正義は微笑をもって語れよ

2014年5月30日(金) 緑茶カウント:3杯

昨今の心労の原因は年下の若者で、彼の人の言葉を反芻しながら飲み込んだ明太子入りの出汁巻き卵は、しその香りがふわりと染みて温かく、美味しかった。

何度も店の前を通りかかったが初めて入った小さな居酒屋。入ろうと思ったのは、温かくて、優しい味のものを食べたかったからだ。中華でもイタリアンでもなく、冷奴や出汁巻き卵のような、ふわっとしたものが食べたかったのだ。つまり疲れていたのである。心が。自己嫌悪していたのである。とても。

あぁ怒ってしまった。己は怒ってしまったのだ。

怒ったときこそ冷静にならなければならない。「正義は微笑をもって語れ」という言葉を己は大事にしているのに、全く実行出来ちゃいない。それは太宰治の本「正義と微笑」に登場する言葉だ。しかし聞いたのは祖父の口からだった。祖父は癖のある人で、自分勝手なところも多いが、その言葉はとても良いものとして自分は受け取った。その後件の本を読んで、祖父の言葉の由縁を知り、多いに納得したのだった。祖父は読書家なのである。

この不快の原因がもはや自分にあるのか他者にあるのか定かでは無い。あぁ、でも、本当に、困るのだ。その人は言葉がとても下手で、敬語を全然話せない。「あーーーえーーー申し訳ございません、うっかり(私が)お忘れになったみたいです」「えーーーーーウヲさんが(私に)お送りさせていただいた物の件ですが………」と喋るのだ。また、普通の会話で言いよどむことが多い。最初は何を迷っているのかと思っていたが最近気付いた。次に使う敬語を探しているのである。そのうえで、見つけられていないのである。

いっそタメ口で話して欲しいが、おかしいのは敬語だけでは無い。言葉のチョイスが間違っているのだ。「○○を参考に使ってください」と言うべきところで「○○を流用してください」と言ってしまい、その言葉の意味のズレに本人が気付かない。言葉通りに受け取った自分は理解が出来ず、前後の文脈と状況から類推し、「それは参考にしてください、という意味ですか?」と尋ねると、「あーーーーーそうですね。そうとも言いますね」と答える。そうとしか言わねーよ。

やんわりとミスを指摘すれば必ず「私の伝え方も悪かったかもしれません」と返すのも腹立たしく、会話をするたびに小さなストレスが積み重なっている。そして今日、また「参考」と「流用」のようなことが起こり、自分は怒ったのだった。

あーあー。

憂鬱な気持ちで居酒屋の暖簾をくぐると、カウンターの奥のおっちゃんがにっこり笑って「こんばんは」と迎えてくれた。「いらっしゃい」じゃなくて「こんばんは」。あ、何か良いな、嬉しいな、と思った。「お一人ですか? じゃあ奥のお席はいかがです?」「はい、ありがとうございます」「メニューはこちらです。飲み物はこちら。本日のおすすめは黒板に。ゆっくりなさってくださいね」

心が溶けるような思いがしたよ。あぁ、普通の会話だ普通の会話だ。己はこれを望んでいたんだ。

疲れていたんだなぁ。自分は。



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