笑え笑え笑え
2017年1月2日(月) 緑茶カウント:6杯
笑え笑え笑え。ここで笑えば一生楽に生きられる、言わばここが己の登竜門だ、と思うものの笑えず居間に気まずい空気が流れる三十歳。笑いたい。笑いたいのに笑えない。
家族と観る正月番組。流れるお笑いの方々。コント、漫才、自虐ネタ多種多様。その中でどうしても笑えないのは下ネタと、三十歳を超えて一人で生きている女性の言わされているような自虐ネタに、セクハラにあったと思われる人を自意識過剰と断定し、笑いに転ずるネタ。特に最後の一つ。決してそんなことはないのだが、「不細工」と世間から認定され、自らその立場を狙っている芸人が、男性に色目を使われ傷つき、傍らの女友達が庇うことで滑稽さを演出するネタ。これを己は笑えるだろうか。これを笑ってしまった途端、容姿に自信がないながらも、本当に困っている女性を窮地に追いやることになるまいか。これは本当に笑ってしまって良いネタなのか? まるで、美人以外は自意識過剰で、救われる必然がないと語っているようだぜ。
笑うとは難しい。年配のキャリアを積んだ芸人による若い女性タレントへのセクハラめいた芸。起こる笑い。彼女達は何を思ってここに座っているのか己にはわからない。仕事とわりきっているのか、芸人をリスペクトして楽しみながら混ざっているのか、嫌々やっているのかわからない。しかし彼女達はきっと大人と称され愛されるだろう。だが自分は困惑し、笑えず画面を睨むのである。
笑え笑え笑え。あけっぴろげな下ネタも、性器の話も何もかも笑え。その瞬間きっと自分は楽になれるのだ。その瞬間周囲の人々にほっとしながら招き入れられるのだ。わかっている。きちんとわかっている。しかし未だ笑えない。だって、楽しくないから。
笑え笑え笑え。念じつつ笑えない画面により感じる距離。これが世間との距離なのか。苦さと共に味わう正月の悲しさである。笑え。