祈りとは願いの具現化である
2014年4月28日(月) 緑茶カウント:0杯
祈りとは願いの具現化である。漠然とした願いを言葉に変え、意識の下に置き、自覚する。そして気付くのだ。あぁ、自分はこれを願っていたのかと。祈りながら。
観光目的で神社に行くとき、お賽銭を投げ、鈴を鳴らして神の前に立ち、二礼二拍をした段階で、急いで自分は何を祈ろうとしているか考えて、追いつかないまま一礼して終えてしまうこともある。その場合、自分はただ神様に挨拶をして済ますだけになるのだが、時折、そこで祈ることにより、望みと願いが具現化され、気付かれることがある。
もし自分が猿の左手を手に入れたら何を願うだろう。その答えは既に出ている。それは自分の努力ではどうしようもないことで支配されている。すると自分は意外と、自分で出来ることに関しては他力本願でいないのだな、と気付かされることもあり、同時にどうにもならないことが歯がゆくもある。
せめて自力で出来ることに関しては叶えられるようにしよう。自覚出来ているのであるからして。