日記録0杯, 日常

2019年9月1日(日) 緑茶カウント:0杯

小さな小さな積み重ねで、己は達成感を得ているらしい。外部要因により調子を崩されることはありつつも日曜日を「整える日」と決めていて、十一時に起きたら筋トレをして、汗を拭い、着替えをし、整体に行って、その帰りにスーパーマーケットに寄る。そうして大量に食材を買い込んで一週間分の常備菜を作り、食器を洗って、トイレ掃除をし、風呂を洗って洗濯をし、部屋の掃除をしてようやく洗濯物を片付けた後、ゆるゆると晩酌をする。それが己の週末である。

この小さな小さな積み重ねを数年続けることにより、「あ、意外とちゃんと生きてんじゃん」「大丈夫じゃん」と己は勇気を得ている。それは一般的に望まれる生き方とは違う生き方を、家族を形成せず、一人で生き続けることへの負い目も含まれるかもしれない。いや、良いんだけどね。望んだ形だから幸福でしかないんだけどね。周りに強制する人もほぼいないしね。ちょっといるけど会わないようにしているしね。

ただ、それでもたまーに、ごくたまーに意識するのさ。

故にそこそこ真面目に生きようとするのか。どうなのか。わからないなりにしっかり生きている。明日も一汁三菜かそれ以上の品々を食卓に並べるだろう。部屋はきちんと片付いているだろう。埃は無いだろう。そうやって細々と生きているのさ、実際。

でもね、言いたいのは、一汁三菜なんて必要ねーのさってことさ。己は好きで、食べたくてやっているけどね。それも一週間連続で同じおかずだしね。変わり映えが無いにも程があるしね。そんなもんなのさ、きっと。



日記録0杯, 日常

2019年8月25日(日) 緑茶カウント:0杯

ここに越してきて一年になるだろうか。社会人になってから長く住んでいた部屋を離れて、ちょっと良い部屋に引っ越した。ちょっと良いと言ってもその前の部屋がなかなかのもので、玄関のドアーが壊れて外れたり、蛇口の根本が腐って崩壊したり、床がゆるんで凹んだり、玄関にスズメバチが巣を作ったり、とまぁなかなかの物件で、とはいえ台所が広く、何より家賃が安く駅に近い故にありがたく住んでいた。己よりも年上の木造アパートの二階は熱がこもりやすく、夏場はエアコンを効かせないことにはたちまち冷蔵庫の中がぬるくなり、中の品物が腐ってしまった。正面には交番があり、窓を開けて寝ていると深夜に酔っ払いが警察官に絡む声が聞こえた。

そんな部屋を離れて一年。ちょいと懐に余裕ができたので思い切って予算を上げて部屋を探してみるも、そもそもこのあたりは物価の高い地域だったらしい。故に、己が今まで住んでいた部屋がいかに破格だったかを思い知った。そりゃあ玄関のドアーが外れて一晩我慢して過ごさなきゃあならんことになってもしょうがないわ。納得するしかない。というか都心で五万円台ってのがおかしかったんだって。そりゃあ場所にもよるだろうけどよ。

ということで、これまでの部屋よりも広く、設備も良く、とよくばった結果、諦めざるを得なかったのは日当たりの悪さと一階であること。防犯上できれば二階と考えていたが手が出ず、布団を干すことを考えたら是非日当たりはと思ったが手が出ず、泣く泣くこの二つを諦めた。

で、一年住んでわかったこと。どっちも特に問題ない。

特に日当たりは思いのほか問題にならなかった。そもそも己は洗濯を夜にして部屋干しするのが常で、外に干すのは布団だけ。布団を日に照らす時間の短さよりも、部屋の室温が上がりにくい方がよっぽど都合が良かった。無論冬は凍えるほどに寒く暖房が手放せないが、夏が涼しい。とても涼しい。日当たりの悪さは何も問題にならなかった。

一階であることも家の外に小さな庭があり、生垣で隣家との境が作られていることを思えば特に問題なかった。ベランダが無いことは不便と言えば不便だがそこも大きな問題ではない。何より、たまに野良猫が遊びに来て、換気の度に挨拶出来るのが嬉しい。

ということで、日が全く当たらない暗い一階の一室に引っ越して一年経つがとても快適に過ごしている。そもそも己は夜型だからね。日が当たらなくても問題ないし常にカーテンを閉め切っているしね。必須と思っていた条件を外しても意外と満足できるのは発見だった。諦めてみて良かったな、ふふふ。



日記録0杯, 日常

2019年8月18日(日) 緑茶カウント:0杯

久しぶりに貪るように本を読んでいる。半分は使命感で、半分は読みたくて。一時期は疲れ切って本を読む気力すらなかったが、最近はまた本を読めるようになった。今日は「『罪と罰』を読まない」という本を読んだ。ドストエフスキーの「罪と罰」を読んだことのない四人が読まないままに語り合い、断片的なエピソードを元に物語を推理する。己が「罪と罰」を読んだのは中学の頃で、故に記憶はほとんど残っておらず、主人公のラスコーリニコフが金貸しの婆さんを殺害するも開き直るもくよくよする話だったような…………という曖昧な印象しかない。故に未読の四人とほぼ同じ立場で、様々な空想と推測とあからさまなラスコーリニコフへの悪口に笑い転げながら読了した。

そしてポチッと図書館で本の予約。無論タイトルは言うまでもない。

読むことも書くことも続けていきたい。書くことは実生活に必要ながためにここ以外で継続しているが、やはり思ったことをそのままただつらつらと書く場も必要だよなぁ、と思う。そんなことを考えてサイト構造をリニューアルしたのがつい先日。見た目はあまり変わっていないがね。

誰にも依存しない自分だけで楽しめるものを持ち続けたい。その一つがきっとこのサイトだろう。と思うと、たまにはメンテナンスして続けていかないとね。断続的になったとしてもね。



日記録0杯, 日常

2019年8月12日(月) 緑茶カウント:0杯

何故だか知らぬが、我が家には複数のハエトリグモが生息している。何故だか考えてみるとつまり住みやすいということで、住みやすいということは餌となる生き物がいるということで、このように深く考えると嫌な気持ちになるのでなるべく深く考えないようにしながらハエトリグモと共存している。彼らは益虫だ。餌がいようがいまいがとにかく餌を食べてくれるのだ。ありがたい存在である。もっと言うと餌が存在しないでくれればもっとありがたいのだが。

そんなハエトリグモの方々はどうやら水辺が好きらしく、やたらと風呂場や洗面所、台所でその姿を見る。そしてまたそれが絶妙に危ないところで、おいおい水に脚をさらわれてしまうぞとヒヤヒヤしたことも少なくない。

この日もハエトリグモは風呂場にいた。これから風呂掃除をするところである。このままでは洗剤の溶けた水に溺れて死んでしまうことは間違いない。仕方がない、場所を移動してもらうしかなかろう。己は腰をこごめるとちょいちょいと指先を突き出し、ハエトリの君を風呂場の角へと追いやった。そうしてちょいちょいと突けば彼はぴょこんと指の腹に飛ぶ、オーケー。とりあえず風呂場の外に行こうな。

と、立ち上がって踵を返し、風呂場の戸を開けようとした瞬間、彼は大きくダイブした。
運悪くその先には、直径三センチほどの排水溝の穴があった。

あ、と思う間もない。助けようとした彼はすっぽりと真っ暗な闇の中に吸い込まれてしまった。呆然として立ちすくむももうどうにもならない。どうしてこうなった。どうしてこうなった。

風呂場をシャワーで濡らし、洗剤を塗り付け、スポンジでこすり、シャワーで流す。泡の浮いた水が排水溝にくるくると吸い込まれていく。何とも言えない虚しさを感じながら己は彼にとどめを刺し、バスタブに湯を溜めた。外では他のハエトリグモが何も知らずにピョコピョコしていた。



日記録0杯, 日常, 漫画

2019年8月11日(日) 緑茶カウント:0杯

実に心地よい日だった。

銀魂が完結した。銀魂の連載が始まったのは己が高校生の頃で、当時はいつ打ち切りの憂き目にあうかヒヤヒヤし、単行本一巻が発売された日には朝一番に駅の本屋で買ったものだ。すると打ち切りが危惧されていただけに仕入れも少なかったのだろう。各地で銀魂難民が発生していたことを記憶している。

いやこれも、美化された捏造の記憶かもしれないが。とにかく、故に己は銀魂一巻の初版本を大事に所有しているのである。

それから高校を卒業し、浪人し、大学生になり、いつしか毎週読んでいた週刊少年ジャンプと距離が生まれ、気に入った単行本だけを買う日々が続いていた。ある時から銀魂も買わなくなった。しかしたまに読みたくなった。そうして、数年に一度、がっつり十巻ほど買っては読みふけり、また数年後に一気に買う、そんなことを続けていた。

「銀魂」というタイトルを口に出すことすら恥ずかしかったあの時代も遠い。今や銀魂はすっかり認知され、誰もそのタイトルを口にすることに羞恥を感じることはないだろう。それほど世の中に浸透した。そしてついに完結した。だから買ったんだ、数年ぶりに。五十九巻から、最終巻の七十七巻まで一気にまとめて。

晩飯を作り、トイレ掃除をし、部屋にモップをかけ、洗濯をし、風呂に入って食事を終え、クッションに身を沈ませようやくページをめくる。あのとき麦茶か緑茶しか飲んでいなかった高校生は結構な呑兵衛になり、無論傍らにはビールが一本。クーラーの効いた部屋で虫の音を聴きながら風変わりな江戸の世界に没頭する。

そうして今、やっと六十二巻。文字が多いゆえに読み進めるのに時間がかかる。故に長く長くこの世界に浸っていられる。まだ終わった感慨はない。だが、好きなまま最初から最後まで終わりを迎えられるのが嬉しい。

あぁ、今日は心地よい日だ。
四本目のビールを呑みながら、思う。