未分類0杯, 水戸華之介&3-10Chain, 非日常

必要なときに必要なタイミングで必要なものを得られるありがたさってのは格別であり、奇跡に近いものだよなぁ、と思う。

デビュー三十周年記念に加え、デビューアルバム「溢れる人々」の再現ライブということもあってか本日は大入り満員で、さらに3-10Chainではこれまで体験したことのなかった圧しが発生し、ライブが終わった頃には汗だくになっていた。見てはいないが、感覚的に己の背中あたりではモッシュも発生していたように思う。

もみくちゃになりながら拳を上げ、水戸さんに促されては大声で歌い、渦巻くような熱の中で間近で歌う水戸さんの歌声がダイレクトに全身に浸透していく心地良さ。このところはなかなか忙しく、故に精神的にもしんどい状態であった。オーケンでもヒラサワでもなく、水戸さんの歌声を必要としていた。必要としていたときにライブがあって、前から二列目で、ステージの上からオーディエンスに覆いかぶさるように前傾して力いっぱい歌う水戸さんの白い顎鬚を見上げながら歌声を浴びることができる喜び。心の中のざわざわしたものが歌声の威力によって溶かされて、空っぽになったところにエネルギーが充填される至福。今日この日にこのライブを観ることが出来たことは、本当に己にとってありがたいものだった。

大入り満員ゆえにライブが始まる前から酸素の薄さを危惧していた水戸さんは、序盤にオーディエンスに向けて「小さく息をするように」と冗談めかしたリクエストをするものの、熱狂の中では誰しもが大口を開けて興奮していたに違いない。そんな中でも水戸さんは大柄な体でのしのしと動き回り、コミカルに踊り、大振りなアクションで観客を煽り、長い足で力いっぱいジャンプし、しっかりとステージを踏みしめて着地する。酸素の薄さも年齢も感じさせない格好良さは相変わらずだった。

十分ほど押して開演し、一曲目はインストゥルメンタルの「縁」。この瞬間にドッと盛り上がり、人々が前に詰め掛けてびっくりした。いや、多少は予想していたが。していたが! こんなに序盤から圧しが発生することは早々ないのでびっくりしてしまったよ。

とはいえ、その熱狂が心地良い。常々思っていたのだ。もっとガッと盛り上がりたいな、もっと皆ガッと盛り上がれば良いのにな、と。不死鳥のライブでも、大抵は圧しが発生するのは後半のアンジー曲がきっかけだ。その波に飲まれて楽しみつつもずっと思っていた。他のところでも爆発が起これば良いのにな、と。

故に、今日のライブはある意味で願望が叶えられたとも言えるだろう。流石にモッシュまで起こるのは想定外でもあったが。

二曲目は「ジョニーは鼻毛がヒッピースタイル」! 最近はズンドコバージョンで聴くことが多かったので、久しぶりにロックバージョンを聴けて嬉しい! この曲もすっかり定番化したなぁ。新しい曲がこうして根付いていくのはファンとしてはたまらないものがあるね。

今日は「溢れる人々」がメインで、それ以外に何をやるかは予想がつかなかったこともあり、「ハーイここまで」「芋虫ロック」が聴けたのはサプライズのように感じられ、非常に嬉しかった。特に「芋虫ロック」。切なくてやるせなくて、それでいて好きなんだよなぁ。

「溢れる人々」パートからはもうすごかった。盛り上がりがとてつもなく、体験したことはなく映像を観たこともないものの、かつてのアンジーのライブとはこういうものだったのだろうか……と思わされた。水戸さん曰く、●周年などのキリの良い数字の公演には普段よりも観客が詰め掛けるとのことで、加えて今回は「溢れる人々」の再現ということで、普段は来ないアンジーファンも訪れたに違いない。今日久しぶりに来てくれた方々が、3-10やウタノコリなどの水戸さんのライブにも来てくれると良いな、是非今の水戸さんの魅力を知って欲しいな、と思った。

個人的に一番印象に残ったのは「サーカス」だ。照明の色が変化し、ステージがどす黒い赤に染められ、重々しい音が響き渡る。ゾッとするような迫力と駆け上がるように盛り上がる演奏の威力。今日の「サーカス」はとりわけ、凄まじかったなぁ……。

一転、「ジュー・ジュー」から空気がガラッと変わって踊り狂う楽しさったら。「溢れる人々」が作られたのはまだCDが出始めたばかりの頃で、「溢れる人々」もアナログレコードとCDの両方を作って発売したそうだ。そして当時の水戸さんはまだCDに慣れておらず、アナログレコードのようにA面・B面がないCDで、どうやって曲を構成したら良いのかわからず悩んだと言う。そんな中で水戸さんが辿り着いた答えは「ライブのような曲順にすること」。A面・B面がなく、最初から最後までぶっ通しである特性を考えてのことだ。

よって、始める前はどんな感じになるかと水戸さんも思っていたそうだが、意外にもアルバムの曲順で演奏しても違和感がなかったとのこと。MCの中で水戸さんが、「これに味を占めて黄金時代の再現ライブをやるとしたら……、あのね、今『おー』って盛り上がったけど、実際やってみたら『あれ?』ってなると思うよ」と笑って釘を刺していた。セカンドアルバムからは水戸さんもCDに慣れ、CDらしい曲順を考えられるようになったそうだ。

そうそう、中盤の思わぬところで水戸さんに左手をガシッと握ってもらえて嬉しかったなぁ。興奮しすぎて忘れてしまったが、あれは何の曲だっただろう。力強い手だったなぁ。

「笑い者」について。「溢れる人々」は発売時に新しく書いたものがほとんどだが、「笑い者」だけはずっと昔から歌詞も変えずに歌ってきた曲とのこと。これをライブハウスで歌っているときに、ライブハウスのオーナーだか店主だかに「盛り上がる曲だけでなく、こういう歌があるのは信用できる」と言われたことが思い出に残っているそうだ。

三十年前に歌っていた曲を今も歌い続けていて、今も歌い続けられているというのは途方も無いことのように思う。その途方も無い時を越えて、三十年前を知らなかった人間もその歌を聴くことができるのは水戸さんがずっとこうして活動をし続けてくれたからだ。だからきっとこの先にも、今はまだ水戸さんに出会えていないながらも、五年後十年後に水戸さんの歌に出会える人が出てくるのだろう。

その新たな出会いが増えることを願いながら、これからも自分は水戸さんを応援していきたい。

鳴り止まないアンコールの中で「罪よ歌となれ」「素晴らしい僕ら」が歌われ、ダブルアンコールでは延々と終わらない「でくのぼう」! 水戸さん、澄ちゃん、内田さんがステージからいなくなり、元尚さんも……と思ったら機材の裏にひっそり隠れていて、パタパタッと出てくるとドラムを叩き出し、呼び出されるメンバー! 沸騰するオーディエンスに、でくのぼうの大合唱! 拳を振り上げ振りぬき、ステージから見ればまるでオーディエンスは群体から成るひとつの生き物のように見えたかもしれない。水戸さんに引き寄せられるように数々の腕が伸び、うねり、白熱する。

このとき、目と鼻の先に澄ちゃんのギターがあって、とんでもない至近距離でギターソロを奏でる指先を見ることができて失神しそうになった。贅沢な体験だった……。

そしてまだまだアンコールは続き、ついにトリプルアンコール! 流石に水戸さんも疲れた面持ちを見せていたが、それでも「花火」でがっつり盛り上げ、大きなジャンプまで見せてくれた! 常々思うが……水戸さん、膝が丈夫だなぁ……!!

MCではツアーの途中で立ち寄ったブラジリアンパークで内田さんが生まれて初めて絶叫マシンに乗ったエピソードが語られたり、サンバショーのお姉さんと水戸さんが対決したりといった面白トークも披露され、腹の底から笑ってたまらなく楽しかった。

ライブが終わった後に一息で呑み干したビールの美味しさったら。あぁ、自分は今さぞかし汗臭いんだろうなぁと思いつつ、夜風に吹かれながら興奮でぼおっとする頭を冷やす心地良さもまた格別だった。最高に素晴らしい夜だったな。





ジョニーは鼻毛がヒッピースタイル
知恵の輪

ハーイここまで
芋虫ロック
センチメンタル・ストリート

天井裏から愛を込めて
幽霊
カナリア
サーカス
ジュー・ジュー
アストロボーイ・アストロガール
夜の行進
霧の中
わいわいわい
笑い者
おやすみ

~アンコール~
罪よ歌となれ
素晴らしい僕ら

~ダブルアンコール~
でくのぼう

~トリプルアンコール~
花火



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日記録2杯, 日常

2018年7月2日(月) 緑茶カウント:2杯

あっれー、どうしたことだろう。この間眼鏡を新しくしたばかりだと言うのにもうピントが合わない。あ、なるほど、レンズが汚れているのだな。こりゃあしまった。ちゃんと綺麗にせねばなるまいな。

と、眼鏡拭きを手にとって眼鏡を外しレンズを確認すると小さな汚れ。よしよし、こいつを拭けば解決だ、と意気揚々とかけ直し、再度パソコンの画面を見れば。

ピントが合わない。
全然ピントが合わない。

マジかよ。この間変えたばっかりだってのにもう視力が下がったのかよ。むしろ目の病気を疑うよ、って若干恐怖を感じた一週間。そして昨日、早いうちから昏々と眠り、すっきりと目覚め、改めてパソコン画面を見てみれば。

そういうことだった。視力が低下したわけではなかった。体力が著しく低下していただけだった。

なるほど。疲れていたものなぁ。つまりこれは疲れ目か。ピントが合わなくなるほど疲れていたのか。思えばここ最近、疲労と睡眠不足で体力が低下していて、やたらと栄養ドリンクの世話になっていた。なるほどなぁ。

納得しつつ思い知る。これは一つのバロメーターだなと。見えにくくなったら気をつけよう。



日記録4杯, 日常

2018年6月27日(水) 緑茶カウント:4杯

身近に性悪説を自称する人がいる。それは良い。まずは疑うことから始めると言う。それもまぁ良い。

ただ、その人は性悪説を免罪符にして事実確認の手間を惜しむ自分を肯定しているだけなんだな。

ということに気づいたのは最近か。何かにつけて疑ってかかるその人は事実を確認しないまま「こうであるに違いない」と決め付け、人を攻撃する。年若い人は驚いて黙ってしまうが、その衝撃を受ける様を見てその人はさらに「それ見たことか」と断罪する。で、結果どうなるかと言うと嫌われる。その空気をその人は感じている。そして「自分は世の中をシビアに見ているから」「自分のような嫌われ役も必要だ」と自身の役どころを自ら設定し、肯定する。

でも違うんだよな。性悪説云々がどうではなくて、単にその人は面倒臭がりなんだ。ところがそのことに気づけずにいるんだ。

距離を置き、眺めながら考える。いつかそのことに気づく日が来たとき、その人は何を思うだろうかと。もう一つ考える。指摘するべきだろうかと。同時に思う。そこまでする義理もないな、と。それは自身もその人に断罪されてきた身ゆえに。

どうだろう。いつか気づく日が来るのだろうか。



未分類0杯, 非日常

嬉しくて楽しくて、たまらないライブだった。メジャーデビュー三十周年を同じ会場で祝うことができて、さらには新譜の発売とツアーの告知まで。筋少は過去を生きていない、未来を生きていると語るオーケンの言葉そのままに提示された先の約束が嬉しくてたまらない。だってさ、今年はオーケンがソロアルバムを作ることから筋少での新譜は無いものと思い込んでいたんだよ。それがまさかのサプライズ。

嬉しくてその場でぴょんぴょん跳ねるなんて、大人になってからはそうそう経験していない。その数少ない小さなジャンプは、ほとんどライブハウスの中で行われているように思う。

しかも何と、レティクルの神様の思し召しかこの日は最前列だった。視界を横切るものが一切ない中で楽器を奏で、力強く歌い上げるメンバーを観ることができる喜びったら。ステージの背後にはデビュー三十周年を祝うロゴがでかでかと掲げられ、しみじみとこの日がいかに特別な日であるかを実感する。三十周年。三十周年かぁ。

先日の日記にも書いたが、筋肉少女帯がメジャーデビューを果たしたとき己はまだこの世に生を受けたばかりだった。年月が流れ、筋肉少女帯の音楽に出会ったときには既に筋少は活動を休止していた。あの頃、レティクル座妄想を繰り返し聴きながらリアルタイムで知りたかったなぁと思ったことも懐かしい。あれも十五年前か。

そして、まさかの再結成の報。
運良く当選した復活ライブのチケット。
初めて生で観た、ステージの筋肉少女帯。

あれからずっと楽しませていただいていて、ずっと元気をもらい続けている。この楽しさと喜びがこれから先にもあることを提示してくれるのが、嬉しくてたまらない。

今日のライブは定番曲中心のセットリストで、その中で若干の異彩を放っていたのが「パノラマ島失敗談」と「戦え!何を!?人生を!」、そしてもう一曲。アンコールでオーケンが、「今日はおめでたい日なので、ドカーンと盛り上がる曲を中心に持ってきた」と語る。続けて、「でもそればかりが筋肉少女帯じゃない。むしろ暗い闇の部分を多く歌っている」と言葉を紡ぎ……照明が落とされ、真っ暗になったステージで静かに歌い出されたのが……「ノゾミ・カナエ・タマエ」。

この前日にリマスタリングされ再発された「レティクル座妄想」を聴き、「ノゾミ・カナエ・タマエ」の悲しい調べと美しい言葉の迫力に圧倒されたばかりで、聴きたいとは思っていたもののまさかやってくれるとは思ってもおらず、気づけば胸の前で手を組み、まるでレティクルの神様に祈るかのような姿勢でステージを見つめていた。

とても楽しいライブだった。盛り上がる曲がいっぱいで嬉しかった。
でも、やはり、己が筋肉少女帯に求めているものは、それだけではないのだ。

「レティクルの神様、ただ一つのお願いがあります」とオーケンが両手でマイクを握り、祈るように歌う。赤いライトを浴びながら天を見つめるオーケンの瞳にはレティクルの神様が映っているかのように見え、光で彩られた輪郭が危うげで非常に美しかった。

自分へのプレゼントにハズキルーペを買い、汗をかいて体が燃え上がるのはロックのせいかと思ったら男の更年期障害かもしれないと冗談めかして語るオーケン。オーディエンスを笑わせながら、加齢だ加齢だと言いながらも三十周年に突入し、さらに先へと進み続ける力強さ。しかしその前進していくエネルギーを放つ体内には、ノゾミ・カナエ・タマエを歌うほの暗い闇も秘められているのだ。

ただ前向きなだけではなく、心の闇を歌い、拾い上げて目の前に提示し、それがあることを肯定させてくれる。そのうえで大いに笑わせ、楽しませてくれる筋肉少女帯という存在に出会えたことは自分にとって幸福に他ならない。三十五周年も、四十周年も、五十周年も共に祝っていきたいと思う。

最後にもう一つ、嬉しいなと思ったこと。今日の会場では近くに車椅子の方と介助の方がいらしていて、介助の方はこまめに車椅子の方のケアをしていたのだが……、あるときに橘高さんがピックにキスをしてそれを客席に投げたのだが、ファンの手に届かず床に落ちてしまったのだ。

すると介助の方がピックに気づき、サッと小走りで取りに行って拾い上げるとササッと戻って車椅子の方に手渡したのだ。視界の隅でその様子を捉えたとき、「よっしゃ!」と己は軽くガッツポーズをした。そうそうそうそう、そう! ありがとう! よくぞ拾ってくれました! だって絶対欲しいと思うもの! 自分だったら!

終演後、ビールを呑みながら余韻に浸りつつ、ロビーに飾られた花輪を眺めた。打首獄門同好会や高木ブーさん、そしてファンからの色とりどりの花輪。物販は人でごった返していて、あちこちで楽しげに感想や興奮を語らい合う人々がいた。皆笑顔で楽しそうだった。己もきっとニコニコしていたのだろう。嬉しくて楽しくて、たまらない一日だった。




サンフランシスコ
少年、グリグリメガネを拾う

日本印度化計画
小さな恋のメロディ(ふーみんボーカル)
パノラマ島失敗談

イワンのばか
機械

戦え!何を!?人生を!

青ヒゲの兄弟の店
サイコキラーズ・ラブ
Guru最終形

これでいいのだ
パリ・恋の都
踊るダメ人間
ディオネア・フューチャー

~アンコール~
ノゾミ・カナエ・タマエ
モコモコボンボン(うっちーボーカル)
釈迦



日記録2杯, 日常, 筋肉少女帯

2018年6月20日(水) 緑茶カウント:2杯


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疲れたんだ。とても疲れていたんだ。でもその中で無理をしてタワレコに行って良かったと思えたんだ。

筋肉少女帯デビュー三十周年ライブの前日である今日、リマスタリングされた四枚のアルバムに、凍結直前のライブDVDに近年のライブ映像を収めたブルーレイ、そして最新作を含む四枚のアルバムジャケットが美しい存在感を放つアナログレコード四枚。これらが一気に発売され、それを買うために己はタワレコへと走った。レコードだけは予算の関係で来月に回したが。

疲れたんだ。とても疲れていたんだ。でもその中で無理をしてタワレコに行って良かったと思えたんだ。

初めて聴いた「蜘蛛の糸」。初めて手に取った筋少のアルバム「レティクル座妄想」。もう十五年も前にレンタルCDショップで借りてきて、土曜日の昼下がり、母の作った昼食を食べながら皆で一緒に聴こうと家族を誘い、CDプレーヤーにかけたら放たれたるは少女の嘲笑。呆然とし、どうしようと思ったあの日から己は筋少にはまったのだ。

あの十五年前に手に取った、古ぼけたアルバムの新品を今こうして手に取れるなんて誰が想像できるだろう。まるであの日の衝撃を追体験するかのような鮮烈さに心臓を震わせつつ、改めて思ったのは初めて聴いたのがレティクル座妄想で良かったな、ということ。恐らく、他のアルバムが最初であっても己は筋少にはまっていたに違いないが、最初の出会いがレティクルであったことはきっと幸福に他ならない。

そして明日はデビュー三十周年記念ライブだ。筋少がデビューしたときにはまだまだこの世に生を受けたばかりだった自分がこうして、リアルタイムで祝えることのありがたさ。喜び。至福。それらを噛み締めながらリマスタリングされた楽曲に、ボーナストラックのデモ音源を楽しめる幸福。

あぁ、何て最高の前夜祭か。
アルコールを傾けつつ、アルコール以上の酩酊を味わう夜である。楽しい。