■5月31日23時「こんにちは。博多から不死鳥に参戦した者です。」の方へ
博多からいらっしゃったとは! 恐らく飛行機ですよね。お疲れ様です。不死鳥、良いライブでしたね……!
文章から、恐らく昔から水戸さんをご存知の方ではとお察しします。己が書くもので少しでも空気感を伝えられることができたなら、こんなに嬉しいことはありません。本当に、水戸さんもメンバーもファンも、皆が幸せであってくれることを願います。いつまでも最高に格好良い水戸さんを観続けたいです。
うずわみだまし
■5月31日23時「こんにちは。博多から不死鳥に参戦した者です。」の方へ
博多からいらっしゃったとは! 恐らく飛行機ですよね。お疲れ様です。不死鳥、良いライブでしたね……!
文章から、恐らく昔から水戸さんをご存知の方ではとお察しします。己が書くもので少しでも空気感を伝えられることができたなら、こんなに嬉しいことはありません。本当に、水戸さんもメンバーもファンも、皆が幸せであってくれることを願います。いつまでも最高に格好良い水戸さんを観続けたいです。
2018年5月31日(木) 緑茶カウント:0杯
拝啓・水戸華之介様。己はあなたに何度心を救われたでしょう。そしてその感謝と愛をいったいどれだけあなたに伝えられたでしょう。
全く伝えられていないはずです。年に一度、不死鳥ライブの後にお手紙をお渡しするようになりましたが、それではとてもとても、伝えきれないと思っています。
ニューアルバム「ウタノコリ」を聴きました。アンジーをメインに3-10Chain、ソロ曲をアコースティックで描いたアルバムです。とても素晴らしく思いました。同時に、物足りなく思いました。
それは、生で聴く水戸さんの歌声の威力がCDには収まりきらずにいるからです。CDで聴く水戸さんの歌声は何と言ったら良いでしょうか、まろやかに収まってしまっていて、本来の水戸さんが持つ歌声の迫力とパワーが消えてしまっているように感じました。
だから自分は、多くの人に水戸さんの歌声を生で聴いて欲しいと願います。
「マグマの人よ」を聴いて何度泣きそうになったか。「ゆきてかえらず」を聴いて何度胸を締め付けられたか。全身にビリビリと響く迫力と威力とパワーに何度圧倒され、感動したでしょうか。
その威力を多くの人に知って欲しい。
だからこそもどかしく思い、何ができるだろう、どうしたらいいだろうと考えてしまいます。ミュージシャンであり、オーディエンスを楽しませるエンターテイナーでもある水戸さんは、自虐ネタで大ヒットを飛ばしているミュージシャンと自身を比較なさいます。それをファンの自分はとても悲しく思います。
だって、B’zも偉大なミュージシャンでしょうが、己の心を救ってくれるのはB’zではなく、あくまでも水戸さんなんですよ。
水戸さんだからこそなんですよ。
と、言うことをサインをしていただく時に言いたかったのに言えなかったのでここで語りましょう。あぁ、いったい己に何ができるでしょう。何ができるかと考えてしまいます。だから、年に数回「昔アンジーのライブ観に行ってました、懐かしくなって行きたくなりました」というような感想をもらうと嬉しくなります。ただただ楽しく感想を書き散らしているだけで、発散のためだけで、布教目的ではないにしろ、ほんのちょっと、ほんのちょっとでもお役に立てているかなと錯覚できまして。
水戸さん。
ここで発するだけなのでこの言葉は届かないとわかっていますが、どうかどうか、あなたがデビューした年に生まれた人間も、あなたの歌声に助けられていることを知っていただきたい。
あなたは唯一無二です。代替できない存在です。だからこれからも歌い続けてください。どうか、と願って。
敬具
2018年5月27日(日) 緑茶カウント:0杯
空腹に気づくことと食欲を抱くことはイコールではないのだなぁ、と気付いた昨今だった。どうにも己はだいぶ疲れていたらしい。工事の音に邪魔されつつも死んだようにぐっすり寝て、ようやく久しぶりに湧いたのが食欲という欲求。「腹が減ったな。何か美味しいものを食べるために出かけようかな」と思え、それがひどく懐かしい感覚であることに気付き、おーこりゃ結構自分やばかったな、と知ったのだった。
最近の自分といえば空腹を感じても食欲はなく、ただただ面倒くさい、何かを食べねばなるまいな……と義務的に栄養を摂取していた。それは食事と言うよりも作業に近く、食べることに何の楽しみも抱けなかった。食べる以上にやりたいこととやらねばならないことがあり、エネルギーが枯渇することがとにかくだるくて面倒だった。
美味しいものを食べたいな、とふらふらと商店街を歩き、スパイシーな香りに誘われて入ったケバブ屋。たっぷりのキャベツにたっぷりの肉に一切れのトマト、そして食欲をそそる香辛料が香るソース。がぶりと噛み付き、咀嚼すると口いっぱいに味と香りが広がる。肉の脂身が唾液に溶けて咽喉へと落ちる。美味しかった。久しぶりに美味しかった。ガブリと思いっきり噛み付くのが楽しかった。
ふぅ、と満足感を抱いてケバブ屋を背に商店街を歩きつつ、この感覚を忘れないようにせんとなぁ、としみじみ思った次第であった。ちょっと危うい様子だったね。
改めて、水戸さんの歌声が好きだなぁと思った。
水戸さんは最近、同じくデビュー三十周年を迎えるB’zを引き合いにして冗談のような自虐ネタのようなトークをするが、B’zのことはよく知らなくても水戸さんの歌声は心に響く人間がここにいるんですよ、と伝えたい。B’zもそうであるように水戸さんも唯一無二の存在で、決して他の誰かの歌声と代替できるものではないんですよ、と。
水戸さんのデビュー三十周年であり、十五回目の不死鳥である記念すべき興行は三部構成で行われた。水戸さんと内田さんのテクノユニット「Zun‐Doco Machine」を皮切りに、アコースティックバンド「ウタノコリ」、そして激しいロックの「水戸華之介&3-10Chain」。昨今の水戸さんの魅力を一度のライブで味わえる大変お得なイベントだった。そしてきっと、三十周年だからと言って久しぶりに観に来た人々は、意外な水戸さんの姿と世界観に驚いたに違いない。もしかしたらアンジーを期待した人はまどろっこしさを感じたかもしれない。その気配は「でくのぼう」からの異様な爆発で感じ取りもした。熱望とフラストレーションの爆発らしきものが一部にはあったように思う。
同時に「Zun‐Doco Machine」で体を揺らしながらニコニコと聴き入り、「ウタノコリ」の静かな迫力に圧倒された人々もいた。特に「マグマの人よ」「ゆきてかえらず」の魂のこもり具合に、ビリビリと痺れるような水戸さんの声量と声の威力。身の毛がよだつほど素晴らしかった……。あぁ、この人は詩人であり、歌手なんだなぁと改めて思い知らされる。この声を聴きたくて己はここに来たのだ。それは他の誰かからは決して得られない、水戸さんからしか得られない威力なのだ。
しかしそんな素晴らしいライブの中で残念な出来事もあった。マナーの悪い嫌な客が来ていたのだ。「すみませんすみません」と人を探すふりをしながら堂々と割り込みをし、飲食物持込み禁止にも関わらずポケットからウイスキーのビンを取り出してはぐいぐい呑んで酒臭い息を吐き散らし、仲間を呼んでよりにもよって演者への悪口を言う。その人は四千五百円を払っていったい何をしに来たのか。どうやら、昔の思い出だけを求めて来たらしい。
だが、水戸さんは今を生きている。かつての曲と今の曲を同じ日に歌い、今の水戸さんの歌声に昇華して響き渡らせている。それは電子音楽に姿を変え、時にはピアノの調べに乗り、あるときはギターとドラムとベースの波と共に奏でられて聴く人の心を揺らす。一歩一歩、じっくりと歩みながら三十周年からその先へと生きている。
オープニングではBOZE STYLEの頭部を楽器に見立てた驚きの演出で笑いを取り、「明日への誓い」は著しいアレンジによりオーディエンスを驚かせ、わじーのギターが痺れる「31のブルース」では渋さと格好良さで人々を魅了する。かと思えば突然のカバー曲「セクシャルバイオレットNo.1」で大いに盛り上がり、楽しませよう楽しませよう、そして自分自身も楽しもうという水戸さんの意気込みが素敵だった。
個人的に嬉しかったのは「生きる」が聴けたこととアンコールが「掃き溜めの街で歌い始めたチンピラ達の新しいメルヘン」だったこと。「生きる」は何度聴いてもその度に心が鷲づかみにされ、特に今、ちょっとしんどい思いを抱いているだけに拳を握り締め、前へと進もうと思う強さを心に持つことができてありがたかった。己はいつもこの曲に助けられているなぁ。
「掃き溜めの街で歌い始めたチンピラ達の新しいメルヘン」は、ゲストが全員登場しての演奏と合唱。水戸さん曰く、三十周年と言うとこれで終わりのようなイメージもあるから……とあえてこの曲をチョイスしたとのこと。
まだ始まってもいないし、終わってもいない。これから歌い始めると堂々と宣言するこの曲を、アンジーの盟友である中谷ブースカ氏と同じステージで歌うのは一つのドラマだろう。彼が水戸さんと共にステージに立つのは今後二度とないかもしれない。しかし彼が作る楽曲はこれからも水戸さんと共にあるだろう。
後追いファンの自分はアンジーをリアルタイムで知らず、中谷ブースカ氏も写真でしか見たことがなかった。ただ、近年の水戸さんのアルバムにも彼の名前が作曲者としてクレジットされていることは知っていて、ずっと印象深く思っていた。赤い衣装に身を包み、コミカルな仕草で熱くギターをかき鳴らす彼と、隣に立ってマイクを握る水戸さん。無論懐かしさなどは感じなかったが、今ここで、この2018年にこのステージを観られたことはきっと自分にとって幸運なのだろうと思った。
■Zun‐Doco Machine
ジョニーは鼻毛がヒッピースタイル
明日への誓い
31のブルース
セクシャルバイオレットNo.1(カバー)
100万$よりもっとの夜景
■ウタノコリ
雑草ワンダーランド
浅い傷
マグマの人よ
落書きみたいな存在達のハレルヤ
庄屋の倉
腹々時計
ゆきてかえらず
■水戸華之介&3-10Chain
知恵の輪
ハーイここまで
生きる
でくのぼう
すべての若き糞溜野郎ども
花火
芋虫ロック
センチメンタルストリート
素晴らしい僕ら
天井裏から愛を込めて
~アンコール~
掃き溜めの街で歌い始めたチンピラ達の新しいメルヘン
2018年5月22日(火) 緑茶カウント:2杯
その眼鏡屋を利用したことはなかったが、その眼鏡屋の前を毎日歩いていたのだ。
個人商店の小さな眼鏡屋。ガラス張りの壁から店内を見渡すことができる中、己が主に見ていたのは店のガラスそのものだった。通り過ぎるたびに老店主がカッターを持って、季節やイベントにふさわしいイラストや文字のカッティングシートを貼っていた。それはとても頻繁に貼り替えられ、あぁ今日は何を貼っているのだろうと店主の細かな手つきを眺めたものだ。
ところがこの一ヶ月、イラストや文字で飾られたガラスはシャッターで閉じられ、その上には一枚「都合によりしばらくお休みします」という手書きの貼り紙。昨日もシャッターは開かず、今日もシャッターは開かず、ずっと白い紙が風に揺れるだけ。
何があったんだろう。何かあったんだろうなぁ。店主と話したこともない己はただただ店の前を歩きながら、あのカッターを握る指先を思い浮かべるのだった。