メジャーデビュー30周年記念オリジナルNew Album「ザ・シサ」リリース・ツアー (2018年11月23日)
何だろう。不思議なほど、新譜発売記念ツアーという感じがしなかった。新曲が演奏される通常のライブの空気に近いように感じた。
しかしそれは己にとって程良いものだったのかもしれない。アルバム「ザ・シサ」を何とか消化しつつも、消化しきれないものを抱いていた自分にとって、ちょうど良く心地良いライブであった。
それは「ザ・シサ」を象徴する三曲が演奏されなかったせいだろう。「セレブレーション」「セレブレーションの視差」、そして「パララックスの視差」の三曲。加えて「ケンヂのズンドコ節」が披露されなかったことも残念だが、特にこの三曲が披露されなかったのは印象的だ。同時に、この三曲こそがアルバムを象徴するものと改めて感じさせられる。
開演前に延々と流れていたのはザ・スターリンの数々の名曲。十月に膵臓がんの手術を受け、現在リハビリ中の遠藤ミチロウへの想いが込められたものだろう。「STOP JAP!」「メシ喰わせろ!!」と叫ぶ高らかな歌声を聴きながらじっと立ち続ける四十五分間。改めて、あぁ、筋少のライブだなぁとしみじみ思った。ザ・スターリンをリスペクトする筋少の。
「暴いておやりよドルバッキー」を歌った後、オーケンは言った。何てひどい歌詞だろうと。夢を持つ人や愛を語る人に水を差すことを言うなんて、と。それに対しおいちゃんが「気付いてたよ」と呟き、もっと早く指摘してよとオーケンが笑いながら叫ぶ。
そのシニカルなものの見方を心の支えにしている人間としては、ちょっと寂しいやりとりだった。
「衝撃のアウトサイダーアート」はやはり何度聴いても歌詞を理解できない。共感できない。わからない。わからないが、ライブで橘高さんを目の前にし、その指がバリバリ動く様を見て、全身に浴びる音の洪水の威力に胸がいっぱいになり、圧倒される。わからないながらも、格好良い。
同じくわからないながらも格好良く、その迫力に息を呑んだのが「マリリン・モンロー・リターンズ」。妖しい照明と相まって実に美しく格好良く、妖艶だった。本日はオーケンの声も絶好調で、シャウトも語り声も耳に心地良く、ゾワゾワさせる迫力を持っていた。アダルトな曲調を歌うのが響くようになってきているように思う。
格好良いなぁ。
格好良いけど、わからんなぁ。
そんな己にとって、アンコール最後の曲が「セレブレーションの視差」でも「パララックスの視差」でもなく、前作の代表曲「ディオネア・フューチャー」だったのは一つの救いだったかもしれない。同じ「来世でもお会いしましょう」という言葉も、「宇宙の法則」は美しいと思いつつもピンと来ず、「Future!」に収録される「オーケントレイン」の言葉であれば心を鷲掴みにされる。それは、たった一人の愛しい人に向けた言葉か、有象無象に向けた言葉か、その違いによるものだろう。
有象無象であるゆえ、有象無象への言葉が響くのだ。
そして、有象無象でありたいと願うのだ。
開演後と終演後に流れた録音の「セレブレーション」の美しさを聴きながら、終演後、皆で「セレブレーション」を歌うことを促す橘高さんを見上げながら、この曲が演奏されなかったことを残念に思いつつ、演奏されなくて良かったと思った。演奏されてしまっては、生で聴いてしまったなら、きっとしんどかっただろう。それほどの威力がある曲なんだ。
サプライズで挿入されたオーケンの弾き語りによる「パノラマ島失敗談」に、インストゥルメンタルの迫力が素晴らしい「夜歩く」と、語りの威力を堪能出来た「再殺部隊」。あぁ、どんなに嬉しかったことだろう! 特に「夜歩く」の息を呑む恐ろしいほどの美しさ。フレットレスベースを弾きながらぴょんぴょん跳ねてリズムをとる内田さんの格好良さよ! 「再殺部隊」の語りも素晴らしかった……。
新曲では「ゾンビリバー」と「なぜ人を殺しちゃいけないのだろうか」が印象的だった。「ゾンビリバー」の演奏の凄まじさと、のどかな曲調ながらも物騒なことを歌い上げる「なぜ人を殺しちゃいけないのだろうか」のギャップ。そして、泣きそうになったのは「ネクスト・ジェネレーション」だった。
新譜の発売前に初めてライブで聴いたときには、「おい、ちょっと待て、曲中のバンドマン!! 学生に手を出すのはやめなさい!!」と思ったものだが、アルバムを聴くにつれ切なさが募り、たまらなくなる。ぐらぐらと来るのは主人公の言葉よりもその母親の語り。「ライブだけが人生で他はみんな夢なんだ そんなことを言うからさ 捨てちゃった」「人は地に足をつけてこそ咲くのよ 夢よりも美しい向日葵」。あぁ、こうして現実を見据えて生きていく人の、その人の人生の遠くで今も生き続け、夢とされる世界で何十年も歩み続ける人がいるのだな、と。
それは「I,頭屋」に通じるものだと思う。いい気なもんだと思われて、夢のようなことや愛のようなことを叫んで金をもらい、馬鹿だなぁ、現実を見てないなぁ、世の中をなめているなぁと思われながら生きている。しかしそう思われる人は、クレイジーをやりきる役割と呑みこんでステージに立ち続ける。
そうしてきっと会ったのだ。かつてほんの一瞬、愛した人の娘に。そしてきっと去っていくのだ。その娘も母親と同じように現実を見て。夢に生きる人を「ちょっとバカなの」と苦笑して。
切ないなぁ。
MCでは勤労感謝の日には特に触れず、映画「ボヘミアン・ラプソディ」になぞらえて「もし、筋肉少女帯を映画化するとしたら」がメインに語られた。もし映画化するなら内田さんの家の火事から話が始まり、その火事で誰かが亡くなり、筋肉少女帯はその火事の犯人を四十年追うことが目的となると大変なフィクションが作られた。加えて、各メンバーの登場シーンの楽しい捏造も語られる。橘高さんは映画の演出を考慮し、時代背景をどのように表現するかまでリアルに考えていたのが実に面白かった。結果、ややアレな話に流れ、オーケンに「墓穴を掘っている」と指摘されるはめになるのだが。
ちなみに内田さんは「ボヘミアン・ラプソディ」を観て数回泣いたらしい。あの内田さんが、と思うと観に行きたくなるね。
楽しいライブだった。普通に楽しいライブだった。それが安心であり、同時に不安でもある。「ザ・シサ」の消化に手間取った人間としてはありがたかったが、「ザ・シサ」がガツンと来た人々にとってはどうなのだろう。そればかりが気になって仕方が無い。
と言うのも詮無いことか。とにかく、楽しく良いライブだった。