日記録0杯, 日常

2017年1月21日(土) 緑茶カウント:0杯

文法を勉強したい、特に敬語文法を。そう思ったのは己の知識が半端であり、さらに文法に至っては、現代文文法よりも古文文法に親しんでいたからである。ありをりはべりいまそかり。

頼まれて文章の添削をした。「おっしゃられる」「ご覧になられる」「やられている」「拝見させていただく」などを修正し理由を説明した。しかし納得してもらえなかった。曰く、こちらの方が丁寧さが伝わるとのことで、己は何度も説明を重ねたが、結局匙を投げたのであった。彼の人は言う。「何か失礼な感じがする」と。つまり言葉の正誤は問題ではなく、心情が問題なのである。それでは手の打ちようはない。

最終的には好きにしなされと伝えつつ、君は安心できるかもしれないが、君が「読んでもらいたい」と思っている一番敬意を伝えたい人には「読みにくい」としか伝えられないかもしれないぜ、とは念のため話しておいた。 その後彼の人がどうしたかは知らないが、ほんの少し頭の片隅で、「だったら添削なんざ頼むなよばーか」とは思った。思った。

しかし考え方を変えてみると、「おっしゃるられる」でないと失礼と感じる人からすれば、敬意を込めて「おっしゃる」「ご覧になる」と話す人の言葉を聞いて「失礼だなぁ」と思っている場合もあるかもしれないということで。そういえば己が「見られる」と言ったことに対して、自身に対する尊敬語と受け取った人もいたなぁ。そしてその使い方をおかしいと指摘してきたのである。

そんなあれこれを抱きつつ大きめの本屋に行ったものの、敬語文法に特化した書籍・参考書・問題集を探すも目当ての品はなくすごすご帰り、あぁ、知りたいなぁ、と思ったのであった。

良い本をご存知の方、良かったらご一報を。



日記録4杯, 日常

2017年1月14日(土) 緑茶カウント:4杯

闇夜を見上げて月を探したのは、目の前に浮かぶ鶏卵のような光があまりに大きかったからだ。

オレンジがかった濃い黄色の巨大な円が夜空に浮かんでいた。コンタクトレンズをつけていたが、己の視力を疑った。寒波厳しい一時間の散歩の途中。ほんのちょっと二十分程度散歩をしようとして道を間違え彷徨う最中、いつの間にか坂をぐんぐん上っていたらしく、どうにか戻ろうと坂道を見下ろしたとき、ぽっかりと浮かぶまろい光。普段目にする月の三倍もあろうかと大きさで、あまりに大きく美しいからそれが月だと信じられなかった。

見上げる先にあるのは霞み流れる雲と小さな瞬き。己のよく知る月はどこにもなく、故に確かめたいために、目の前の巨大な光をじっくり見るために近付こうと試みるも、坂道を進むたびに光は山陰に隠れていき、下りきった頃にはすっかり姿を消してしまった。

さらに進むと見えたのは教会の塔を彩るステンドグラス。円い窓にはめられたガラスの輝きを見上げ、あれを見間違えたのかと思ったもののガラスの色は黄と青の二色。あの光に青の欠片は存在せず、やはりあれは月だったのかと思うものの坂道の下からは何も見えない。まるで狐につままれたようで、釈然としない気持ちを抱えつつ先へ先へと進んだのであった。



日記録0杯, 日常,

2017年1月12日(木) 緑茶カウント:0杯

美味しいなー、と思いながら毎日飲んでいる。

ぐらぐら沸いた鍋にビンを入れ、煮込んでいる間にレモンをよく洗う。サクサクッと輪切りにしたら爪楊枝で種を穿り出し、煮沸消毒を終えたビンの中に輪切りを入れる。蜂蜜を注ぐ。輪切りを入れる。蜂蜜を注ぐ。ビンが蜂蜜で満たされたらキュッと蓋をし冷蔵庫へ。

そうして数日置いたらレモンの果汁が蜂蜜に溶け出して、トロトロとした液体はサラサラになり、それをコップにたらりと注ぐ。そこに輪切りのレモンを一枚落とし、ポッカレモンを一センチ。最後に水をなみなみ注いで、ストローでレモンの果実を潰しながらかき混ぜたら出来上がり。一日を終える前にこれを飲んでふうとため息をつくのが最近の楽しみである。

ポッカレモンを入れるのは酸味を追加するためだ。レモンの蜂蜜漬けだけで味をつけようとすると一度に大量に消費してしまい、すぐになくなってしまい具合が悪いのである。ではポッカレモンだけでも良かろうという意見もあろうが、レモンの果実の爽やかな香りと蜂蜜のほんのりした甘さはポッカレモンにはないもので、やはりレモンは欠かせない。だから己はいそいそと、休みの日にビンを茹でてレモンを切る。サクリとレモンが二つに割れた瞬間に弾ける香りは何度嗅いでも素敵なものだ。

さて。この飲み物を己は名もないものとして日々飲んでいたのだが、最近やっと気がついた。あぁ、これはいわゆるレモネードというものなのだな。調べてみればその通りで、しかし名称を知ると急に遠くなった気分もあり。名もないままでも良いかなと思った。



日記録8杯, 日常

2017年1月9日(月) 緑茶カウント:8杯

一時に寝ようが四時に寝ようが起きる時間が同じならば、夜更かしした方が得かもしれない。

睡眠とは何と心地良いのだろう。放っておかれれば十時間十二時間は寝てしまうし、一人暮らしゆえ誰も起こす人がいないため十時間十二時間寝てしまう。せっかく今日は早めに寝て、明日はいつもよりも早く起きて活動しようと思って床に入るのに、結局いつもと同じ時間に起きてしまうから意味がない。しかし早めに活動したいという欲求がある。だから早めに寝ることを試みる。だが! 結果寝てしまう! だって寝たいから! 眠るのが気持ちいいから!

というわけで、ここ数日は非常によく寝た。気持ち良かった。あぁ、憧れの早起き。夢は近く、夢は遠い。



日記録0杯, 日常

2017年1月7日(土) 緑茶カウント:0杯

運動不足の自覚もあるしちょいと散歩をしてみるか。さて、それではどこへ向かいましょうと思案して、ひたすら道なりに直進することを決める。とにかくここから行けるところまで行こうじゃないかと一心不乱にすたすた歩き、おやびっくり。辿り着いたのは普段全く違う道を通って行き着く図書館。己の頭の中の地図ではこの図書館の位置はここではなく、己が選んだ道の向かって九十度の方角にあるはずなのに何故ここに辿り着いてしまったのか。まさかこの図書館が我が家から直線距離にあろうとは全く予想だにしなかった。不思議なもんだなぁ。

顎を撫で首を傾げつつ先へ行く。ここまで約二十分。

そうしてさらに歩を進め、一心不乱に進んで行って驚いた。一時間歩いて辿り着いたのは大学時代に通った弓道場で、当時は弓道場を中心に、今の自宅とは反対方向に住んでいた。今の家から当時の家まで行くには乗り換えが数回必要で、弓道場も同様だ。故にもっとずっと遠くにあるものと思っていたが、まさかこの弓道場が今の我が家と一本道で繋がっていたとは。

卒業以来弓には触れておらず、弓道着も弓懸も押入れの奥。もしかしたら腐っているかもしれない。しかし一時間かけて歩けばまたここに通うことが出来るのか。そう思うと少し楽しい。

弓道場の看板をつくづく眺め、くるりと踵を返しUターン。元来た道を足早に歩き、灯りを落とした図書館の脇を通り過ぎ、家に帰ったのは十八時。およそ二時間、十キロの散歩はなかなか愉快で、気付かぬ繋がりには温かい気持ちにさせられた。今度図書館に行くときにはこのまま真っ直ぐ進んで行こう。弓をとることはないだろうが、またあの看板を見に行くのも楽しいかろう。思い出の場所も意外と近くにあるもんだ。