日記録1杯, 日常

2014年9月4日(木) 緑茶カウント:1杯

このところ体重と体脂肪率が落ちているわりに、脇腹と背中に肉の気配を感じている。ということは、脇腹と背中に肉がたまる代わりに、どこかの肉が落ちているはずなのだがそこがどこかわからず、ただただ不可解さを感じている。

昨今、忙しいあまりに運動が出来ていないが、しないとまずそうである。やろう。なるべく。と、胸に誓って。



日記録2杯, 日常, 漫画

2014年9月3日(水) 緑茶カウント:2杯

Mr.FULLSWING、通称ミスフルという漫画を高校時代愛読していた。それは野球漫画のようなギャグ漫画で、試合中に唐突にギャグが挟み込まれ、登場人物は主人公以外全員奇抜な格好で、中には卒塔婆を持ち歩いたり馬に乗ってグラウンドに乱入する者もいる。語尾は必ず奇抜でなくてはならず、カッコ笑いや顔文字まで語尾と化し、話が進むにつれまともな格好の人物は減っていく。そんな漫画だ。

我が家はそもそも野球に関心が薄い家で、テレビで野球観戦をした記憶は無い。両親はサッカーに夢中で、自分はスポーツにはさして興味が無く、球技が嫌いで、体育の時間でも野球やハンドボールに触れる機会が無かったため、野球のルールを知らずに育ち、ミスフルを読んで初めて野球を知ったのだった。そのため、未だに野球のルールを理解出来ていないのである。わかったのはショートなるポジションは余った人をとりあえず配置する場所では無いということと、ホームランを打てば三点入るわけでは無いということ、腹に頭突きをしてはいけないことくらいだ。

野球漫画のようなそうでないようなこの漫画。自分にとっては思い出深い作品で、ミスフルについてなら一晩語り続けられる自信があるほど愛着がある。ただ愛の方向性が多くのファンとずれている自覚があり、作品完結後に発売された文庫本に書き下ろされた、大多数のファン向けと思われるおまけ漫画に対し、「あぁ! そうじゃない! そんなものは求めていないのだよ!」と拒否反応を示した自分は同好の士に出会ったことがなく、一度思いっきりミスフルのおかしさについて語り明かしたいものだと思いつつ、たまに思い出しては衝動のスイッチが入り、ひたすらこのように思いの丈を書き付けるのである。



日記録3杯, 日常

2014年9月2日(火) 緑茶カウント:3杯

ふと目にした「インバストリートメント」なる文字を「インキュバストリートメント」と読み間違え、数秒後に文字を見つめ直して間違いに気付くも、脳内は勝手に展開を始め、インキュバスから連想するばっよえ~んでどんえ~んでばよひひひーな世界観で頭がいっぱいののーみそこねこね。インキュバス。これは伝説上の夢魔の名前であり、「魔導物語」「ぷよぷよ」シリーズに出てくるキャラクターの名前でもある。そして自分は圧倒的に後者を連想してしまうので、すると自動的に脳内がコンパイルで埋め尽くされてしまうのだ。

この奇病を患ったのはもう十五年近くも前のこと。思春期にぷよぷよにはまってから、熱が落ち着き、すっかりゲームに触れることが無くなった今でさえ、日常の中でちょっとした単語を拾うたびに脳が弾けて戻って来なくなる。インキュバスは特別好きなキャラクターというわけでも無く、一押しはドラコケンタウロスなのだが、ドラコケンタウロスに比べればよっぽど日常で目にする機会のある単語であるためスイッチになりやすい。あとすけとうだら、サタンもなかなかの頻度だ。

きっと五十になっても六十になってもこの奇病は治らず、ばっよえ~んでどんえ~んでばよひひひーのるいぱんこ、どんぱうんぱであり続けるのだろうと確信しつつ。インキュバストリートメントって何だよと思っている。



日記録4杯, 日常

2014年9月1日(月) 緑茶カウント:4杯

長ズボンしか選択肢が無いのに外は大雨。しかも濃い色のズボンは洗濯に出して現在吊り下げられており、残るは白のズボン、もしくは寝巻き。いや、七分丈のズボンもあるにはある。だが目的の外出先にはふさわしくない。そう、己は外に出なければならないのである。目的のために。大雨の中。しかも長靴も無い。無い無い尽くしの無い尽くし。

出るのか。白い長ズボンを穿いて。この地上全部が水溜りになっているかのような雨の中。歩くのか。この足で。スニーカーなんぞ五秒で浸水するだろう。靴の中で皮膚と爪はふやけるだろう。鞄もどうせ濡れるだろう。うわあ、憂鬱。

いっそ寝巻きとサンダルで歩いてしまいたいと思いつつ外に出て、帰宅後服を脱ぎ散らかして白ズボンの裾を検分し、奇跡的に泥汚れがついていないことを確認し、意外となかなか器用に歩けるのだなと思うも、待ちかねたるはさらなる悲劇。洗濯物は今だ生乾きで、白のズボンもすっかり濡れて。明日は何を着れば良いのだろうか。途方に暮れる夜。靴も濡れてるぜ。ははは。



日記録1杯, 日常,

2014年8月31日(日) 緑茶カウント:0杯

たかだか切っただけのトマトがどうしてこんなに美味いのだ。

塩すら振っていない。トマトを二個、厚めに切って皿に乗せただけ。これだけで立派なおかず、もしくは酒の肴になるのだから素晴らしい。そもそもトマト料理が大好きで、トマトの登場頻度の高いイタリアンに目が無いので、人よりトマトへの愛が強い自覚はあるが、やはりそれ以上にトマトそのものが美味いのだ。

しかし昨今はどうにも野菜の値段が高く、あれこれと買うと思った以上の支払い金額になるのが困ったものだが、それでもやはりこの季節、トマトの消費は抑えられず、ついでにミョウガの消費も抑えられず、毎日のようにトマトやミョウガを食べて、過ぎ行く夏を実感しているのである。