日記録2杯, 日常

2017年8月28日(月) 緑茶カウント:2杯

二年間、顔にゴミが埋まっていた。ゴマ粒二つほどのカサカサしたゴミが顔の側面に埋まっていた。

それはある日突然現れた。現出した。確か顔を洗っているときに気付いたのだ。水を撫でる指先に違和感があり、鏡で確認したところ顔の側面、こめかみの手前あたりがぷくっと膨れていた。触ると固く、他の皮膚と比べると若干青白かった。その日にあった呑み会で久方ぶりに会った友人に「お前そこどうしたんだ?」とこめかみを指して聞かれ、随分細かいところに気付くものだと感心したことを覚えている。

それからそのデキモノは消えることなくあり続けた。気にはなったが、直に消えるだろうと思い放っておいた。しかし消えない。ずっと消えない。ずっとそれはそこにあった。なるほど、これはイボか何かだろうか、と思いつつ放置を続け二年経ったある日、そのデキモノが変色していることに気付いた。

それはちょうどほくろのようだったが、他のほくろと違うのはその箇所だけプツリと出っ張っていることだった。

何となく嫌な気持ちがした。気持ちが悪かった。そこで、ちょうど汗によるかぶれで悩んでいたところだったので皮膚科に行くことにした。するとどうしたことだろう、二年間も放っておいて平気だったくせに急に心が落ち着かない。ソワソワして、ドキドキして、暗い気持ちになる。ちょっと前までただの邪魔なデキモノだったそれが、悪性の腫瘍であったらどうしよう、と心配の種に姿を変じ、まるで審判を待つ人のような心地で待合室に座り続けることになった。

待つこと一時間。結果、それはイボでも悪性の腫瘍でもなく、硬化した吹出物だった。あっても問題は無いがせっかくなので取り除きましょう、と皮膚科医に診察台へと案内され、靴を脱いで横になると看護士と医師が真上から覗き込むのが感じられる。そうして直後、泣き叫ぶほど痛いわけではないが、やや痛い、くらいの力で、ぎゅううううううう、ぎゅううううううう、ぎゅううううううう、と力いっぱい皮膚を絞られ、吹出物の中身を出してもらった。

「終わりましたよ」と声をかけられ、いったいどんなものが埋まっていたのだろう、見たいな、と思っている最中、目の前に突き出されたのがガーゼに包まれたカッサカサのゴミ。茶色で、乾いていて、ゴマ粒二つほどの大きさのゴミ。どう見てもゴミ。ただのゴミ。

途端、やけに冷静になった頭で思ったことは、二年間も己は顔にゴミを埋めて生活していたのか、ということだった。

ゴミは病院で処分された。ゴミの埋まっていたところは平坦になった。触るとツルツルしていて、何もない。この箇所に二年間もゴミ。しかも顔に。顔の側面を撫でつつ何とも言えない気分になった。ゴミ。顔の側面に、ゴミ。ゴミ。



日記録0杯, 日常

2017年8月26日(土) 緑茶カウント:0杯

今は達成感に酔いしれている。四時間かけて、部屋中に堆積していた本の山を新しく購入した収納ケースに詰め込んだ。数はおよそ三百冊。十一個ほどの本のタワーが部屋中に堆く乱立し、動くたびにあちこちで雪崩が起き、足の踏み場もなかった部屋。目当ての本を探そうにもどこに眠っているかわからず途方に暮れた部屋。この部屋がついに片付いて、床が見え、「おや六畳間って意外と広いんだな」と思えるまでになったのだ!

あれこれと出しやすさや分類を考えながら収納ケースに本を詰め込み、ベッドの下を綺麗に掃除し、パンパンの収納ケースを並べ、今まで隠れていた床を掃除する。ゴミを袋に詰め、水拭きの後乾拭きをし、コロコロローラーで埃をとる。ついでに勢いに乗って照明の掃除もした。徹底的に埃をとった。

綺麗になったのが嬉しくて、意味もなく部屋を出ては入り口から室内を覗き込み、スッキリ片付いた様子を眺めてはにやにやしている。前が異常に物だらけでやっと人並みになっただけなのに、「まるでホテルの部屋みたい……!」と大げさに感動して喜んでいる。実際、他人の部屋のように見えるのだ。

今ならきちんと整頓された収納ケースの本を眺め、視覚情報を肴に酒が呑めそうである。それくらい嬉しい。

他にも今日はずっと気になっていたいくつかを解決できたし、洗濯機の櫓洗浄もしたし、カタログギフトで注文した品も届いた。良いことばかりの素晴らしい日である。

せっかくなので寝るまでの数時間、もう少しだけ酔いしれよう。そうしてこの快適さを忘れぬようにし、維持することに努めよう。あまりに物が多く住みづらいゆえ引っ越しを検討していたがその必要も消え失せた。この変化を大事にしよう。

と言いつつ今日買ったばかりの本を読む。大丈夫さ、まだ空きスペースがあるからね。



日記録2杯, 日常

2017年8月25日(金) 緑茶カウント:2杯

狙ったわけではないが興味深い結果を得られたのでここに書き記しておくとしよう。

昨日の日記で、室温を保つために夏場は一日中エアコンをつけっぱなしにしていると書いた。そしてその翌日の今日、どうしたことかうっかりエアコンを消して家を出てしまい、帰宅と同時にむわっとした熱気に出迎えられ、「うはあ」とげんなりしつつ頭を抱えることとなった。

日中は雲があったおかげで暑かったもののカンカン照りの真昼間よりは過ごしやすい気候だった。汗はじわりと滲みだらだら流れるが噴き出るほどでない。そんな日の夜、21時45分に帰宅したところ室温は35度を超えていた。そして二時間経過した今、室温はようやく29度。ちなみにエアコンの設定温度は20度だ。普段はこんな設定にはしないが、とにかく急いで冷やすために極端な指定をした。

時間と室温の経過を表すとこうである。

30分経過 …33度(-2度)
60分経過 …32度(-3度)
100分経過 …29.5度(-5.5度)
120分経過 …29度(-6度)

帰宅してからまず二つの窓を開き、空気を入れ替えつつエアコンを稼動させた後、窓を閉じた。環境としては木造建築の六畳一間。ただし部屋の襖を開け放しにして、台所から玄関まで冷やすようにしている。故に時間がかかるというのはもちろんある。恐らくこのエアコンは六畳用、どうしたってパワー不足なのだ。

ちなみにフィルター掃除をしたのは二週間前。普段は設定温度を30度にして一日中つけっぱなしにしている。襖も開けたままにしているため、六畳間から台所、玄関までそこそこ涼しい室温が保たれている。6度下げるまで二時間かかることを思えば、つけっぱなしの方が効率が良いように思える。何てったってつけっぱなしにしたところで電気代もそんなにかからないのだ。

ということで、熱風に出迎えられるという災難を意図せず迎えたわけであるが、自分なりにそこそこ納得できたので満足している。今はやっと28.9度。冷たい緑茶がとても美味しい。



日記録0杯, 日常

2017年8月24日(木) 緑茶カウント:0杯

去年から、夏の間は一日中エアコンをつけている。それというのも我が家は古い木造住宅の一室で、夏は非常に暑く、冬は非常に寒いというなかなか住みづらい環境である故だ。夏場、夜遅くに帰宅すると室温が四十度近く、ということもザラにある。玄関を開けると同時にもわっとした空気に出迎えられ、急いで窓を開けて空気を流し、エアコンをつけるもなかなか室温は下がらない。そして何より困るのが冷蔵庫が温まってしまうこと。夏場に適した設定にしても焼け石に水、冷蔵庫の中はぬるくなり、守られるべき食料は通常よりもずっと早く傷みが進んでしまうのだ。

そこで打開策として部屋にいない間もエアコンをつけることにしたところ、これが実に快適。外出中の設定温度を三十度にしてみれば程よい室温が保たれ、冷蔵庫も無事に稼動している。そのうえ電気代もさほど上がらない。そんなわけで夏の間はほぼ一日中エアコンをつけっぱなしにすることがお約束となり、過ごしやすい住環境を己は手に入れることができた。

しかし、最近困ったことが起きた。深夜にエアコンの効きが悪くなり、室温が上がるのである。寝入りばなは問題ないのだが、数時間後に何故かエアコンが動きを止め、室温がじわじわ上がって三十度を越えてしまうのだ。これでは困ると設定温度を下げる。二十八度。エアコンは動かない。二十六度。エアコンは動かない。二十五度。エアコンは動かない。二十三度。ここまで来てようやく動き出し、冷たい空気を放ち出す。

さあこれで眠れる、と安心したいところだが、この設定で困るのは明け方以降に部屋が二十度近くになってしまうということで、それは流石にあまりにも寒く、とてもじゃないが健康に眠ることなどできやしない。時間ごとにエアコンの設定温度を指定できれば良いが生憎そんな機能はなく、空いた時間を見つけてちょこちょこと原因を探るも今のところ解決の手筈は得られていない。

故にこのところ、どうにも寝不足が続いていて、若干体調を崩している。困ったものだよ。



日記録4杯, 日常, 漫画

2017年8月23日(水) 緑茶カウント:4杯

「月刊少女野崎くん」の新刊が発売された。いそいそと本屋に向かい、わくわくしながら購入した。本屋には野崎くんの新刊発売を告知する店員手作りのポスターが貼られていて、盛り上がりが感じられて心が高揚……といきたいところであったが、残念なことにそのポスター、描かれているのは嫌な悪ノリによる作品いじりで、せっかくの好きな漫画の発売日であるにも関わらず暗い感情がちりちり燃えたが、そんなこととは関係なく漫画はとても面白かった。読んだばかりだと言うのに既に次の新刊が待ち遠しい。

同時に今荒れ狂う衝動と言えば、この漫画の感想をとにかく人と語りたいということ。だが、己にこの漫画を教えてくれた友人は現在父親になりたての子育て暦半年足らず。あのキャラがこうで、あの話がこうで、と熱く語り合いたいところだが流石に今は叶わない。叶わないが語りたい、語りたいが、きっと友人もじっくり読みたいところを我慢している最中だろう。

そうして己は六畳間にて、迸る感想や熱情を身の内に秘め、一巻から読み返すべく黙って本の山を漁るのであった。心の中には今も激流が走っている。