未分類0杯, 水戸華之介, 非日常

2020年4月11日(土) 緑茶カウント:0杯

この日をどんなに待ち望んだことか。そしてどれほど残念だったか。毎年冬から春にかけて開かれる五回の公演で、季節の移り変わりを感じながら春の訪れをあたたかく迎え、大好きな歌声と音楽の中で体を揺らす。そんな楽しみが唐突にコロナウイルスによって砕かれたのだ。

でもね。救いもあったんだ。その公演の主催者である水戸華之介さんが、アンジーの水戸華之介さんが、生まれて初めてインターネット配信による無観客ライブを開催してくれたのさ。

ライブ狂にとっては地獄の期間。緊急事態宣言発令の前後から続々とライブの延期・中止連絡メールが届き、メールの着信と共に生きる活力を失い、同時に自粛を決めたミュージシャンやライブハウスへの補償が報道されないことに悲しみと絶望感を抱き、愛する人々が助けられないこの国の事態が辛くて辛くて、辛くて辛くてたまらなかった。

その悲しみと不安を、ひととき忘れられたのさ。

ありがとう、水戸さん。ありがとう、一休さん。あなた方のいつも通りの楽しいトークと賑やかな歌声で心が慰められました。この日を糧に生きていくことができました。そのうえで。そのうえで、やはり生で、あなた方の歌声が聴きたいです。あなた方の楽しいトークでゲラゲラ笑って涙したいです。だって己は、初回からずっと通っていて、一休さんの回の楽しさったら特別で、だからこそ努力して片手の指に入る整理番号を手に入れた、そんなファンなのですから。

きっと本来であれば聴けたであろうあの曲やこの曲が想像できるだけに悲しくて、でもこの日があることがすこぶるありがたくてたまらない。
だから何もかも解決して、インターネットではなく直に、ステージの上の水戸さんを見上げられる日が来ることを願い、待ち続けようじゃないか。いつまでも。水戸さんの歌声は生きる糧であり原動力なんだ。いつだって励まされて元気をもらえているんだ。

ありがとうございます、大好きです。ずっとずっと待っています。



未分類0杯, 水戸華之介, 非日常

ニコニコしてしまった。それはもう、嬉しくて楽しくて。このタイミングで水戸さんの歌声を聴けたことがありがたくってならなくって。

まるで311のときのようだなぁ、と感じる重い閉塞感。楽しみにしていた予定が延期や中止になり、自粛ムードが漂い、トイレットペーパーやティッシュペーパーがデマで品薄になり、かと思えば突然の休校要請により余波を受けた業者が食材を余らせて困っていて、世の中が混沌としつつも労働だけは普段通りに行わなければならなくて、しんどい中でさらに心の拠り所を奪われるという悲しい事態に陥っているのだ。

そのうえ個人的に大きな事件が直近で発生し、事象そのものは一つなのだが大事なものを一気に失うはめになってしまって、あまりのしんどさ苦しさやるせなさに一晩涙が流れて止まらず、そんな中での自粛ムードに心が折れそうで、折れそうな中でやはり救ってくれるのは、己が愛した人達なのだと改めて感じさせられたのだった。

オーディエンスの健康を慮り、ライブを中止・延期にしたオーケンは本を読んで勉強してインスタライブを配信してくれた。
状況を鑑みつつ、水戸さんはライブを決行する判断をしてくれた。

ありがとう。あなた方のおかげで己の心は救われました。

番号的にどうかな、と思いつつ良い席に座ることができて、全身で水戸さんの歌声を浴びることができた。一曲目は「青空」で、二曲目が「楽」。水戸さんが歌ってくれるとどんなに曇っていても頭上に青空が広がっていく。響き渡る歌声が体内まで振動し、心が揺さぶられる。

あぁ、今一番聴きたかったのはこの歌声だ、と思った。

今度発売する新譜がかなりロックになったことについて水戸さんは言った。敷居を下げても間口は広がらなかったのでその反動だと。また、メジャーなミュージシャンと比較して冗談めかして自身を売れない売れないと言った。それについて己は、あぁあのプロジェクトはそういう意味合いもあったのかと今更思い知らされて、売れないと自嘲することをちょっぴり悲しく思いつつ、でも、己はやはり、ストレートでロックな水戸さんの歌声が何よりも好きで、その歌声に励まされ、支えられ、やっと生きているんですよ、そんな人間もいるんですよ、と言いたくてたまらなくなった。

「青空」「芋虫ロック」「地図」「夜中の3時のロマンチック」「バラ色の人生」。今聴きたかった曲を今日この日に聴けて、涙がこぼれてきて、ぐっと握った拳を突き上げて水戸さんの格好良い横顔を凝視した。「星になるのか」で声が詰まった水戸さんが曲が終わった後のMCで言った。直近で近しい人が亡くなり言葉が出て来なくなってしまったと。あぁ、そんな中でも歌ってくれるのが、たまらなくありがたくて仕方がない。

アンコールの二十面ダイスは今回から新調されてがっしり握れるほどのサイズになった。それを床へと転がし、最前の客が出た数字を確認できるようにして、「俺たちはずっとやらせはしていなかった」「本当に出た数字をアンコールでやっていた」と主張する水戸さん。大丈夫、知っていますよ。例え一センチ×一センチのような小さなサイズで観客に出た目が見えなくたって、我々はあなたとあなたの歌声を信頼しているのですから。でも、そうしてわざわざamazonで新しいダイスを探してくれるのはそれはそれで嬉しいです。

そんでもって今日ライブを決行するに至って、来場者全員にサイン入りマスクを配ろうとドラッグストアを奔走してくれた水戸さんのありがたさったら。結局マスクはどこも品切れで手に入らず、除菌できるファブリーズに目を付けたもののノンアルコールなためコロナには無意味で、なーんてエピソードを話してくれて、その気持ちだけで心がポカポカになりますよ、そしてあなたの歌声によってエネルギーをもらえてきっとコロナにも打ち勝てますよ、なんて思って、感謝の気持ちを込めて己は終演後、ドリンクをさらに一杯注文し、グッと呑んで一気に空にしてサクッと帰った。

ありがとうこの空間を。水戸さんのおかげで生きていけます。






未分類2杯, 水戸華之介, 非日常

笑う、楽しむ、悲しむ、喜ぶ。様々な感情が揺さぶられるライブという非日常の空間では、時には涙という形で感情が爆発することもある。
その「たまに」が訪れるのは、思い返すと水戸さんのライブばかりかもしれない。

暗闇に厳かなパイプオルガンを思わせる音色が流れ、ステージにずらりと現れたのはボーカルグループ「VOJA-tension」の六名と、内田さん、澄ちゃん、元尚さん、澄田啓さん、そして水戸華之介その人。意外な一曲「ふたりは」から始まり、VOJA-tensionとのコラボレーションで生まれた新譜「アサノヒカリ」に収録された曲の数々を披露してくれた。

美しく響く重厚なコーラスを堪能できるようにだろう、肩を揺らしながら落ち着いて聴ける曲が多く、その中で大好きな「私の好きな人」を聴けたことの嬉しさは格別だった。VOJA-tensionはコーラスだけでなくボーカルも担当する。つまり、ずっと水戸さんの歌いどおしではなく、水戸さんの楽曲を様々な人の歌声で楽しむことができる。「不死鳥」では常にゲストが招かれ、この「水戸さんの楽曲を水戸さん以外の人が歌う」のも恒例だが、今回はさらにその割合が多い。水戸さんの歌を水戸さん以外の方の歌声で聴ける貴重な機会は嬉しくもあり、同時に水戸さんの歌声をもっと聴きたい、とも思わされ、あぁ、己は本当に水戸さんの歌声が好きなんだなと改めて思い知らされた。

VOJA-tension退場後は俺達のギターヒーロー・ワジーがゲストに登場! ばっちりはまって最高に格好良い「生傷エトセトラ」の後はワジーの引き出しになくワジーも苦労したという「光あれ」。そして! 曲中にゆったりと女性パートを歌いながらステージに現れたのはMAGUMIさん! さっとバラを咥え、客席に放り投げ水戸さんと抱き合い会場を大いに沸かせた。

と言いつつ、短髪でサングラスをかけたMAGUMIさんのイメージが強かったため、長髪でサングラスをかけてないMAGUMIさんを初めて観た己は若干混乱した。声は確かにMAGUMIさんのはずだが、あれ、MAGUMIさんだよな…………? と。MAGUMIさんだった。

そして激しいロックパートが終わった後は、We Will Rock Youを思わるドラムに乗って再度VOJA-tensionのメンバーが登場! VOJA-tensionが今まで一度も言ったことのないであろう「おケツふりふり」「お乳ゆさゆさ」を歌わせたいというただそれだけの理由でセルフカバーが決まったものの、蓋を開けてみればアルバムで一、二を争うほど良い出来だった「種まき姉ちゃん」を披露! VOJA-tensionのメンバーはニコニコしながら体をゆすり、ステージみんなが明るく陽気で楽しそうで、あぁこの曲、大勢で歌うとこんなに楽しくて可愛らしいんだなぁ、とステージを眺めながら己もニコニコした。

「ミミズ」では曲中の内田さんによるベースソロをVOJA-tensionがベースに合わせて歌声でソロを歌い、内田さんが深々とVOJA-tensionにお辞儀をしてまたソロを弾き、「素晴らしい」とVOJA-tensionを称えもう一度ベースソロを弾きVOJA-tensionもそそれに合わせて歌う、というキュートな場面もあった。これ、またDVDで観返したいなぁ。とても可愛らしいやりとりだった。

本編最後の曲に入る前、水戸さんがマイクを握り直す。「私事ですが…………」という前置きの後に語られたのは、一昨日に十六歳の愛犬が亡くなったという報告。最近はずっと介護をしていて、点滴を打ち、流動食を食べさせ、寝たきりになっていて、目も見えているかも定かでなく、水戸さんのこともわかっているかどうか………という状態だったそうだ。その中で薬を与えて生き永らえさせることに水戸さんも迷いを抱いたと言う。

ただ、流動食を入れると、「ぐいぐい」と力強く飲み込む力が感じられて、それで水戸さんは「いいんだ」と思えたそうだ。水戸さんは言葉を続ける。「生きたい」という欲求は本来若いままずっとあるもので、ただ、年を重ねるといろいろなものが積み重なって、生きるのがしんどくなってしまう。歌は、「生きたい」欲求の上に被さったいろいろなものを掻き分ける力があって、自分も少しはそれができているかもしれない、と。

本当はもっとずっとまとまっていて、短い言葉で語られていたのだが、己にはうまくまとめられなかった。
そして、あらゆる命を肯定したい、と「青のバラード」が歌われた。

涙がボロボロこぼれて、鼻水が出た。ハンカチを目の下にあて、涙で歪むステージを見つめる。スポットライトを浴びる水戸さんは力強く、逞しく、繊細で、格好良かった。言葉の一つ一つが食いしばられた奥歯から生まれたように感じられ、音の一つ一つが力を持っていて、祈りのような願いのような歌声に心が揺さぶられて、悲しいのか嬉しいのか切ないのかわからなくなった。

ちょうどファンレターに書いていた。水戸さんの歌声でしか救われない時があり、それが最近だった。しんどくてたまらない中で、水戸さんの歌声が積み重なった様々なものを掻き分けてくれていて、ようやく呼吸ができていた。水戸さんの歌声に生かされていた時期が確かにあった。

まだ整理もつかないだろうに、話してくれたこと。
今日このタイミングで、水戸さんの歌声を聴けたこと。

この後にも楽しいことがたくさんあって、最後にはニコニコ笑って幸せに過ごせたのだが、ここまで書いて終わりにしたい。水戸華之介というミュージシャンに、アーティストに、詩人に出会えたことは己にとって奇跡のようにありがたいことだ。

ありがとう、水戸さん。
これからもあなたの歌声を糧に生きていきます。



未分類水戸華之介

毎年100曲ライブと共に冬を乗り越え、今年も同じように隔週で水戸さんの歌声を聴きながら春の訪れを感じることができて嬉しい。

今年も開催された100曲ライブのファイナルが本日。いつもは澄ちゃんで締めくくられるが、今年はスケジュールの関係で澄ちゃんが初回でファイナルがワジーに。安定と信頼の澄ちゃんから始まり、一際異彩を放つ内田さんのテクノポップ、しっとりとしていてそれでいてパワフルな扇さんのピアノによるバラードナイト、シンプルで楽しくて笑って笑ってたまらない吉田一休回と来て、テクニックが冴えわたり重厚さのたまらないワジーのギターを味わえるのは、言うなれば基本を押さえたうえで様々なアレンジの料理に舌鼓を打つ楽しさがあった。

ファイナルは水戸さんとワジーのおしゃべりが盛り上がり三時間の長丁場に。一曲一曲の仕上がりの満足感に水戸さんもワジーも話さないではいられなくなる様子がおかしく、同時に微笑ましかった。アンコールは通常一曲だが、ワジーの押しの強さにより「砂のシナリオ」の後に「イヌサルキジ」がスタート! あぁ、このときの興奮と嬉しさったら! そうして水戸さんの平静最後の一曲は「イヌサルキジ」で締めくくられることとなったのだった。

いつも吉田一休回で聴けていた大好きな「猫とろくでなし」がセットリストから外されて寂しく思っただけに、ワジー回で聴くことができたのは本当に予期せぬことで、思わぬサプライズプレゼントをいただけた気持ちになった。ワジーの演奏での「猫とろくでなし」を聴けるなんてなぁ。嬉しいなぁ。

去年久しぶりにと演奏された「太陽も知らんぷり」がすごく受けたからと、今年もセットリストに入れられていたのも嬉しかった。「太陽も知らんぷり」と「砂のシナリオ」はあまり歌う機会のない曲とのことだ。己はこの二曲が大好きで毎日のように聴き続けているのでその事実が意外でならなかったが、だからこそこうしてライブで、今の水戸さんの歌声で聴くことができて嬉しい。

水戸さんは言う。自分は歌がうまいのではなく癖が強いだけなのだと。ワジーも自分自身がそうだと語りながら同意して、癖の強さはイコール個性であると話していた。水戸さんもワジーも正規のボーカルレッスンを受けて来ず、独力で歌ってきたことを指してそう言っていたが、己はやっぱり、水戸さんは歌が上手いと思う。誰にも真似できない歌声を持っていて、その響きで人の心を揺らすことができる。その歌声に何度助けられてきただろうか。筋少もヒラサワも大好きで、それでいて、水戸さんの歌声じゃないとダメだ、と思うことは多々あるのだ。無論それは筋少にもヒラサワにも言えることなのだが、つまり唯一無二なのだ。

水戸さんにとっての平成はデビューしてからの、つまり水戸華之介として活動した時代そのものだったと言う。そして平成最後の100曲ライブで100曲目に選ばれたのは「青春路地裏伝説」。平成を生きた者達へ向けて、とのことだ。

アンコールが終わり、「令和もごひいきに!」と言って水戸さんはステージを去って行った。99曲目でTHE BLUE HEARTSの「情熱の薔薇」をワジーと共に跳ねながら歌い、アンコールで予定外のもう一曲を歌った水戸さんは全力を使い果たしてくたくたの様相だった。アコースティックライブでもいつも汗を流し、飛び跳ね、椅子の上で長い手足を伸ばして大笑いをし、全身で歌って語ってくれる水戸さんは己にとって心の糧だ。元号が変わっても時代が変わっても、いつまでも付いて行きますよ、と胸の中で返事をした。来年もまた、一緒に冬を越して春を迎えられますように。



2月23日(土) with 澄田健
3月9日(土) with 内田雄一郎 (=Zun-Doco Machine)
3月23日(土) with 扇愛奈 (バラードナイト)
4月6日(土) with 吉田一休
4月20日(土) with 和嶋慎治


未分類ウタノコリ, 水戸華之介, 非日常

水戸さんの歌声は迸るエネルギーが具現化したものだと思う。今日この日も、朗々と響く太く美しい歌声を全身に浴びて、頭から、胸から、爪先から、漲るエネルギーを吸収する心地を得た。

それはとても有難く、気持ちの良い時間だった。

水戸さんのアコースティックライブはいつもパワフルで、これがアコースティックライブなのかと疑うほどにいつも水戸さんは大汗を流しながら熱気を纏い、全力で歌っている。楽器はピアノとパーカッション。腰痛により急遽参加できなくなった澄ちゃんのギターが聴けないことは寂しいが、代打で参加してくれたパーカッションのナカジマノブさんの存在感は一入だった。澄ちゃんの不在を残念に思いつつ、そのうえで何一つ損をしたとは思わない、むしろ貴重なものが聴けて嬉しいと思える素晴らしいライブだった。

五月に発売されたアルバム「ウタノコリ」に収録されている楽曲を中心に、アンジーからソロ、3-10Chainなどの幅広い楽曲が演奏された。一曲目で深く息を吸い込む水戸さんを見て、もしやと思えば予想的中。天井から壁までビリビリと声が伝うような、静かな迫力の中始まったのは「マグマの人よ」。この歌の迫力に引き込まれながら改めて思う。水戸さんの歌声の素晴らしさと、上手さと、エネルギーをこの身に浴びられる嬉しさを。そしてこの世の多くの人が、この歌声の威力を知らずに生きていることを惜しいと思う感情を。

強制しようとは思わない。殊更に布教しようとも思わない。ただただ、惜しいと思う。この歌声の響きが新大久保の労音大久保会館に留まっていることが。この歌声の威力が届かない人の耳があることが。

故にありがたいと思う。出会えるきっかけを得られたことに。同時に寂しいと思う。もっと届けば良いのにと。

扇さんの煌びやかなピアノの調べとノブさんによる細やかなパーカッション。ポコポコと響くコンガの音に、涼やかなタンバリンのリズム、耳に優しく切ない鈴の音。あのパワフルで元気な、人間椅子とのほほん学校での姿しか知らない己から見れば、とても繊細で優しくて、楽曲に合う音を慎重に選んで鳴らしてくれる様子が職人の手仕事のようにやわらかくて、この音を聴けることが嬉しくてならなかった。

ノブさんがここに来てくれたのは本当に運が良かったそうだ。普段が忙しいのに、ちょうどぽっかり空いていたという。澄ちゃんの腰痛による欠席が決まってから、水戸さんは急いであらゆる人々に連絡をとったそうだ。扇さんと二人でこなすことも出来るが、もともとそういう編成ならまだしも既に三人での演奏と発表してしまった後では観客から可哀想にと同情され、行き場のない母性が降り注がれるのではなかろうかと危惧したと言う。母性の降り注ぐ中でのライブは確かにまぁ、やりにくかろう。

そんな中での救世主の一人がノブさんである。ノブさんは連絡をもらったとき、用件を聞けなかったため水戸さんと趣味を共にするボードゲーム合宿かな、他には誰が来るのかなとうきうきしていたそうだ。あぁ、そんな中でライブに参加してくれたこの事実、本当にありがたくて仕方がない。

ノブさんの演奏の中で、特に印象に残っていたのは「天国ホテル」だ。シャンシャンと涼やかに鈴の音を鳴らしてくれて、それが実に美しく、切なかった。ツアーで焼肉定食を食べ、牛串を食べ、さらに夜に焼肉を食べ、水戸さんや扇さんがそろそろ収束に向かう中でさらにご飯をおかわりし、水戸さんに一日で牛一頭食べたと言われる人物とは思えないような、穏やかな手つきで楽器を鳴らしてくれた。

あの楽器に向かう目つきも覚えている。水戸さんの歌声と扇さんのピアノに調和する音を奏でる指先を操るその目は、ムードメーカーのアニキ像とはまた違った、涼やかな色をしていた。
ありがとう、ノブさん。

嬉しかったのは新曲の「浅い傷」が聴けたこと。デビュー三十周年を彩る楽曲にしてはネガティブな印象を与えるかもしれない……と水戸さんは仰るが、己はそうは思わない。転がり続けながら活動を続ける水戸さんが、そうしてずっと歌声を響かせてくれる水戸さんが、己は大好きだ。本当に死ぬほど、大好きなんだ。

嬉しかったよ。「センチメンタル・ストリート」が聴けたことが。嬉しかったよ。この曲で客席に下りてきた水戸さんと、拳をコツンとぶつけられたことが。そんな、水戸さんにとっては小さなことかもしれないことで、勇気とエネルギーを得られる人間がいるんだよ、と伝えたい。

澄ちゃんの欠席に伴い、各所へゲスト出演を依頼しセットリストを組み直すどさくさの中で紛れ込んだ一曲が「めぐり逢えたら」。曰く、扇さんが好きだからと紛れ込ませたらしい。歌った後に水戸さんは、この曲は五分ほどで書いた曲で、自分について省みることなくただただ都合の良いことを言っている歌詞だ、と分析していたのがおかしかった。

そのうえで、この曲を聴けたことが嬉しいし、紛れ込ませてくれた扇さんに感謝である。

今回唯一のカバー「マイウェイ」を熱唱する水戸さんを観て、ついついオーケンとうっちーの仲直りを連想してしまったのだが、その歌声の威力は雑念を振り払うほどのものだった。改めて思う、水戸さんは……、歌がうまい。とても。とてつもなく。

席に座っているのがもどかしいと感じるほど。拳を振り上げ、煽られれば歌い、立ち上がりたい衝動を抑えつつひたすら水戸さんと見つめる三時間。本日は新大久保駅でトラブルがあり、駅から出られず会場へ向かえなかっただろう人もいたことを水戸さんは聞いていたという。実はと言うと会場に着いたとはいえ己も他のでもないその一人で、新大久保駅に着いたと思ったら一歩も動かない人の海がぎゅんぎゅんになっていて、しばらく待ったもののどうにもならないため山手線で隣の駅の高田馬場へ移動、そうしてタクシーに乗ろうとするもタクシー乗り場は長蛇の列で……という塩梅で、通常であれば新大久保駅から十分で着く会場に、新大久保駅から会場まで一時間もかかった。それでも間に合ったとは運が良かったと思うし、開演時間を遅れても一曲目から全て聴けたのは、言葉にはされていないながらも思いやっていただけたのではなかろうか……と思ってしまう。

最後、「偶然にも明るい方へ」を聴いて胸の前で手を握りつつ思ったことは、これからも来年もその先も、ずっと水戸さんの歌声を聴きたいということ。
あなたの歌声を知れた人生を己は幸福に思います。故に、これからもずっと堪能していきたいです。そのように、強く願って。