他人の石橋を叩くな

2016年1月6日(水) 緑茶カウント:0杯

石橋を叩いて渡る。いいことである。注意深く慎重なのはとてもよろしい。安心出来るしね。ミスの防止に繋がるしね。とっても良いと思います。ただし、それが自分の石橋ならね。

「申し訳ない。自分は非常に慎重かつ心配性な人間であるので、ついつい石橋を叩いてしまうのである」と言いながらカナヅチでガンガン叩くのは他人の石橋。ガンガンに殴られた己の石橋は傷だらけで見る影もない。あぁ、こんなに古びてしまって哀れだなぁ。

他人の石橋を叩く。叩いて叩いて叩きまくる。それはどんな風に? つまりこんな風にである。

「すみません、あのデータちゃんと送ってくれました?」「もう送ってますよ」「ごめんなさいメールチェックしていませんでした」

「そういえばあの予定大丈夫なんですかね?」「大丈夫、と言うかとっくに発表されていますよ」「すみません見ていませんでした」

「念のための確認ですけど『はなはだしい』なんて言葉ないですよね? 間違ってませんか?」「辞書引けば出てくるごく普通の日本語です。検索してもすぐに出てきますよ」「すみません調べてなかったです……」

「心配なので確認しますけどこの日って金曜日で合ってます?」「カレンダー見ろ」「あっ……すみません」

一事が万事この調子。おわかり! いただけ! ただろうか!

慎重なのは良い。心配性なのも良い。しかし自分自身で調べ確認することを全くせず、とにかく他人に聞きまくる。それはもう、簡単な英単語から今年の祝日まで! つまり他人をスケジュール帳もしくは辞書代わりに使うのである。そうして他人の時間と頭脳を使っているくせ、石橋をガンガン叩くことを美徳と思っているのである。叩いているのは自分の石橋ではなく、他人の石橋であると言うのに! そもそも「石橋を叩いて渡る」ってのは美徳ではなく、皮肉めいた意味合いもある言葉だと言うのに! おい! 「orange」のスペルくらい自分で調べなさいよ!

今日も今日とて叩かれる石橋はヒビだらけ。あぁ。慎重と言えば聞こえが良いが、それは怠惰なだけなんだぜ。確認しようぜ、自分で。引こうぜ、辞書。調べようぜ、物事を。呆れるべきか怒るべきか、迷いながらの日々である。石橋は自分のを叩きましょう。ウヲさんとの約束だよ。



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