日記録0杯, 日常,

2013年11月21日(木) 緑茶カウント:0杯

ちょっとびっくりするくらい忙しく、最近はもっぱらコンビニ弁当ばかり食べているので、冷蔵庫の野菜が減らない減らない。野菜ジュースなんかで野菜が摂れるものかよ、と全く信じていない自分が、気休め程度でも、という思いで買ってしまって飲んでいる。

大量の野菜と肉、もしくは餃子を鍋で煮てくたくたにしてポン酢で食べたい。締めは卵雑炊で。



日記録1杯, 日常,

2013年11月18日(月) 緑茶カウント:1杯

三日前から朝食に蜂蜜を食べている。三日前まで蜂蜜を食べる習慣は無かった。いつか、口にしたことがあったかもしれないが、記憶する限り、蜂蜜を蜂蜜の状態で食べたことは無い。しかし何故蜂蜜を食べる習慣が無いかといえば、あの独特の味が苦手だったから、と記憶しているので、やはりどこかで食べたことがあるのかもしれないが、既によくわからない。

我が家の食卓に蜂蜜が上らなかったのは母があまり蜂蜜を好いていなかったことと、メープルシロップの方を愛用していたためである。そして自分もメープルシロップが好きだった。トーストにかけたりパンケーキにかけたり。一時期は家族の間でメープルシロップがブームになっていて、毎日食べていたことさえあった。

ずっと縁が無かった蜂蜜だが、数年前から我が家にあった。人から蜂蜜の小瓶をもらい、しかし食べるあても無く、とりあえずずっと持っていたのである。それをついに三日前開けた。温かいヨーグルトを食べるために。

一人暮らしを始めてから今日まで、朝食にヨーグルトとバナナを食べ続けているのだが、バナナはともかく冬場は冷たいヨーグルトを食べるのが辛く、しかも今年はエアコンをつけると咳が出るため朝に部屋を温めることが出来ず、ヨーグルトを食べるのが苦痛になっていたのだ。冷たいものが咽喉を通るのが辛い。でも、ヨーグルトは食べたい。そこで検索してみたのだ。「ヨーグルト」「温かい」で。

すると出てきた出てきた。ホットヨーグルトなるもの。何やら美容やらダイエットやらに良いらしく、一部で話題になっているようだ。いくつかのサイトを見たところ、ヨーグルトと何か甘いものを混ぜてレンジでチンする、という認識で良さそうだ。ふむ、甘いものか。

このとき時刻は深夜の一時あたりだっただろうか。早速翌朝試してみたいが普段砂糖も何も入れず食べているため混ぜるのに適したものが用意されていない。だが、そのまま温めるだけでは不味そうだ。何か無いだろうか、と探す中で見つけたのだ。数年前の小瓶を。

一口食べたときは蜂蜜独特の味に若干苦手意識を抱いたが、二日目には慣れていた。こうして蜂蜜とのお付き合いが開始させられた。ちなみに百花蜜なる種類の蜂蜜らしい。一日ティースプーン一杯しか使わないためまだまだ無くなることは無さそうだが、これを食べ終えたらまた別の種類を探すのも面白いかもしれない。

それにしても、蜂蜜を入れたホットヨーグルト、チーズを溶かしたジャガイモのポタージュ、クロワッサン、バナナというメニューは一見すると何やらナニだね。はは。



日記録0杯, 日常,

2013年11月14日(木) 緑茶カウント:0杯

冬場は食事量を増やさなければ寒くて体がやりきれない、ということに気付いたのが先日のこと。気温が低いため寒いのは当たり前なのだが、体の内側から冷える感覚がするのである。

よって最近は積極的に物を食べるようにしている。パンの数を増やし、おかずを一品増やし、間食をし、エネルギーを摂取するよう心がけている。すると面白いことに、違うんだなぁ。単純なものだと思うが、体が温かいのだ。

朝、冷え切った部屋で温かいクロワッサンを食べながら、チーズを溶かしたポタージュスープを飲むのが小さな幸せだ。温かいもので胃の中の隙間を埋め尽くしたい。



日記録0杯, 日常,

2013年11月9日(土) 緑茶カウント:0杯

子供の頃住んでいた家は一戸建てで、一階に客間と居間と台所があり、二階に子供部屋と両親の部屋と洗濯物を干す部屋があった。そして学校から帰宅して夕飯を待つまでの間、二階の部屋にいる場合、母が大きな声で「ご飯出来たよー!」と叫んでいた。その声に応じて下に降り、夕食にありつくのだが、夢中になっている事柄などがある場合はついつい母の声を無意識のうちに無視してしまい、こっぴどく叱られた。

我が家のテーブルマナーのうち、一番重要なことは、「温かいものは温かいうちに、冷たいものは冷たいうちに食べること」だ。

サラダを作る際、母はサラダの詰め込まれた大皿だけでなく、各人が使う取り皿も必ず冷蔵庫で冷やした。温かな肉料理やパスタを食べるときは、取り皿が別個レンジで温められた。母は料理上手だ。料理にかけて、母はいつも気を遣ってくれていた。ごくたまに、忙しくて夕飯を作る時間が無く、惣菜を買ってきたときでさえ、必ずそれをそのまま出さず、家にある皿に綺麗に盛り付けて、見栄えを良くしてから「今日は手抜きでごめんね」と言いつつ食卓に出してくれた。

正直、自分はそこまでせんでも、と思っていた。ちょっと遅れたくらいで、ちょっと冷えたくらいで料理が不味くなるわけが無い。どうせ食べているうちに冷めていくし、それでも十二分に美味しい。惣菜だってたまにのことだ。そんなことでわざわざ不満を漏らすことなどあるわけない。そこまで神経質にならずとも、と思っていた。

しかし一人暮らしもそろそろ十年に届きそうになる年月を迎え、常に手前のために手前の作る飯を喰いながら思うに、母の思いやり、心遣いはありがたかったな、と今になってしみじみと感じられる。そして思うのだ。同じように、作ったものはその場で、即座に、食べたい、もしくは食べてもらいたいと。一番美味しいときを味わいたい、でなければ味わって欲しいと思うのだ。

今日、自分は唐揚げを揚げた。にんにくと生姜をたっぷり使い、肉にじっくりと味をしみこませ、高温の油でからりと揚げ、どんどん皿に移していった。その際、唐揚げを揚げている真っ最中の自分はそれを食すことが出来ない。一番美味しい今このときの唐揚げが、徐々に冷めていってしまう悲しさを目の前で見た。無論、それでも充分美味しく感じられたが、とにかく揚げたての、まだ肉の内部が沸騰しているそのときの、アツアツの唐揚げを誰かに食べてもらいたい、と思った。そうでなければもったいないと。

母の気遣いと母の思いを今になって知る。自分は結構、かなり、幸せな家に生まれたと思った。



日記録2杯, 日常,

2013年10月30日(水) 緑茶カウント:2杯

もしかしたら自分はカテキンと乳酸菌で生きているのかもしれない。