サッカーや野球のようなスポーツ観戦とライブコンサートの違いの一つに勝敗の有無がある。前者にはあり、後者には無い。よって通常、ライブコンサートの場合、終了後に勝利の美酒に酔うこともなければ贔屓チームの敗北に肩を落とすこともない。だいたい「今日の演奏良かったなー」「あの曲をやってくれて嬉しかったー」と満足して終わるが、今日は帰りの電車の中で、確かに己はうなだれていたのである。
まさかの、二日連続バッドエンド。
しかも、ほとんど同じルートで。
初めて参戦したインタラ「ノモノスとイミューム」では、二日連続グッドエンドで、さらにそれぞれ別種のルートを観ることが出来たのでルンルン気分で帰宅したが今回は。橋が破壊されず安心したのも束の間、アヴァターのポケットから転がり落ちたΣ-12の目玉が谷底へ落ちた瞬間の絶望感と言ったら無い。もう一度チャンスをくれと叫びたい気分だが今日は公演最終日。もうチャンスは無いのである。
そしてこの二日間で己はすっかりアヴァターに愛着を持ってしまっていた。己が参戦した一日目でアヴァターは何度も谷底へ落ちた。家に帰ってストーリーを思い返しながら歌詞を読み曲を聴き、どうにか彼をグッドエンドへ連れて行きたい、自我が無く不安ばかり抱えているアヴァターが堂々と己の信じる道を歩けるようになってほしい、と思ったのに。己の選択ミスにより、アヴァターはふたたび谷底へ突き落とされたのであった。
悲しかった。
アヴァターが何度も谷底へ落とされたかと思えば火事場のサリーのところに戻り、また落とされ、といった繰り返しの映像を見た後の「鉄切り歌」。冒頭で「何度も落ちる人を見た」と歌われ、まさにさっきの映像そのものでともすればギャグになりかねないが笑う余裕が無い。過去向く士に利用され、過去向く士の差し向ける幻影の衛星からの声を頼りに必死にホログラムの断崖を登っていたアヴァター。実際その崖は崖でも何でもなかったが、確かにあいつは頑張ったと思うぜ。
平沢の全力の歌唱「ホログラムを登る男」は今日も迫力満点で、この一曲で全ての力を使いきろうとしているのではないかと思うほど。この曲もグッドエンドルートへ進めていれば、怯え迷いながらも断崖を登りきり、真実を見つめることが出来るようになったアヴァターを祝福する歌になっていたんだろうなぁと思うとまた切ない。
とはいえ悲しくて切ないばかりではない。バッドエンドは残念だったがライブそのものはとても楽しかった。昨日は二階席から俯瞰の眺めを楽しみ、本日はアリーナ九列目の中央寄り。真正面から平沢をガッツリ観ることが出来た。両方味わえてラッキーだった。
二階席から観たときは降り注ぎ旋回する光の雨を見下ろせたので、ステージと会場がキラキラと彩られる様を視界に収めることが出来た。対して本日はまさに光の雨の中にいると言った感じ。カラフルなスポットライトが平沢を照らし、ライトは色も形も変えて縦横無尽に動き回る。青いライトで照らされるとまるで海の中にいるような心地になり、幾本もの細く白いライトがステージを照らせばまるで平沢が後光に照らされているように見えた。神々しかった。
そしてとっておきが最後に一つ。今回自力で「WORLD CELL」を回すことが出来なかったが、アンコールでステージに再登場した平沢、「私はどの平沢でしょう?」と口にする。何とアンコールで登場した平沢は今までステージに立っていた平沢ではないそうで、さっきまでの平沢に頼まれて「WORLD CELL」を回しにやってきたという、別次元の平沢だそうだ。つまり谷底に落とされたショックで自我を取り戻し、元のタイムラインで「WORLD CELL」を回したアヴァターそのものか…!?
別次元の平沢は「コツをつかんだ」と言っていともたやすく「WORLD CELL」を回した。もしこの彼があのアヴァターであるなら、不安ばかり抱えていて、自分で考えることが出来ず、過去向く士についてきた挙句に利用された男が、我々の世界を救うためにまたタイムラインを飛び越えてやってきてくれた……と考えると、バッドエンドではあるが、ここまでの道は無駄じゃなかったのかもしれないと思える。
「WORLD CELL」はまるで花咲くように徐々に開き、回転し、「穏やかで創造的な知識活動」の象徴だろう、光の粒子を集めていく。光はWORLD CELLを中心に渦に飲まれるように回転し、気付けば平沢の頭上には銀色に輝くミラーボール。そしてスクリーンと会場が一体となり、まるで自分達がWORLD CELLの中心にいるかのような錯覚を覚える光景に包まれたのである。美しかった。
あぁ、でもこれをお情けでなく、自力で観たかったなぁ。
他に印象的だった場面も書き記しておこう。「オーロラ」の最後の繰り返しで、背が多少弓なりになりつつも、余裕の表情で歌っていたことに驚いた。まだまだ余力はたっぷりある、といった様子である。流石だなぁと舌を巻いた。
「火事場のサリー」ではPEVO一号と共にステージの段差に座り、タルボを抱えて弾き語り。足でトントンとリズムをとりながら歌っていたのがキュートで、サビの声の美しさに聴き惚れた。透明感があってたまらない。そして「ハッ!」と言うところでは真面目な表情で右を向く仕草。格好良かった。
特筆すべきは「鉄切り歌」。通常、ミュージシャンが観客に合唱を促す場合、観客にマイクを向けることが多いと思う。しかし平沢は歌っている最中に不意に口をつぐみ、明後日の方向を向いて黙った。ここでその様子から読み取れた。「おまえらがうたえ」という言葉が。そして発生した「だんだん切れ!」という楽しい合唱。腰に手を当てて仁王立ちをして客席を睨みつける平沢は合唱をしている我々の様子を見守っているようにも見えれば、二日連続でバッドエンドルートを選んでしまったことに対するお怒りの表情にも見え、「あぁごめんなさい平沢様!!」と叫びたい気持ちになりつつひたすら「だんだん切れ!」と合唱した。めっちゃ楽しかった。
あと、Σ-12が海水浴に行くと言っていたのが面白くもあり嬉しくもあった。白虎野で公開手術の刑を受けた別次元の平沢がΣ-12である。結構な悲劇である。そのΣ-12がノモノス・ハンターとして働いたり、海水浴に出かけたりと、何だかんだで楽しそうにしているのが嬉しい。
インタラクティブ・ライブから帰り、日常に戻りつつある今はひたすら「ホログラムを登る男」を流しながらちょくちょく歌詞カードを手にとって読んでいる。ライブの後からアルバムの聴こえ方が変わった。点と点が繋がったのである。ただ耳に心地良かっただけの音が意味を持って脳に入ってくる。
谷底に突き落とされるあの背中はきっと、誰のものにもなるのだろう。あの二日間であれだけの愛着をアヴァターに持ってしまったのは、彼の要素が自分の中にもあるからに違いない。また、平沢の発するメッセージと正反対の人物「アヴァター」もまた平沢進の姿そのものだ。彼は別次元の平沢という設定だが、平沢の中にもそういった部分があって、それを自覚しつつ外道であり邪道である道を選ぶ覚悟を持って進んでいるのだろうか。
バッドエンドの悔いがあるせいか、ついつい考えてしまう。グッドエンドを観たかった気持ちに変わりは無いが、この余韻はこれはこれで、少し楽しい。