未分類0杯, 筋肉少女帯, 非日常

クリスマスを前にすると決まってカップルへの呪詛を聞く機会が増える。ある人は交際相手のいない自分をネタにする自虐ネタとして冗談交じりに、ある人は他者から無遠慮にクリスマスの予定を聞かれ笑われることへの不快感を走らせながら、またある人はカップルに呪詛を吐くことそのものをエンターテイメントとして楽しんで、とパターンは様々だ。同じく交際相手のいない自分はそれらの呪詛を傍で聞きクリスマスの予定を問われるも、いつも他人事のように思っていた。何でそんなに呪詛を吐くのだろうとすら思った。それはクリスマスを一緒に過ごす交際相手がいなくとも、己にとっては何のダメージもなかったからである。

しかしふと、十二月二十三日の祝日が今後、天皇陛下の退位とともに平日になる可能性があると聞いたときに、もしかしたらこの毎年恒例の楽しみがなくなるかもしれないと思ったときに、何とも言えない喪失感を抱いたのである。

そして思い出したのだ。クリスマスの予定を聞かれるたびに自分は決まって「筋肉少女帯のライブに行きます」と笑顔で答えていたことを。この毎年恒例のライブこそが自分のクリスマスとありがたく受け取り、ずっとそれを堪能してきたことを。

この楽しみが今後、なくなってしまうかもしれない。

クリスマスという大きなイベントに、何の予定もない虚無感。クリスマスソングが流れ、イルミネーションが輝く街並みに、手を取り合って楽しそうに浮かれ歩く人々。そんな華やいだ空気の中で自分だけが何の予定もなく、いつも通りの日常が淡々と流れている。それは交際相手の有無に関わらず、寂しさを感じても不思議でないことだろう。

そうか。筋肉少女帯のおかげで寂しさを感じる隙がなかっただけかもしれない。筋肉少女帯のおかげでたまたま恵まれていただけなのかもしれない。とすると、クリスマスを前に呪詛を吐く人々に対して己が何かを思うことなどできないよなぁ。

そんなことを考えながら、ゴトゴト電車に揺られ恵比寿へ向かう。財布の中にはツリーとオーナメントで可愛らしくデザインされた、いかにもクリスマスらしいデザインのチケット。しかしクリスマスとはどこにも明記されておらず、ライブタイトルすらない。だがこの日は会場に集うファンなら誰しも知る特別な夜で、いつものライブにはない様々な趣向が用意されている。筋少物販では数量限定の福袋が販売され、橘高さんの物販では終演後に橘高さんとドライブに行ける抽選会のチケットが配布される。開演前にはクリスマスソングが流れ、アンコールではおいちゃんと橘高さんが赤い帽子とリボン、ケープをそれぞれつけてサンタクロースに扮し、お菓子や飴を撒いてくれる。パッと空中に浮かぶ色とりどりのキャンディーに、わっと興奮して手を伸ばす人々。同じように手を伸ばしながら、その光景があまりにも幸せで楽しくて、たまらない気持ちにさせられるのだ。

オープニングSEはまさかの「イワンのばか」。ポコポコとイントロが始まり、「えっ、いきなりイワン?」とどよめくもメンバーはまだステージにおらず、録音された歌声だけが流される。これはどんな風に盛り上がれば良いのだろう……と困惑しつつ拳を振り上げているとメンバーが登場。ぎゅんぎゅんに圧縮され、人の頭に視界が遮られながらも必死に手を伸ばしオーケンの第一声を待てば……「お客様は、神様です!」 オーディエンス・イズ・ゴッドだ!

まだ新しい曲なのにもう懐かしさを感じてしまうのは、それだけ新譜「Future!」を聴き込んでいるからだろう。あぁ、それにしても嬉しい! 今日この日にこの曲をやってもらうと、何だかものすごく甘やかされている気がしてしまう。

セットリストは新旧織り交ぜたバリエーション豊かなもので、一回のライブでこんなに色々聴けて良いのだろうか……と贅沢さに頭がくらくらしそうになる。バッキーバッキードルバッキー! と拳を振り上げる「暴いておやりよドルバッキー」に、スタンドマイクの妖しさが際立つ「僕の宗教へようこそ」、特にこの二曲は「またライブで聴きたいな」と渇望していたものだ。あぁ、嬉しい、嬉しい!!

「カーネーション・リインカーネーション」の後のMCの終わりで、仮面ライダーの最上魁星の台詞をもじって「ファンキーファンキー、鬼ファンキー!」と高らかに演者であるオーケン本人のコールによって「暴いておやりよドルバッキー」が始まったときはニヤニヤしてしまった。最上魁星役、素晴らしかったなぁ。

「週替わりの奇跡の神話」では、最後に高らかと歌い上げる「不変の」の声が出なくて苦しんでいた頃が嘘のように、見事な声を響かせてくれた。オーケンが咽喉の手術を受けたのは去年の五月。回復してくれてしみじみ嬉しい。

「枕投げ営業」に入る前では、「枕、枕、枕、枕、枕……!!」と、枕とシャウトしまくり、こんなに言わなくて良いよね、と自ら突っ込むシーンも。「飛び散るそばがら~」は何度聴いても気持ちが良いし、「がんばるねあたし!!」を聴けば何度だって勇気付けられる。この曲、本当に大好きだ。

特別な一夜ということで、マイクを握ったおいちゃんによる「LIVE HOUSE」の熱唱も! おいちゃんの笑顔と分厚い歌声によって、わぁっと空間が華やぎ、オーケンとはまた別の色に染められる色彩の変化が目に楽しい。

「僕の宗教へようこそ」は中間の語りもバッチリで、オーケンの語りが大好きな自分としてはもう嬉しくてたまらない。うっかりアンテナを屋根の上に立てかける箇所を飛ばしかけ、どうにか軌道修正しきちんとアンテナを立てたあたりは見事だった。そしてこの曲の見所、オペラを歌ってくれるエディ! エディは定位置から移動しておいちゃんとオーケンの間に立ち、ぐっとマイクを握って高らかに雄雄しくバリトンを歌う。格好良い!

エディはオープニングSEの「イワンのばか」でもステージを走って横切ってオーディエンスを驚かせてくれ、「ディオネア・フューチャー」では橘高さん前まで降りてきて、オーディエンスに身を乗り出しながら「無意識! 電波! メッセージ! 脳Wi-Fi!!」と野太いコーラスを聴かせ存分に煽ってくれた。こんなにエディが前に出てきてくれることは珍しいのだ、そりゃもう興奮しないわけがない。まさかエディをこんなに近くで観られるなんて……。

ちなみに終演後に橘高さんの抽選会の列に並んでいたら、エディがふつーに出てきて颯爽と列の横を歩いて去って行ってびっくりした。一瞬脳が追いつかなかったがエディだった。びっくりした。びっくりした。

「俺の罪」はこの曲が大好きな長谷川さんへのクリスマスプレゼントとして演奏されるも、演奏するのはやはり長谷川さんというオチが楽しい。「いつもツーバスをたくさん踏ませてごめんなさい!!」というオーケンの謝罪に大笑いした。

今日はあえて「Future!」の曲は外してくるのかな? と思っていたところで「エニグマ」をやってくれて非常に嬉しかった。そうだよそうそう、今日この日に「トコイトコイ」と呪いの言葉を合唱する楽しさったら! スタンドマイクに寄りかかるように歌うオーケンに、グッと眉根を寄せて真剣そのものの表情でギターを弾く橘高さんの格好良さったら。張り詰める緊張感と、どんどん展開していく音楽の目まぐるしさ。渦に飲み込まれそうになる感覚が心地良くてたまらない。

がっつり盛り上がった後にしっとり始まったのは「夕焼け原風景」。あぁ、これも好きなんだよなぁ。まさかやってくれるとは思わなかっただけにプレゼントをもらった気分だ。優しいギターの音色に感じる郷愁と、よその家から漏れる晩御飯のにおいを嗅いだような、懐かしくも寂しい感覚。やわらかなオーケンの歌声も大好きだ。

そしてここから怒涛の展開。「T2」「オーケントレイン」「ツアーファイナル」「ディオネア・フューチャー」でオーディエンスも爆発し、もみくちゃになり半ばわけがわからなくなりつつも拳を振り上げる。「T2」のハンドクラップの陽気な楽しさに、「オーケントレイン」のどこか可愛らしいコール。あぁ、そうだ! 「ツアーファイナル」で内田さんのベースの存在感が際立つシーンがあって、そこを弾く内田さんの指の動きを見るのが大好きなのに、視界が阻まれて見えなくて残念に思ったんだ。惜しかったなぁ。

アンコールでおいちゃんと橘高さんがお菓子を撒いてくれ、ハッピーな空気になった直後に一転して「労働者M」が始まるあたり、何かこう、夢から現実へ力ずくで引き戻されて辛かった……。「労働者M」は格好良い曲なのだが、曲なのだが! アンコールでは聴きたくない曲である。曲を始める前に「久しぶりに家で聴いたら変な曲だなと思った」と笑うオーケンはキュートだったが。キュートだったが。

これも久しぶり、「トリフィドの日が来ても二人だけは生き抜く」! 植物に襲われて全人類が危機に晒されているにも関わらず、明るく多幸感に満ち溢れているのは、世界がどうなろうともこの歌の少女は確かに幸せを掴んだからだろう。世界がどんなに希望に満ち溢れていても、自分自身がそれを掴めていなければ幸福になりえないのと同様に。

最後の「サンフランシスコ」では、ぎゅんぎゅんに圧迫されつつも、ここで飛ばなきゃ終われない! と必死になって床を蹴って飛び上がった。青と赤の照明の中、スポットライトを浴びてベースを響かせる内田さんの見せ場は何度観ても惹き付けられる。格好良いなぁ。

印象的だったのは、橘高さんとエディのバトルの最中、上手の、ちょうど己の目の前に立ったオーケンが二人の演奏を眺めつつ、突然にこーっと楽しそうに笑ったことだった。それはもう、自然とこぼれてしまった笑みのようで、何だかとても嬉しくなった。

MCでは、エディが熱く仮面ライダーの感想を語る場面も。オーケンを知っているだけにオーケンを応援してしまったが、ちびっこにとっては憎い敵だよね、と話す。また、最後に変身して強くなったライダーに対して物申すエディが微笑ましかった。

ファンが作った今年一年の筋少ライブ一覧をまとめた紙を手に、この一年の振り返りを行うシーンも。しかしメンバーはほとんどライブの記憶が無いらしく、このままでは朝御飯に何を食べたか思い出せなくなる、翌年には朝御飯を食べたかどうか思い出せなくなる、さらに翌年には朝御飯を二回食べてしまうようになる! と畳み掛けるトークで抱腹絶倒。良い話をしているようで何も言っていないMCを演じる様子も面白かった。

かと思えば前回のライブのMCを引き継いだトークも。若い頃ツアーで博多に行ったときに、オーケンと内田さんの近所の地名と同じ「野方行き」と書かれたバスを見たと話すオーケンに、野方じゃなくて若宮だよと訂正した内田さん。このときオーケンは違うと思いつつもそのまま進行したが、家に帰ってから調べたところ「野方」という地名もあり、博多に「野方行きのバス」はあるが「若宮行きのバス」はない事実を突き止める。オーケンはコミカルかつ大げさな表情で、冗談めかしながら「あのとき本当はもうムカムカしていて、ブッチーンってなりそうだったけど、大人だから我慢したんだ!」と血管が切れる仕草までしつつ内田さんに力説。笑いつつ半ば圧倒されつつも「若宮行きのバスはない」という事実を突きつけられた内田さんは「ブッチーン!」と同じように血管が切れる仕草でオーバーに怒る真似をしていて、その様子が非常に面白くもあり微笑ましくもあり、五十代になってもこんな風に遊びあえる友人ってのは良いものだなぁ、としみじみ思った。

オーケンとおいちゃんがライブで徳島に行った話も面白かった。その会場の楽屋は普通のマンションの一室のようで、風呂もあればトイレもあるのだが、何故か電気だけ無いそうで、豆電球だけがぽっかりついているもののほぼ暗闇だったそうだ。その真っ暗闇の中一時間近く、おいちゃんは一人で出番を待たなければならなくなったそうで、あまりゲームをしないため詳しくないが、まるでバイオハザードのようだった、と語っていた。……すごい楽屋があるものだなぁ……。

毎年恒例の橘高さんのドライブに触れ、抽選に参加する男性ファンに言及するシーンも。ドライブ中の選曲は何か、ドライブ中に何を話すのかと尋ねるオーケンに、車内では自分の曲を流し、ロックの話をするよと答える橘高さん。そこへオーケンがそれではダメだ、と突っ込んでもっとムーディーにするよう熱く語れば、「ロックの話をしちゃいけないのぉ!?」と橘高さんが困惑していて面白かった。

この抽選会には自分も参加した。残念ながら当たらなかったが、なかなか面白い体験ができた。終演後スタッフの誘導を受けて列に並び、入ったのはさっきまで爆音が鳴り響き、オーディエンスが踊り狂っていた場所のちょっと手前の空間。あの熱気と興奮が嘘のようにシーンとした場所に、ガラガラーン、ボトッ、ガラガラーン、ボトッという音だけが寂しく響く。見れば列の先頭では福引のガラガラが回されていて、脇にはベルを置き当たりの玉が出るのを待つスタッフ。まるで商店街の一角だが、自分を含め商店街ではあまり見かけない人々が列を成している。金髪の人、黒ドレスの人、汗だくで髪がボサボサになっている人。彼ら彼女らがあのガラガラを回している。不思議な光景だった。

ガラガラを回して階段を上ればここにはまだライブの余韻が残っていて、飲み物を片手にライブの感想を語らう人、余韻に浸りながら煙草をふかす人、ドリンクカウンターに並ぶ人が大勢いる。夢の世界から商店街を経由して夢と現実の間に戻ったような心地がした。

さぁ、ここからまた現実に戻るのだ。しかしまた一月に会員限定ライブ、三月にもワンマンライブが予定されている。さらにその先の一年後の今日にはきっと特別な非日常が待っているのだろう。では、その先の十二月二十三日はどうだろう。

わからないが、ずっと続いて欲しいと思う。きっとこの日が心の支えになっている人は、大勢いるに違いないのだから。
それはもちろん、自分も含めて。


オーディエンス・イズ・ゴッド
カーネーション・リインカーネーション

暴いておやりよドルバッキー
週替わりの奇跡の神話
香菜、頭をよくしてあげよう

枕投げ営業
LIVE HOUSE(おいちゃんボーカル)
僕の宗教へようこそ

俺の罪(内田さんボーカル)
エニグマ
夕焼け原風景

T2
オーケントレイン
ツアーファイナル
ディオネア・フューチャー

~アンコール~
労働者M
トリフィドの日が来ても二人だけは生き抜く
サンフランシスコ

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日記録0杯, 日常,

2017年12月18日(月) 緑茶カウント:0杯

これはだね、ここ数年考え込んでいることだけれども、今も答えの出ていない話なのさ。それを前提に聞いて欲しい。

少食の人が外食で御飯を残すことは、責められることなのだろうか。

前提として、自分自身は「御飯を粗末にしてはいけない」と教育され、それを当然のものとし、食事の前には「いただきます」を、食事の後には「ご馳走様でした」と食に感謝することを習慣付けられ、出されたものは基本的に平らげ、それを当然のものとして生きてきた。

しかし、苦手な食べ物も多い。そういったものは一人のときには選ばず、同伴者がいるときには代わりに食べてもらうことを願い、叶わないときには我慢して飲みこみ、それで事なきを得てきた。運良く、己の苦手とする食べ物は他者にとっての好物であるパターンが多かったのが救いだ。

そして少食について、である。社会に出たとき、「もう食べられない」「ご馳走様」と言って食べ物を半分近く残す人を見てきた。そのたびに己は「みっともないなぁ」「こんなに残すなんて恥ずかしくないのだろうか」と批判的な眼差しを向けてきた。だが、歳を重ねるにつれ、徐々に受け取り方が変化してきた。この人達は、ある種のマイノリティではないのかと。

それはつまり、社会で一般とされる量の食べ物、それが適量ではない人達、という意味である。

このとき思い出したのは己が一人暮らしを始めた直後の出来事。我が家は四人家族で、父、母、自分、妹という構成であったが、父は単身赴任であるため家にいることが少なかった。母は料理上手で、子供達が「物足りない」と感じることに悲しみを感じる人だった。故に毎日食卓には主菜副菜、色とりどりの美しい料理が並べられ、その美味しさを当然の如く堪能していた。

しかし妹は食が細く、一人前を食べきれない。故に自分が妹の分も食べることが常であった。つまりいつも一人前以上の量を食べていて、苦しいと感じることも少なくなかった。母に食事の量を減らして欲しいと話したこともあったが、たまに妹も一人前以上食べることがある故に、誰かが飢えることを恐れている母は必ず家族の人数分の食事を食卓に上らせていた。

で、だね。大学に入ると同時に一人暮らしを始めたときのこと。「適量」と思う量を自ら作って食べるようになったら、一ヶ月か二ヶ月で七キロも体重が落ちたのだ。もともと標準体重の中ではあったが、そのランクの上位レベルから中位レベル程度に落ちたのである。

そしてこのとき、己は「適量」と感じる量だけ食べられることの幸せを知ったのだった。それは苦しくなく、ちょうど良かった。それまでの自分は腹がパンパンになるまで食べるのが普通で、ちょっと苦しい、と感じるのが当たり前だった。それが無くなったのは驚きであり、衝撃だった。

母を責めるつもりはない。実際、妹はイレギュラーに大量に食べる日もあって、それは予測のつかないことであった。子供を飢えさせたくない気持ちもわかる。同時に、母と自分に共通してあった、食べ物を粗末にしたくない気持ちも理解できる。

それらを通して思うのだ。誰か代わりに食べてくれる人がいない中で、少食の人が生きていくのにこの世の中はなかなか難しいのではなかろうか、と。

食べ物は残さない方が良い。しかし外食のたびに適量以上の量が出されるのが常で、食べ残せば「もったいない」「食べ物を粗末にしちゃいけない」と責められるのは結構な心理的負担だろう。それを回避するためには、外食のたびに「量を減らしてもらえますか」と打診せねばならぬが、それが通らぬこともあるし、いちいちそれを言わねばならないことも負担だろう。

当たり前のように食事を残す人を見て、「嫌だなぁ」と思う気持ちも正直、ある。しかし、残した食事を見咎めて「食べ物を粗末にしちゃいけませんよ」と責められ、いたたまれない顔をする人を悲しむ気持ちも同じようにある。そしてそれは、同じ場面で起こることなのである。

自分はたまたま胃袋の大きさが適当だっただけだ。とはいえ、食べ物を粗末にするにはよろしくない。その間で揺れ動いている。この感情に決着が着くのはまだまだ先だろうと思う。故に己は、嫌悪と寂しさと悲しさと困惑を抱きながら食事処に立っている。まだ、答えは見つからない。



日記録0杯, 日常

2017年12月15日(金) 緑茶カウント:0杯

こはいかなる凶事ぞ。あれは五月のことである。大好きな筋肉少女帯のライブに参戦し、大いに盛り上がり、大いに楽しんだ夢のような日。その夢に溺れている最中、己は苦しみ喘いでいた。痛くて。辛くて。しんどくて。

何がって? 腕を挙げることが。腕を高々と掲げることが、さ。

そう。今まで何ともなかった「腕を挙げる行為」にしんどさを感じ、疲れに苛まれるほど己は体力を失っていたのである。

三十代。三十代だ。しかし三十代だ。そしてこの日自分が見上げていた、挙げた腕のその先にいる、ステージの上の人々は五十代だ。あの激しいステージを魅せてくれている人々は五十代なのだ。

ぜえはあと息を吐き呆然とする。いや、だめだろ。五十代の筋少メンバーがあんなに頑張っているのに、それを観ている自分が疲れ切って腕を挙げることにさえしんどさを感じていたらいかんだろ。三十代から体力は低下すると聞いたことはそりゃああるし、今まさに実感しているところだが、このままじゃあだめだろ、おい。

そう。己は筋肉少女帯のライブを観たいのだ。全力で楽しみたいのだ。体力を落としている場合じゃないのだ!!

ということで一念発起し体力づくりを始めたものの、うまい方法が見つからずこれがなかなか続かない。忙しさの波が来れば中断し、再開するもまた波が来て中断し、と中途半端な日々が続く。しかし諦めない。何故なら己は筋少が大好きだからだ。いつまでも筋少のライブを楽しみたいからだ!

そして最近、やっとコツを掴んで体力づくりを続けられるようになってきて、ちょっとずつだが筋肉がついてきた。先週のライブも疲れることなく腕を挙げきることができた。まだまだだが、ほんのちょっとだけ努力が実って嬉しい。

これからも頑張ろう。筋少のライブを楽しむためにも。筋少のライブを全力で楽しむためにも。

しかしまぁ、我ながら何だが、わかりやすい性格をしているね。ははは。



未分類0杯, インストアイベント, おそ松さん, 大槻ケンヂ, 非日常

土曜日にオーケンが活躍する仮面ライダーの映画を観て、日曜日に筋少のライブで爆音の中オーケンの歌声と面白MCに心を震わせ、そして月曜日の今日。ROOTS66のイベントでオーケンと増子さんのトークを聴き、大笑いして、さらに握手までさせていただく。こんな幸福を享受してしまって良いのだろうか。

会場はタワーレコード渋谷店のイベント会場。「あれ? タワーレコードが化けた鶴か地蔵を助けたかな?」と思うほど、前回のインストアイベントに続いて素敵な番号を割り振られ、じりじりと待って入場した先には並ぶ椅子と整理番号。椅子の背に整理番号が貼られていて、指定された席に座りましょうと指示される。自分は前から二列目でありつつも、斜め前がちょうど空いていたので視界がすこぶる良好。ちょうどオーケンと増子さんが座る席の空間がぽっかり空いて、非常に見晴らしの良い状況を手にしたのだった。

司会のお姉さんに呼び込まれて登場するオーケンと増子さん。背の高い椅子に座り、おそ松さんのエンディングテーマとROOTS66にまつわるトークを語りだす。その面白いこと! 時間は二十分か三十分か、ごく短いもので、後半で熱く語り止まない二人を司会のお姉さんが制して、それでもなお語りだす、というシーンが生まれるほどゲストの二人は盛り上がって喋っていた。さながらここがロフトプラスワンで、のほほん学校の一幕かと勘違いするほどに。

「おそ松さん」のエンディングを依頼されたとき、最初に歌詞を書いて提出したら「前向きすぎる」「クズニートの話なので」と明るすぎるという理由でダメ出しを喰らったことが新鮮だったと語るオーケンと増子さんが印象的だった。そうか、逆パターンはきっと慣れているのだろうが、「もっと後ろ向きに」と指示されるのは珍しかったのか。

「おそ松さん」そのものの話題は少なく、メインはROOTS66について。ROOTS66でグループLINEを作っていて、そこで歌詞作りをしているのだが、あるメンバーがそのグループLINEに詩を投稿することがたびたびあり、衝撃を受けたと語るオーケンと増子さん。このあたり、名前は出さない方が良いかもしれないのであえてぼかしておこう。

イベントについての突っ込みもあった。今日のイベントに集まったお客さんは、オーケンファンなのか、増子さんファンなのか、おそ松さんファンなのか。我々と握手できてこの人達はいったい嬉しいのか何なのか全く想像がつかないと語る二人。笑う我々。はっはっはっ。ご安心ください。ここに十年越しの筋少ファンのオーケン信者で、おそ松さんのブルーレイを全巻集めているおそ松さんファンがおりますよ。

何と言うか、自分のために開かれたイベントかと思ったね。

MVの撮影はレコーディングの後にわりとあっさり行われた話もあった。絵コンテを見せられていたのでだいたいどんな仕上がりになるかわかりつつも、砂漠やら何やらと言った大げさなスポットに連れて行かれなかっただけ楽だったらしい。いやあ、あのMVはとてもキュートで素晴らしかったね。ちなみに登場順は生まれ順とのこと。故に、「えっ!? いきなり友森昭一!? 格好良いけどいきなりギター!?」と驚く構成になりつつも、うまい具合にはまったそうだ。

面白かったのは、ROOTS66という同じ年に生まれたメンバーが集まったプロジェクトにも関わらず、オーケンが先輩扱いされているということ。早生まれで、尚且つデビューが早かったということで、一世代上の忌野清志郎と同年代かと思っていた、とメンバーに過剰に年上に思われていた衝撃もあったらしい。はたから聞けばびっくりだが、そういうこともあるんだなぁ。

ROOTS66が番組に出た話も。番組の枠は二時間もないのに、ボーカルが集まってトークをする場面で二時間準備され、結局二時間以上話してしまったそうだ。曰く、四十代であればまだギラギラしていて、互いにライバル意識を持つこともあろうが、五十代になるとのほほんと仲良くできるらしい。そして肝腎のトークは下ネタだらけで、しかも司会がリリーフランキーさんだったためリリーさんまで仲間に入り収集がつかなくなり、途中でメンバーのビデオレターが挿入されるもそれも下ネタでそれすら誰も聞いていない、というひどいありさま。アシスタントの女性はしらーっとしていて、いったいどこが番組で使えるんだ、という様相であったと言う。まぁ、楽しそうで何よりです。

ちなみにおそ松さんのエンディングのオファーをもらったときは、そりゃもう喜んで! という勢いであったらしい。オーケンはおそ松さんで赤塚不二夫、仮面ライダーで石ノ森章太郎に関わり、残りは手塚治虫! どのようにオサムシの牙城を崩そうか! と語り、ROOTS66で勝手に「火の鳥」をやってしまってはどうか、という話題が出て、具体的なキャスティングまで話にのぼり、非常に面白かった。

トークの後は握手会で、荷物をきちんと脇に置いて手ぶらで参戦するという厳粛なシステムにドキドキしつつ、頭の中で話したいことを考えたものの、ものすごい早さで流されて行くため言いたいことを全て伝えることは出来なかった。増子さんにはこれを言いたい、と思っていたものの、増子さんに「良いお年を!」と言われた途端頭が真っ白。「ありがとうございます、ありがとうございます」と壊れたテープレコーダーの如く繰り返すしかない機械に成り下がった。

オーケンには何とか想いを発することが出来たがその時間の短いこと! しかしじっと目を見て手を差し出してくれるオーケンのありがたさったら。今回、プレゼントを直接渡すことは禁じられていたため手紙はプレゼントボックスに入れるしかなく、それは残念ではあったが、ぎゅっと握った手のやわらかさは感触として記憶に残った。

そして。そして、だ。「え、もしや」と思いつつ。トークの時も握手会の時も、「あ、これって」と思いつつドッキドッキしていたため確証を掴めなかったが、イベント終了後にタワーレコードがアップしてくれた写真を見て「あ」と確信を得る。おーけんのきているしゃつとおなじやつ、もってる。わあ。わあ。わあ! 本人が買ったかわからない。ファンからのプレゼントかもしれない。でもびっくりした。心臓が爆発するかと思った。いや、もともとオーケンの着ているシャツ良いな、と思って調べてそのブランドが好きになって、それでちょこちょこ買うようになってって経緯だから、ありえる話ではあるのだが。あるのだが。

我ながら気持ち悪いファンだなぁと思いつつ。握手の余韻に浸りつつ。幸福な時を噛み締めたのであった。
あぁ、ありがとう。



未分類0杯, 筋肉少女帯, 非日常

あぁ、最高に楽しかった。

明日はオーケンが参加しているプロジェクト「ROOTS66」によるおそ松さんのエンディングテーマ「レッツゴー!ムッツゴー!~6色の虹~」の発売記念インストアイベントがある。内容はトーク、そして握手会。登壇するのはオーケンと怒髪天の増子さん。違うイベントではあるが、ライブの翌日握手会に行ける機会なんぞ滅多にない。せっかくなので今日のライブの感想はオーケンへの手紙にしたためよう。

そのうえで、ここに書き記しておきたいこと。ニューアルバム「Future!」発売記念ライブのツアーファイナルを迎えた今日。発売から毎日、一ヶ月以上もの間一つのアルバムを聴き続ける日々を送るほど夢中になっているこの曲を、一つのライブで全て聴けるのはきっと今日が最後だろう。故に全力で盛り上がり、全力で楽しんだ。のっけからオーディエンスを波に乗せる「オーケントレイン」「ディオネア・フューチャー」で高々と天に向けて一本指を立て、「脳Wi-Fi!!」と大声で叫ぶ気持ち良さ。かと思えば懐かしの一曲「新興宗教オレ教」ではうっちーの妖しいベースが地を這うように響き、赤と紫のライトがステージを色濃く染める。

今日のライブはニコ生のカメラが入っているとのことで、一月に放送されるそうだ。オーケンはニコ生を意識した軽快かつ抱腹絶倒のトークを繰り広げ、通常のライブよりもさらにサービスが入っていたように思う。名古屋のライブで新幹線のチケットを失くし、自費で現地に向かったエピソードを語ったときの、新幹線代「いちまん、いっせん、きゅうじゅうえん!!!!」のシャウトの格好良さと美しさの迫力と言ったら。一万一千九十円に使うにはもったいないほど素晴らしいシャウトだった。あんなに格好良い一万一千九十円を聞くことは今後二度と無いだろう。

「エニグマ」ではトコイトコイと妖しく盛り上がり、「奇術師」はエディのピアノから始まるライブならではのアレンジ。途中途中、橘高さんのギターの調子が心配になる場面もありつつも、しっとりと聴き入る時間がとてつもなく気持ち良かった。

特筆すべきは「サイコキラーズ・ラブ」。オーケンがね、冒頭を噛み締めるように、語るように歌ってくれて、それがとても胸に響いたんだ。目の前にいる大事な人に、こんな悲しい人がいるんだよ、と一所懸命伝えようとしているような。そんな語り口だったのだ。

今日はオーケンの声が絶好調で、「へー筋肉少女帯のライブをニコ生でやるのか。よう知らんけど観てみようかしら」と観た人がズキュンと一目惚れしてしまうのではなかろうか、とその後の人生を心配してしまうほど格好良かった。アイメイクも普段よりも濃い目で実に美しかった。

久しぶりの「バトル野郎~100万人の兄貴~」を楽しみつつ、「T2」で大爆発。この盛り上がりはすごい。個人的に、釈迦やサンフランシスコと同等の盛り上がりだったのではなかろうか、と思う。新曲とは思えない爆発力で、全力で「異議なし!!!」と叫び、大暴れできて非常に楽しかった。

アンコールでは「人間嫌いの歌」を。「告白」を歌ったその日にこれを歌ってくれる筋肉少女帯が大好きだ。「3歳の花嫁」で涙腺を刺激されつつ、最後は「釈迦」で爆発して終了。おいちゃんのペットボトルシャワーによる冷たい水飛沫とおいちゃんの笑顔を存分に浴びたとき、肺の中身の空気が全て入れ替わったような心地がした。

今日のライブのMCは特に、爆笑ポイントが盛りだくさんだったのだが、中でもすごく好きだなと思ったのはエディの話。エディはオーケンが出演している仮面ライダーの映画を初日に観に行ってくれたそうだ。自ら前売り券を買い、劇場に赴き、「すごく良かったよ!」と熱くオーケンを絶賛するエディ。さらに、劇中であと少しというところでオーケン演じるカイザーの野望が潰えたことを惜しみつつ、もし野望が叶ったらきっとすごく寂しいよと語り、後の世界には内田さんもおいちゃんも橘高さんも長谷川さんもいないことを切々と訴える。

もうたまらない。作り手からしたら、こんなにありがたい話はないだろう。エディは朗読CDにしろ仮面ライダーの映画にしろ、自分でお金を出してがっつり堪能して全力で感想を言って力強く褒め称えてくれる。こんな友人を持てるなんてどんなに幸せなことだろう。エディ、素晴らしいなぁ。

そして今日のライブの全てが終わり、余韻に浸りながら外へ向かおうかとしていたときのこと。「とれましたか? 良かったら」と見ず知らずの人が、笑顔で己に橘高さんのピックを差し出してくれたのだ。びっくりした。神様かと思った。きっとその人は複数枚手に入れることができたと予測できるが、まさかこんな風に全く知らない人から優しくしてもらえるとは夢にも思っていなかっただけに感動した。

手のひらにはピックが一つ。嬉しかった。嬉しかった。己もいつか同じようなことがあったら誰かにピックを差し出そう。最高のツアーファイナルがさらに彩られた瞬間だった。