祈りと怪物




興味を抱きつつも他の色々なことに気をとられているうちに気付けばチケット完売、しかしもしやと問い合わせてみれば席数に限りはあるものの当日券の販売はあるとのこと。だが、今月は大分散財してしまったし、と悩んだが、せっかくのクリスマスイブということで腹を括ることにし、いつもより早く起きて家を出て、見事当日券を手に入れた。ケラリーノ・サンドロヴィッチ脚本・演出の芝居「祈りと怪物」。休憩時間込みで四時間越えの大作だ。

自分は芝居と縁が薄く、今まで観たことがあるものと言えば学校の演劇教室と、演劇部の友人が手がけた芝居、それと筋肉少女帯が関わっているエンゲキロックこと「アウェーインザライフ」くらい。芝居の良し悪しもわからない人間であるが、四時間があっという間。退屈する暇もなく終わってしまった。途中十分の休憩時間が二回設けられていたのだが、休憩時間を迎えるたびに終わりが近付いていることを感じ時間の経過が惜しまれた。

この物語の着地点はどこなのだろう、と考えながら観劇をしていた。物語の舞台は「ウィルヴィル」という架空の町。町はドン・ガラスという横暴な独裁者とその三人の娘が幅を利かせており、些細なことで住人は殺され、被差別階級の人間達はより一層の差別に喘ぎ苦しんでいる。教会の司祭は呑んだくれで、荒廃した教会のミサに訪れる者は無く、司祭の弟子すら神を信じず夜な夜な幼馴染とともに盗みを働いている。ドン・ガラスに対抗するための地下組織が秘密裏にことを進める中、それぞれの思惑を持ったよそ者達が町を訪れ、ドン・ガラスの三人の娘達に直接的・間接的に影響を与えていく。

物語が進むごとに町は破滅へと向かっていく。それはまるで向かうべくして向かっているかのようで、自然と言えば自然だ。横暴な独裁者が住人の反感を買うのは当然であり、独裁者を破滅させようとするグループが生まれるのも自然の理。ただ、面白いのが、町を破滅へ導く一番のきっかけを作ったのが独裁者を倒すべく活動していた「地下組織」の面々では無いということだ。

町を破滅へ導く大きなきっかけを作ったのは自称錬金術師の手品師と、そのお供の白痴の青年である。自称錬金術師は教会の司祭と手を組んで、「インチキ」で町の住人に神の奇跡を見せ、神と教会への信仰を取り戻し、願いが叶う奇跡の粉を売りつける。それはただのライ麦粉のはずだったが、白痴の青年に「不思議な力」が備わっていたため、インチキだったはずなのに、小さな奇跡が至るところで本当に起きた。だが、白痴の青年の体調が急変したことで奇跡の力は悪魔の力に変わり、粉は人々を異形に変えて命を奪い、また、人々の気を狂わせた。

そしてもう一つ、淡々と破滅を生み出して行ったのも「よそ者」である。被差別階級の母親のもとに生まれ、自身も被差別階級の者として背中に焼印を押され、赤子のときに母親とともに海に捨てられた。赤ん坊は母親の死体を喰らって生き延びて、自分と母親を殺そうとした父親を殺す呪いを完成させるため旅を続けている。呪いには人の生首や目玉、内臓などの様々な供物が必要とされ、青年は自身の望みを達成させるため、上手い具合にドン・ガラスの家に居候として入り込み、三姉妹の次女を惚れさせ、善人の顔をしながら殺人を続けていく。そして最後に、青年とその母親を殺そうとした男がドン・ガラスであることがわかり、隠されていた因縁が明るみに出るのだ。

奇跡の粉が悪魔の粉に変わり人々に異変を与えるのと同じ頃、地下組織はリーダーがドン・ガラスの手によって拷問を受けたことでただの暴徒の集団と化し、町は力を無くして行く。だが、ドン・ガラスと三姉妹は町に活気があったときと同じように、自分達に都合の悪い者を容赦なく殺して行く。町には死人が溢れ、町として機能しなくなり、崩壊への道を転がり落ちて行く。

新しい異変の波が起きたにも関わらず、異変の大きさの危機性を重要視せず、今までどおりの横暴な振る舞いを続けた結果、ドン・ガラス一家は波に飲まれて破滅した。これでおしまい、めでたしめでたし………というわけでも無い。そういう、悪い奴はいなくなりました良かったね、という話では無いのである。ドン・ガラス一家は横暴でいけ好かない独裁者だが、この一家は一家なりの倫理観を持っており、また、他の登場人物も善と悪では区分けできない、いや、区分けしにくいそれぞれの内情や事情を持っていて、それがぐちゃぐちゃに絡み合って交差して、殺し合いの末結果としてほとんどが死んでしまった、というものなのである。正直後味は、悪い。

ただ「御伽噺」風になっているためか、後味の悪さはいくらか緩和されている。人間関係のぐちゃぐちゃ加減はリアルなのだが、人を食べるオオイソギンチャクや、人間の苦痛を電力に変える機械に、奇跡の力という魔法の存在、笑いながらピストルをぶっ放して遊び踊る三姉妹の異常性の高さが、舞台と観客の間の地続きを破壊し、線引きを作ってくれていて、物語の一員ではなく第三者の視点で見ることが出来るのである。おかげで観終わった直後はどんよりした気分にはならず、笑顔で拍手喝采を送ることが出来た。

また、パスカルズの音楽と、舞台装置も非常に良かった。ある場面で舞台が真っ暗になり、舞台セットの輪郭がかすかにぶれながら赤や緑に光る場面があったのだが、それがまるで手書きのアニメーションのようで、ぐっとフィクションっぽさが増したのである。音楽もおもちゃの笛のような音や太鼓の愉快な音が、どこかチープで、安心感を与えてくれるのである。時間と予算があればもう一度観に行きたいものだなぁ。