日記録2杯, アルバム感想, 日常, 筋肉少女帯

2017年12月3日(日) 緑茶カウント:2杯

発売日から毎日毎日、憑かれたように聴き続けたのは筋肉少女帯の新譜「Future!」。「新人」も「シーズン2」も「蔦からまるQの惑星」も、「THE SHOW MUST GO ON」も「おまけのいちにち(闘いの日々)」も、それぞれ特別なアルバムであったが、中でもこの「Future!」は抜きん出た存在である。

その由縁は「告白」の存在が大きい。

実を言うとまず一回目に「Future!」を聴いたとき、「オーケントレイン」「ディオネア・フューチャー」の二曲がピンと来ず、「人から箱男」を聴きながら己は不安を抱いていた。ずっと好きだった筋肉少女帯。ずっとぐっと来ていた筋肉少女帯に、ついに「何か違う」としっくり来ない感覚を抱く日が来たのかと。それは怖くもあり寂しくもあり、悲しい予感であった。

若干ではあるが、発売前から「Future!」という明るく前向きなタイトルに違和感を抱いてた。自分はまだここにいるのに先を越されてしまったような不安感があった。「ゾロ目」で何度も何度も過去をやり直そうと、巻き戻そうとしていた死ぬ物狂いの執着を見せ付けられ、その力強さに励まされていたのに、それを提示していた人が過去を振りきり未来へ向かってしまう後姿を眺める寂しさ。一本指立てて目指す先にまでまだ頭を切り替えられない悲しさ。その先を明るく見つめることが今の自分にはまだできない、と感じさせられる苦しさ。故に、パッカリと口を開けて獲物を待ち構えるハエトリソウ・ディオネアの色鮮やかなジャケットデザインから、その指し示される「Future!」に、どこか不穏なものがあって欲しい、と願う気持ちがあった。

その寂しさの、悲しさの、苦しさによる霧がパッと晴れたのが「告白」だった。

筋少初のテクノサウンド、という今までの筋少には無い異色の一曲は、「世間」や「普通」がわからない人間を歌った曲だ。これを聴き、歌詞を読んだ瞬間の衝撃は忘れられない。誰もいない部屋で、「ありがとうオーケン」という一言が零れ落ちた。

自分は決して誰も愛していないわけではないし、その場をしのぐために感謝の言葉を紡ぐこともない。しかし、「告白」に描かれる人物そのままではないが、いくらでも身に覚えがある。空気を読んで調子を合わせて迎合しきった結果、上手に化けた結果仲間意識を持たれてしまい苦しみに苛まれる経験なんぞ何回あったかしれやしない。大切に思う人はいる。大事に思う人もいる。友人もいる。ただしいつまで経っても性愛がピンと来ず、必要性も感じない。男性も女性もそれぞれ違って、それぞれ異性であるように思う。だが、自分の世界に同性はいない。故に距離感を間違えて傷つけてしまったこともある。何でこうなってしまったのだろうなぁ、と悲しむこともある。

それを歌ってくれた気がした。この歌詞そのままに歌われているわけではないが、そういった、世間一般の感覚とのズレを抱いて生きている人々を歌ってくれているような気がした。このとき、「Future!」の捉え方がガラリと変わった。

この「人間モドキ」にも、過去に苛まれ悪夢を見る者にも、何かをやらかしてしまって許されざる者にも、悔いが残ってやりきれない者にも未来があって、それがどんな未来かわからないし、希望があるかもわからないけど先を目指そうと。でも、未練を断ち切れない人を無理矢理連れて行くことはしないと。そう歌っているのである。

目指す先が希望であるとは決して断言されていない。もしかしたら絶望かもしれない。絶望の果て、来世でようやくニコニコ暮らせるかもしれない。でも、それもわからない。

それでも未来を目指そうと言う力強さ。未来を信じろと言う心強さ。それは「オーケントレイン」から「ディオネア・フューチャー」へ引き継がれている。そしてまた、「ディオネア・フューチャー」によって描かれる未来のあたたかさと、そこに至るまでの辛さが描かれる。ディオネアの、ハエトリソウの、あのトラバサミのような口に包まれ、ドロドロに溶かされ、栄養となって吸収され、つぼみとなり、ようやく白い小さな花を咲かせるまでの未来。どんなに恋しい過去も、しんどい現在も飲み込んで、ドロドロに溶かし消化する時間を持って初めて白い花へと咲くことができる。そこに至るには時間がかかる。故に無意識をもって、電波によって、メッセージを送って、脳Wi-Fiを使って何度も何度もおせっかいを言い切る。「信じろ!」と。そのうえで進んでようやくだ、と。そうしてあたたかな未来を見つけたら、ギュッと抱きしめて放すなよ、と。

自分は決して絶望していない。日々の暮らしをコツコツと重ね、ライブに行き、好きな音楽を聴き、本を読んで絵を描いて、時に忙しさに眩暈を覚えながらも平穏に暮らしている。少しの運動と地味ながらも品数のある夕飯。好きなときに観られるDVDに好きなときに聴ける音楽。たまの外食に、のどかな時間。幸福だが、パートナーがいない、子供がいない点を持って、不幸と決め付け哀れみの眼差しを送る人間もいる。そういった眼差しを受けるにつけ、参ったなぁ面倒くさいなぁ、と嫌気が差す。

まるでね、そういった独り身の人間には何も未来がないような、ただここからだらだら生きて死ぬだけだ、とでも言いたげな、そんな空気を感じていたのさ、プレッシャーをかけつつ哀れみの眼差しを送る人間に。

でも、どんな人間にも、人間モドキにも未来はある、と断言してくれたのがこの「Future!」なのだよ。

「オーケントレイン」で己が一等好きなのは「とらわれちゃイヤさ」という歌詞である。「とらわれちゃダメ」ではなく「とらわれちゃイヤ」。「ダメ」は単に否定するだけだが、「イヤ」には過去に囚われている人を見つめて、「そのままじゃイヤだな、解放されてほしいな」という思いが乗っている。その気持ちを乗せて歌ってくれているのである。

「ハニートラップの恋」は何と言っても最後の二行に全てが集約されている。ここに至るまで、ハニートラップの女が今まで普通に恋をできなかったこと、その果てに死ぬ悲しさが描かれる。だが、この女にはヒモの男がいたのだ。うっとりとハニートラップを仕掛けた男と最期の恋を楽しみながらも、もともと彼女にはヒモ関係の男がいた。そして、このヒモの男が彼女と相手の男を撃ち殺して泣くのである。

何が悲しいって、このヒモの男にとって彼女は大切な人間だったが、彼女にとっては何でもない存在だったってことなのだ。それを思い知らされる寂しさと悲しさ。何だよこれ。ヒューヒューワーワー言っている場合ではない。

「3歳の花嫁」は力技で感動させられる曲である。これはすごい。最後まで聴いたところで父親への印象が覆ることはないのに、空に向かってちっちゃな手をひらひら振る女の子の愛らしさで涙腺が刺激されるのである。

「結婚式」という人生の中でも大きなイベントを父親と開くことになって、将来黒歴史にならないだろうか、大丈夫だろうかと不安が募る。この父親の愛は本物だ。本気で娘を大事に思っている。だからこそ、愛情表現のズレ方が怖い。いくら愛娘の願いを叶えるためとはいえ普通結婚式を挙げることなぞしないだろう。

だからきっと、この父親も世間一般の感覚とはズレた人間モドキなのだ。でも、娘のことは本気で愛しているのだ。

ふと思ったのは招待リストに逃げた嫁を入れようか悩むシーン。普通なら「おいふざけんな」と言いたくなるところであるが、この結婚式をきっかけに自分の余命を伝え、愛娘の今後を託そうとしたのではないか……とも考えられる。そう思うと、ちょっと切ない。

「エニグマ」はアルバムの発売前に公開されたため、発売前からエンドレスリピートしていた一曲だ。これについて己がすごいなと思ったのは「ガストンの身にもなってみろ!」という歌詞。これの由来は「美女と野獣」で、ガストンは村に全く別の価値観が投入されたことによって、最終的には命を落とす役回りであると言う。あると言う、と伝聞形式なのはアニメ「美女と野獣」を観たのが二十年近く前でほとんど内容を覚えていないからである。すまぬ。

ただ覚えていないながらもその説明を聞いて思うことは、オーケンは決してガストン系の人間ではないのにガストンに思いを馳せられる人であるということ。自分が今まで生きてきた世界に全く別の価値観を投入されたら対応できるか? 考えを変えられるか? もし自分がその立場だったらどうだろうか? という自問自答がここにある。

自分の大切なものを守るのはたやすい。感情移入しているからだ。しかし、自分がどうでもいい、興味がない、と思っているものを守るのは難しい。自分の場合はまず煙草に喫煙所、コンビニの成人向け雑誌も卑猥な雑誌もいらない。だが、あくまでも自分がいらないだけで、必要としている人もいる。そこに意識を向けるにはエネルギーが必要で、それを常々痛感している。

そういった「自分と違うもの」へ思いを馳せることもできる人なのだ、オーケンは。

「告白」については前にも語ったが、もう一つ語りたいのは最後のシーン。「ボクの告白は以上さ 紅茶が冷めちゃったね」「そうか君も同じなのか」で、舞台が喫茶店のテーブルであることがわかる。ここでさ、「そうか君も同じなのか」と言っているけれど、「君」はきっと、勢いに押されて「うん、うん、わかるよ。私もそういうことあるよ」と同調してしまっただけで、彼との同類ではない気がするんだ。

同じように「同類ではないのではないか」と感じるのが「サイコキラーズ・ラブ」。「サイコキラーズ・ラブ」はアルバム発売前にライブで演奏されラジオで流されと、耳にする機会が多い曲で、聴くたびにじっくり考え、聴く前からも既に聞いた人々の評判を聞いて期待に胸を膨らませていた。それはもう、実在のサイコキラーについて自ら調べるほどに! そうして調べて、思ったことがあった。

この歌で描かれているのは、サイコキラーじゃないのではないかな、と。

この曲は、人間モドキの女とサイコキラーの男の物語のように思う。虫や鳥や猫や犬や人を手にかけた男と、世間一般とのズレを抱く女が出会って、全てが一致しないながらも共鳴した。女は愛も恋もわからない。ただ寂しい。男も愛も恋もわからない。ただ生きづらい。そこに人間モドキが提案する。ずっと一緒に生きていこう、と。だからこそ、最後の二行の言葉が出たのではないか、と。

「わけあり物件」は優しい曲だ。物件は売りに出された瞬間は新築だったものの、年数を重ねるにつれどんどん価値が低くなる。ここにおいて抗う術はない。時間を巻き戻すしかないからだ。

だが、この曲で歌われる「曰く付き」の描写の何と優しいことだろう! 赤い血にまみれるならまだしも、涙を流す程度で曰く付き認定。つまり、物件になぞらえられる人間の、過去を持つ全ては必ず曰く付きであり、わけのない物件なんぞないのである。それこそ新築の、産まれたての物件以外は! つまり、人は誰しもわけありで、それを肯定しているのである。

誰かがではなく誰しもわけあり。こういった視点が優しいなぁ、と思う。

アルバムの最後の一曲「T2」はプロレスラー入江茂弘選手の入場曲として作られた。故に力強く、勢いがあり、格好良い。そのうえで、この「Future!」というアルバムから浮くことなく、最後の締めを飾るにふさわしい一曲として機能している。退路を断たれようとも、天使の羽をもがれようとも、見下されようとも前へと進む意志。曲中の「曼荼羅」は「悟り」に言い換えられるだろう。我々の結論は何だ、まだ悟っていないままか? 我々の結論は何だ? まだ悟っていないふりか?

「曼荼羅」について、旺文社古語辞典第八版によると「(1)多くの仏・菩薩を安置する祭壇 (2)(1)に祭られた仏・菩薩のすべての徳のそなわった悟りの境地を一定の形式で絵にしたもの」とある。悟ったか、悟ったことをなかったことにしたいか、それでもタチムカウか、未来へ向けて!

タチムカウしかないのだ、我々は。未練や執着があっても。美しい過去や忘れられない思い出があっても。ただ、断ち切れない人を否定もしない。抱えたままでいたい人も否定しない。ただ示すだけなのである。そして同時に、それは人間モドキにも掲げられる未来なのである。それが「Future!」というアルバムであり、だからこそ優しく鮮やかなのだ。よって自分にとって、かけがえの無いアルバムになった。

しかし、周囲を見渡してみるとこの「Future!」にショックを受けた人も少なくない。その理由をなるべく追うようにしているが、まだピンと来ない状況である。人によってはザックリと胸を抉られた人もいるらしい。何故だろうか。知りたい。知りたいが。面と向かって聞けないままでいる。だってそれは、心のやわらかい部分に触れる行為だから。

よって。多分この先も、ずっと。



日記録0杯, 日常

2017年12月2日(土) 緑茶カウント:0杯

いくらなんでも、ここ最近で悪化するにも程があるんじゃないか? と不安を抱いて門を叩いた本日。眼科の待合室で中島らもの「永遠も半ばを過ぎて」を読みながら、己はじりじりと時が来るのを待っていた。

結果。眼病ではなかった。しっかり検査してもらったが異常はなかった。ただ急激に視力が落ちただけだった。落ちた由縁はわからない。

眼科を出てその足で眼鏡屋に行く。最近はもう、パソコンに写る画面の文字を追うことすら苦難を強いられ、テレビを観るには三十センチの距離まで画面に近付かないと詳細がわからない。一メートルの距離では細かいところが何も見えないのだ。ちなみにこの眼鏡を購入したのは二年前。たった二年でここまで変わるか。

たった二年でここまで変わるか、と思ったのは、眼鏡屋の店員も同様だったらしい。「一気にここまで上げるのは禁忌レベルなのですが」「本来であれば、間にもう少し度の弱い眼鏡を挟んで、目が慣れてから希望の度数の眼鏡に替えるのが理想なのですが……」と言いよどむ。えっ。そこまで? 段階を踏まねばならぬほど己の視力は下がっているの? すげーなこれ。すげーな。

感心している場合ではないが、感心しつつ新しい眼鏡を作ってもらった。そうして眼鏡をかけてみてびっくり。快適な視界。鏡を見てびっくり。レンズを通して映る輪郭のズレッぷり。レンズが以前よりもだいぶ分厚くなるとは聞いていたが、ここまで印象が変わるとは。はー……。驚きながらしみじみ眺めた。

しかしここまで視力が落ちても問題なく生活できるとは。視力矯正器具の発達に感謝である。これがなければまともに生活することなどまず叶わないだろう。ありがとう眼鏡屋。ありがとうレンズ。おかげで今日も漫画と小説とアニメなどなど、いろいろな娯楽を楽しめる。至福。



日記録0杯, 日常

2017年11月28日(火) 緑茶カウント:0杯

じぃ、とハサミを見つめながら考えること数秒。結局手に持つそれを使用することになるのであるが、できることなら使わないでおきたい、と思うのは自分が花粉症だからである。

まつげ。目に入るほこりやゴミを防ぐための防御壁、フィルター、ガーディアン。長ければ長いほど、量が多ければ多いほど良いとされ、マスカラにまつげパーマにつけまつげにまつげ美容液、眼科に行けばまつげを伸ばす専用薬が販売され、非常にありがたがられているまつげ。しかし同じような機能を持ちつつも、全く別の扱いを受けている体毛がある。だって鼻毛パーマもつけ鼻毛も鼻毛美容液も、ましてや鼻毛を伸ばす専用薬なんぞもこの世には存在しないのだ。

長ければ長いほど良いまつげとは対照的に、ただの一本でも見えていたら哀れみの眼差しを受けてしまう体毛・鼻毛。こっそりと「伸びてますよ」と耳打ちされたり、黙って手鏡を渡される名前を言ってはいけない毛。

我思う。この鼻毛こそ、長ければ長いほど美しいと世間一般に認識されていたら、と。どうしてか。何故なら自分は花粉症だからだ。花粉症だからなのだ!

伸びたら困る故に切る。エチケットだから切る。しかし、切ったら確実にくしゃみが増えるのである。鼻がムズムズするのである。即ち、防御壁が、フィルターが、ガーディアンが薄く弱く頼りなくなり、外敵の進入を許してしまうのである。そう、花粉という外敵を! ちくしょうめ、花粉症でさえなければ何も気にする必要がないのに、何だって鼻毛に対して「惜しい」という感情を抱かねばならぬのだ! 悔しい! 悔しいがわかっている! 絶対に伸びっぱなしにしていた方が楽なのだ! 花粉症患者としては!!

あぁ、自らの首を絞めねばならない悲しさよ。だが仕方がない。黙ってそっと手鏡を渡される哀しさを己は避けたいのだ。
そうして眉間に皺を寄せながら、仕方なくハサミを取るのである。あぁ。



未分類0杯, M.S.SProject, 非日常

昨日は居住まいを正してオーケストラを聴き、今日はペンライトを振り回してライブを楽しむ。音楽を楽しむ点こそ共通するものの、随分色が変わるものだ、とその違いの楽しさを噛み締めながらふわふわと帰路に着いた。

もしかして新譜発売記念ツアーかしらん、と期待したもののそういった告知はなく、しかしライブがこうして定番化したのは嬉しいなぁ、と思っていたら新曲発表のサプライズがあり、いやーもうこういうのってどうしたって嬉しくなっちゃうからね。きっくんの発表にわあっと盛り上がって、黄色に輝くペンライトを高々と掲げたのだった。

いろいろな意味で面白いライブだった。それは個人的なことも大きく影響する。ちょうど一ヶ月前に筋肉少女帯の新譜「Future!」が発売され、それから家にいる間は寝るときと風呂に入るとき以外、ひたすら「Future!」を聴き続ける生活をしていた。移動中もエンドレスリピートしていて、「Future!」以外の曲は何も耳に入らない状態をほぼ一ヶ月間続けていた。それはそれほどまでにそのアルバムに魅入られ取り付かれたためであるが、ふと冷静になってみるとまるで中毒患者の如く夢中になって聴き続けていたと思う。

そうして昨日、平沢進の楽曲をカバーするオーケストラに行ったとき。久しぶりに「Future!」以外の曲を聴いて、ざぁっと景色が広がるような、かつては知っていたのにすっかり忘れていた色彩を思い出したような、不思議な感覚に囚われたのだ。あぁ、そうだ、自分はこういった音楽も愛してるんだ! と視界が開けた感覚があった。

しかし家に帰ってからはまた「Future!」「Future!」「Future!」で、お前は中毒患者か何かかよ、といった勢いでエンドレスリピートし、今日、M.S.S. Projectのライブに行って。オープニング映像でわははと笑い、ほほうとゲーム実況を眺め、幕間動画で「わかるわー川崎と言ったらヴェルディ川崎を連想するわー」とうんうんと深く頷き、音楽ライブが始まった瞬間。パキッと目の前の空間にヒビが入り、ガシャンと勢い良く割れて、「あ、そうだ、これ! 好きなやつだ!!」と世界が広がる感覚を抱いた。それはまるで洗脳を解かれたかのような感覚。いや、洗脳されていたわけじゃあないんだが。好きな音楽を自発的に聴いていただけなのだが。ただ、あまりにも囚われていたので。

一つのアルバムに囚われている状態で他のミュージシャンのライブを楽しめるだろうか、という小さな不安が胸の底にあったが、杞憂であったとわかって嬉しい。そうだ、そうなんだ。自分は好きなものをいくつも持っていて、その一つを堪能できる日が今日なんだ!

屈託なくわははと笑えるのはとても幸せなことだと思う。特に今回のライブのオープニング映像は実に凝っていて素晴らしかった。メンバーのそれぞれが担当の色を持つM.S.S. Projectは確かに戦隊もののそれに似ている。しかしまさかあそこまで本格的に、着ぐるみの怪人と爆薬を用意して演出しようとは誰が想像できただろう! 各人が変身するときの決め台詞も面白く、中でもeoheohの「自然が憎い! グリーン!」という台詞には腹を抱えて笑ってしまった。変身して衣装をチェンジしたのに、もともと着ていた衣装がきちんとハンガーラックにかけられていて、変身を解くために普通に着替える演出も面白い。あの草がわさわさ生えた空き地にハンガーラックが置いてある光景だけでも笑いを誘うのに、時間をかけていそいそと着替えるシーンが挿入されては笑わないわけがない。

オープニングの後はゲーム実況タイムへ。今回プレイされたのはドット絵が懐かしいアクションゲームと「地球防衛軍」の二つ。アクションゲームの方はプレイしたことこそないものの、慣れ親しんだ画面だったため楽しんで観ることができた。キャラクターを選択し、四人同時に戦って勝者を決める単純な内容だ。最初はサッカーの会場が舞台で、ゴール前でサッカーもせず殴り合いをするなんて不思議なゲームだな……と思っていたら、シュートを決めたら他のプレイヤーにダメージを与えられるシステムだとわかりびっくりした。なるほど、ちゃんと意味があったんだな。

二つ目のゲームは「地球防衛軍」。これは十年ほど前に友人の家で観たことがあってぼんやり知っている気分であったのだが、思っていたのと全然違うゲームでびっくりした。記憶では人類が巨大なアリに立ち向かうゲームだったような気がするが、アリもいるがもっとすごい化け物もいて、人類の方も何か格好良い姿になっていて、「あれ? どっちかって言うとカルトなゲームだと思っていたけどもしかして違うのか……?」と混乱した。

ゲーム実況が終わり、メンバーがステージからいなくなると幕間動画へ。以前にも書いた記憶があるが、こういう動画を用意してくれるのは非常にありがたい。待ち時間にも楽しませてくれようとする彼らのサービス精神に感謝である。

内容は川崎のヒーローと怪人を各々作り、勝者を決めようというもの。あろまほっとが描いたのは干し柿を持ったラガーマン、KIKKUN-MK-IIは右肩に川崎フロンターレ、左肩にヴェルディ川崎のマスコットをつけたラモス瑠偉。あー、小学校の頃ラモスの大ファンだったんだよなぁ自分……としみじみ。で、この二名がヒーロー。怪人を描いたのはFB777とeoheohで、FB777はやたらパースのきいたかりんとう饅頭の化身に、eoheohは湘南の……言わぬが花でしょう。「(モチーフに)有名人多すぎねぇ!?」という突っ込みがなされ、様々な裏切りの挙句、最終的に勝ったのはあろまほっとの描いたヒーローだった。ちなみにこのヒーローにも「けんぷファー」というモチーフがあるらしいが、詳しくないのでわからなかった。

そしてついに、音楽ライブへ! ちなみに本日のセットリストはこんな感じだ。わからないものもあるがご容赦を。


かっこいいインストゥルメンタル(知らない曲)
ENMA DANCE
ボーダーランズのテーマ
Egoist Unfair
THE BLUE

Glory Soul
Phew!
KIKKUNのテーマ

WAKASAGI
ReBirth
M.S.S.Party
M.S.S.PHOENIX(新曲)

~アンコール~
L4Dのテーマ(ダンス)
M.S.S.Phantasia
We are MSSP!


全体的に定番曲で固められたセットリストであったが、その中に「WAKASAGI」「ReBirth」、そして新曲「M.S.S.PHOENIX」があったのが嬉しい。二曲目の「ENMA DANCE」ではあろまほっととeoheohによるマリオネットのパフォーマンスも。

「ボーダーランズのテーマ」はライブでしか聴いたことがないのにコールの一部を覚えてしまった自分自身にびっくりしつつ、思いっきりペンライトを振り、「ぶっとばせーー!!」と叫ぶ楽しさよ。そうだそうだ、ぶっとばせー!!!!

「Egoist Unfair」を聴いて思ったのは、初めてライブで聴いたときよりもずっと声が出るようになっているなぁ、ということ。嬉しい発見である。これはどうにも歌いにくそうな印象があったのだ。

「THE BLUE」で視界が青色に染められるのを楽しみつつ早口の初音ミクの歌唱に聴き入る。この日自分は二階席で、「立ち上がらないでください」と指定された位置であったために腰を下ろしたまま観戦していて、立ち上がりたい衝動に何度駆られたかしれないが、この美しいペンライトの海を堪能できるならまぁいいか、とも思った。

「Glory Soul」はあろまほっととeoheohが剣を取って戦う演出があり、実に海賊らしくて格好良かった! 映像演出も素晴らしい。ステージに設置された大画面に映るのは舟の舳先と大海原に、青い空。まるでステージが甲板であるかのように見えるのだ。いいなぁ、こういうの。楽しくならないわけがないよなぁ。

「Phew!」では一転、草原が映し出され、パントマイムを演ずるあろまほっとeoheoh、そして最後ゾンビに襲われる二人。襲い掛かるゾンビが映像に映し出されることで、この和やかで楽しい曲がゾンビ曲だったことを思い出す。しかし何でこれがゾンビ曲なんだろうなぁ。

毎度お馴染み「KIKKUNのテーマ」はいつだって楽しい! 黄色いペンライトを振って「きっくん! きっくん!」と叫ぶときの多幸感! シンプルイズベストってこのことだなぁ、とつくづく思う。特にきっくんファンにはたまらないだろうなぁ。

「川崎」に似ている曲を……ということで始まった「WAKASAGI」は、己の大好きな一曲で、今日この日にフルで聴けたことがたまらなく嬉しい。「M.S.S.Phantasia」が発売されたとき、何度エンドレスリピートしたことだろう! この曲の他には何も音楽を知らない、と思われるほど聴いていた。キュートな歌詞とFB777の伸びやかな歌声がたまらなく心地良いのだ。

前半は声が出づらい様子もあったが後半はのびのび歌っていて、あぁ、聴けて良かったなぁ嬉しいなぁ……と思っていたら「ReBirth」まで! これも大好きで、初音ミクの歌声を今まで「音」と感じていたのに、「声」として聴き取った初めての曲なのだ。この曲のとき、あろまほっととeoheohが絵を映し出す光る棒をくるくる回していて、その演出がまた可愛らしくて、心がふわっとなった。

「M.S.S.Party」で盛り上がり、本編最後の一曲は新曲「M.S.S.PHOENIX」。曲に入る前にきっくんが新曲の披露をサプライズで発表しようとしたものの、うっかり自分で曲名をバラしてしまうシーンがあり、FB777がフォローすることで時間を巻き戻す寸劇も発生して微笑ましかった。「M.S.S.PHOENIX」はきっくんの曲かな? ロックテイストの楽曲に思えた。

アンコールでは驚いた。拍手に呼び込まれステージに登場するサポートメンバー。真っ暗な視界。しかしいつの間にかM.S.S. Projectのメンバーもステージに待機していたらしい。パッと放たれるスポットライトの中心にFB777、KIKKUN-MK-II、あろまほっと、eoheoh。そして四人が息を合わせて踊り出す! わっと湧き立つ会場! 「ゾンビ!」と叫ばれる合いの手! これには本当にびっくりした。

彼らが音楽ライブとは違うライブを行っていることは知っていて、そこでダンスを披露していることも耳にしていた。しかしそれを目の当たりにしたのは今日が初めてで、ゲーム実況と言うインドアな取り組みからスタートしたとは思えない動きとアクション。一挙一動が全て揃っているわけではないものの、ここに至るまでの努力を思うと計り知れないことは予想される。だって、己は彼らとほぼ同年代で、ここ最近がっつり体力の低下を感じているんだぜ。すごいよ、本当に。

「M.S.S.Phantasia」で楽しく盛り上がり、「We are MSSP!」で締め。毎度のことながら、カラフルなテープがバーンと空間に放出され、舞い落ちる様のなんと美しいことか。二階席の目の高さまでテープは昇り、その影は脇の壁に色濃く映った。揺れながら落ちる影を目で追って、カラフルに染まる会場を見下ろして、あぁ、綺麗なものを観ると心が洗われるなぁ、と思った。

最後は写真撮影をしておしまい。あの写真に写る光の一粒が、もしかしたら自分かもしれない、と思うと嬉しい。名残を惜しむようにステージに残ったメンバーは客席に結んだタオルを目一杯投げた。eoheohとKIKKUN-MK-IIのタオルは二階席に届かんばかりの勢いで、それを目で追うのも楽しかった。

ということで非常に楽しかったのだが、一つだけ、一つだけ! あろまほっとさん、あの、下顎なくなったじゃないですか。いや、チャンネル放送で下顎がなくなった件は知ってたのだが、生で改めて見るとやはり寂しい。いやでも髪型変えるようなもんか。改造だもんなぁ。

そのうえで気付いたこと。あれは般若というよりも骨に近い印象を己は抱いていたらしい。言うなれば、ポケモンのカラカラのような。漫画「BLEACH」のアランカルの面々のような。顔の上に乗るドクロの仮面。あれが実に格好良いなぁと思っていたようだ。そうして今、下顎が無くなってちょいと寂しいなぁと思っている。人間の顎を覆う骨の顎、あの構造って結構魅力的じゃあないかしら。そんでもって今の下顎を落とした姿は、般若と言うよりもマスカレードのそれのようで、また印象が変わるなぁと感じるのである。

ちなみに自分は週に一度一週間分の常備菜を作ることを習慣にしていて、その際にM.S.S. Projectの面々が飲み食いしながら喋っている動画をラジオ代わりにすることが多い。調理にはおよそ二時間かかるので耳で楽しむのにちょうど良いのだ。あの動画、良いよね。



未分類0杯, 非日常

還弦主義8760時間という、ヒラサワ自身の楽曲をシンフォニックにアレンジするプロジェクトで発売されたアルバム、「突弦変異」と「変弦自在」。この二枚はオーケストラテイストでありながらも演奏するのは機械の演者。人間による生演奏を想定していないそれは「できるものならやってみろ」と言わんばかりのアレンジで、無限に鳴らされるシンバルに半笑いになりつつ魅了されたのも記憶に新しい。

その「できるものならやってみろ」に応える人々がいようとは、いったい誰が想像できただろうか。

「Switch On! Orchestra」はヒラサワの楽曲をオーケストラで演奏してみたい、とアマチュアファンが集まって試奏会を企画したことから始まったそうだ。その人数は百名を越え、ステージにずらりと並ぶヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバス。フルート、オーボエ、クラリネット、ファゴット、サックス。ホルン、トランペット、トロンボーン、バストロンボーン。テューバ、打楽器、ピアノ、ハープ、筝、二胡、三味線、エレキギター。エレキベースにドラムに電子バグパイプ。そして天井まで聳え立つパイプオルガンと、ソプラノ、アルト、テノール、バスのコーラス隊。よくここまで集まったものだなぁとしみじみする。

通常のライブであればステージには演者がいて、ステージを見つめるファンがいる。しかし今回ステージに立っているのはファン、ステージを見つめるのもファンで、演者の家族を除けばほぼファンしかいない空間という密度と熱量。ヒラサワへの愛を放出する演者とその愛を受け取るファン。常にはない面白い構図である。

場所は所沢市民文化センターミューズアークホール。駅から銀杏並木を十分ほど歩いてすぐのところにあるホールだ。自分はライブには頻繁に行くがオーケストラを観たことはほとんどなく、のだめカンタービレの知識しかない。よってまず、建物の内装の違いに面食らった。おお、正面にパイプオルガン、そして両脇に天使の像。いつも見ている聳え立つマーシャルアンプの壁とは全く違った光景だ。

プログラムは第一部と第二部で分かれ、第一部はアニメ作品からのサウンドトラックメドレー。Amiga起動音の再現というニクイ演出から始まり、一曲目は「山頂晴れて」! ここでうっかり、あの音を聴いた途端ガバッと条件反射で拳を振りぬきそうになってグッと全身に力を込めて席に縮こまった。危なかった。ここはライブハウスじゃなかった。

ちなみに自分は前から四列目の席だった。かなり前だがステージよりも低い位置なため全体を見渡しにくかったのが惜しい。会場にもよるかもしれないが、オーケストラのコンサートは前方よりも後方からの方が見やすそうだ。

演奏が始まり最初に思ったのは「音が小さい」ということだったが、それはライブハウスの爆音に慣れているからだろう。だが、「ASHURA CLOCK」と「MOTHER」は曲調もあって迫力があり、音の強弱も激しくて聴いていて実に楽しかった。躍動感がたまらない。

コーラス隊はもともとの楽曲にあるコーラスを再現することもあれば、楽器としての声の役割に徹しているシーンもある。歌詞を歌っていたのは「Sign」と「現象の花の秘密」だったかな。歌詞を歌っているときはノリノリで、楽しさが溢れんばかりの表情になっていて微笑ましかった。あぁ、大好きなんだなぁ。

上記の「Sing」「現象の花の秘密」のような例外もありつつ、基本的にヒラサワのボーカルパートはなく、ボーカル部分はヴァイオリンなどで再現されている。そして聴きながらふと思ったのは「SWITCHED-ON LOTUS」から切なさが消えているということだった。歌詞が頭に再生されるのに、堂々としていて格好良く聴こえるのだ。今まで「SWITCHED-ON LOTUS」をインストで聴いたことがないだけに気付かなかったが、これは曲だけ抜き出すと「格好良い」印象を与える曲なのかもしれない。

そういった小さな発見も嬉しい。

「ASHURA CLOCK」から「Timelineの東」に移ったときの曲調がガラリと変わる感覚が楽しい。この会場にはヒラサワのファンだけでなく、演者のご家族もたくさん来ているようだった。己の隣の席のご夫婦もお子さんの晴れ姿を観に来たようだ。指で丁寧にプログラムを追って、どの曲を演奏しているのか把握しようとしている姿が愛おしい。この方々にとっては、もしかしたら今日この日がヒラサワ楽曲との初対面かもしれない。オーケストラを組んで演奏したいと思うほど好きな楽曲のそれぞれを知ってどんな印象を抱いただろうか。興味深い。

演奏だけでなく、差し込まれる小ネタも素晴らしかった。演奏終了後にステージ袖から現れたのは、まさかの会人のマスクを被ったスーツの男。抱えたダンボールを指揮者の志村健一氏に指し出し、蓋を開ければ中から出てくるのはスプレー缶、そしてハエの舞う音! 志村氏がスプレー缶を握り、ステージを舞うハエの音に向けて噴射する遊び心。そしてさらに、もう一つダンボールが運ばれ、開けてみれば見事に再現された銀色のノモノス! ここでも志村氏が「ハーンド、マイク★」と声高らかにノモノスを天へ掲げてくれた。何て良い人なのだろうか……。

「CHEVRON」での「ギュィイイイイイン」という音の再現も素晴らしかった。つくづく、ステージ全体を見渡せなかったことが悔やまれる。細かい音の一つ一つがどの楽器から、どの動きから発せられていたのかこの目で確認したかった。楽器に詳しくないため、気になる音があってもそれがどの楽器のものなのかわからないのだ。

全体を通して耳に残った軽やかな「ポンポンポンポン……」という音がすごく好きだったのだが、あれは何の楽器だったのだろう。鉄琴か木琴か、そういった楽器のような気がするのだが、わからない……。

そういえばオーケストラと馴染みが薄いため、指揮者とはこんなに頻繁に出たり入ったりするものなのか……という驚きもあった。忙しくて大変そうだ。

いつかヒラサワの楽曲を本物のオーケストラで聴いてみたい、と夢のように思ったものだが、まさかその夢が現実になるとは思わなかった。それは同じように、いつかヒラサワの楽曲をオーケストラで奏でてみたい、と夢のように思った人々がいたからで、それを夢に留めない実行力があったからだ。これだけの人数を揃え、準備を整え、開催までこぎつけるのは並大抵のことではなかったに違いない。

次があるなら次は是非、有料での開催を。今度こそお金を払って観せていただきたい。



【第一部】
Switch On!
AmigaOS4.0起動音

山頂晴れて

千年女優メドレー
~千代子のテーマ
~縦列風
~Run
~ロタティオン[LOTUS-2]

パプリカメドレー
~パレード
~暗がりの木
~逃げる者
~追う者
~白虎野の娘

妄想代理人メドレー
~夢の島思念公園
~幸福
~勇者
~夢の島-期待
~白ヶ丘-マロミのテーマ

【第二部】
ベルセルクメドレー
~Sign
~Ball
~BEHELIT
~Monster
~Fear
~EARTH
~BERSERK -Forces-

賢者のプロペラ
SWITCHED-ON LOTUS
ハルディン・ホテル

Aurora3
CHEVRON
ASHURA CLOCK

Timelineの東
現象の花の秘密
幽霊船
クオリア塔(HG-G)

ナーシサス次元から来た人
万象の奇夜
MOTHER
WORLD CELL

~アンコール~
現象の花の秘密(観客のリクエスト)
バンディリア旅行団