日記録3杯, 日常

2016年10月2日(日) 緑茶カウント:3杯

気持ちの良い午後の日差しを浴びながら、蝶々がひらひらと追いかけっこをしている。花壇の手入れが行き届いているお宅が続いているためか、小さく可憐なシジミチョウ、木の葉のようなタテハチョウがあっちでもこっちでもひらひらしていてとても楽しい。そんな愛らしい虫を眺めながらも己の頭の中は、のどかな景色とは正反対にNATOとKGBと冷戦と戦車と鬼でいっぱいだった。

NATOとKGBと冷戦と戦車と鬼。

「痴人の愛」を読み終わった。「痴人の愛」については、もうあんたが幸せならそれで良いんじゃないっすかね……と主人公に対して思った。諦めの境地である。そもそも関わりなぞ持ちように無いにも関わらず、無念さを抱かずにはいられなかった。そしてちょうど「痴人の愛」を読みながら、同時に読んでいた漫画が「エロイカより愛をこめて」。読んでいた、と言いつつ今も読み進めている最中であり、これがものすごく面白い。

「エロイカより愛をこめて」は東西冷戦時代を舞台に、美術品愛好家の大泥棒ドリアン・レッド・グローリア伯爵、通称「エロイカ」と、NATO軍情報部の陸軍少佐クラウス・ハインツ・フォン・デム・エーベルバッハ、通称「鉄のクラウス」が、各々のターゲットや任務が絡み合いながら時に衝突、時に共闘、したかと思えば裏切ったり手を貸したり裏切ったりし、そこにKGBやCIAが絡んでくるスパイ漫画である。

これの文庫の七巻か八巻までは亡き母が所有していて、中学だか高校の頃に途中まで読んでいた。当時も面白いなーと思っていたのだが、ふとこの間実家に帰ったときに改めて手にとってみたらどうだろう。子供の頃よりも多少知識が増えたせいかより物語を読み解けるようになり、気付いたら電子書籍で毎日毎日二、三巻ずつ買っては読み進めているのである。今は二十五巻まで読んだところだ。

物語の展開もさることながら、己はこの世界観が好きである。男色家である伯爵はずっと少佐に片思いをしていて、ちょっかいを出しては怒鳴られている。そして作中で「異常性硬派」と揶揄され、男はもちろんグラマラスな女性エージェントにも全くなびかない少佐は伯爵の愛を拒絶し、ホモだなんだと言いたい放題罵倒する。しかし少佐は伯爵の下心が自分に向かうことさえなければそれなりに普通に接し、同じくゲイであるが伯爵一筋のボーナム君、つまり少佐に恋愛的な意味で興味のない存在についてはごく普通に接するのである。

それはKGBのエージェント「仔熊のミーシャ」も同じで、伯爵に対し退廃的だの変態だの言いたい放題言うのだが、それを理由に伯爵の存在を拒絶しない。他のあらゆる悪口の「ハゲ」や「チビ」程度の扱われ方であり、伯爵はゲイであることをオープンにしても自由に生きられる世界に住んでいるのである。この描写のバランスが心地良い。

好きな話は第一部ラストの「皇帝円舞曲」。あの少佐が伯爵に肩を貸すシーンはまさに一級品だった。他、細かいところでは伯爵が感謝の意を示すために「食前食後にコカ・コーラを飲むよ」と言うところや、普段敵対している伯爵と少佐とミーシャが協力し合ってコントを演じる箇所、酒場での殴り合い、揚げ芋などが好きである。

そんなわけで頭の中はエロイカでいっぱいなのだが、同時に今興味津々なのが「鬼」である。そして蝶々が舞う住宅地の先にある図書館こそが己の目指す目的地。予約した資料を受け取って気持ちよく帰路に着き、鬼の本を両手に抱えのどかに遊ぶ蝶を見る。せっかくなら冷戦関連の本も借りておけばよかったことに気付いたのは家が近付いた頃だった。



日記録3杯, 日常

2016年9月30日(金) 緑茶カウント:3杯

改めて考えてみるに、己が「痴人の愛」のヒロインを心から拒絶し、その品性下劣さに呆れ返り、嫌な気分になったのは、彼女を育てた主人公と歳が近いからかもしれない。

それはきっと、接し方さえ間違わなければ彼女はそんな浅はかかつ下劣な人間になぞならなかっただろうと落胆するから。そしてそれを育ててしまった人間に心から嫌気が差すから。うんざりすると同時にがっかりする。呆れ返ると同時にため息が出る。そのうえで、彼女が主人公にこそ発揮するであろう可愛げが、己には全く感じられないのである。

あぁ、嫌だなぁ。嫌だなぁと思いながら読んでいる。ろくなことにならないと思いながら読んでいる。唯一の救いは、彼女の世界と己が隔たれているということ、ただそれだけだ。だから読書は面白い。

あぁ、嫌だなぁ。



日記録4杯, 日常

2016年9月29日(木) 緑茶カウント:4杯

収入の半分以上を外食に費やし毎週毎週下駄を新調、家事も仕事も勉強もせずひたすら浪費をし、金が足りなくなったら贅沢のために借金までせがみ望みが叶えられなければ泣き出す女とそれを止められない男が「大きいベビちゃん」「可愛いパパさん」と言い合いながら垢染みた衣服が散乱し悪臭がこもる部屋でイチャイチャする地獄を見せ付けられている。

谷崎潤一郎の「痴人の愛」を半分まで読みながら、何て下品な女性の描写が達者なのだろうか、と己は圧倒されていた。「下品」という言葉はそれを発するだけで自らの品性も貶められるパワーがあるので積極的に使いたくはないのだが、「品が無い」では正しく形容できないのである。彼女においては「下品」と言い切るしかない、そんな強烈さ。大して本を読んでいる方ではないとはいえ、ここまでの存在に出会ったのは初めてだ。

読み進めれば進めるほどナオミちゃんの横暴さと下品さにほとほと嫌気が差してきて、この娘の言葉を読むだけで嫌な気持ちになり、関わり合いたくないものだとつくづく思いながら読んでしまう。愉快かと言えば愉快ではない。むしろ不快である。しかしページをめくってしまう。それは面白いと愉快はイコールではなく、つまらないと不快もイコールではないためだ。あぁ、早く読み終わりたいような、解放されたいような、先が知りたいような知りたくないような。苛まれながら楽しんでいる。

この主人公も最初の頃は下心のない光源氏のようだったのに、と思うと虚しさまで募ってくる。地獄である。つらい。



日記録0杯, 日常

2016年9月25日(日) 緑茶カウント:0杯

ひどい。こいつはひどい。このように思うことは一度や二度ではなく、繰り返しているのならば止めれば良いものの、繰り返してしまうのは酒が入っているせいで、例によって例の如くこの時も己は深酒をしていた。ビールを六本ほど呑んでいた。つまり三リットル。そうして、呂律の回らない舌で喋るが如く、気持ちよく書き散らした日記を更新したのである。

ひどい。こいつはひどい。昨日の日記に至っては、己が馬鹿であることと、日本史の知識が皆無であることを露呈しているだけである。本当に言いたかったのはその参考書が、「受験突破」、ただそれ一つのみを目的とした偏った書物であるということで、その偏り具合の見事さ、面白さを伝えたかったのだが、伝わるのは己がアホーということだけである。

ひどい。こいつはひどい。更新前に推敲こそしたものの、酔った頭で推敲したところで何になろうか。この酔っ払いの日記を起床後に読む己の気持ちを察していただけるだろうか? 自らの為したことであると理解しつつ、理解出来るからこそ情けない気分になる。何だこれ。

と、いうこの日記もウイスキーを呑みながら書いているので翌朝には後悔しているかもしれないが。ははは。まぁ、今日のところは問題なかろう。今日のところは。



日記録0杯, 日常

2016年9月24日(土) 緑茶カウント:0杯

高校の頃に参考にした参考書を読んで、己は全く歴史の流れを理解出来ず、これはプロフェッショナルによる作品だということを甚だ痛感したのであった。

その本は、歴史を勉強するための本ではなく、受験に合格するための本だったのだ。
そして自分は予備校生時代、そのことを深く先生から教えられていたので、その本のつくりに感動したのであった。

すげーや。マジで。

その先生は、大学に合格したら即座にその本を捨てろと言っていた。その本は受験に合格するためのツールでしかないと言っていた。しかし自分はその先生の授業を面白がっていたので、その本を捨てずにとっていた。それから十年。何の気なしに手に取った本のページを開いてみると、それは受験生なら持つべき知識を前提にした問題集であった。ストーリーでは決してない。その時代時代の重要な物事を問いかける書物であった。そして自分はその多くの繋がりを思いだせなかったのであった。

自分は相当な馬鹿であったのだなぁと思いつつページをめくる。愉快である。あはははは全然わかんねー! わからんけど愉快である。この時を生き抜けて受験に合格出来た自分に乾杯したい。まぁ結局自分は現代文・古文・漢文という三教科の顔をした実質一教科で受験を切り抜けたんですけど。日本史使わなかったんですけど。まぁそれはそれで。ページをめくるたびに思い出される先生の表情、受験にこそ使わなかったが、頑張ったなぁ、あの頃は、と邂逅した。そんな十年前である。

はは!