日記録3杯, 日常

2016年9月30日(金) 緑茶カウント:3杯

改めて考えてみるに、己が「痴人の愛」のヒロインを心から拒絶し、その品性下劣さに呆れ返り、嫌な気分になったのは、彼女を育てた主人公と歳が近いからかもしれない。

それはきっと、接し方さえ間違わなければ彼女はそんな浅はかかつ下劣な人間になぞならなかっただろうと落胆するから。そしてそれを育ててしまった人間に心から嫌気が差すから。うんざりすると同時にがっかりする。呆れ返ると同時にため息が出る。そのうえで、彼女が主人公にこそ発揮するであろう可愛げが、己には全く感じられないのである。

あぁ、嫌だなぁ。嫌だなぁと思いながら読んでいる。ろくなことにならないと思いながら読んでいる。唯一の救いは、彼女の世界と己が隔たれているということ、ただそれだけだ。だから読書は面白い。

あぁ、嫌だなぁ。



日記録4杯, 日常

2016年9月29日(木) 緑茶カウント:4杯

収入の半分以上を外食に費やし毎週毎週下駄を新調、家事も仕事も勉強もせずひたすら浪費をし、金が足りなくなったら贅沢のために借金までせがみ望みが叶えられなければ泣き出す女とそれを止められない男が「大きいベビちゃん」「可愛いパパさん」と言い合いながら垢染みた衣服が散乱し悪臭がこもる部屋でイチャイチャする地獄を見せ付けられている。

谷崎潤一郎の「痴人の愛」を半分まで読みながら、何て下品な女性の描写が達者なのだろうか、と己は圧倒されていた。「下品」という言葉はそれを発するだけで自らの品性も貶められるパワーがあるので積極的に使いたくはないのだが、「品が無い」では正しく形容できないのである。彼女においては「下品」と言い切るしかない、そんな強烈さ。大して本を読んでいる方ではないとはいえ、ここまでの存在に出会ったのは初めてだ。

読み進めれば進めるほどナオミちゃんの横暴さと下品さにほとほと嫌気が差してきて、この娘の言葉を読むだけで嫌な気持ちになり、関わり合いたくないものだとつくづく思いながら読んでしまう。愉快かと言えば愉快ではない。むしろ不快である。しかしページをめくってしまう。それは面白いと愉快はイコールではなく、つまらないと不快もイコールではないためだ。あぁ、早く読み終わりたいような、解放されたいような、先が知りたいような知りたくないような。苛まれながら楽しんでいる。

この主人公も最初の頃は下心のない光源氏のようだったのに、と思うと虚しさまで募ってくる。地獄である。つらい。



日記録0杯, 日常

2016年9月25日(日) 緑茶カウント:0杯

ひどい。こいつはひどい。このように思うことは一度や二度ではなく、繰り返しているのならば止めれば良いものの、繰り返してしまうのは酒が入っているせいで、例によって例の如くこの時も己は深酒をしていた。ビールを六本ほど呑んでいた。つまり三リットル。そうして、呂律の回らない舌で喋るが如く、気持ちよく書き散らした日記を更新したのである。

ひどい。こいつはひどい。昨日の日記に至っては、己が馬鹿であることと、日本史の知識が皆無であることを露呈しているだけである。本当に言いたかったのはその参考書が、「受験突破」、ただそれ一つのみを目的とした偏った書物であるということで、その偏り具合の見事さ、面白さを伝えたかったのだが、伝わるのは己がアホーということだけである。

ひどい。こいつはひどい。更新前に推敲こそしたものの、酔った頭で推敲したところで何になろうか。この酔っ払いの日記を起床後に読む己の気持ちを察していただけるだろうか? 自らの為したことであると理解しつつ、理解出来るからこそ情けない気分になる。何だこれ。

と、いうこの日記もウイスキーを呑みながら書いているので翌朝には後悔しているかもしれないが。ははは。まぁ、今日のところは問題なかろう。今日のところは。



日記録0杯, 日常

2016年9月24日(土) 緑茶カウント:0杯

高校の頃に参考にした参考書を読んで、己は全く歴史の流れを理解出来ず、これはプロフェッショナルによる作品だということを甚だ痛感したのであった。

その本は、歴史を勉強するための本ではなく、受験に合格するための本だったのだ。
そして自分は予備校生時代、そのことを深く先生から教えられていたので、その本のつくりに感動したのであった。

すげーや。マジで。

その先生は、大学に合格したら即座にその本を捨てろと言っていた。その本は受験に合格するためのツールでしかないと言っていた。しかし自分はその先生の授業を面白がっていたので、その本を捨てずにとっていた。それから十年。何の気なしに手に取った本のページを開いてみると、それは受験生なら持つべき知識を前提にした問題集であった。ストーリーでは決してない。その時代時代の重要な物事を問いかける書物であった。そして自分はその多くの繋がりを思いだせなかったのであった。

自分は相当な馬鹿であったのだなぁと思いつつページをめくる。愉快である。あはははは全然わかんねー! わからんけど愉快である。この時を生き抜けて受験に合格出来た自分に乾杯したい。まぁ結局自分は現代文・古文・漢文という三教科の顔をした実質一教科で受験を切り抜けたんですけど。日本史使わなかったんですけど。まぁそれはそれで。ページをめくるたびに思い出される先生の表情、受験にこそ使わなかったが、頑張ったなぁ、あの頃は、と邂逅した。そんな十年前である。

はは!



日記録0杯, 日常

2016年9月19日(月) 緑茶カウント:0杯

160919

お洒落なカフェーでホットチョコレートを飲んだ。板チョコを溶かしたような濃い味がするかと思いきや、パシッとしたスパイスが効いていて、まるでチャイのような軽い味がした。この店には無論一人で入ったわけではない。自分一人での外出であればまず選ばない店だっただろう。何故なら己は気楽な店が好きだからである。

だから、趣味嗜好に若干の差異がある友人との外出は面白い。

共通点もある。通じ合わない点もある。友人と出会ったのは高校入学直前、通学に入用な自転車を買うために専門の店を訪ねたときだ。以来、十五年間、つかず離れずとは言えないものの、ゆったりと親交は続いている。そして今日はおよそ一年ぶりか二年ぶりの再会で、蔵前にある文房具や革細工の店を訪ねた後、チョコレートショップで休憩をしたのである。小雨が降っていた。さらさらと。

ホットチョコレートなんて洒落た名称の飲み物を口にする機会などなかなか無い。故に己は板チョコを溶かしたような、ドロドロの、ウィリー・ウォンカが所有するチョコレート工場に流れる川のような、濃い液体を想像していたのであるが、それは意外にもサラッとしていて、スパイスが効いていて、甘みもちょうど良く、美味しかった。

高校時代、友人は進行方向とは逆の向きの席に座ると酔うと言うので、己はいつもそちら側の席に座っていた。あれも十年前である。しかし未だに一人であるというのに進行方向とは逆の席に座ってしまいそうになる自分がいて、「いやいや」と思いながら席を選ぶのだ。

また近々会おう。またいつか。