日記録1杯, 日常

2014年4月10日(木) 緑茶カウント:1杯

表示の可否を選べるので、「表示させるな!」と設定しているにも関わらず、卑猥なゲームや漫画の広告がチラチラ表示されて腹が立つ。可否を選べないなら甘んじて受け入れるが選ばせておいてこれだから腹が立つ。どいつもこいつも肌色の上に脳みそがパーになったようなコピーばっかりである。水かぶって頭冷やして服を着なさい! お前ら!

妙なものをクリックした覚えは無いので、使用者の巡回内容に関わらず自動的に配信される広告だと思うが。もう少しどうにかならないものかね、WEB拍手さんよ。困ったものだよ本当に。



日記録2杯, 日常

2014年4月9日(水) 緑茶カウント:2杯

最初の頃こそ本とにらめっこしながら筋トレをしていたのだが、いつしか流れも覚え、型も覚え、本を見ずに行うようになり、そうしたらやはり、崩れていたんだなぁ。型が。

久しぶりに本をしっかり読んでやり直したら疲れること疲れること。いかに自分が意味の無い動きをしてしまっていたかを実感した。基本に立ち返ることは大切だ。改めて知った今日であった。

忙しさにかまけてすっかり鈍ってしまったし、やり直すぞ。これから。



日記録3杯, 日常,

2014年4月8日(火) 緑茶カウント:3杯

つらつらと日記を読み返してみたところ、二ヶ月ほど前の日記にお浸しの便利さに感動する記述を残しているのを見つけた。そうか二ヶ月前か。

あれから二ヶ月経ったが、今も毎日己はお浸しを食べている。

日曜日にいそいそと野菜を茹で、水を切り、タッパーの中のだし汁に漬けて冷蔵庫にゴー。それから四日はみずみずしい野菜を堪能出来る。かつおぶしと醤油で味わうのはもちろん、うどんに乗せても美味しいし、スープに入れれば緑鮮やか。スナップエンドウ、菜の花、ほうれん草、小松菜の登場頻度が我が家では高い。特にスナップエンドウはほぼ毎週買っている。何て美味しいのだろう!

お浸しを二種類作り、皿に盛り付ければそれだけでちょっとしたボリュームになる。サクサクパリパリ、シャキシャキむしゃむしゃ、口の中では愉快な歯ごたえ。これさえあれば忙しくても何とかなるような気さえする。流石にそれは錯覚だが。

今、我が家には小松菜のお浸しがたっぷりある。それとスナップエンドウのお浸しが少し。タッパーを開けるたびに幸せな気分になる。すっかりファンになってしまったなぁ。大好きだ。



日記録3杯, 日常

2014年4月7日(月) 緑茶カウント:3杯

何故なのか。吉だろうか大吉だろうが末吉だろうかいつだって同じ。いつだって来ない。いつだって待ち人はやって来ない。手にしたおみくじには「大吉」と書かれていたが「待ち人」の箇所には「さわりあり、来らず」。吉だろうか大吉だろうか末吉だろうかいつだって結果は同じ。待ち人は必ずやって来ない。

そしてその日も友人は待ち合わせ場所にいなかったのだった。

とはいえ今回は体調不良とのことなので仕方が無い。確かにそれは「さわり」である。納得だ。体調不良にも関わらず付き合ってくれたのだから有難いことだ。山まで登ったしあっちこっち行って実に楽しかった。桜も綺麗だったなぁ。しかしそれにしても、それにしても遅刻の常習犯の多いこと。ドタキャンの少なくないこと。大吉のおみくじを眺めつつ、これは良い結果と言えるのかと考え込まざるを得ない。大吉のわりに嬉しくないぞ。

後日、「待ち人」とは文字通りの意味ではなく、恋愛や人生の転機に関わる人、という意味であることを知ったが、己に限っては、この「待ち人」は文字通りの意味では無いかなぁ、と思う。ちなみに友人はおみくじを引くといつも安産が出るそうである。友人は男性である。いつか何か面白いものを生むかもしれない。



日記録1杯, 日常

2014年4月6日(日) 緑茶カウント:1杯

おー石段があるー結構急だけど上ってみようぜー、そんな軽いノリで上り始めた石段の先には神社があり、さらにその先には見晴台への道が続いていて、せっかくだから上ってみようぜー、とそんな軽いノリで上り始めたら、いつの間にか登山になっていた。

友人と二人。群馬県富岡市の妙義山の中之岳神社にて。そのときの我々の服装は、薄手のパーカー、ボディバッグ、スニーカーというごく軽装。そして上から下りてきた年配の二人組みは帽子にリュックサックにウインドブレーカー。きちんとした登山の格好であった。

石段は途中から自然の力強さを残した岩を敷き詰めて作られた坂道になり、土が崩れかけた丸太階段に変わり、また岩の道になり、足元は悪く、段差も多く、おい、これは、もしかしなくても我々は、いつの間にか舐めてかかった登山客になってしまっているのではないか? と、自問せざるを得ない。

ゼエゼエと息を切らせながらようやく到達した見晴台からの景色は絶景で、周囲の山々を見下ろせる視界から、自分達は本当に山を登ってしまったことを把握した。見下ろせば地上ははるか彼方。ちょっとふざけて背後から驚かしたりしたら殺人犯になれる場所。青い空は美しく、空気は冷たく、咽喉は水分を求めていて、ひとしきり休んだ後、我々は注意深く段差を踏みしめながら元来た道を引き返した。

思わぬ過酷な歩行である。これは明日、ひどい筋肉痛が訪れるかもしれないと覚悟した。まぁ、筋肉が作られるならそれも良かろうと甘んじて受け入れる覚悟をして眠ったのが土曜日のこと。だが、日曜日を迎えた今日、筋肉痛はやって来ず、足がつったり手がつったりする以外、体に特に異常は無かった。何故だろう。普段、あんなに坂道を必死に歩くことなど全く無いのに。

そして思い当たったのは、あぁそうだ。坂道は上らなくとも、己はしょっちゅう、二時間三時間ノンストップで飛んだり跳ねたりしていたのだった。それもぎゅうぎゅうづめという過酷な状況の中で、拳を振りつつ、声を上げつつ。ライブのおかげで少しは足腰が鍛えられていたのかもしれない。これは思わぬ恩恵だ!

なーんて言って、明日やってきたら笑えるのだがね。