日記録0杯, 日常

2014年4月29日(火) 緑茶カウント:0杯

楽しかったなぁ。

友人と二人で西荻へ散歩に出かけた。思えば友人と二人だけで出かけたことは今まで一度も無かったが、想像以上に気安く楽しく過ごすことが出来た。しかし一度として二人だけで出かけたことが無いとはいえ、我々はいつからかプレゼント交換をしていた。誕生日のたびに贈り物を送り合っていた。郵送で。不思議な間柄だと思う。

自分はいったいどこで死ぬのだろう、ということを友人に漏らした。結婚という区切りがあれば別だが、それが無い人生であれば、自ら区切りを作らぬ限り、己はそこにい続けるだろう。今いるところは快適だ。だが、そこは永住する場所なのか。骨を埋める場所なのか。それはまだ、わからないのだ。今の己には。

それが今の自分にとって若干の不安であり、課題でもあるのだが、友人はひゃらーと流してしまったので、かえって自分は楽な気になって、しかしそれは一瞬で、やはり考え込むのだが、思案し過ぎたところでどうしようもないことを己は知っているのである。ははは。

いつか、好きなミュージシャンが全員引退した頃に、地元に戻ってみようかね。



日記録0杯, 日常

2014年4月28日(月) 緑茶カウント:0杯

祈りとは願いの具現化である。漠然とした願いを言葉に変え、意識の下に置き、自覚する。そして気付くのだ。あぁ、自分はこれを願っていたのかと。祈りながら。

観光目的で神社に行くとき、お賽銭を投げ、鈴を鳴らして神の前に立ち、二礼二拍をした段階で、急いで自分は何を祈ろうとしているか考えて、追いつかないまま一礼して終えてしまうこともある。その場合、自分はただ神様に挨拶をして済ますだけになるのだが、時折、そこで祈ることにより、望みと願いが具現化され、気付かれることがある。

もし自分が猿の左手を手に入れたら何を願うだろう。その答えは既に出ている。それは自分の努力ではどうしようもないことで支配されている。すると自分は意外と、自分で出来ることに関しては他力本願でいないのだな、と気付かされることもあり、同時にどうにもならないことが歯がゆくもある。

せめて自力で出来ることに関しては叶えられるようにしよう。自覚出来ているのであるからして。



日記録0杯, 日常

2014年4月22日(火) 緑茶カウント:0杯

空腹感があるのに食欲は無く、体がだるいのに眠れない。空腹で目の前に食事があるのに食が進まず、そのまま箸を置きたくなる。もったいないので食べきったが。

だが、何とかその渦から脱出することが出来た。運動も出来たし、少しサッパリした。このところ充分な睡眠を得られていなかったが、今日は無事眠れそうだ。あぁ、良かった。

良く眠るため、今日はあえてカテキンは摂取せず、変わりにショットグラス一杯のウイスキーだけを呑むことにする。咽喉が焼ける味がする。

平穏を得るにはなかなか、努力がいるね。



日記録0杯, 日常

2014年4月19日(土) 緑茶カウント:0杯

自分は一体どこに骨を埋めるのだろう、と思うことがある。それはまた、自分は終の棲家をどこに定めるのだろうという疑問に近い。己の故郷は群馬だが、大学入学と共に一人暮らしを始め、群馬に戻るのは年に数度。自分はいつか、群馬に帰るのだろうか。わからない。

さしてふらふらしているわけでもないはずなのに、根無し草のような気分である。まぁ、単に体調不良のせいかもしれないけどね。



日記録0杯, 日常

2014年4月14日(月) 緑茶カウント:0杯

寝汗をびっしょりかいていた。布団の中で目を覚ましたときの時刻は何時かわからない。知りたくなかったため、時計を見なかったからだ。

悪夢を見た。結構、かなり、くだらない類の。

それは己のパソコンがウイルスに感染して、開く窓という窓、さらにはデスクトップまでもが、義父と二人っきりになっちゃってだの、突然義姉がだのといった類の、くだらねー卑猥な漫画の広告で埋め尽くされ、それを家族に目撃されるというものだった。

インターネットの海を徘徊するとよくその手のバナーを目にする。バナーに表示されるのはせいぜいふきだし三つ程度だが、義理の家族はどんだけ危険人物なんだよと問いたくなる内容が多い。

どちらかと言うとその手のバナーに辟易していたのは確かだが、まさか夢にまで見てうなされるとは思わなかった。起きたら咽喉がカラカラで、頭がくらくらした。ふと思いついて体温計を脇に挟むと微熱があった。時計は見てないが、恐らく、朝方に近い時刻である。まだ空は白んでないものの。

何て馬鹿な夢を見てしまったのだ、と思いつつまた布団に潜った。眠ることを努力して就寝した。そして朝。また悪夢と共に目覚めた。次の悪夢の舞台は高校の卒業式で、お世話になった先生方に挨拶をしようとするも、気まずそうに目を外されるという内容だった。妙にリアリティがあって気持ち悪かった。そんな体験など、したこと無いのに。

げんなりとしながら床に立ち、寝不足の頭を抱えながらしばらくその場に立ち尽くした。わからないのは何故今日悪夢を立て続けに見たかということで、だって、昨日は最高の一夜だったんだぜ。ペテンは聴けるし、スクリーンは下りてきたし、レア映像は観られたし、新譜も発表されたし! 余韻に浸りつつ甘い夢を見るのが道理だろうに、卑猥な漫画の広告に悩まされ、居心地の悪さに胃を悪くする夢なんて、いったいどういうことだろう!

いったい何が自分に作用したのかさっぱりわからないが、今日こそはまともな夢を見たいものである。それか何も見ないで寝たい。