日記録0杯, 日常,

2018年12月13日(木) 緑茶カウント:0杯

およそ十四年になる一人暮らしの中で、記憶にある限り恐らく初めて刺身を買った。生魚が苦手なためにこれまで自発的に食べようと思ったことがなく、故に縁が無かったのだ。

だから驚いたよ。刺身ってのはなかなか高いのだね。今までスーパーの刺身コーナーをじっくり眺めたことが無かったから全く知らなかった。こんなに小さなパックで五百円もするのか。なるほど、刺身とは贅沢品なのだなぁと頷きながら籠に入れ、レジに通して帰路に着く。初めての刺身。よって今日は刺身記念日である。

そしてこの刺身記念日は大根のツマ記念日にもなった。

刺身を別の器に移し、パックに残る大量の大根のツマを見て己は思い悩んだ。どうしよう、これ。どうしたものか、これ。捨てるには忍びない。しかし生魚が触れていたことを考えるとこのまま食べるのも怖い。この刺身だって火を通して食べる予定なのである。うーん、どうしたものか。

悩んだ挙句、煮た。とりあえず煮た。とりあえず煮るだけでは何なので出汁と味噌を入れた。くつくつ煮た。
で、これが美味しかったんだな。

これまで刺身との縁が薄かったため大根のツマを口に入れたことも無かった。よって知らなかった。大根のツマ、これはなかなか美味しい。汁物にしたらヘルシーなヌードルのようになって実に良い。シャキシャキとした食感も楽しく、食べ応えがあるのも良い。

良いじゃん。大根のツマ、良いじゃん。

思わぬ出会いに感謝しつつ、刺身はいらんので大根のツマだけ大量に食べたいなぁ、専用のスライサーを買おうかなぁ、と思いつつシャクシャク食べた。美味しいね、大根のツマ。



日記録3杯, 日常,

2018年11月10日(土) 緑茶カウント:3杯

ラ・フランスを口にしたことはあるかい? あれは甘く、濃く、ねっとりしていて、そのうえでざらりとした質感を舌の上に残す芳醇なる果物だ。

で、だ。外れたラ・フランスを口にしたことはあるかい? あれは無味で、うっすら甘さの香りがし、ジャリジャリと砂利を噛むような味がして、何一つ美味しくなく、見た目が美しいだけに味のギャップが凄まじくて、ただただ悲しい。

君は食べられているか。適切なタイミングの、きちんと熟したラ・フランスを。

これをさぁ。見分けるのがさぁ、難しくってさぁ。
舌の上に広がるのは砂利の味。何一つ美味しくなく、ただひたすら砂を噛む味。
不味い。

故に思う。完熟したラ・フランスの美味しさを知っているだけに思う。熟しきったラ・フランスを丁寧に美しく切り、小さな白い皿に盛り合わせ、そっと目の前に差し出してくれるサービスがあるならどんなに素晴らしいだろう。利用したいだろう、と。

それほど己はあの涼やかで美しい味を求めているのに、未だ悲しく辿り着かない。
美味しいラ・フランス。食べたい。



日記録0杯, 日常,

2018年10月23日(火) 緑茶カウント:0杯

作りたいものと食べたいものが一致しないとき、人はどうするべきだろう。

少しの間料理から遠ざかっていて、久しぶりに包丁を握ったとき。トントンとまな板を叩く金属の音を聞き、自らの右手が鳴らすリズミカルな感触を得て、あぁ、料理は楽しいなと思った。好きなんだ、何だかんだ言って。面倒臭くても好きなのだ。

そのうえで思った。作ってみたことのない料理にチャレンジしてみたいと。
具体的には、刺身をさばき、海老をボイルし、貝を抉り取りたいと。

どれもやったことがない。何故なら己は水棲生物が基本的に苦手だからだ。
魚であれば火が通れば食べられる。ただしその他は基本的においしく感じない。生き物としては可愛いと思う。ただし口に入れても嬉しくない。

故に、イカをさばいたことも無ければ生のタコをまな板に乗せたこともなく、貝はもちろん、パックの刺身を買ったこともない。

しかしやってみたい。でも食べたくない。

この欲求をどのように処理すべきか。わからない。故に悩んでいる。
あぁ、触ってみたいなぁ。



日記録4杯, 日常,

2018年10月18日(木) 緑茶カウント:4杯

こうも寒くなってくると、屋台の暖簾をくぐって味の染みた大根とごぼう巻をつつきながら、くいっと熱燗を傾ける……なんて背中に憧れる。

ところが残念なことに、とても残念なことに。己は日本酒が苦手なのである。

日本酒も焼酎もピンと来ず、美味しく呑めるのはビールばかり。ハイボールもあまり得意ではなく、好んで呑むのはウイスキーの香りが消えるほど大量にレモンを絞ったレモンハイボールのみ。何にせよ呑めるのは冷たい酒ばかりで、お湯割りや熱燗とは縁がないのだ。

故に憧れる。あの温かな湯気に含まれるアルコールと出汁の香りを嗅ぎながら、胃の腑の底に火を点す寒い夜の晩酌に。

あぁ、良いなぁ。やってみたいなぁ。
いつか楽しめるときが来れば良いなぁ、と願って。



日記録6杯, 日常,

2018年7月30日(月) 緑茶カウント:6杯

二日前に開けて以来口をつけていない牛乳があったとしよう。さて、この牛乳は己にとって毒か否か。

毒か否か、と考えた時点でそれは毒に変貌する。例え傷んでいないとしても。

どうにも食品に対しての不安に己は弱いらしく、「大丈夫だろうか」と思った時点で必ず腹を壊す。大丈夫に違いないと思い直しても壊す。そして不思議なことに、同じ二日前に開けた牛乳であっても二日前と一日前に口をつけて安心して飲めていれば同じ日数が経っていても腹を壊さない。何故なら、そこに不安が無いからだ。

どうやら、目を離している間に何かが作用しているに違いないと信じてしまうらしい。目を見張ってさえすれば安心だが、一度範囲の外に出てしまうとそれはもう毒と成り果てるのだ。

いったいどこでどの信仰を抱くに至ったかは不明だが、抱いているからには上手に付き合うしか道がなく、なるべく毎日口をつけようと努力する次第である。あぁ、不思議な習性だ。