日記録0杯, 日常

2017年1月7日(土) 緑茶カウント:0杯

運動不足の自覚もあるしちょいと散歩をしてみるか。さて、それではどこへ向かいましょうと思案して、ひたすら道なりに直進することを決める。とにかくここから行けるところまで行こうじゃないかと一心不乱にすたすた歩き、おやびっくり。辿り着いたのは普段全く違う道を通って行き着く図書館。己の頭の中の地図ではこの図書館の位置はここではなく、己が選んだ道の向かって九十度の方角にあるはずなのに何故ここに辿り着いてしまったのか。まさかこの図書館が我が家から直線距離にあろうとは全く予想だにしなかった。不思議なもんだなぁ。

顎を撫で首を傾げつつ先へ行く。ここまで約二十分。

そうしてさらに歩を進め、一心不乱に進んで行って驚いた。一時間歩いて辿り着いたのは大学時代に通った弓道場で、当時は弓道場を中心に、今の自宅とは反対方向に住んでいた。今の家から当時の家まで行くには乗り換えが数回必要で、弓道場も同様だ。故にもっとずっと遠くにあるものと思っていたが、まさかこの弓道場が今の我が家と一本道で繋がっていたとは。

卒業以来弓には触れておらず、弓道着も弓懸も押入れの奥。もしかしたら腐っているかもしれない。しかし一時間かけて歩けばまたここに通うことが出来るのか。そう思うと少し楽しい。

弓道場の看板をつくづく眺め、くるりと踵を返しUターン。元来た道を足早に歩き、灯りを落とした図書館の脇を通り過ぎ、家に帰ったのは十八時。およそ二時間、十キロの散歩はなかなか愉快で、気付かぬ繋がりには温かい気持ちにさせられた。今度図書館に行くときにはこのまま真っ直ぐ進んで行こう。弓をとることはないだろうが、またあの看板を見に行くのも楽しいかろう。思い出の場所も意外と近くにあるもんだ。



日記録6杯, 日常

2017年1月3日(火) 緑茶カウント:6杯

小学校からの友人が迷いながら「お年賀に」と渡してくれたお線香。友人の家はお寺であり、生粋のお坊さんである。対する我が家は神道の家系で、ずっと神主のお世話になっている。我が家のお墓にはお線香をあげるスペースはない。榊の枝を振り、お米とお塩を供える祭壇と神様を祭る神棚だけ。しかし迷いながら、「調べたけれどもわからなかったんだ」と言いながら我が家のためにと渡してくれたお線香。こんなにありがたいものはないだろう。友人に礼を言いお線香を受け取った。外箱からもかすかに良い香りが漂っていた。

友人は今度結婚し地元を離れる。自然会う機会は減るだろう。友人は離れた土地に住む。そしてこの土地には空き家空き部屋空き店舗が少しずつ少しずつ増えていく。寂しいと思うが己はこの土地から十年も前に離れており、感傷を抱くのは年に二回だ。誠に勝手な話である。だってこの土地に己は何も責任を持たないから。たまに帰って寂しさを感じるだけだから。よって身勝手と知っている。しかし寂しい。友人は語ってくれる。3月のライオンのアニメ、今も主人公はつらい境遇にいるが、これからさらにしんどい展開が待っていると。さらにその辛さを襲うのは作中の数少ない癒しである貴重な三姉妹の家であると。マジかよマジかよマジかよ!!!

「マジ勘弁してくれ」「しかしそうなんだ」と言葉を交わし帰路に着く。友人は今度結婚する。次回会うのは式場だろう。小学校一年生、六歳からの友人はすっかり大きく育った。お線香の香りを嗅ぎながら駆け回った時代を思う。あぁ。会えて良かった。

その後も続けよう。交流を。必ずや。



日記録6杯, 日常

2017年1月2日(月) 緑茶カウント:6杯

笑え笑え笑え。ここで笑えば一生楽に生きられる、言わばここが己の登竜門だ、と思うものの笑えず居間に気まずい空気が流れる三十歳。笑いたい。笑いたいのに笑えない。

家族と観る正月番組。流れるお笑いの方々。コント、漫才、自虐ネタ多種多様。その中でどうしても笑えないのは下ネタと、三十歳を超えて一人で生きている女性の言わされているような自虐ネタに、セクハラにあったと思われる人を自意識過剰と断定し、笑いに転ずるネタ。特に最後の一つ。決してそんなことはないのだが、「不細工」と世間から認定され、自らその立場を狙っている芸人が、男性に色目を使われ傷つき、傍らの女友達が庇うことで滑稽さを演出するネタ。これを己は笑えるだろうか。これを笑ってしまった途端、容姿に自信がないながらも、本当に困っている女性を窮地に追いやることになるまいか。これは本当に笑ってしまって良いネタなのか? まるで、美人以外は自意識過剰で、救われる必然がないと語っているようだぜ。

笑うとは難しい。年配のキャリアを積んだ芸人による若い女性タレントへのセクハラめいた芸。起こる笑い。彼女達は何を思ってここに座っているのか己にはわからない。仕事とわりきっているのか、芸人をリスペクトして楽しみながら混ざっているのか、嫌々やっているのかわからない。しかし彼女達はきっと大人と称され愛されるだろう。だが自分は困惑し、笑えず画面を睨むのである。

笑え笑え笑え。あけっぴろげな下ネタも、性器の話も何もかも笑え。その瞬間きっと自分は楽になれるのだ。その瞬間周囲の人々にほっとしながら招き入れられるのだ。わかっている。きちんとわかっている。しかし未だ笑えない。だって、楽しくないから。

笑え笑え笑え。念じつつ笑えない画面により感じる距離。これが世間との距離なのか。苦さと共に味わう正月の悲しさである。笑え。



日記録4杯, 日常

2017年1月1日(日) 緑茶カウント:4杯

こういうことは年始ではなく年末の方がふさわしいと思うものの、去年一年がどんな年であったか気になったので日記をもとにざっと振り返ることを試みよう。そこで特筆すべき記事のみ抜粋し簡単に一言添えたのが以下である。これが己の昨年一年だ。

■1月

  • 他人の石橋を叩くな
  • 「慎重」を美徳と信じ、「orange」のスペルや祝日がいつかなど、調べればすぐにわかることを何でもかんでも他人に確認し他人の時間と労力を奪う人間に対する苛立ちを心を込めて書き連ねている。ちなみにこの問題は依然解決されていないが、ストレートに「まず自分自身を確認してください」「辞書を引け」と告げ、追い返すことで心の平穏を保っている。辞書大事。

  • ぼくはここで見ていよう
  • この一年は四人の友人から奥方の妊娠と出産の報告を受けた記念すべき年である。そんな友人達がだんだんと違う環境に身を置いていくことに対する思いと自分自身の生き方についてつらつらと語っている。そういえば騙し討ちのように縁談を進められそうになったのもこの年だったか。今となっては懐かしい。

  • 己にとっての「やおい」の変化
  • あることをきっかけにやおいに対する嫌悪感が消えた話。これは貴重な体験だった。

  • 一松事変の感想
  • 今もこの話を観てゲラゲラ笑っている。どうやら自分は登場人物が絶叫しているとそれだけで笑えてしまうらしい。にぼしを食べて殴られるというシチュエーションも最高に楽しかった。

  • 青山にて
  • 水木しげるのお別れの会に行ったのは一月だったか。寂しかったなぁ……。あの人は例え亡くなっても、妖怪になって生き続けてくれるから大丈夫、と思っていたが、喪失感は計り知れなかった。


■2月

  • いっそ、粉になるまで
  • 長年愛用していた急須が壊れ、せっかくだから良い急須を新調しようかなーとわくわくしていたくせに、瞬間接着剤で応急処置を施した急須をそのまま使い続けている話。
    ちなみに未だにその急須を使い続けている。本当に粉になるまで使ってしまうかもしれない。

  • 半世紀!
  • オーケンの五十歳の誕生日を祝っている。この絵は確か「蔦からまるQの惑星」が発売された頃に描いたものだっただろうか。今年は五十一歳か。素晴らしい。

  • ぐったりしたよ、流石にこれは。
  • すっかり忘れていたが、このサイトが突然壊れてURLを叩いても何も表示されず、管理画面にも入れないトラブルに見舞われていた。あれは実に恐ろしかった。趣味の記録が一瞬にして灰燼に帰すのである。泣くかと思った。泣きかけた。

  • 時間の共有と趣味の共有の二日間
  • 好き好き大好き
  • この二つの日記では友人への愛を語っている。つくづく思うに、己は実に恵まれている。


■3月

  • 二十万円で、歯
  • 祖母からもらった二十万円を何に使うか悩みに悩み、銀歯を保険適用外の白い歯に変えた話。これは本当にやって良かった。奥歯なので目立たない方だったが、やはりコンプレックスだったのである。しみじみと嬉しい。

  • 何を見たのか、その人は
  • ベクシンスキーの絵を見た人に「ウヲさんみたい!」と朗らかに言われたこと。まぁ好きだから良いか。

  • さらば寝不足の日々
  • 深夜アニメ「おそ松さん」が最終回を迎えたことで、寝不足から解放された話である。思い返すに、楽しいながらも体力のきつい日々であった。あれからもう半年以上経つが、未だに週に一度はおそ松さんのアニメを観ている。こんなにはまるとは思わなかったよ。

  • 建て替えるそうだ、アパートを
  • アパートの建て替えにより退去を求められた話である。そういやそんなこともあったな。


■4月

  • 20×5=100 LIVE with 内田雄一郎
  • 水戸さんの百曲ライブのゲストがベーシストの内田さんで、しかし奏でられるのはベースではなくテクノサウンド。それだけでも驚きだが、まさかその後テクノのソロアルバムが発売されることになろうとは夢にも思わなかった。てっきりベースソロアルバムだと思っていただけに仰天したものだ。購入が楽しみである。

  • 「筋少さん松り」あとがき
  • エイプリルフール企画後日談。この企画は筋少好きにもおそ松好きにも楽しんでもらえたようでとても嬉しかった。今年は何をやろうかな。

  • 祭りの後
  • 漫画「聲の形」に興味を示しているが、結局まだ読んでいない。アニメジョジョ四部スタートにわくわくしているのが我ながら微笑ましい。ジョジョ……素晴らしいアニメだった……。

  • アパートの建て替えと契約と
  • アパートの退去と契約内容変更を求められるも、不動産屋の態度が曖昧で悩んだ話である。結局大家の都合で建て替えは先延ばしになり、退去の必要はなくなったものの、こういうときどこに相談すべきかわからず困りきったことを覚えている。法律を勉強している友人に相談先のアドバイスをもらったため何とかなったのが救いである。

  • 濃い一日
  • 友人の結婚式へ参列するため大宮に行き、そのまま筋少のライブを観るため恵比寿へ移動し、さらにライブ後友人に誘われて上野に移動して呑み会に参加した。濃いも濃いが移動距離もすごい。

  • 永遠は神話の中だけに――「週替わりの奇跡の神話」を聴いて
  • 奇跡の中に永遠はあると歌う「週替わりの奇跡の神話」は、永遠を「ない」と言い切る他の歌詞よりも残酷で切ない、という感想。


■5月

  • 部屋いっぱいのキンカン
  • もらいもののフレーバーティーが何故かキンカンの香りで、部屋中がキンカンの香りに包まれた話。ちなみにこの数ヵ月後、誤って正露丸を部屋にブチ撒けて一ヶ月近く部屋が正露丸の匂いに包まれたこともあった。

  • 今日は……帰りたくない気分なんだ……
  • 玄関に平和が訪れた
  • この二つは玄関先にスズメバチの巣が作られた話である。これほど家に帰りたくない日はなかったかもしれない。

  • 楽しい図書館
  • ちょうどこの頃は図書館通いにはまっていて、毎週二つの図書館を行き来していた。今は熱も落ち着いて必要なときにのみ出かけている。

  • 「ドラ松CD」の違和感と困惑の味わい
  • このアルバム、そういえばあれ以来聴いていないな。やっぱり全然別物だよなぁあれは。
    次に発売されるドラマCDは脚本家がアニメと同じなので楽しみである。絶対に買おう。


■6月


■7月


■8月


■9月

  • ごきげんよう!
  • 疲れ切って半ばヤケッパチになりながら日記を書いている。疲れているなら日記を書かずにさっさと寝るべきと思うのだが、吐き出さないことには眠れない日もあるものだ。

  • 蝸牛
  • 玄関ドアーに貼りついていた蝸牛の思い出。今も思い出すと少し寂しくなる。

  • 重陽の節句
  • 重陽の節句だよ。

  • 暗証番号よ、ごきげんよう
  • 所有しているクレジットカードの暗証番号を十年近く知らなかった。我ながらどうかと思う。
    だが、何とかなるものだ。


■10月

  • NATOとKGBと冷戦と戦車と鬼
  • 漫画「エロイカより愛をこめて」にはまり、既刊全巻購入したのはこの頃か。しかし読み終わるのがもったいなくて三冊残して読み終わったところばかり読み続けている。あぁ、「竜馬がゆく」もそうだった。あれも読み終わりたくなくて最終巻を読み終えていないのだ。いつか読もう。きっと。

  • 千葉県佐倉市、佐倉駅
  • 鎌倉で呑んで電車で寝過ごして千葉県佐倉駅に下りて呆然とした話である。今まで一駅程度乗り過ごしたことはあったがここまではなかったため呆然とした。恐ろしい体験だった。

  • ソフト、ハード、ソフト
  • コンタクトレンズをハードからソフトに戻した経緯について。ハードを長年使い、ソフトに戻してわかったのは、己の眼球にはハード・コンタクトレンズが徹底的に不向きだったことである。あの目薬が手放せない日々は何だったのか……。

  • 汝、我が民に非ズ(町田康プロジェクト)
  • 町田康大好きです。

  • バーサス・G
  • ホウ酸団子を仕掛けてからゴキブリと無縁の生活を再び手に入れた。大事だな、ホウ酸団子。


■11月


■12月

日記録0杯, 日常

2016年12月31日(土) 緑茶カウント:0杯

にゃあ、と鳴いて猫が膝の上に乗る。レースのカーテンから差し込む日光が背中を暖めるも冷え切った部屋。しかし猫はお構いなく椅子に座った己の膝の上でゴロゴロと咽喉を鳴らし、左腕と脇腹の隙間に鼻先をぐいぐいと差し込んで、空間の全てを埋めようとする。

ぴっちりと閉じられた腕と体の間に猫の寝息が差し込み、ぷう、ぷうと熱がこもる。膝と腹と腕だけが温かく、床に接した爪先は冷え切っているが動かせない。自由な右手で猫の背を撫でると心地良さそうにゴロゴロと咽喉を鳴らし、寝ながら鼻先をぐいぐい押し付けてくる。

これが幸福なのかしら、と凍えた爪先をすり合わせながら思った。十一歳の飼い猫はぐんぐんと全ての隙間を埋めてしまった。己は本を読みたかったが手を伸ばせず、代わりに彼女の背を撫でていた。外からは車の走る音が聞こえていた。