日記録5杯, 日常

2014年6月2日(月) 緑茶カウント:5杯

どちらかと言うと夜型の世界を生きている。朝は九時前に起き、夜は二時前に眠る。下手をすれば平日でも三時の就寝となるが、それを許さないものがいる。枕の横の机の上に鎮座する、電波式の目覚まし時計が七時に起きろと鳴りわめくのだ。そして自分はベルを叩き、時間を確認し、二度寝をして定刻通りに動いてくれる携帯電話の目覚ましによって本格的に起動するのだ。

どうして七時に鳴るのかわからない。わからないが、たまになるのである。この電波式の目覚ましは、時々宇宙と交信して正確な時刻をその身に刻み直しているようなのだが、その行為によってまれに目覚ましの設定時間がリセットされてしまうようで、恐らく「標準」として設定されている起床時間に、けたたましく活動を開始するのである。自信を持って。

まるで人間らしい時間に起きて人並みに活動しろと説教されているようだ、と二時間近く早く起こされた自分は軽い苛立ちを覚える。放っておいてくれたまえよ、と思いつつ寝る。

ちなみに目覚ましはベルを設定したにも関わらず勝手にベルを解除することもある。それはそれで「もう知りません! ずっと寝ててよろしい!」と三行半を叩きつけられたようで若干腹立たしい。普通に働いてくれよ、普通に。もう。



日記録1杯, 日常

2014年6月1日(日) 緑茶カウント:1杯

年上のお兄ちゃんに手を引かれて、トライダガーXを買いに行ったんだ。

あれは小学校一年か、二年か、三年か。とにかくそのくらい、低学年の頃だ。コロコロコミックで連載していたミニ四駆の漫画。そこに出てきた黒いボディの、炎のあしらいのあるミニ四駆。名前はトライダガーX。自分はそれをとても欲しいと思い、付き合ってくれたのが従兄弟のお兄ちゃんだった。

夏の日の炎天下の坂道、遠い道のりを歩いて模型屋に行った記憶がある。二千円だか、三千円だか、大金を払って買った記憶がある。しかし、十数年後の数年前、おもちゃ屋で見たミニ四駆の値段はせいぜい五百円。こんなに安かったかと驚いた。モーターも、タイヤも、ローラーも、どれもこれも大金を払った記憶があったのに!

金銭感覚が今とまるで違うのだよ、と言われればそれまでだが、まさか五百円とは思わず。だってそれなら、買おうと思えば今ならいくらだって買えるのだよ。でも、今それを手に入れたとして当時のような興奮と喜びはきっと得られないのである。

ちなみにビーダマンとハイパーヨーヨーも通過し、ベイブレードの前に卒業した。コロコロ、好きだったなぁ。



日記録7杯, 日常

2014年5月31日(土) 緑茶カウント:7杯

昨日の日記で書いたことについて、自分はとても気落ちしていて、やりきれない思いで一杯で心は憂鬱、そしてまた、悲しい気持ちでがっかりしていたのだが、その日届いたCDがありまして。平沢進の新譜でして。それは変則的なライブアルバム。収録される全ての曲が「ライブの一曲目」であり、曲の冒頭に長々とした出囃子がついた異例のアルバム。ライブならではの激しい音と歓声がつんざく怒涛のアルバムだ。

ぐったりしながら聴き始めたんだ。気分転換をしたい、と思いながら。するとイヤホンを通して耳に流れるのは、「格好良い!」の一言に尽きる、興奮と歓喜の源。うわーーーー、と嬉しくなった。何て格好良いんだろう! 素敵だ! こんな曲が聴けるなんて嬉しい! 自分は大喜びし、喜びながら、気付けばニヤニヤと笑っていた。曲があんまり格好良かったから。

憂鬱の全てが消えたわけでは無かったが大分気持ちは楽になった。あぁ、音楽一つでここまで人の気持ちは変えられるのか。ありがたいなぁと思いつつ、それだけ単純ならばいつだってどうにかなるんじゃないの、と思い込もうとしながら生きている。



日記録3杯, 日常,

2014年5月30日(金) 緑茶カウント:3杯

昨今の心労の原因は年下の若者で、彼の人の言葉を反芻しながら飲み込んだ明太子入りの出汁巻き卵は、しその香りがふわりと染みて温かく、美味しかった。

何度も店の前を通りかかったが初めて入った小さな居酒屋。入ろうと思ったのは、温かくて、優しい味のものを食べたかったからだ。中華でもイタリアンでもなく、冷奴や出汁巻き卵のような、ふわっとしたものが食べたかったのだ。つまり疲れていたのである。心が。自己嫌悪していたのである。とても。

あぁ怒ってしまった。己は怒ってしまったのだ。

怒ったときこそ冷静にならなければならない。「正義は微笑をもって語れ」という言葉を己は大事にしているのに、全く実行出来ちゃいない。それは太宰治の本「正義と微笑」に登場する言葉だ。しかし聞いたのは祖父の口からだった。祖父は癖のある人で、自分勝手なところも多いが、その言葉はとても良いものとして自分は受け取った。その後件の本を読んで、祖父の言葉の由縁を知り、多いに納得したのだった。祖父は読書家なのである。

この不快の原因がもはや自分にあるのか他者にあるのか定かでは無い。あぁ、でも、本当に、困るのだ。その人は言葉がとても下手で、敬語を全然話せない。「あーーーえーーー申し訳ございません、うっかり(私が)お忘れになったみたいです」「えーーーーーウヲさんが(私に)お送りさせていただいた物の件ですが………」と喋るのだ。また、普通の会話で言いよどむことが多い。最初は何を迷っているのかと思っていたが最近気付いた。次に使う敬語を探しているのである。そのうえで、見つけられていないのである。

いっそタメ口で話して欲しいが、おかしいのは敬語だけでは無い。言葉のチョイスが間違っているのだ。「○○を参考に使ってください」と言うべきところで「○○を流用してください」と言ってしまい、その言葉の意味のズレに本人が気付かない。言葉通りに受け取った自分は理解が出来ず、前後の文脈と状況から類推し、「それは参考にしてください、という意味ですか?」と尋ねると、「あーーーーーそうですね。そうとも言いますね」と答える。そうとしか言わねーよ。

やんわりとミスを指摘すれば必ず「私の伝え方も悪かったかもしれません」と返すのも腹立たしく、会話をするたびに小さなストレスが積み重なっている。そして今日、また「参考」と「流用」のようなことが起こり、自分は怒ったのだった。

あーあー。

憂鬱な気持ちで居酒屋の暖簾をくぐると、カウンターの奥のおっちゃんがにっこり笑って「こんばんは」と迎えてくれた。「いらっしゃい」じゃなくて「こんばんは」。あ、何か良いな、嬉しいな、と思った。「お一人ですか? じゃあ奥のお席はいかがです?」「はい、ありがとうございます」「メニューはこちらです。飲み物はこちら。本日のおすすめは黒板に。ゆっくりなさってくださいね」

心が溶けるような思いがしたよ。あぁ、普通の会話だ普通の会話だ。己はこれを望んでいたんだ。

疲れていたんだなぁ。自分は。



日記録2杯, 日常

2014年5月29日(木) 緑茶カウント:2杯

どうしようもなくべろんべろんに酔っ払っていたにも関わらず、しっかり家に帰り、鍵をかけ、ジャケットをハンガーに吊るしてボタンを留め、コンタクトレンズを外して保存液に漬け込み、風呂に入って髪につけたハードジェルをしっかり落として、日記をつけ、体重と体脂肪率、食べたものを別途記録に残して就寝したらしいことを、部屋の様子と自身の日記の記録から知り、鍵と風呂はともかく日記と体重記録は別につけなくても良かったんじゃないか、と己の律儀さに呆れつつ感心した朝の自分は、吐き気に苛まれて死にそうになっていた。

二日酔いになるともう二度とこの苦しみを味わいたくないと毎度の如く思うが、いつからか、「もう二度と呑まない」と誓うことは無くなっていた。わかってるのだ。例え二日酔いで死ぬほど苦しんで、そのときはもう酒なんて目にしたくもないと思ったところで、どうせ楽になったら平気で呑むのだ。だから二日酔いになっても断酒は誓わない。二日酔いになっても今後も呑む。どうだ、潔いだろう。

それは潔いのではなく、ただの馬鹿の所業ですよ、とおっしゃるあなたはとても正しい。昨日はちょっと呑みすぎた……。