはまだステージにおらず、録音された歌声だけが流される。これはどんな風に盛り上がれば良いのだろう……と困惑しつつ拳を振り上げているとメンバーが登場。ぎゅんぎゅんに圧縮され、人の頭に視界が遮られながらも必死に手を伸ばしオーケンの第一声を待てば……「お客様は、神様です!」 オーディエンス・イズ・ゴッドだ!

まだ新しい曲なのにもう懐かしさを感じてしまうのは、それだけ新譜「Future!」を聴き込んでいるからだろう。あぁ、それにしても嬉しい! 今日この日にこの曲をやってもらうと、何だかものすごく甘やかされている気がしてしまう。

セットリストは新旧織り交ぜたバリエーション豊かなもので、一回のライブでこんなに色々聴けて良いのだろうか……と贅沢さに頭がくらくらしそうになる。バッキーバッキードルバッキー! と拳を振り上げる「暴いておやりよドルバッキー」に、スタンドマイクの妖しさが際立つ「僕の宗教へようこそ」、特にこの二曲は「またライブで聴きたいな」と渇望していたものだ。あぁ、嬉しい、嬉しい!!

「カーネーション・リインカーネーション」の後のMCの終わりで、仮面ライダーの最上魁星の台詞をもじって「ファンキーファンキー、鬼ファンキー!」と高らかに演者であるオーケン本人のコールによって「暴いておやりよドルバッキー」が始まったときはニヤニヤしてしまった。最上魁星役、素晴らしかったなぁ。

「週替わりの奇跡の神話」では、最後に高らかと歌い上げる「不変の」の声が出なくて苦しんでいた頃が嘘のように、見事な声を響かせてくれた。オーケンが咽喉の手術を受けたのは去年の五月。回復してくれてしみじみ嬉しい。

「枕投げ営業」に入る前では、「枕、枕、枕、枕、枕……!!」と、枕とシャウトしまくり、こんなに言わなくて良いよね、と自ら突っ込むシーンも。「飛び散るそばがら~」は何度聴いても気持ちが良いし、「がんばるねあたし!!」を聴けば何度だって勇気付けられる。この曲、本当に大好きだ。

特別な一夜ということで、マイクを握ったおいちゃんによる「LIVE HOUSE」の熱唱も! おいちゃんの笑顔と分厚い歌声によって、わぁっと空間が華やぎ、オーケンとはまた別の色に染められる色彩の変化が目に楽しい。

「僕の宗教へようこそ」は中間の語りもバッチリで、オーケンの語りが大好きな自分としてはもう嬉しくてたまらない。うっかりアンテナを屋根の上に立てかける箇所を飛ばしかけ、どうにか軌道修正しきちんとアンテナを立てたあたりは見事だった。そしてこの曲の見所、オペラを歌ってくれるエディ! エディは定位置から移動しておいちゃんとオーケンの間に立ち、ぐっとマイクを握って高らかに雄雄しくバリトンを歌う。格好良い!

エディはオープニングSEの「イワンのばか」でもステージを走って横切ってオーディエンスを驚かせてくれ、「ディオネア・フューチャー」では橘高さん前まで降りてきて、オーディエンスに身を乗り出しながら「無意識! 電波! メッセージ! 脳Wi-Fi!!」と野太いコーラスを聴かせ存分に煽ってくれた。こんなにエディが前に出てきてくれることは珍しいのだ、そりゃもう興奮しないわけがない。まさかエディをこんなに近くで観られるなんて……。

ちなみに終演後に橘高さんの抽選会の列に並んでいたら、エディがふつーに出てきて颯爽と列の横を歩いて去って行ってびっくりした。一瞬脳が追いつかなかったがエディだった。びっくりした。びっくりした。

「俺の罪」はこの曲が大好きな長谷川さんへのクリスマスプレゼントとして演奏されるも、演奏するのはやはり長谷川さんというオチが楽しい。「いつもツーバスをたくさん踏ませてごめんなさい!!」というオーケンの謝罪に大笑いした。

今日はあえて「Future!」の曲は外してくるのかな? と思っていたところで「エニグマ」をやってくれて非常に嬉しかった。そうだよそうそう、今日この日に「トコイトコイ」と呪いの言葉を合唱する楽しさったら! スタンドマイクに寄りかかるように歌うオーケンに、グッと眉根を寄せて真剣そのものの表情でギターを弾く橘高さんの格好良さったら。張り詰める緊張感と、どんどん展開していく音楽の目まぐるしさ。渦に飲み込まれそうになる感覚が心地良くてたまらない。

がっつり盛り上がった後にしっとり始まったのは「夕焼け原風景」。あぁ、これも好きなんだよなぁ。まさかやってくれるとは思わなかっただけにプレゼントをもらった気分だ。優しいギターの音色に感じる郷愁と、よその家から漏れる晩御飯のにおいを嗅いだような、懐かしくも寂しい感覚。やわらかなオーケンの歌声も大好きだ。

そしてここから怒涛の展開。「T2」「オーケントレイン」「ツアーファイナル」「ディオネア・フューチャー」でオーディエンスも爆発し、もみくちゃになり半ばわけがわからなくなりつつも拳を振り上げる。「T2」のハンドクラップの陽気な楽しさに、「オーケントレイン」のどこか可愛らしいコール。あぁ、そうだ! 「ツアーファイナル」で内田さんのベースの存在感が際立つシーンがあって、そこを弾く内田さんの指の動きを見るのが大好きなのに、視界が阻まれて見えなくて残念に思ったんだ。惜しかったなぁ。

アンコールでおいちゃんと橘高さんがお菓子を撒いてくれ、ハッピーな空気になった直後に一転して「労働者M」が始まるあたり、何かこう、夢から現実へ力ずくで引き戻されて辛かった……。「労働者M」は格好良い曲なのだが、曲なのだが! アンコールでは聴きたくない曲である。曲を始める前に「久しぶりに家で聴いたら変な曲だなと思った」と笑うオーケンはキュートだったが。キュートだったが。

これも久しぶり、「トリフィドの日が来ても二人だけは生き抜く」! 植物に襲われて全人類が危機に晒されているにも関わらず、明るく多幸感に満ち溢れているのは、世界がどうなろうともこの歌の少女は確かに幸せを掴んだからだろう。世界がどんなに希望に満ち溢れていても、自分自身がそれを掴めていなければ幸福になりえないのと同様に。

最後の「サンフランシスコ」では、ぎゅんぎゅんに圧迫されつつも、ここで飛ばなきゃ終われない! と必死になって床を蹴って飛び上がった。青と赤の照明の中、スポットライトを浴びてベースを響かせる内田さんの見せ場は何度観ても惹き付けられる。格好良いなぁ。

印象的だったのは、橘高さんとエディのバトルの最中、上手の、ちょうど己の目の前に立ったオーケンが二人の演奏を眺めつつ、突然にこーっと楽しそうに笑ったことだった。それはもう、自然とこぼれてしまった笑みのようで、何だかとても嬉しくなった。

MCでは、エディが熱く仮面ライダーの感想を語る場面も。オーケンを知っているだけにオーケンを応援してしまったが、ちびっこにとっては憎い敵だよね、と話す。また、最後に変身して強くなったライダーに対して物申すエディが微笑ましかった。

ファンが作った今年一年の筋少ライブ一覧をまとめた紙を手に、この一年の振り返りを行うシーンも。しかしメンバーはほとんどライブの記憶が無いらしく、このままでは朝御飯に何を食べたか思い出せなくなる、翌年には朝御飯を食べたかどうか思い出せなくなる、さらに翌年には朝御飯を二回食べてしまうようになる! と畳み掛けるトークで抱腹絶倒。良い話をしているようで何も言っていないMCを演じる様子も面白かった。

かと思えば前回のライブのMCを引き継いだトークも。若い頃ツアーで博多に行ったときに、オーケンと内田さんの近所の地名と同じ「野方行き」と書かれたバスを見たと話すオーケンに、野方じゃなくて若宮だよと訂正した内田さん。このときオーケンは違うと思いつつもそのまま進行したが、家に帰ってから調べたところ「野方」という地名もあり、博多に「野方行きのバス」はあるが「若宮行きのバス」はない事実を突き止める。オーケンはコミカルかつ大げさな表情で、冗談めかしながら「あのとき本当はもうムカムカしていて、ブッチーンってなりそうだったけど、大人だから我慢したんだ!」と血管が切れる仕草までしつつ内田さんに力説。笑いつつ半ば圧倒されつつも「若宮行きのバスはない」という事実を突きつけられた内田さんは「ブッチーン!」と同じように血管が切れる仕草でオーバーに怒る真似をしていて、その様子が非常に面白くもあり微笑ましくもあり、五十代になってもこんな風に遊びあえる友人ってのは良いものだなぁ、としみじみ思った。

オーケンとおいちゃんがライブで徳島に行った話も面白かった。その会場の楽屋は普通のマンションの一室のようで、風呂もあればトイレもあるのだが、何故か電気だけ無いそうで、豆電球だけがぽっかりついているもののほぼ暗闇だったそうだ。その真っ暗闇の中一時間近く、おいちゃんは一人で出番を待たなければならなくなったそうで、あまりゲームをしないため詳しくないが、まるでバイオハザードのようだった、と語っていた。……すごい楽屋があるものだなぁ……。

毎年恒例の橘高さんのドライブに触れ、抽選に参加する男性ファンに言及するシーンも。ドライブ中の選曲は何か、ドライブ中に何を話すのかと尋ねるオーケンに、車内では自分の曲を流し、ロックの話をするよと答える橘高さん。そこへオーケンがそれではダメだ、と突っ込んでもっとムーディーにするよう熱く語れば、「ロックの話をしちゃいけないのぉ!?」と橘高さんが困惑していて面白かった。

この抽選会には自分も参加した。残念ながら当たらなかったが、なかなか面白い体験ができた。終演後スタッフの誘導を受けて列に並び、入ったのはさっきまで爆音が鳴り響き、オーディエンスが踊り狂っていた場所のちょっと手前の空間。あの熱気と興奮が嘘のようにシーンとした場所に、ガラガラーン、ボトッ、ガラガラーン、ボトッという音だけが寂しく響く。見れば列の先頭では福引のガラガラが回されていて、脇にはベルを置き当たりの玉が出るのを待つスタッフ。まるで商店街の一角だが、自分を含め商店街ではあまり見かけない人々が列を成している。金髪の人、黒ドレスの人、汗だくで髪がボサボサになっている人。彼ら彼女らがあのガラガラを回している。不思議な光景だった。

ガラガラを回して階段を上ればここにはまだライブの余韻が残っていて、飲み物を片手にライブの感想を語らう人、余韻に浸りながら煙草をふかす人、ドリンクカウンターに並ぶ人が大勢いる。夢の世界から商店街を経由して夢と現実の間に戻ったような心地がした。

さぁ、ここからまた現実に戻るのだ。しかしまた一月に会員限定ライブ、三月にもワンマンライブが予定されている。さらにその先の一年後の今日にはきっと特別な非日常が待っているのだろう。では、その先の十二月二十三日はどうだろう。

わからないが、ずっと続いて欲しいと思う。きっとこの日が心の支えになっている人は、大勢いるに違いないのだから。
それはもちろん、自分も含めて。


オーディエンス・イズ・ゴッド
カーネーション・リインカーネーション

暴いておやりよドルバッキー
週替わりの奇跡の神話
香菜、頭をよくしてあげよう

枕投げ営業
LIVE HOUSE(おいちゃんボーカル)
僕の宗教へようこそ

俺の罪(内田さんボーカル)
エニグマ
夕焼け原風景

T2
オーケントレイン
ツアーファイナル
ディオネア・フューチャー

~アンコール~
労働者M
トリフィドの日が来ても二人だけは生き抜く
サンフランシスコ

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日記録0杯, 日常,

2017年12月18日(月) 緑茶カウント:0杯

これはだね、ここ数年考え込んでいることだけれども、今も答えの出ていない話なのさ。それを前提に聞いて欲しい。

少食の人が外食で御飯を残すことは、責められることなのだろうか。

前提として、自分自身は「御飯を粗末にしてはいけない」と教育され、それを当然のものとし、食事の前には「いただきます」を、食事の後には「ご馳走様でした」と食に感謝することを習慣付けられ、出されたものは基本的に平らげ、それを当然のものとして生きてきた。

しかし、苦手な食べ物も多い。そういったものは一人のときには選ばず、同伴者がいるときには代わりに食べてもらうことを願い、叶わないときには我慢して飲みこみ、それで事なきを得てきた。運良く、己の苦手とする食べ物は他者にとっての好物であるパターンが多かったのが救いだ。

そして少食について、である。社会に出たとき、「もう食べられない」「ご馳走様」と言って食べ物を半分近く残す人を見てきた。そのたびに己は「みっともないなぁ」「こんなに残すなんて恥ずかしくないのだろうか」と批判的な眼差しを向けてきた。だが、歳を重ねるにつれ、徐々に受け取り方が変化してきた。この人達は、ある種のマイノリティではないのかと。

それはつまり、社会で一般とされる量の食べ物、それが適量ではない人達、という意味である。

このとき思い出したのは己が一人暮らしを始めた直後の出来事。我が家は四人家族で、父、母、自分、妹という構成であったが、父は単身赴任であるため家にいることが少なかった。母は料理上手で、子供達が「物足りない」と感じることに悲しみを感じる人だった。故に毎日食卓には主菜副菜、色とりどりの美しい料理が並べられ、その美味しさを当然の如く堪能していた。

しかし妹は食が細く、一人前を食べきれない。故に自分が妹の分も食べることが常であった。つまりいつも一人前以上の量を食べていて、苦しいと感じることも少なくなかった。母に食事の量を減らして欲しいと話したこともあったが、たまに妹も一人前以上食べることがある故に、誰かが飢えることを恐れている母は必ず家族の人数分の食事を食卓に上らせていた。

で、だね。大学に入ると同時に一人暮らしを始めたときのこと。「適量」と思う量を自ら作って食べるようになったら、一ヶ月か二ヶ月で七キロも体重が落ちたのだ。もともと標準体重の中ではあったが、そのランクの上位レベルから中位レベル程度に落ちたのである。

そしてこのとき、己は「適量」と感じる量だけ食べられることの幸せを知ったのだった。それは苦しくなく、ちょうど良かった。それまでの自分は腹がパンパンになるまで食べるのが普通で、ちょっと苦しい、と感じるのが当たり前だった。それが無くなったのは驚きであり、衝撃だった。

母を責めるつもりはない。実際、妹はイレギュラーに大量に食べる日もあって、それは予測のつかないことであった。子供を飢えさせたくない気持ちもわかる。同時に、母と自分に共通してあった、食べ物を粗末にしたくない気持ちも理解できる。

それらを通して思うのだ。誰か代わりに食べてくれる人がいない中で、少食の人が生きていくのにこの世の中はなかなか難しいのではなかろうか、と。

食べ物は残さない方が良い。しかし外食のたびに適量以上の量が出されるのが常で、食べ残せば「もったいない」「食べ物を粗末にしちゃいけない」と責められるのは結構な心理的負担だろう。それを回避するためには、外食のたびに「量を減らしてもらえますか」と打診せねばならぬが、それが通らぬこともあるし、いちいちそれを言わねばならないことも負担だろう。

当たり前のように食事を残す人を見て、「嫌だなぁ」と思う気持ちも正直、ある。しかし、残した食事を見咎めて「食べ物を粗末にしちゃいけませんよ」と責められ、いたたまれない顔をする人を悲しむ気持ちも同じようにある。そしてそれは、同じ場面で起こることなのである。

自分はたまたま胃袋の大きさが適当だっただけだ。とはいえ、食べ物を粗末にするにはよろしくない。その間で揺れ動いている。この感情に決着が着くのはまだまだ先だろうと思う。故に己は、嫌悪と寂しさと悲しさと困惑を抱きながら食事処に立っている。まだ、答えは見つからない。



日記録6杯, 日常

2017年12月17日(日) 緑茶カウント:6杯

急須がほっこり温かくて、時間を置いて手を乗せてもまだ温かくて、空の急須からじんわりと伝わる熱と、咽喉を通って胃袋に届く緑茶の熱い熱を感じて、六畳間にて一人、ほっとしたのであった。

傍らでは加湿器がしゅんしゅん沸いている。その横には買ったばかりのちょっと良いシャツが吊るされている。さらにその横に洗濯し、水分をまとった使い古しのタオルに寝巻き。それらに温かな風をあてるのは六畳間専用のエアコン。朝からずっと労働を余儀なくされ、文句も言わず働いている。

向かって左にはベッドがあり、その上に乗るのは太陽光をいっぱいに浴びたものの、寒空に放り出されて冷え切った布団だ。それも、エアコンの風を浴びてようやく温まった頃だろう。ほう、と一息つきながら緑茶をもう一口。熱湯を注ぐ気はなかったが、冷めるのを待てなかったために随分熱い。故に苦味が強いが、まぁ美味しい。

昨日は仮面ライダーの映画を観た。二回目だ。初回に比べ、登場人物の関係性や世界観の設定も理解が深まっていたためにより物語を楽しむことができた。面白かった。そしてこの日は何故だか早くに眠くなり、普段よりも随分早く、二十四時頃に布団に入り、うとうと眠って起きたのが九時。何と健全な時間だろう。驚愕しつつせっかくなのでと朝日に布団を浴びせ、洗濯をし、ゴウンゴウンと洗濯機の鳴る音を聞きながらトイレ掃除その他の諸々の用事を済ませ、昼には牛乳を飲みつつパン屋の美味しいパンを食べ、日が暮れる前に習慣にしている常備菜作りを終えた。

ぷかあ、と、己が煙草喫みなら、ここで一服楽しんでいるのだろうね。

代わりに湯船になみなみたたえた温度の水に体を浮かべ、はぁ、と息を吐き、そろそろ髪を切りたいなぁ、ついでにいっそ次は試しに金髪にしてみっかなぁ、と思う。風呂上りにはこの日拵えた様々な副菜と主菜を一つ皿に並べ、とっとっとっとビールを注ぎ、音の鳴らない乾杯で虚空を揺らす。ビールっつったら五百が当たり前だったが、このところは三百五十も呑みきれない日があって、それはとにかく疲れているから。疲労のあまりたかだか三百五十のビールに含まれるアルコールすらままならない。しかし今日は五百を三本呑んでもよゆーよゆー。あぁ、良い日だな。やはりビールの美味しさは健康のバロメーターだな、なんつって、人心地着いた後、こうして緑茶を片手に日記を書いている。先ほどよりも熱を失ったが、まだ急須は温かい。胃の底には茶葉を揺らして生まれたやわらかな香りの水がたゆたっている。あぁ、幸せだ、と胸に思って。



日記録0杯, 日常

2017年12月15日(金) 緑茶カウント:0杯

こはいかなる凶事ぞ。あれは五月のことである。大好きな筋肉少女帯のライブに参戦し、大いに盛り上がり、大いに楽しんだ夢のような日。その夢に溺れている最中、己は苦しみ喘いでいた。痛くて。辛くて。しんどくて。

何がって? 腕を挙げることが。腕を高々と掲げることが、さ。

そう。今まで何ともなかった「腕を挙げる行為」にしんどさを感じ、疲れに苛まれるほど己は体力を失っていたのである。

三十代。三十代だ。しかし三十代だ。そしてこの日自分が見上げていた、挙げた腕のその先にいる、ステージの上の人々は五十代だ。あの激しいステージを魅せてくれている人々は五十代なのだ。

ぜえはあと息を吐き呆然とする。いや、だめだろ。五十代の筋少メンバーがあんなに頑張っているのに、それを観ている自分が疲れ切って腕を挙げることにさえしんどさを感じていたらいかんだろ。三十代から体力は低下すると聞いたことはそりゃああるし、今まさに実感しているところだが、このままじゃあだめだろ、おい。

そう。己は筋肉少女帯のライブを観たいのだ。全力で楽しみたいのだ。体力を落としている場合じゃないのだ!!

ということで一念発起し体力づくりを始めたものの、うまい方法が見つからずこれがなかなか続かない。忙しさの波が来れば中断し、再開するもまた波が来て中断し、と中途半端な日々が続く。しかし諦めない。何故なら己は筋少が大好きだからだ。いつまでも筋少のライブを楽しみたいからだ!

そして最近、やっとコツを掴んで体力づくりを続けられるようになってきて、ちょっとずつだが筋肉がついてきた。先週のライブも疲れることなく腕を挙げきることができた。まだまだだが、ほんのちょっとだけ努力が実って嬉しい。

これからも頑張ろう。筋少のライブを楽しむためにも。筋少のライブを全力で楽しむためにも。

しかしまぁ、我ながら何だが、わかりやすい性格をしているね。ははは。



未分類

■12月4日17時「ありがとうございます。サイコキラーズ・ラブの考察で~」の方へ

あくまでも自分の解釈に過ぎませんが、お役に立てて良かったです。多分、言葉の面白さや語感を重視してあえて本来の用法を無視する、ということもあるんじゃないかなーと思います。あとは「ん?」と疑問に思う使い方をして心に引っかかるようにしたり。そこも含んで解釈を楽しんでみてはいかがでしょうか。

■12月10日23時「最近はやりの質問箱は~」の方へ

今のところ特に設置する予定はありませんが、もし何かしらの質問がございましたらTwitterかメールフォームをお使いください。答えられるものなら答えます。お気軽にどうぞ。

■12月11日21時「川崎参戦お疲れ様でした!音楽編OP~」の方へ

情報ありがとうございます。ライブのDVDに新曲が入っていると聞いていたのでそれだろうかと思っていたのですが、やっぱりそうだったんですね。「ReBirth」についてのお話も納得しました。確かに、人間でも歌いやすくできていますね。面白いなぁ。