INTERACTIVE LIVE SHOW 2013 『ノモノスとイミューム』 (2013年1月26日)


 
 
「ノモノスとイミューム」最終日。公演終了後、公演祝いの花を自由に抜き取って良いとアナウンスされていたので、記念に有難く頂戴した。これまで我が家に花が飾られたことが無かったので気付かなかったが、花がある景色というのもなかなか良い。玄関にイミュームが配置される家。家を出入りするたびに己のサファオンがイミュームに影響し、イミュームがサファオンに影響して物語が生成されるのだ、と思うと愉快な気持ちになる。

初日と二日目は同じエンディングを迎えたが、三日目の今日は異なるルートを辿り別種のエンディングを観ることが出来た。思わぬ歌謡ショーにオーディエンスは大爆笑。ハンドマイクを握るだけで笑いが取れる男ヒラサワ。つくづく面白い人だ。

興味深かったのがエンディングの後のMC。細部を失念してしまったが、「これからはSP-2のヒラサワから、Amputeeのヒラサワに」という言葉。「Amputeeのヒラサワ」の後に続く言葉が「なった」か「なる」か「なったと思われる」か「なったと思われている」か忘れてしまったのだが、最初会場でこれを聞いたとき意味がわからなかったのだ。SP-2のヒラサワ? Amputeeのヒラサワ? ヒラサワはSP-2でもAmputeeでも無いだろう?

と、思ったが、あれはヒラサワ自身がSP-2やAmputeeという意味では無く、SP-2やAmputeeに「傾倒する」「影響を受ける」「尊敬する」「愛する」「愛される」という意味合いなのだろうと咀嚼した。いわゆる「ふつーの人達」の枠外にいて、両者とも、外見的な美しさも魅力だが、それ以上に困難を乗り越えて、力強く生きる人達。無論、性同一性障害者や切断者の全てがそれに該当するわけではない。彼ら彼女らの中で、そういった精神を持った人にヒラサワが強く惹かれているのだろうと思う。

この「枠の外にいる人」は「ノモノスとイミューム」の中に登場する「幽霊船」も該当する。「幽霊船」は公式サイトの用語解説から引用すると、”有意義な「反射」になり得るサファオンでも「前例が無い」「飛躍的過ぎる」などの理由で社会から暗黙のうちに拒絶されるサファオンがある。そうしたサファオンが採用される可能性に賭けて10年後の世界へと運ぶ船”である。あくまでも「サファオン(感情、思考、記憶の混合物に生じるある種のパターン)」であり、人間では無いが、それを乗せるのが「幽霊船」とは何とももの悲しい。

つい、幽霊船に乗せたサファオンを秘めた人は、彼ら彼女らが受け入れられない時代で生きていかざるを得ないことを考えて、しんみりしてしまうのだ。そしてそういった人々は「ノモノスとイミューム」の外にそれはもういくらでもいるのである。

だが、幽霊船が乗せたサファオンは役立てられ、物語は危機を脱出する。このあたりがヒラサワの描く希望なのかなぁ、と思うのだ。思えばヒラサワ自身も「ふつー」という枠の外で生きてきた人で、それ故に苦労もしてきたそうだが、反面枠の外にいるからこそ多くの人に愛されている。それを本人が知っているから、幽霊船を登場させたのだろう。だってサファオンを補充するならばドナーに要求すれば良いだけなのだ。

類推ばかりの文章だが、枠の外の人であり、枠の外の人を尊敬する人だからこそ、自分はヒラサワの音楽や文章、キャラクターに惹かれるのだ。昨日今日二日間参戦出来て良かったと思う。

未分類平沢進, 非日常