2016年6月25日(土) 緑茶カウント:2杯
二十年近くインターネットの海を泳いでいて思うことは、閉鎖してしまったサイトを二度と見られないことがとても悲しく寂しいということ。本であれば連載が終わっても読み返せる。そうして記憶を辿ることができる。しかしウェブページは違う。閉鎖してしまったらもう二度と見られない。そして、この二十年のうちにいくつものサイトが閉鎖した。思い返すたびに懐かしさを抱きつつ、もう二度とそのコンテンツを楽しめないことを思い知って悲しむのである。
だからこそ、長く続いているサイトは嬉しい。
十代前半から後半にかけて、夢中になっていたコミュニティサイトがあった。一日に何時間もそこに入り浸り、世界観にどっぷり浸かる日々が続いた。しかし月日は流れ、毎日多くの人が出入りしたそのサイトも今や閑古鳥が鳴いて幾年月。誰も来ない日の方が多い。しかしずっと残っている。
思い出してはサイトに訪れ、日ごとのアクセスカウンタを確認すると夜更けにも関わらずその日の一人目の来訪者が自分自身ということも少なくなく、何一つ更新されない日が続く中も、管理人の方はずっと管理し続けてくれていて、今もその場所は残っている。だから自分は何度となくその地に降り立ち、思い出に浸ることができるのである。
また別のサイト。以前は毎日のように訪問していたが、興味が別に移り、数年見ていなかったところがあった。しかし己が見ていない間もそのサイトは更新を続けていて、今日ふと思い出して見に行けば更新日時は本日で、己はたまらなく嬉しくなったのである。
かと思えばサイトは残っているものの、更新日は三年前で止まっているサイトもある。だが、残ってくれていることが何より嬉しく、己はにんまりと笑いながらあちこちをクリックしてコンテンツを読むのである。
今使っているパソコンは二台目だ。ブックマークは一代目のパソコンから引き継いだものである。故に、跡地すら残っていないサイトも多い。しかしそれを確認するのは忍びなく、既に無くなっていることを類推しつつ見ないふりをしてて、だからきっと、己のブックマークはゴーストタウンに成り果てているのだ。
だから。もし誰かがうちのサイトに来て、「あぁまだやってたんだな」と思ってくれたら嬉しいし、そのようにほっとしてもらえるよう、続けていきたいと思うのである。
続けるさ。これからも。