日記録5杯, 日常

2013年9月4日(水) 緑茶カウント:5杯

久しぶりに会った友人達に就寝時間を聞いてみた。

「お前ら最近何時に寝てんの?」

「十一時」
「十時」
「十一時半」

「………」

皆、思った以上にきちんとした生活を送っていた。

日付が変わる前に眠るなんて年に何回あるだろう。それにしても、一時くらいならいるだろうと思いきや、まさか皆十二時前に寝ているとは。朝の四時まで起きていたお前らはどこにいったんだよ、と思いつつ、社会人だものなぁ。

正直なところ若干ショックを受けたが、今になって変わることは無いだろう。なるべく一時には寝たいと思いつつ今日も気付けば二時手前。多分寝るのは二時半だ。まぁ、仕方ないな。こんなもんだろ。



日記録4杯, 日常, 水戸華之介

2013年9月3日(火) 緑茶カウント:4杯

多分何かしらの意味があるのだろうが、さっぱり意味を読み取れない。鍵を掴めば理解出来るのだろうが、鍵の在り処がわからない。それとももしや、実は意味があるように見えて何も意味も無いのだろうか。いやいや、この人の作ったものなら何かしらの意味があるはずだ。

水戸華之介、杉本恭一、吉田一休の三人から成るユニット「屑」。この屑の曲の一つに「君を守りたい」というタイトルのものがあるのだが、こちら、歌詞カードを見ても歌詞は書かれておらず、しかしインストゥルメンタルというわけでもなく、意味があるのか無いのかわからない音を三人で楽しげに歌うというもので、楽しそうなのは良いことだが、どうしてそれが「君を守りたい」というタイトルになるのかが、全然わからないのである。

で、あれば検索してみれば良いだろう、と思ったものの、ネタの解説なんぞ野暮がするもんよ、と言うかの如く鍵の手がかりは何も検索に引っかからず、そもそも「屑」に関わる記事すら少なく、身近な人に聞こうにも身近に屑を聴いている人がいないため、謎は深まるばかりなり。

常に気になっているわけでは無いが、たまに思い出しては何だろうと思い、今度聴くときには何かに気付けるかもしれないと思い耳を澄まして聴いてみるもやはりわからず、いつか鍵を見つけられる日が来るのだろうか。これで何の意味も無かったら泣く。



日記録0杯, 日常

2013年9月2日(月) 緑茶カウント:0杯

漫画「進撃の巨人」を第一巻から最新刊まで一気読みした。期待値が高すぎたせいか、血液が沸騰するような興奮こそ覚えなかったものの、ありきたりな言い方をすれば普通に面白かった。

巨人になす術もなく食い殺される人類の無力さが延々と描写され、そこにやっと巨人に太刀打ちできる人類最強が現れ束の間胸を撫で下ろし清涼感を味わうものの、直後にまた巨人の蹂躙が始まり、裏切り者が現れ、仲間がどんどん死んでいく。他の漫画だったら死に際に大きなドラマを用意されるだろうキャラクターもあっさり食い殺されて行くのが潔いというか何と言うか。ハンジくらいの立ち位置であれば通常はよほどのことが無い限りあっさり死ぬことも無いだろうが、この漫画では次のコマでむしゃむしゃ喰われそうである。

ハンジと言えば。実は「進撃の巨人」は以前古本屋で軽く立ち読みをしたことがあったのだが、そのときハンジを見たとき、特に性別について何か思うことは無かったのだが、後になってハンジの性別論争の存在を知ったとき、「へーあれをあっちの性別だと思った人がいるんだ」と驚いたことは記憶しているのだが、そのとき女派と男派の主張をいくつか読んだら自分がそもそもハンジをどっちの性別だと思ったのかということをすっかり忘れてしまい、読んだ当初は何も疑問を抱かなかったはずなのに今ではもうわからないというありさまになり果てている。

ちなみに好きなキャラはユミルとリヴァイです。どっちも目つき悪いんな…。



日記録0杯, 日常

2013年8月31日(土) 緑茶カウント:0杯

まさか二週連続で昼から酒を呑むことになろうとは。我ながらちょっと呑みすぎだと思う。

先週は旅行、今週は立食パーティーで。そして今日は立食パーティーからライブバーへの梯子というアルコール漬けの一日だった。途中でウコンを摂取したのは正解だろう。よく呑んだ。

充実した一日だったなぁ。楽しかった。



日記録2杯, 日常

2013年8月30日(木) 緑茶カウント:2杯

ジーパンかスーツ、スニーカーか革靴の両極端の二択しかなく、そのうえ圧倒的に前者の方が数が多く、その前者すらさして数が多くない自分に、「きれいめの服で来るように」という曖昧な指示を出した人が呪われるのはもはや已む無しと思っていただきたい。

きれいめの服って何だよ。

親切なことにこの問いに答えてくれる人がいたが、なるほどと言葉自体は理解出来たものの何と何を組み合わせれば良いのかわからない。そもそも持っていない。参考画像を見てもあまりピンと来ない。何と無くわかったような気がするものの、それと「違う」ものの区別がつかないのだ。

自分の好きな服を着るのは楽しいが、その範囲が限りなく狭いため服のことを考えると憂鬱になることが多く、今はもう着る服を考えること選ぶことに疲れ、生きることすら投げ出したくなっている。一生Tシャツとポロシャツとジーパンとスニーカーで暮らしたい。己はいったい何を着れば良いのだ。