日記録4杯, 日常

2013年8月28日(水) 緑茶カウント:4杯

何て美しい髪なのだろう、と息を呑むほどの髪の持ち主であることにどうして今になって気付いたのかさっぱりわからない。その人とは数ヶ月前に知り合い、ちょくちょく話をすることもあり、笑顔が素敵な人だなぁ、綺麗な人だなぁ、と初めて見たときから思っていたが、今日車道の向こう側を歩く彼女の後姿を偶然見たとき、毛の一本一本がとても良いものでコーティングされているような、ツヤツヤ輝き、サラリと流れ、太陽の光をキラキラと反射するこげ茶色の髪に目を奪われ、あまりの美しさに本当に驚いてしまった。

シャンプーのCMで見る、きっとCG加工されたであろう髪をしのぐほど美しい。生まれ持ったものか、努力により培ったものか、あるいはその両方かはわからないが、何であろうと何と素晴らしいのだろう。己は本気で見惚れていた。綺麗だったなぁ。



日記録5杯, 日常

2013年8月27日(火) 緑茶カウント:5杯

畳に寝そべって昼寝をする友人を眺めて思ったのは、とりあえず自分は寝首をかくような人間だとは思われていないのだな、ということだった。いや、もちろんかく気なんぞ全く無いが。

買ったばかりのオーケンの新刊エッセイを読み終わり、二周目に入りながら買ってきたビールを飲みつつ、自分だったらどこまでなら寝ていられるだろう、と思った。とりあえず電車はいける。しかし電車で寝られるというのはよくよく考えたらかなりすごいんじゃないか。知らない人ばかりの中で無防備をさらけ出すんだぜ。

とはいえそこには他人と他人と他人と他人と他人と他人と他人という関係性があり、例えば電車で寝ている自分の寝首をかこうとする人間がいたとして、それを見る人間もいるわけで、その多くの他人達がどんな思考や思想を持っているかはさっぱりわからないことを考えると、人の目を気にする人であればリスクを冒してまで寝ている人に対して何かをしようとすることは無いだろう。

そして思うのは、全く自分のことを知らない人の前で寝ることと、自分の知っている人の前で寝ること、どちらの方がハードルが高く感じるだろうかということで、全然知らない人とちょっと知ってる特に仲の良いわけでは無い人だったら、両者がどちらもそれなりに善人と仮定した場合、後者の方が抵抗があるなぁ、というのが自分の場合。中途半端に自分を知っている人の前で寝るのが一番嫌かもしれない。

それにしてもよく寝るものだ、と思っている間にビールが空に。二本目を買おうか迷いつつ、結局買わずにぼーっとしながら、コンタクトレンズを装着していると気軽に昼寝が出来ないのが悩みものだな、と特に眠くもないのにぼんやり思った。



日記録4杯, 日常

2013年8月26日(月) 緑茶カウント:4杯

せっかく伸ばした羽と足を畳んで縮めて全力で睡眠を放棄する作業に入ることを宣言する。

寝たいがそれどころじゃない。忙しくなることはわかっていたがまさかこんなことになろうとは。くわぁ。



日記録2杯, 日常

2013年8月23日(金) 緑茶カウント:2杯

明日から一泊二日で温泉に浸かってくるので。思い切り羽を伸ばしてくるので。足も伸ばしてくるので。
広い風呂に入るのも久しぶりである。楽しみだ。



日記録4杯, 日常

2013年8月21日(水) 緑茶カウント:4杯

すげえ好きな服屋がありまして。ちょちょいっと見に行ったら好みの服が何着かありまして。ところがそこは自分にとってはなかなか良いお値段のお店でありまして。ですからね。どの服にしようかな、と吟味して選ぶわけです。選んだ末に「好きだな」と思いつつ、選外として決着させるものもあるわけです。それは当然の帰結なのです。

しかしまた次の年、自分好みの服が売られているとは限らないのである。

今年は外れ年だった。

そう。好きな服屋であってもその年の流行やデザイナーの気分によって傾向は多少異なるのである。つまり、来年も必ず自分好みの服が揃うとは限らず、場合によっては数年「これ!」というものが見つからず、過去のデザインに囚われ続けるはめになることすらある。さらに、いくら大事に着ようとも服も一つの消耗品、買い足しや買い替えは必然迫られるが、迫られたそのとき自分が欲しいと思えるものがこの世に無いという悲劇に見舞われることさえある。自分はそれを知っている。

あぁ、出来ることなら過去に戻って、あのとき選外に決着させた服を今購入したい、と思ったところで叶わぬ願い。だから気に入ったものを見つけたなら、そのとき買い揃えるべきなのだ。それを自分は学んだ。自身の体験を持って学んだ。次からはそうしよう、と心に決めた。

でも高いんだってばよ。

学んだことを生かすべき、と思いつつ己は今選択を迫られている。来年何が来るかわからないだけに。何も来ないかもしれないだけに。