日記録0杯, 日常

2017年8月8日(火) 緑茶カウント:0杯

嬉しいことは重なるもので。待ちに待った新作! 筋肉少女帯の新譜が十月発売と発表されるや否や、十月から始まる「おそ松さん」第二期のエンディングテーマの作詞をオーケンが担当するとの報せが舞い込み、麻の着物をもらった太宰治じゃあないが、十月まで生きようと強く思う次第である。そもそも、死ぬ気なんざちゃんちゃら持ち合わせていないのだが。

新譜については予想と希望が入り混じった思いを抱いていた面もあったが、後者については驚いた。1966年生まれのミュージシャンによる「ROOTS66」とのコラボで、オーケンもその一員、つまり六繋がりの縁である。去年のエイプリルフールに「アニメだよ!筋少さん松り」というおそ松さんと筋肉少女帯がコラボ、という設定で嘘サイトを作ったが、あれを作ったときにはこんな日がくるなんて、全く予想だにしなかった。自分の好きなものと好きなものが繋がるのは嬉しい。

待ち遠しくも遠い十月も、大人の時間の流れの中であればきっとあっという間に訪れるだろう。時が過ぎる早さに唖然とすることもしばしばだが、まれに大人ならではの特権として輝いてくれるのも乙なものだ。来るべき十月。きっとすぐにやって来る。



日記録4杯, 日常

2017年8月6日(日) 緑茶カウント:4杯

シュルシュルと伸びる蔦はついに階段を上りきり、ぴょこりと天を指差すように玄関前で佇んでいた。毎日毎日、帰宅してカンカンカンとアパートの外階段を上るたび、少しずつ生長する黄緑色の蔓草を見た。鈍色の外階段にシュルシュルと絡まり、薄汚れたアパートの灰色の壁を這うように上る鮮やかな色が楽しくて、階段を上りきった様子を目にしたときはまるで幼子の成長を喜ぶかのように声をかけてやりたくなった。

頻繁にではないがたまに大家さんが草とりをしているらしく、朝にわっさわっさと繁茂していたドクダミが夜には綺麗サッパリなくなっていることがある。きちんと手が入れられているのはありがたい。だが、いつかこの愛らしく伸びる黄緑色の蔓草が忽然と姿を消し、曇った外階段と壁だけが残される日を思うと寂しい。故に、余計に愛着が出てくる。玄関の扉を開け、きつい日差しに眉をしかめつつ「やあ」と挨拶でもするように伸びる黄緑色を見ると「あぁ良かったまだいたね」と安心する。そして帰り道、朝よりもほんの少し伸びた黄緑色を見つけると嬉しくなる。「あぁ良かった、まだいたね」。

いっそこの小さなアパート全体が黄緑色で覆われてしまったらさぞや愉快だろう。蔦からまる鈍色の階段を踏みながら思い描くは鮮やかな色。ふっふっふっ、と笑みがこぼれた。



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■8月1日7時「お誕生日おめでとうございます!」の方へ

遅くなってすみません、ありがとうございます! 今年も無事歳を重ねることができました。



日記録4杯, 日常

2017年7月31日(月) 緑茶カウント:4杯

たまに、何でこの人はこんなに好いてくれているのだろうと不思議に思うことがある。例えばそれは毎年毎年、欠かさず誕生日プレゼントを贈ってくれる人、好きだよという言葉を目一杯伝えてくれる人に対して。そうして自分は、その人達に対していったい何ができているのだろうと思う。

それは自信の無さの表れかもしれない。その自覚はある。自分自身を過小評価するゆえに、自分ができることは誰しもできる些細なつまらないことと考え人を傷つける、そんな失敗もしたことがある。褒められても素直に受け取れず、自己卑下ばかりするのでせっかく褒めてくれた人をがっかりさせたり、面倒くさがらせてしまったこともある。今はそれを知ったため、褒められたことは素直に受け取って礼を言い、過剰に自己卑下しないように努めている。自信過剰になる必要はないが、自分自身しか持ち得ないもの、秀でているものもきっとあるのだ。

それでもたまに、その降りそそがられる愛は己にとって適切なものだろうか、と思うことがある。愛を全身に浴び、ありがたく思いつつ、何故この人はこんなにまでしてくれるのだろうと不思議に思う。そのぼんやりした表情をその人はどんな面持ちで眺めているだろう。

願うのは失望させたくないということ。報いたいということ。対等でありたいということ。しかしなかなか、まだ気持ちが追いつかない。



日記録2杯, 日常

2017年7月30日(日) 緑茶カウント:2杯

スポーツを観戦しながら熱心に応援している人は今までに何度も見たことがあるが、口汚く罵倒し続ける人の姿を見たのは初めてで、己は面食らったのだった。

例え自分のことではなかろうとも、罵声というものは聞いていると嫌な気分がするものだ。商店街の外れにある小さな電器店の前、道路に面して設置せられた大きなテレビの前でその男性は声を荒げていた。己はその向かいの店に用があって曇り空の下ポテポテ歩いていたところで、「ざまあみろ!!」「下手くそが!!」「死ね!!」と叫ぶ声を聞き、何か事件か何があったかとびっくりして声の主の方に目をやって、ただ野球観戦をしていただけ、ということを知ったのであった。

その声は電器店の向かいの店に入ってからもしばらく聞こえていて、それを聞きながら買い物をしつつ抱いていたのはじんわりとした違和感と嫌悪感。この人を見たのは初めてだが、よく来るのだろうか、店の人も困るだろうなぁと思いつつ気付いたのは、罵声を放つ男性の視点である。大概スポーツ観戦をするときは贔屓のチームに感情移入をして、彼らに対して声をかけるだろう。ところがその人は終始相手方のチームに対して声を挙げ、ひたすら罵倒し続けている。攻守交代も関係なく、視線の先はひたすら相手方のチームで、ただただ彼らのミスをあげつらい、罵倒し、呪っているのであった。

プツリと声が途絶えたのは店主がチャンネルを操作したからかもしれない。あの人は何がきっかけであのように試合を観るようになったのだろう。買い物袋を提げて外に出ればそこはいつもの商店街の風景で、電器店の前には誰もおらず、テレビは真っ黒にうつむいていた。