未分類0杯, 筋肉少女帯, 非日常

たった二週間前に筋少を観たばかりであるにも関わらず今日この日が待ち遠しくてたまらなかったのは、それほど己にとって筋少と言う存在が大きいためだ。本日の会場中野サンプラザは己が初めて筋少のライブを観た場所で、それも再結成ライブで、凍結中に筋少を知った故にまさか生で観られる日が来るとは思っていなかったのにステージで歌う姿を観ることができて、あれから十三年。二十周年三十周年を共に祝い、当たり前のように次があることを期待できることがたまらなく嬉しい。

三十一周年突入を祝う本日はテレビの生中継も入り、ステージも豪華にセットされていた。中央にはソファが置かれ、左右には高台が組み上げられ、ステージの奥には30th Anniversaryを祝う筋少ロゴが描かれた巨大な垂れ幕が飾られ、上手にはもちろんマーシャルの壁が大きな存在感を放っている。上手側の席に着きステージを眺めつつ刻一刻と開演の時が迫りくるのを待つ。あぁ、もうすぐ筋少に会えるんだ。筋少の歌が、演奏が聴けるんだ。携帯電話の電源も落とし、準備は万端。あぁ、ついに始まるぞ。

そして照明が落とされるとステージに煌びやかなメンバーが現れ、サンフランシスコの掛け声と共に己は思いっきり地面を蹴った。

セットリストは定番曲とザ・シサの曲を中心に構成されていて、ソファと高台という普段にはないアイテムが投入されることにより、それぞれの曲でいつもとは違うアクションを観る機会に恵まれ、あっと驚くような新鮮さがあって楽しかった。間奏中楽しげにソファに座り、時にはダイブし、時には寝っ転がりとやりたい放題。おいちゃんに至ってはソファに足を乗せてギターを弾くシーンも。オーケンのリクエストで設置されたソファはメンバーみんなお気に召したらしい。今後も是非ホールのライブで設置してほしいものである。

途中ではオーケンとメンバーが揃ってソファに腰かけてトークをする場面も。オーケンは人との接触を嫌がる印象が強いため予想外であると同時に、あれはかなり珍しい光景だったように思う。今まで見たことないものなぁ。

三十年を振り返る中で今日も凍結中の仲違いがネタにされていたが、こうしてネタにして笑えるようになって良かったなぁ。喧嘩どころかニコニコしながらソファに座ってトークをしているよ。嬉しいなぁ。

仲違いと言えばこの曲が来ないわけがない。ということで久しぶりに演奏された「仲直りのテーマ」でなーなーななーなと拳を振り、「僕の宗教へようこそ」ではスタンドマイクを撫でまわすオーケンの手つきに見惚れ、エディの高らかなオペラの迫力に圧倒される。

で、この流れからの「エニグマ」が最高に格好良かったんだ。真っ赤に染められたステージにレーザーのように交差する無数の照明が妖しく動き回り、ド迫力のドラムが響き渡る。また、エニグマの終わりに一瞬ステージが白く照らされたのだが、魔物の跋扈する異界の時間から急に夜明けが訪れたようで、幻から現実に一気に立ち返ったような不思議な感覚がして面白かった。

アンコールでは高木ブーさんのエピソードを紹介して「元祖高木ブー伝説」「釈迦」が演奏され、これで終わりかと思いきや…………間髪入れず、まさかの「モーレツア太郎」!

思わず、悲鳴が出た。嬉しくて。

しばらくライブで演奏されていなくて、でもこの曲が、特に新人収録バージョンがものすごく好きで、だからずっとずっと切望していたんだ。それを、今日、聴けた。

格好良かった。オーケンの叫びが、シャウトが、駆け上がるようなギターとピアノの音色がたまらなく美しくて、心が震えた。「モーレツア太郎」はデビューアルバム「仏陀L」の一曲目で、再結成後最初のアルバム「新人」でカバーされた象徴的な曲で、だからこそ今日この日の最後を飾るのにこれ以上ふさわしいものはない。狂えばカリスマ、吠えれば天才、死んだら神様。じゃあ、ずっとずっと続けていたら何だろう?

橘高さんがギターを破壊し、マーシャルの壁に投げつける。爆発と共に背後の垂れ幕が落ち、その下に描かれていたのは「31st Anniversary」の文字! オーディエンスが歓声を上げる中、高台の上では内田さんが腹ばいになって倒れたマーシャルを眺め、オーケンがスマホを取り出してその様子を撮ろうとすると橘高さんが写り込もうとし、水を撒き終わったおいちゃんはニコニコと笑っている。興奮と多幸感に包まれながらこの時間が終わることを寂しく思いつつ、この先があることを幸福に思った。

ありがとう、筋少。これからもずっとついて行きます。

ところでまさか山岸凉子の「天人唐草」のあのシーンをライブで再現することになろうとは思わずびっくりした。キエーーーーーーーー!!



日記録0杯, 日常, 筋肉少女帯

2019年6月23日(日) 緑茶カウント:0杯

こはいかなる凶事ぞ。

凶事と言って良いのか知らぬが、このところ想定外のことばかりが己の身に起きて心身の消耗が甚だしく、あー困ったなーと思っていたところで中野ブロードウェイにて開催される筋肉少女帯展。特別グッズに衣装の展示に、筋少ファンにとって楽しくないはずがないイベント。行ってきましたよ日曜の昼間に。わくわくしながら中央線に乗って。

たった二日前にスタートしたと言うのにいくつものグッズが売り切れていて、オーケンの特攻服を模したシャツが無くなっていて残念に思いつつ、サンプルを試着させてもらえばぶかぶかで、あぁ、サイズの合わない服に二万円出すはめにならなかったと思えばこれはこれで行幸だと思いつつ、三十日のライブに合わせてここに来る人も大勢いただろうになぁと思うと、一日二日で目玉のグッズが完売してしまったことが何とも寂しくも感じた。バッチのガチャガチャも空っぽになっていたものなぁ。

同時に、己の愛する筋肉少女帯がこれだけ愛されていることが単純に嬉しく、書き込みができる紙が貼られていたのでサラッと感謝の言葉を書いて店を後にした。店内に流れる筋少の音楽を耳にしながら展示された衣装を眺め、筋少のグッズに囲まれながら筋少を愛する人々と共に同じ空間にいられることは楽しくて、帰りに立ち寄ったメカノでも内田さんによるテクノアレンジの筋少曲が流れていて、ガタンゴトンと電車に揺られながら、あぁ、今日は良い日だったなぁと思った。

そして来週はついにデビュー三十一周年記念のライブである。それも己が初めて筋少を見た思い出の地で。
あぁ、楽しみだ!



未分類0杯, 筋肉少女帯, 非日常

四ヶ月ぶりの筋少ライブは本当に久しぶりで、それはこの数ヶ月の間、ずっとずっと誰かのライブに行く以外はひたすら水戸さんの音楽を聴き続けていたこともあって、故に本当に久しぶりに、己は筋少を全身に浴びて堪能した。

たまにそういう時期があるのである。誰かの音楽だけをひたすら聴きたい時期が。そしてこの数ヶ月己が必要としていたのは水戸さんだった。水戸さん以外の音楽をウォークマンで選択する日は無かった。

だから、びっくりするほど新鮮だったんだ。そして驚いたよ。こんな新鮮な気持ちで、それでいて懐かしさと満足感と興奮を同時に感じながら筋少の音楽を浴びることが、まさか十年も筋少ライブに通い続けた今感じることができるとは思わなかったんだ。生まれて初めて筋少のライブに足を運んだ日と似ていて、どこか違うあの新鮮な興奮を再び感じられたことが何だかやけに嬉しかったんだ。

そして再結成からずっとずっと、いつかライブで聴きたいと熱望しつつもそんな日が来るのだろうかと思っていたあの曲が。「ビッキー・ホリディの唄」を、今日ついに聴けたんだ! 思いもよらなかったよ! だって、ライブタイトルからしてシサ曲中心のセットリストに違いないと勝手に思い込んでいたのだから。そしたらどうだろう。「オカルト」「ゾンビリバー」「宇宙の法則」をおさえつつ、ツアーでは披露されなかった「ケンヂのズンドコ節」がついに解禁され、一曲目は大盛り上がりの「ディオネア・フューチャー」で、「わけあり物件」「ムツオさん」といったちょっと最近では登場頻度が減っていた曲も演奏され、「ゴーゴー蟲娘」に「おもちゃやめぐり」に「じーさんはいい塩梅」、さらにTHUNDER YOU POISON VIPERの演奏で「孤島の鬼」まで! 定番曲もありレア曲もあり、最高に嬉しく楽しいセットリストに興奮しないわけがない。

そのうえ今日は二列目で視界を遮るものはほぼなく、おいちゃんの笑顔とキャスケット姿のオーケン、オカルトで不思議な踊りを踊るエディをがっつり堪能することができた。上手はちょっと見えにくかったが、それでも内田さんも橘高さんもたびたび下手にやってきてくれたのでありがたかった。

アンコールの後はおいちゃんが手を握ってくれたよ! あぁ、こんなに幸せをいただいてしまって良いのだろうか…………!!

そうそう、「ゾンビリバー」のエディがすごかったんだ。あの激しいピアノを弾きながら口元が楽しそうに微笑んでいたんだよ。エディは心からピアノを弾くことが好きなんだなぁと、その口元を見つめつつ感じ入った。

来週にはまた六本木で筋少を堪能できる。またあの空間を味わうことができる。オーケンのトークで腹を抱えて笑い、拳を振り上げて叫び、激しく心地よい音に全身を委ねる夜が。今日、釈迦で「シャララシャカシャカ!」と叫びながら腕を振り抜いたとき、自分の帰るべき場所の一つはここなのだ、と改めて感じた。思えば人生の半分を筋少と共に過ごしている。冗談でなく、己にとって筋少は人生であり、筋少なしの人生はありえないのだろう。そんなことを感じさせられた一夜であった。

あぁ、幸せだ。幸せな夜だ。心から。



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最高に楽しかったなぁ…………!!

「ザ・シサ」ツアーの直後ということもあって「ザ・シサ」の曲を中心に構成しつつ、「ディオネア・フューチャー」「トリフィドの日が来ても二人だけは生き抜く」「僕の歌を総て君にやる」「ワインライダー・フォーエバー」に、定番曲の「サンフランシスコ」と「釈迦」という贅沢な構成。さらに、オーケンの弾き語りによる「人間のバラード」とインストゥルメンタルの「孤島の鬼」。

中でも「人間のバラード」はすごく嬉しかった。クリスマスにふさわしい曲かと言われれば首をかしげる侘しさが漂うが、後ろ向きで、とても寂しい人間賛歌だと己は思うのだ。

人に生まれて良かった。人に生まれて良かった。そう思いながら生きていたい。

毎年恒例の二十三日のライブということで、毎年恒例のクリスマスいじりがMCでは輝き、今日はクリスマスならぬ「キンニクマス」とオーケンにより命名される。そうしてクリスマスにも関わらず筋肉少女帯のことばかり考えている、世間一般で見れば隅っこにいる我々は水を得た魚のように大盛り上がりで、まるでここが世界の中心かの如く、キンニクマスを楽しんだのであった。

筋少物販では年に一度の福袋が販売され、橘高さんの物販では毎年恒例の抽選会が開かれる。つい、この空気を楽しみたくて早めに物販に並び、福袋をゲットできなかったもののこの日独特の賑わいに心がウキウキした。新商品のパーカーは買えたしね。

あとさ。嬉しかったのが。ずっと買う機会を逃し続けていた大槻ケンヂミステリ文庫の新譜を今日この場で買えて、さらにポスターとチェキがもらえたってことさ。これは予想していなかったことだったから尚更嬉しかった。こんなに素敵な特典をたくさんもらってしまって良いのかと、袋を抱えながらソワソワしてしまった。

いつだってこの日は特別なんだ。だから毎年、この日のために生きているんだ。

前方ゾーンに突入すれば、久しぶりの激しい圧縮とノリで全身汗だくになった。自分を含め、オーディエンスの群体がまるで一つの生き物のように感じられ、うねるうなりの中で何とか自分の足場を確保し、拳を突き上げてただひたすらステージを見つめる。特攻服を着たオーケンは激しく声を響かせ、赤いライトに照らされるとゾッとするほど格好良くて、「今後は母性だけでなく父性もくすぐっていく」と母性クスグラーを自称するMCでの姿とのギャップが凄まじかった。

アンコールではおいちゃんとふーみんがサンタの装いで現れ、ニコニコしながらお菓子を投げてくれる。取れなかったが、その姿を見るだけで幸せだった。開演前に流れるクリスマスソングの数々は普段イヤホンを耳に挿し、筋少ばかりを聴きながら街を歩く己にとって唯一、今日のみ耳にするものだ。そして開演を知らせる音楽は「二十一世紀の精神異常者」。そう、元号が変わろうとも我々はずっとここにいる。世の中の隅っこであろうとも、そこを世界の中心と信じ、いや、隅っこであると知りつつも信じるふりをして糧を得て、日常の世界を生きていく。元号が変わって例えこの日がこの日で無くなろうとも、この日があることを信じて一年を生き抜く。

そのように、信じさせてくれることがありがたい。
ありがとう筋肉少女帯。来年も、必ずこの日を。
メリー・キンニクマス! 



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未分類0杯, 筋肉少女帯, 非日常

何だろう。不思議なほど、新譜発売記念ツアーという感じがしなかった。新曲が演奏される通常のライブの空気に近いように感じた。

しかしそれは己にとって程良いものだったのかもしれない。アルバム「ザ・シサ」を何とか消化しつつも、消化しきれないものを抱いていた自分にとって、ちょうど良く心地良いライブであった。

それは「ザ・シサ」を象徴する三曲が演奏されなかったせいだろう。「セレブレーション」「セレブレーションの視差」、そして「パララックスの視差」の三曲。加えて「ケンヂのズンドコ節」が披露されなかったことも残念だが、特にこの三曲が披露されなかったのは印象的だ。同時に、この三曲こそがアルバムを象徴するものと改めて感じさせられる。

開演前に延々と流れていたのはザ・スターリンの数々の名曲。十月に膵臓がんの手術を受け、現在リハビリ中の遠藤ミチロウへの想いが込められたものだろう。「STOP JAP!」「メシ喰わせろ!!」と叫ぶ高らかな歌声を聴きながらじっと立ち続ける四十五分間。改めて、あぁ、筋少のライブだなぁとしみじみ思った。ザ・スターリンをリスペクトする筋少の。

「暴いておやりよドルバッキー」を歌った後、オーケンは言った。何てひどい歌詞だろうと。夢を持つ人や愛を語る人に水を差すことを言うなんて、と。それに対しおいちゃんが「気付いてたよ」と呟き、もっと早く指摘してよとオーケンが笑いながら叫ぶ。

そのシニカルなものの見方を心の支えにしている人間としては、ちょっと寂しいやりとりだった。

「衝撃のアウトサイダーアート」はやはり何度聴いても歌詞を理解できない。共感できない。わからない。わからないが、ライブで橘高さんを目の前にし、その指がバリバリ動く様を見て、全身に浴びる音の洪水の威力に胸がいっぱいになり、圧倒される。わからないながらも、格好良い。

同じくわからないながらも格好良く、その迫力に息を呑んだのが「マリリン・モンロー・リターンズ」。妖しい照明と相まって実に美しく格好良く、妖艶だった。本日はオーケンの声も絶好調で、シャウトも語り声も耳に心地良く、ゾワゾワさせる迫力を持っていた。アダルトな曲調を歌うのが響くようになってきているように思う。

格好良いなぁ。
格好良いけど、わからんなぁ。

そんな己にとって、アンコール最後の曲が「セレブレーションの視差」でも「パララックスの視差」でもなく、前作の代表曲「ディオネア・フューチャー」だったのは一つの救いだったかもしれない。同じ「来世でもお会いしましょう」という言葉も、「宇宙の法則」は美しいと思いつつもピンと来ず、「Future!」に収録される「オーケントレイン」の言葉であれば心を鷲掴みにされる。それは、たった一人の愛しい人に向けた言葉か、有象無象に向けた言葉か、その違いによるものだろう。

有象無象であるゆえ、有象無象への言葉が響くのだ。
そして、有象無象でありたいと願うのだ。

開演後と終演後に流れた録音の「セレブレーション」の美しさを聴きながら、終演後、皆で「セレブレーション」を歌うことを促す橘高さんを見上げながら、この曲が演奏されなかったことを残念に思いつつ、演奏されなくて良かったと思った。演奏されてしまっては、生で聴いてしまったなら、きっとしんどかっただろう。それほどの威力がある曲なんだ。

サプライズで挿入されたオーケンの弾き語りによる「パノラマ島失敗談」に、インストゥルメンタルの迫力が素晴らしい「夜歩く」と、語りの威力を堪能出来た「再殺部隊」。あぁ、どんなに嬉しかったことだろう! 特に「夜歩く」の息を呑む恐ろしいほどの美しさ。フレットレスベースを弾きながらぴょんぴょん跳ねてリズムをとる内田さんの格好良さよ! 「再殺部隊」の語りも素晴らしかった……。

新曲では「ゾンビリバー」と「なぜ人を殺しちゃいけないのだろうか」が印象的だった。「ゾンビリバー」の演奏の凄まじさと、のどかな曲調ながらも物騒なことを歌い上げる「なぜ人を殺しちゃいけないのだろうか」のギャップ。そして、泣きそうになったのは「ネクスト・ジェネレーション」だった。

新譜の発売前に初めてライブで聴いたときには、「おい、ちょっと待て、曲中のバンドマン!! 学生に手を出すのはやめなさい!!」と思ったものだが、アルバムを聴くにつれ切なさが募り、たまらなくなる。ぐらぐらと来るのは主人公の言葉よりもその母親の語り。「ライブだけが人生で他はみんな夢なんだ そんなことを言うからさ 捨てちゃった」「人は地に足をつけてこそ咲くのよ 夢よりも美しい向日葵」。あぁ、こうして現実を見据えて生きていく人の、その人の人生の遠くで今も生き続け、夢とされる世界で何十年も歩み続ける人がいるのだな、と。

それは「I,頭屋」に通じるものだと思う。いい気なもんだと思われて、夢のようなことや愛のようなことを叫んで金をもらい、馬鹿だなぁ、現実を見てないなぁ、世の中をなめているなぁと思われながら生きている。しかしそう思われる人は、クレイジーをやりきる役割と呑みこんでステージに立ち続ける。

そうしてきっと会ったのだ。かつてほんの一瞬、愛した人の娘に。そしてきっと去っていくのだ。その娘も母親と同じように現実を見て。夢に生きる人を「ちょっとバカなの」と苦笑して。

切ないなぁ。

MCでは勤労感謝の日には特に触れず、映画「ボヘミアン・ラプソディ」になぞらえて「もし、筋肉少女帯を映画化するとしたら」がメインに語られた。もし映画化するなら内田さんの家の火事から話が始まり、その火事で誰かが亡くなり、筋肉少女帯はその火事の犯人を四十年追うことが目的となると大変なフィクションが作られた。加えて、各メンバーの登場シーンの楽しい捏造も語られる。橘高さんは映画の演出を考慮し、時代背景をどのように表現するかまでリアルに考えていたのが実に面白かった。結果、ややアレな話に流れ、オーケンに「墓穴を掘っている」と指摘されるはめになるのだが。

ちなみに内田さんは「ボヘミアン・ラプソディ」を観て数回泣いたらしい。あの内田さんが、と思うと観に行きたくなるね。

楽しいライブだった。普通に楽しいライブだった。それが安心であり、同時に不安でもある。「ザ・シサ」の消化に手間取った人間としてはありがたかったが、「ザ・シサ」がガツンと来た人々にとってはどうなのだろう。そればかりが気になって仕方が無い。

と言うのも詮無いことか。とにかく、楽しく良いライブだった。