日記録0杯, 日常

2016年11月6日(日) 緑茶カウント:0杯

ふと、読書のきっかけとは何だったかなぁ、と思った。

己は読書家ではない。本は好きだが、本が無くては生きていけない人種ではない。実際数年ろくに読書をしていない時期があった。それは己の部屋が狭く、本棚からはみ出て床に積もる本のタワーに嫌気が差したとき。あれから己はしばらく本を読んでいなかった。

小学生の頃、雑誌「小学一年生」を買い与えられてほとんど読まず、叱られたことを覚えている。あのときは確か始めたばかりのゲーム「マリオコレクション」にはまっていて、マリオの攻略本がとにかく欲しかった。そうして買い与えられた漫画が沢田ユキオの「スーパーマリオくん」。あの一冊で何回笑ったか知れやしない。あれこそが、初めて所有したコミックスだった。

小学生になってからは、「ぞうのたまごのたまごやき」で知られる児童書、王様シリーズを読みつつファーブル昆虫記に夢中になり、読書感想文を書いて賞をとったものの、賞をとる前に担任から受けた添削に未だに納得がいっていない。しかし納得がいかないまま己はそれを直したのであった。

冒頭の文句、「フンコロガシといえばスカラベ。スカラベといえばフンコロガシ」。これは要らないものとして担任に削除を命ぜられた。しかし母は「この文句が良いのにね」と言ってくれた。そのことを、二十年以上経った今も覚えている。

中学になってからは勾玉シリーズと守人シリーズを読んでいた記憶がある。勾玉シリーズのうちの一冊を持って祖父母の家に行ったとき、親戚がページをパラパラめくって「字が大きいね」と言っていた。だから何だというのだ。面白いものは面白いんだ、と思ったが、「そうかな?」程度しか己は言わなかった。

同時期にスタンダールとドストエフスキーにはまり、さらにONE PIECEに熱中し、母経由で西原理恵子という漫画家を知り、松田洋子のリスペクターを読んでいた。今思ってもあれは楽しい時代であった。

そして嬉しかったこと。高校のときに個人サイトを始め、西原理恵子のサイトを見たら「リンクしたら良かったら連絡してね」という表記があったので、西原理恵子のファンサイトでも何でもなかったが、経緯を説明してリンクの報告メールを送った。そしたらアシスタントの愛ちゃんから返信をもらえた。それがすごく、すごく嬉しかった。

何か一つに夢中になれる人になりたかった。絵でも読書でもその他でも。しかし己はなれなかった。狭い範囲で色々なものに興味があり、散り散りバラバラになってしまう。しかし固めてやろうと思う。固めてやる努力をしてやろうと思う。そんな思い出話の一片。それが今日の日記である。



日記録2杯, 日常

2016年11月5日(土) 緑茶カウント:2杯

夕闇の中、ふらふらと歩いた町は神田神保町。参道に軒を連ねる綿菓子やヤキソバの夜店を連想させるのは、歩道に並ぶ本屋の露店。道行く人の視線は背表紙の文字を追い、指の腹はパラパラとページをめくっている。かと思えば露店の間でワインを売る人がいて、笑顔の女性が楽しげにグラスを傾けている。偶然立ち寄ったこの日は神田古本まつりの日。日が暮れかけているにも関わらず、町は静かな活気で満ちていた。

古書店ならではの楽しみは、色褪せた背表紙にあるだろう。様々な時代に流通した著名な本と、その当時でさえも一部でしか取り扱われなかったであろう専門書が、時代の細部を無視してぎゅっと一つの棚に収められている。過去から現代に至るまでに生き残った味濃い本だけが並ぶ圧巻。書体も仮名遣いもバラバラなそれらを眺めるだけで、心が高揚してたまらない。

カラー印刷の見事さをうたった昆虫図鑑を開くと、彩度の低いうすぼけた写真があった。時とともにインクが劣化したのか、当時はこれが最高の技術だったのか、はたまたその両方か。紙の角の丸さからこの本の持ち主の愛情が窺い知れる。思い出すのは子供の頃夢中でめくった昆虫図鑑。あれも今販売されている最新の図鑑に比べれば写真はうすぼけているのだが、それでも当時の己の目には色鮮やかに映ったのだ。

本を引いては棚に戻し、引いては棚に戻す。目当てのものがないままに背表紙を眺め歩を進める。タイトルが語るそれらは本の断片だが、その断片の海を彷徨うだけでも楽しくてたまらなかった。様々な人の膨大な興味関心の断片が怒涛のように流れ込んでくる感覚がして。

そうして己は背表紙の海を泳ぎきり、胸いっぱいになって家路に着いた。脳には背表紙の陰影が残っていた。この脳に残った断片をいつか拾い上げるときが来るだろう。そのときの興味の向かう先が今から楽しみならない。己は何を拾うだろうか。



日記録0杯, 日常, 筋肉少女帯

2016年11月3日(木) 緑茶カウント:0杯

筋肉少女帯とカラオケDAMがコラボして生まれた楽曲「人から箱男」。ストレスを溜め込んだサラリーマンが一人でカラオケに行き絶唱する、漂う悲哀と勢いと得も言われぬ力強さが味わい深い曲である。

この曲のタイトルは様々な要素が組み合わさって出来ている。安部公房の「箱男」と、一人カラオケの略称「ヒトカラ」に、娯楽施設のカラオケボックス。現実世界で溜め込んだ不条理と愛情とストレスを抱えた人間が、カラオケボックスという一人きりの世界に逃避し、箱男となって思う存分叫び発散することを表している。

MVではカラオケボックスで絶唱するサラリーマンに扮したオーケンと、ステージで歌い演奏するメンバーの映像が交互に映し出される。印象的なのはステージの背景に映る積み上げられたマーシャルアンプ。そして「謎の箱積み上げられた聖地」という歌詞。「謎の箱」は即ちカラオケボックスの個室であるが、これをマーシャルアンプと解釈すると、湧き出る叫びを好きなだけ発散できる場所はライブハウスとも捉えられる。そこは言うまでもなく筋肉少女帯が戦う場であり、ファンにとっての聖地である。すると思い出されるのは、ライブハウスの別称も「箱」ということだ。無論この曲はカラオケを表現したものに他ならないが、カラオケ以上に筋肉少女帯によって日常を生きる力を与えられている者にとっては、ライブハウスという解釈も捨て難い。あのライブの空間で、歌い吠えることによって同化する快感と清清しさは他に無い。

日常の中で、思いのたけを好きなだけ叫び歌える機会は滅多にない。それが出来るのは現実と切り離された小さな非日常の空間で、その非日常の空間こそがカラオケボックスであり、ライブハウスでもある。その限られた時間と空間で好きなだけ発散し、軽やかな気分で日常に戻る力を得る。そうすることで、安部公房の描く「箱男」にならずに日々を生きていける、と考えると面白い。

そうして己は三時間、カラオケボックスで一人、絶唱し続けたのであった。我こそは人から箱男。枕投げ営業を三回歌った。ムツオさんを二回歌った。ビールを二杯呑んだ。楽しかった。



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■10月24日2時「M.S.S Project。又今年も音楽ライブツアーを開催しています。」の方へ

お返事が遅くなってすみません。ライブ情報ありがとうございます。しかし……ふっふっふっ。既にチケットを入手しております。ライブのその日を楽しみに待つ予定です。



日記録0杯, 日常

2016年10月30日(日) 緑茶カウント:0杯

筋少の新譜をようやく入手した。シングル「人から箱男」と、ベストアルバム「再結成10周年パーフェクトベスト+2」。本当ならば発売日に買いに走りたかったが、忙しさゆえにままならず、日曜の夜、ようやく聴ける準備が整って、ほうと一息ついている。

あー幸せだ。再結成十周年。再結成をきっかけにライブに通い始めたということは、もう十年通っているということだ。ライブに行くことを俗に参戦と言うならば、己は十年戦い続けていると言えるだろう。ここが戦場であればもうすっかり歴戦の猛者である。

しかし実際に戦っているのはステージに立つ演者であり、己はそれを観ているだけだ。新曲「めでてえな?」で歌われる照れくさくも喜ばしい感情と、続けていこうという前向きな思い。「仲直りのテーマ」からここまで来たのだと思うと感慨深い。再結成当初は、活動は一時的なものかもしれない、続くかどうかはわからない、と言われていただけに。

「10年続いたものなんてあるかい?」と問いかける歌詞。思い返してみればいったい何があるだろう。自分の場合はこのサイト、そして日記。毎日は書いていないもののほそぼそと続いている。他に何かあるだろうか。

思いを馳せる楽しい夜。思い返す十年間。あぁ、めでてえな。ふふふ。