未分類100曲ライブ, 水戸華之介, 非日常




「20×5=100 LIVE」に行ってきた。水戸さんが一人のギタリストと共にのべ百曲を五つの公演に分けて歌うという催しであり、その初日。デビュー二十五周年を記念したこの興行、水戸さんファンなら行かないわけには行くまい、ということでチケットを獲得。こじんまりとしたライブハウスなのでチケットが取れるか不安だったが何とかなった。番号もなかなか。見晴らしの良い席で水戸さんの歌と澄田さんのギターを堪能することが出来た。

セットリストは水戸さんの公式ブログ地球日記より転載。未聴の曲が一曲だけあったが、「涙なんか海になれ」がそれだった。

1.雨のパレード
2.百花繚乱

MC

3.特急キノコ列車
4.幻想の世界
5.ひとつの火

MC

6.2丁目の奇跡
7. 夜の行進
8.新しいメルヘン

MC

9.涙なんか海になれ
10.トゥルーロマンス

MC

11.しあわせのしずく
12.月に抱かれて
13.火星のショッピングモール

MC

14.Hello!
15.?-a-go-go
16.地図
17.わいわいわい

MC

18.小さな罪と小さな罰

マグマの人よ
私の好きな人

ダブルアンコール

わいわいわい

のべ百曲を一曲ずつ歌うというライブの特性上、今日歌われた歌は次回の公演で歌われることは無い。とすると、普段のライブなら本編のラストで歌われることの多い曲も顔を出すのは一度きり。いったいどの曲がどのタイミングで来るのかが注目どころである。そして「わあ! この曲が聴けて嬉しい!」と思いつつ、「今日やったってことはもう次は聴けないんだな……」と寂しく感じもする。無論この「20×5=100 LIVE」の後にはまた聴ける機会も来るだろうが、ついいつも以上に一期一会を噛み締めてしまう。

また、このライブは「五回の公演で百曲歌う」ことが決まっているため、アンコールも「ある」ものとしてセットリストに組まれている。もともとアンコールはライブのお約束であり、予定調和なものだが、だからと言って本編終了後、ステージから去らず、着席したままアンコールを受け、そのままアンコールを始めるミュージシャンは見たことが無い。そしてMCであっさりと今日やる二十曲の中にアンコールが含まれていること、だからアンコールは最初からやると決まっていることを暴露し、よって無駄を省くために俺はステージを降りず、このままここでアンコールを受ける! と宣言する水戸さんはお見事。やっぱり面白かった。

最初の方のMCで、水戸さんは「面白いと売れない」「面白いことを言うと等身大になりすぎてしまう。面白いことを言わずに色々と想像を膨らましてもらった方がカリスマ性が出る」といったことを冗談めかしながら語り、「だから今日は面白いことを言わない!」と言っていたが、サービス精神に溢れたこの方のこと、案の定その後のMCも非常に楽しいものだった。もっと多くの人に知られて欲しいと思うが、やっぱり面白い水戸さんが好きだな。

そしてアンコール終了後、今度こそステージを去る水戸さんと澄田さん。しかし……まぁそりゃあ起こるわけです。ダブルアンコールの要求が。二十曲と決まってても起こるのです。とはいえ二十曲やってしまった今日、残りの曲は無いわけだし、いったいどうするのだろう………? と思いつつコールをしていたら水戸さんと澄田さんがステージに登場! 歓声を浴びて戻ってきた水戸さんが持っていたのは二十面サイコロだった。

ダブルアンコールが起こることは予測していた、しかし百曲というこだわりがあるので、新しい曲は出来ない、よってこの二十面サイコロを振り、今日やった曲の中から一曲を歌う、と水戸さん。なるほどその手があったか。感心しつつ振られたサイコロの目に注目。結果は………十七番、わいわいわいだ!

まさかの「わいわいわい」。観客参加型の盛り上がり曲をまさか一日に二度やることになろうとは! 水戸さんもびっくりのこの結果、そして繰り返されるお祭り騒ぎ。自分としては楽しく盛り上がって終われたので、しんみりしたバラードが来るよりも嬉しかった。二十面サイコロの働きに感謝。

今回聴けて嬉しかったのは「雨のパレード」「夜の行進」「しあわせのしずく」「月に抱かれて」「地図」「マグマの人よ」「私の好きな人」。特に「私の好きな人」は、水戸さんの曲の中でもダントツに好きなものなのでアンコールで聴けて感無量である。「好きな人と一緒になりたい」というラブソングは数あれど、大切な人がいつも幸せでいられるように、優しい人に巡り合えますようにとひたすら幸せを祈る歌はちょっと珍しいだろう。こんなに優しい「願い」が詰まった歌は他に知らない。

さて、残り八十曲では何が聴けるだろう。「(ナミダ)2」「生きる」を聴けたら良いなぁ。楽しみにしつつ、次回に臨む。

未分類平沢進, 非日常


 
 
「ノモノスとイミューム」最終日。公演終了後、公演祝いの花を自由に抜き取って良いとアナウンスされていたので、記念に有難く頂戴した。これまで我が家に花が飾られたことが無かったので気付かなかったが、花がある景色というのもなかなか良い。玄関にイミュームが配置される家。家を出入りするたびに己のサファオンがイミュームに影響し、イミュームがサファオンに影響して物語が生成されるのだ、と思うと愉快な気持ちになる。

初日と二日目は同じエンディングを迎えたが、三日目の今日は異なるルートを辿り別種のエンディングを観ることが出来た。思わぬ歌謡ショーにオーディエンスは大爆笑。ハンドマイクを握るだけで笑いが取れる男ヒラサワ。つくづく面白い人だ。

興味深かったのがエンディングの後のMC。細部を失念してしまったが、「これからはSP-2のヒラサワから、Amputeeのヒラサワに」という言葉。「Amputeeのヒラサワ」の後に続く言葉が「なった」か「なる」か「なったと思われる」か「なったと思われている」か忘れてしまったのだが、最初会場でこれを聞いたとき意味がわからなかったのだ。SP-2のヒラサワ? Amputeeのヒラサワ? ヒラサワはSP-2でもAmputeeでも無いだろう?

と、思ったが、あれはヒラサワ自身がSP-2やAmputeeという意味では無く、SP-2やAmputeeに「傾倒する」「影響を受ける」「尊敬する」「愛する」「愛される」という意味合いなのだろうと咀嚼した。いわゆる「ふつーの人達」の枠外にいて、両者とも、外見的な美しさも魅力だが、それ以上に困難を乗り越えて、力強く生きる人達。無論、性同一性障害者や切断者の全てがそれに該当するわけではない。彼ら彼女らの中で、そういった精神を持った人にヒラサワが強く惹かれているのだろうと思う。

この「枠の外にいる人」は「ノモノスとイミューム」の中に登場する「幽霊船」も該当する。「幽霊船」は公式サイトの用語解説から引用すると、”有意義な「反射」になり得るサファオンでも「前例が無い」「飛躍的過ぎる」などの理由で社会から暗黙のうちに拒絶されるサファオンがある。そうしたサファオンが採用される可能性に賭けて10年後の世界へと運ぶ船”である。あくまでも「サファオン(感情、思考、記憶の混合物に生じるある種のパターン)」であり、人間では無いが、それを乗せるのが「幽霊船」とは何とももの悲しい。

つい、幽霊船に乗せたサファオンを秘めた人は、彼ら彼女らが受け入れられない時代で生きていかざるを得ないことを考えて、しんみりしてしまうのだ。そしてそういった人々は「ノモノスとイミューム」の外にそれはもういくらでもいるのである。

だが、幽霊船が乗せたサファオンは役立てられ、物語は危機を脱出する。このあたりがヒラサワの描く希望なのかなぁ、と思うのだ。思えばヒラサワ自身も「ふつー」という枠の外で生きてきた人で、それ故に苦労もしてきたそうだが、反面枠の外にいるからこそ多くの人に愛されている。それを本人が知っているから、幽霊船を登場させたのだろう。だってサファオンを補充するならばドナーに要求すれば良いだけなのだ。

類推ばかりの文章だが、枠の外の人であり、枠の外の人を尊敬する人だからこそ、自分はヒラサワの音楽や文章、キャラクターに惹かれるのだ。昨日今日二日間参戦出来て良かったと思う。

未分類平沢進, 非日常



インタラクティブライブ「ノモノスとイミューム」に行ってきた。ヒラサワのライブに参戦するのはこれで二度目だが、一度目はいわゆる普通のライブコンサート、通称「ノンタラ」こと、ノン・インタラクティブライブであるので、インタラに参加するのは初めてである。

インタラとは物語形式のライブコンサートであり、途中途中に分岐が与えられ、観客の選択により物語が変質していくというものだ。さらに、インターネットとも連携をしており、会場にいなくてもネット環境さえあればライブのストーリーに関与することが出来る。参戦したことは無いものの、インタラのDVDは一枚持っており、若干ではあるがその雰囲気は知っていたので、今日の日をとても楽しみにしていた。

が、不安もあった。自分はヒラサワの作る物語を一発で理解出来るのだろうか。それというのも公演前に公開された「ノモノスとイミューム」の特設サイトに、今回の物語の概要や用語などが記されていたのだが、多いのである。造語が。ヒラサワ独特の造語が。本で読むなら前のページに戻ることも出来るが、ライブに巻き戻し機能は無い。置いていかれないか心配だった。特に、唯一所有しているインタラのDVD「白夜野」も、初見では物語を把握しづらかったので。

この心配に関して、結論から言うと杞憂だった。無論、細かいところは理解しきれていないが、物語の大筋には付いて行くことができた。むしろシンプルだったように思う。エンディングもびっくりするような大サービスで腹を抱えて笑った。あんなに格好良く殺虫スプレーを噴射する男を自分は他に知らない。

さて、今回のライブの感想を簡単にまとめてみようか。まず驚いたこと。物販の列が長い。ものすごく長い。物販は開場後に販売が開始されるのだが、まず開場待ちの列がとんでもない。そして並んでいる人々のうちのほとんど、と感じられるくらいの人間がそのまま物販に並ぶのである。すごかった。この施設は階段が入り口から向かって右と左の両端にあるのだが、まず一階から右手側の階段で二階へ上がり、二階の右端から左端へ移動して、左手の階段から三階に上り、三階の左手側から右手側の端まで移動しUターン、さっきのぼった階段を使って二階に降り、また端から端へ移動しUターン、二階から一階に降りてようやく物販に辿り着く、という非常に長い道のりで、物販の列で左手側の階段の人口密度がえらいことになっているのである。こんなに並んでまで欲しいのか、と問うならば欲しいと答える。自分が買ったのはカレンダーとタオルとハットピン。欲しいものを全て買えて満足した。並んだ甲斐があったというものだ。

物販を購入してからは大人しく席で待っていた。場所は一階後方下手側。何をするでもなくゆったり待っていたのだが、開場十分前あたりだろうか。音楽がいかにも、物語が始まる前奏のようなものに変化して、まだ人が席に立ったり座ったりする中、このまま開演の合図も無く唐突に始まってしまっても面白いなと思った。実際はきちんとブザーが無り、照明が落とされたので非常にわかりやすかったが。

特筆すべき点は今回のゲスト、折茂さんだろう。とはいえ自分は折茂さんのことをほとんど知らない。彼女の曲もヒラサワのソロCDボックス「ハルディン・ドーム」に収録されている一曲「ガーベラ」しか聴いたことが無い。ただ、ヒラサワのツイートや、特設サイトにある物語の記述などから、「ノモノスとイミューム」は彼女無しでは発想されなかっただろうとは感じていた。この物語におけるもう一人の主役と言っても過言ではないだろう。

折茂さんの姿は初めて見たが、年齢がよくわからない人だと思った。声からは甘い雰囲気の女性をイメージしていたが、どちらかというと格好良いと言う言葉の方がふさわしい。そして赤いスカートから見え隠れするスラリとした黒い義足が美しいのだ。この義足から着想された物語について思ったことを書きたいが、材料が少ないのでそれについては明日の公演を観てからにしよう。

ところですごく驚いたこと。まさか今回の物語に、あの白虎野に登場した強烈な印象を見る人に与えるキャラクター「Σ-12」が再登場するとは思わなかった。しかもほとんど出ずっぱりの大活躍。あのビジュアルをDVDで初めて見たときの衝撃は忘れられない。白虎野で分岐マニアとして主人公であるヒラサワを導いたΣー12は、外見は人ではないものに変えられていたが、人間的な感情を持っていた。それが「ノモノスとイミューム」ではサファオン(思考、感情、記憶の混合物に生じるある種のパターンを指す物語中の造語)を持たない存在になってしまっていたのが、何だか寂しい。

映像について思ったこと。比較対象が「白虎野」しか無いが、コミカルと言うか、ギャグ要素が多かったように思う。エンディングも綺麗にオチがついてあの大サービス。異空間に幽閉されたヒラサワが正しい分岐を辿ることにより、元の世界に戻ることが出来たが、注文していた果物の入った箱を開けると中身がすっかり腐ってしまっていて、ハエが大量発生。スクリーン上を飛び回るハエの群れを両手に構えた殺虫スプレーを武器にスタイリッシュにポーズを取りつつ戦いながらステージ所上を練り歩きつつ歌うヒラサワ。それはダンスのようにも見え、どうしたらこんなことを思いつき、かつ実行しようと思うのだろうかと考えつつゲラゲラ笑った。

笑うといえば「Amputeeガーベラ」で、歌い出しを間違えて固まるヒラサワを見られてすごく得をした気分になった。しかもこの後、折茂さん演ずる「サンミア」が、「台無しだわ!」と言ってのけるのである。この「台無し」はあくまでも物語上の台詞なのだが、まるでヒラサワのミスを言っているようで笑ってしまった。グッドタイミングと言うか何と言うか。

だが、歌い出しを間違えたからこそヒラサワの声のすごさがわかるわけで。固まった途端に当然のことながらヒラサワの歌が聞こえなくなり、あんな声が人間から出ているのだなぁ、と改めて思わされたのだった。

そういえば三曲目、四曲目あたりでは咽喉を振り絞って無理矢理歌っているように見え、だいぶ辛そうで心配したのだが、五曲目六曲目と進むにつれ悠々と声が出るようになっていた。そういうところを見るとあぁ、ちゃんと人間なんだなぁ、と思う。ただアンコールの「Aria」は歌いづらそうだったな。

初日は行けなかったが、MCによると初日と二日で同じエンディングを迎えてしまったそうなので、明日は別のルートに行けるよう試行錯誤しようと思う。殺虫スプレーもまた見たいが、それではDVDになるときボーナストラックが減ってしまって寂しい。まぁ成功ルートを選べているので三日連続バッドエンドでDVD化されず、などという真の意味でのバッドエンドを迎えずに済むのは確定しているのでちょっと気楽だ。明日も楽しむぞ。

未分類ケラリーノ・サンドロヴィッチ, 非日常




興味を抱きつつも他の色々なことに気をとられているうちに気付けばチケット完売、しかしもしやと問い合わせてみれば席数に限りはあるものの当日券の販売はあるとのこと。だが、今月は大分散財してしまったし、と悩んだが、せっかくのクリスマスイブということで腹を括ることにし、いつもより早く起きて家を出て、見事当日券を手に入れた。ケラリーノ・サンドロヴィッチ脚本・演出の芝居「祈りと怪物」。休憩時間込みで四時間越えの大作だ。

自分は芝居と縁が薄く、今まで観たことがあるものと言えば学校の演劇教室と、演劇部の友人が手がけた芝居、それと筋肉少女帯が関わっているエンゲキロックこと「アウェーインザライフ」くらい。芝居の良し悪しもわからない人間であるが、四時間があっという間。退屈する暇もなく終わってしまった。途中十分の休憩時間が二回設けられていたのだが、休憩時間を迎えるたびに終わりが近付いていることを感じ時間の経過が惜しまれた。

この物語の着地点はどこなのだろう、と考えながら観劇をしていた。物語の舞台は「ウィルヴィル」という架空の町。町はドン・ガラスという横暴な独裁者とその三人の娘が幅を利かせており、些細なことで住人は殺され、被差別階級の人間達はより一層の差別に喘ぎ苦しんでいる。教会の司祭は呑んだくれで、荒廃した教会のミサに訪れる者は無く、司祭の弟子すら神を信じず夜な夜な幼馴染とともに盗みを働いている。ドン・ガラスに対抗するための地下組織が秘密裏にことを進める中、それぞれの思惑を持ったよそ者達が町を訪れ、ドン・ガラスの三人の娘達に直接的・間接的に影響を与えていく。

物語が進むごとに町は破滅へと向かっていく。それはまるで向かうべくして向かっているかのようで、自然と言えば自然だ。横暴な独裁者が住人の反感を買うのは当然であり、独裁者を破滅させようとするグループが生まれるのも自然の理。ただ、面白いのが、町を破滅へ導く一番のきっかけを作ったのが独裁者を倒すべく活動していた「地下組織」の面々では無いということだ。

町を破滅へ導く大きなきっかけを作ったのは自称錬金術師の手品師と、そのお供の白痴の青年である。自称錬金術師は教会の司祭と手を組んで、「インチキ」で町の住人に神の奇跡を見せ、神と教会への信仰を取り戻し、願いが叶う奇跡の粉を売りつける。それはただのライ麦粉のはずだったが、白痴の青年に「不思議な力」が備わっていたため、インチキだったはずなのに、小さな奇跡が至るところで本当に起きた。だが、白痴の青年の体調が急変したことで奇跡の力は悪魔の力に変わり、粉は人々を異形に変えて命を奪い、また、人々の気を狂わせた。

そしてもう一つ、淡々と破滅を生み出して行ったのも「よそ者」である。被差別階級の母親のもとに生まれ、自身も被差別階級の者として背中に焼印を押され、赤子のときに母親とともに海に捨てられた。赤ん坊は母親の死体を喰らって生き延びて、自分と母親を殺そうとした父親を殺す呪いを完成させるため旅を続けている。呪いには人の生首や目玉、内臓などの様々な供物が必要とされ、青年は自身の望みを達成させるため、上手い具合にドン・ガラスの家に居候として入り込み、三姉妹の次女を惚れさせ、善人の顔をしながら殺人を続けていく。そして最後に、青年とその母親を殺そうとした男がドン・ガラスであることがわかり、隠されていた因縁が明るみに出るのだ。

奇跡の粉が悪魔の粉に変わり人々に異変を与えるのと同じ頃、地下組織はリーダーがドン・ガラスの手によって拷問を受けたことでただの暴徒の集団と化し、町は力を無くして行く。だが、ドン・ガラスと三姉妹は町に活気があったときと同じように、自分達に都合の悪い者を容赦なく殺して行く。町には死人が溢れ、町として機能しなくなり、崩壊への道を転がり落ちて行く。

新しい異変の波が起きたにも関わらず、異変の大きさの危機性を重要視せず、今までどおりの横暴な振る舞いを続けた結果、ドン・ガラス一家は波に飲まれて破滅した。これでおしまい、めでたしめでたし………というわけでも無い。そういう、悪い奴はいなくなりました良かったね、という話では無いのである。ドン・ガラス一家は横暴でいけ好かない独裁者だが、この一家は一家なりの倫理観を持っており、また、他の登場人物も善と悪では区分けできない、いや、区分けしにくいそれぞれの内情や事情を持っていて、それがぐちゃぐちゃに絡み合って交差して、殺し合いの末結果としてほとんどが死んでしまった、というものなのである。正直後味は、悪い。

ただ「御伽噺」風になっているためか、後味の悪さはいくらか緩和されている。人間関係のぐちゃぐちゃ加減はリアルなのだが、人を食べるオオイソギンチャクや、人間の苦痛を電力に変える機械に、奇跡の力という魔法の存在、笑いながらピストルをぶっ放して遊び踊る三姉妹の異常性の高さが、舞台と観客の間の地続きを破壊し、線引きを作ってくれていて、物語の一員ではなく第三者の視点で見ることが出来るのである。おかげで観終わった直後はどんよりした気分にはならず、笑顔で拍手喝采を送ることが出来た。

また、パスカルズの音楽と、舞台装置も非常に良かった。ある場面で舞台が真っ暗になり、舞台セットの輪郭がかすかにぶれながら赤や緑に光る場面があったのだが、それがまるで手書きのアニメーションのようで、ぐっとフィクションっぽさが増したのである。音楽もおもちゃの笛のような音や太鼓の愉快な音が、どこかチープで、安心感を与えてくれるのである。時間と予算があればもう一度観に行きたいものだなぁ。

未分類筋肉少女帯, 非日常




今年最後の筋少ライブに行ってきた。毎年この天皇誕生日に行われるライブは少し特別で、開演前や終演後にクリスマスソングが流れたり、オーケンがクリスマスにちなんだMCで客をいじったり、橘高さんがアンコールで真っ白なドレスに身を包んだり、橘高さんとドライブ出来る権利が抽選で一名のみ手に入れられる福袋が物販で販売されたりする。去年一昨年は都合により参戦出来なかったため、今日リキッドルームに行けることをそれはもう嬉しく思ったものだ。

楽しい時間はあっという間に過ぎてしまった。楽しいと言いつつ前方ゾーンに突っ込んだため半分は戦っていたようなものだが、いやあもうなかなか、今年最後で皆気合が入っているのだろうか、いつもよりもきつかったように感じる。アンコールでのサンフランシスコ、釈迦の流れはとりわけすごく、釈迦での折りたたみでは激しさのあまり転倒しそうになった、何とか踏ん張ったが、あれはすごかったなぁ。

そして手にした戦利品。アンコールでおいちゃん、橘高さん、内田さんがそれぞれお菓子をオーディエンスに投げ、うち一つを手に入れることが出来た! 橘高さんの投げた飴である。さらに! おいちゃんが差し出したギターに触らせてもらうことも出来た! 今までギターを差し出す場面は何度も目にしたが、距離があるため触れることが出来ずにいた。それが! ついに!! 必死に手を伸ばして良かった!!

さて、以下は記憶している限りのセットリストである。とはいえ、正確かどうかはわからない。蜘蛛の糸とバトル野郎の位置は正直ちょっと自信が無い。

アウェーインザライフ
ワインライダー・フォーエバー

日本印度化計画
カーネーション・リインカーネーション
心の折れたエンジェル

くるくる少女
ノゾミのなくならない世界
サボテンとバントライン

筋肉少女帯あるある(少女の王国に乗せて)

新人バンドのテーマ
爆殺少女人形舞一号
Guru~最終形~

イワンのばか
蜘蛛の糸(皆で大合唱)
バトル野郎~100万人の兄貴~

これでいいのだ
労働者M

~アンコール~

俺の罪
SAN FRANCISCO(エピローグ)
サンフランシスコ
釈迦

クリスマスに(正確にはまだ天皇誕生日だが)よりにもよって蜘蛛の糸の大合唱もなかなかひどいと思ったが、本編ラストに労働者Mを持ってきて「働け働け~働いて筋少にお金をつぎ込め~」と煽るオーケンは結構! 蜘蛛の糸とは別の意味で! ひどかったと思います! 「労働者M」をやると宣言したとき客席から「おー」とも「うわあ…」ともつかない声が聞こえたが、あれは喜びかげんなりか、どっちの声だったのだろう。格好良い曲だとは思うが、正直クリスマスにはあまり聴きたく無い曲である。

クリスマスにちなんだMCとして、オーケンによる筋少ファンの分析トークが始められたのは「心の折れたエンジェル」が終わった後だったか。「筋少のお客さんはどちらかと言うとリア充死ねって方だよね!」なんてひどいことをおっしゃるのか。そして「次の曲は妄想に囚われた女の子の曲です………まぁ筋少ってそんなのばっかりだよね」と自虐ネタに落として「くるくる少女」「ノゾミのなくならない世界」に、「サボテンとバントライン」! 「ノゾミのなくならない世界」は何となくやるような気がしていて、同時にやってほしいと願っていたので嬉しい限り。ドコドコと疾走するドラムが気持ち良い。

大阪でやったライブで「筋肉少女帯あるある」というギター漫談のようなネタをオーケンが披露したそうで、流石大阪と言うべきか、ナイスなツッコミがポンポン客席から入ったらしい。しかしここは東京で、それをオーディエンスに期待するのは酷なこと、ということでメンバー唯一の関西人である橘高さんにツッコミを入れてもらい、それに追随するかたちで客席もオーケンにドシドシツッコミを入れることになった。ネタ自体は「ファンと自称している人がブログで筋肉少女帯の帯の字を間違えている」「おいちゃんが定位置にいない」「ワダチが何故か特別扱いされる」など。他にもあった気がするが忘れてしまった。

今回の個人的なハイライトは「爆殺少女人形舞一号」。この曲だけは目を閉じて聴いていたい。ライブで聴くたびに、初めてアルバムで聴いたときの「筋少はこんな曲も作れるんだ」と思ったときの感動が蘇る。

Guruはオーケンのお気に入り具合とファンの間での評判の高さに反して、自分の中ではあまりピンと来ない曲なのだが、今日はやけに良いなぁと感じた。そのうえで改めて思ったのだが、自分はGuruの曲自体は好きなのかもしれない。ただ歌詞が綺麗すぎると言うか、何か違和感があるのである。それがどうにもしっくり来ないのだ。

Guruの後、フェスで「筋肉少女帯の大予言」とその日限りの改名をしたことと、マヤの予言が外れたことを繋げ、では今日ここで筋肉少女帯の大予言を再現しよう! 筋肉少女帯の大予言はマヤの予言と違って必ず当たるぜ! とオーケンが煽る。おお、オーケンは何を予言してくださるのか………と期待が満ちた瞬間、あの男が北の国からやってくると予言! あの男とは………もちろんイワンだ!

イワンか!

いや、ちょっとここで新譜の発表が来るかなーなんて期待してしまったのだよ! 来年のスケジュールが来るかなーと思ってしまったのだよ! イワンに罪は無いが少しずっこけそうになった。新譜作ってくれないかなぁ。

とはいえ、来年はデビュー二十五周年記念ということで、ちょっと面白いことをやる予定らしい。三月のライブも発表されたので、まだ期待は出来るかもしれない。心待ちにしているのだよ。どうか来年こそお願いします。

アンコールではオーケンが血染めの白衣に黒縁眼鏡という出で立ちで登場。映像での知識でしか無いが、仏陀Lの頃の雰囲気があって怪しくて格好良い。と、いうことはやってくれるかなと思ったらまさかサンフランシスコと釈迦を続けてやるとは! これはもう盛り上がらないわけが無い。「俺の罪」「SAN FRANCISCO(エピローグ)」で落ち着いていたオーディエンスがいきなり爆発した。自分も含めて。

「SAN FRANCISCO(エピローグ)」はオーケンが台詞を語るとステージから姿を消し、アコースティックで演奏された。今回のライブは定番曲が多く、自分が初めて聴いたのはこれだけである。「うわあ、これが聴けるんだ!」という大きなサプライズは無いが、これはこれでやはり楽しい。

そうそう、アンコールでおいちゃんは赤いミニハット、橘高さんは大きな赤いリボンと赤いケープを身に付けて登場したのだが、あれはアンコールの始めだったか終わりだったか。おいちゃんは開演直後にもミニハットを付けていて、「いかにもクリスマスらしいなぁ!」と嬉しく思いながら眺めていたのでアンコールではさほど驚かなかったのだが、橘高さんの格好には度肝を抜かれて変な声が出た。何がすごいって似合っていることである。不自然に若いわけでは無く、きちんと年齢を重ねた面立ちをしているのに、しっかり調和しているのだからすごい。良い歳のとり方をしている人だと思う。

手に入れた飴は目玉おやじの貯金箱にお供えした。一緒に以前手に入れた橘高さんのピックもお供えしてある。そういえばこのピックも三年前の今日のライブで手に入れたのだった。またクリスマスプレゼントをいただけることになろうとは。この飴はいつ食べようかな。