2019年9月7日(土) 緑茶カウント:0杯
ここ数年で気付いたのだが、己はそこそこ裕福な家に生まれ、それを意識せず育ったらしい。
そして、それに気付いたことはどちらかと言うとショックであった。何故なら、己はごく平均的な家庭に生まれ育ったと信じていたので。
とはいえ平均があれば平均の上も下もあるのだ。テストの点と同じようにね。
地方の田舎の一軒家に住んでいて、父は三十の時にローンを組んでこの家を買った。母は専業主婦で、毎日美味しい料理をたっぷり作ってくれた。幼少の頃は親戚より仕立ての良い服を贈られ、それを着ていた。海外旅行に行ったことこそなかったもののサッカー観戦に家族で出かけ、時には旅行をしていた。週に一度は外食に出かけ、ちょっと良いレストランかリーズナブルなファミレスで団欒を楽しんでいた。中学の頃、当時では最先端のパソコンが自宅に会ったのは己ともう一人のクラスメイトだけだった。インターネットの接続料に月三万円かかったが、親に苦い顔をされたものの止められることはなかった。
高校と大学は私立に行き、一年間浪人もした。妹は高校は県立に、大学は私立に行った。奨学金をもらったものの、その大部分は卒業後に親に補填してもらった。曰く、己と妹の在学時期が重なる頃は家計が厳しかったが、卒業後には落ち着くので、もともと学業のお金は出すつもりだったのでまとめて返済しなさいとのことだった。ちなみに己も妹もそれぞれ別のアパートを借りて一人暮らしをし、仕送りをもらって生活していた。重なる時期は二年あった。
今思えばよくもまぁここまでお金を出せたものだと感心しつつ、それを当たり前のように受け、当たり前だと思っていたことが恐ろしく感じる。大学を卒業し、社会に出てそろそろ十年か。お金を稼ぐ大変さを知り、やりくりの苦しさを知り、最近はやっと余裕が出てきたものの、人の話を聞くたびにいかに自分が恵まれていたかを知ることが増え、そのうえで、寂しさと正体不明の負い目を感じる。己はただただ、運が良かっただけなのだ。
それは、運が悪いと言ったらあれだが、己にとっての当たり前が決して当たり前じゃなかった人の話を身近で聞くようになったからだ。そうしてそれが苦しいからだ。では、じゃあどうするか。その答えはない。ただ、自分の境遇を当たり前と思わず、驕らず、感謝して、ただただラッキーだったと知って、前へと進んで行こうと思う。
己はただ、ラッキーだったのだ。