日記録0杯, 日常

2016年10月17日(月) 緑茶カウント:0杯

タイトルからお察しいただけるかと思うが、今回の日記は不快害虫と戦う話なので苦手な方は注意されたし。

さて。己はわりと耐性がある方である。何故なら昆虫という生き物が好きだからだ。あんなに小さいのに器用に動いて、きちんとパーツパーツに意味があるところがとても好きだ。そしてその造形。飛翔に特化したトンボのデザイン、むしろ邪魔に見えるほど長いカミキリムシの触覚。彼らの姿を眺める楽しみは時間を忘れるほどで、昆虫図鑑のページをめくるひとときは至福である。

よって虫が苦手な人に比べれば耐性はある方だ。小指の爪の切れっ端程度の小さな虫を見て、嫌な予感を抱きつつ「ゴキブリ 幼虫」で画像検索をしてその正体を突き止めることに迷いは無い程度に耐性はある。耐性はあるが嫌いである。ものすごく嫌いである。立ち向かえるが嫌いである。

そんな、大嫌いなあいつが発生した。大胆不敵にもわりと目立つところに発生した。それも二日連続。己はとても嫌な気分になった。すごく憂鬱になった。ちくしょうめ、と思いつつ退治をした。

まぁ仕方が無い。住居は古い木造アパートなのだ。取り壊すか否かという話が上がったほどの古い家屋だ。出ないはずが無い。出ない方が不自然だ。不自然であるが、何でもかんでもナチュラルな方が良いとは己は思わないのだ。よってもう不自然でも何でも構わないので己の前に姿を見せないで欲しいのだ。嫌いだから。

あーもう。あーもう。どうすっかなぁ。

つい、ヤフオクでアシダカグモを検索した。売っていた。売っているものなのかとびっくりした。心惹かれたが買わなかった。虫は買うものではない、捕るものだ。まぁつってもアシダカグモを捕まえるためによそ様の家にお邪魔して虫捕り網を振り回すわけにもいかんのだが。

そんなわけでより現実的な対応策としてホウ酸ダンゴを購入して家中に設置した。うん、わかっているのだ。このホウ酸ダンゴを取り替えるのをさぼったのがよろしくなかった。大事なバリアの効き目が切れるのをそのまま放置してしまった自分こそが悪い。しまったしまった、と反省しながら設置した。

どうやら効果はあったようで、設置からしばらくした後二匹の不法滞在者を発見したが、二匹とも弱ってへろへろになっていて難なく退治出来た。一匹は殺虫スプレーを振りかけた後、死に物狂いで逃げた先、その真横に平沢進のファンクラブ会報誌があり、スプレーを片手に構えつつどのように追撃すべきか迷ったが何とかなった。さぁ、あとはこれで全員出て行ってくれれば良いのだが。頼むよ。



日記録0杯, 日常

2016年10月8日(土) 緑茶カウント:0杯

そういえばサディズムの語源がマルキ・ド・サドであることは知っているが、彼の著作は読んだことが無かったなぁ、と軽い気持ちで「ソドム百二十日」について調べた結果、あらすじを読んだだけで気分が悪くなった。人間は身の程をわきまえるべきである。

そんなサドの著作とは全く関係のない話題を供しよう。己は十年ほどコンタクトレンズを愛用しており、少なくとも七年以上はハード・コンタクトレンズの装着をし続けていた。そうして最近になって、ハード・コンタクトレンズが自分の眼球には合わないことを思い知り、ソフト・コンタクトレンズに戻ったのである。

ソフト・コンタクトレンズを通した世界は快適であった。頻繁に使っていた目薬は出番を失い、左目を苛む異物感も消え失せた。長い息が漏れた。早く戻れば良かったと思った。

コンタクトレンズを初めて購入したとき、選んだのは初心者向けのソフト・コンタクトレンズであった。そして問題なくソフト・コンタクトレンズを愛用し続たものの、視力が下がり新しいコンタクトレンズが必要になったとき、より目に優しいハード・コンタクトレンズに乗り換えたのである。装着の初めこそ異物感を抱くものの、こちらの方が酸素の透過性が良く眼球にとってはよろしい、という話を聞いて。

ハード・コンタクトレンズは快適だった。ケアも楽であるし、異物感も無かった。だが視力の低下と共に何度か交換を余儀なくされ、ある日のこと。左目だけ見えづらい事実に気がついた。何故だろうと思いつつ眼科に赴くと、眼球のカーブが変わったためと告げられた。ハード・コンタクトレンズはソフト・コンタクトレンズとは違い柔軟性が無い。よって、眼球のカーブとレンズのカーブが合わないと見えづらくなるのである。そこで別のカーブのレンズを新調したのだが、まだ違和感は目に合った。とはいえこれも最初だけ、慣れれば消えると思っていたのである。

しかし。慣れなかったのだ。慣れないのに慣れないことに慣れてしまって、二年近く装着を続けてしまったのだ。その慣れないレンズを。

だが、ついに転機が訪れた。外出時用につけ外しが容易なワン・デイのソフトコンタクトレンズを購入したのである。これさえあれば外泊時にも洗浄液などを持ち運ぶ必要がない。楽だ楽だイエーイ、という気分で購入したのであるが。何年かぶりにソフト・コンタクトレンズを通して見た世界は鮮明そのもの。異物感も無く目薬もいらない。「快適」という二文字を表した世界がそこには広がっていたのであった。

暗い気持ちになった。まさか。ずっと長年愛用し続けていたが。そもそも自分はハード・コンタクトレンズに不向きな人間だったのか? と。

まさかと思いつつ、カーブさえ調整すれば問題ないかもしれない、とすがる思いでハード・コンタクトレンズを新調したが、検査の上では全く問題が無いにも関わらず視界は不明瞭で、どうしてもレンズの際が視界に入って見えづらい。眼科医曰く、たまにそういう人もいるとのことで、眼科医の勧めに従い己は新しいハード・コンタクトレンズを返品し、長く使えるソフト・コンタクトレンズを新調した。視界は快適であった。

あの長年の違和感は何だったのだろうと思いを馳せる。それでも己の眼球は健康であると言う。ただただ不可解だなぁ、と思った。



日記録0杯, 日常

2016年9月25日(日) 緑茶カウント:0杯

ひどい。こいつはひどい。このように思うことは一度や二度ではなく、繰り返しているのならば止めれば良いものの、繰り返してしまうのは酒が入っているせいで、例によって例の如くこの時も己は深酒をしていた。ビールを六本ほど呑んでいた。つまり三リットル。そうして、呂律の回らない舌で喋るが如く、気持ちよく書き散らした日記を更新したのである。

ひどい。こいつはひどい。昨日の日記に至っては、己が馬鹿であることと、日本史の知識が皆無であることを露呈しているだけである。本当に言いたかったのはその参考書が、「受験突破」、ただそれ一つのみを目的とした偏った書物であるということで、その偏り具合の見事さ、面白さを伝えたかったのだが、伝わるのは己がアホーということだけである。

ひどい。こいつはひどい。更新前に推敲こそしたものの、酔った頭で推敲したところで何になろうか。この酔っ払いの日記を起床後に読む己の気持ちを察していただけるだろうか? 自らの為したことであると理解しつつ、理解出来るからこそ情けない気分になる。何だこれ。

と、いうこの日記もウイスキーを呑みながら書いているので翌朝には後悔しているかもしれないが。ははは。まぁ、今日のところは問題なかろう。今日のところは。



日記録0杯, 日常

2016年9月24日(土) 緑茶カウント:0杯

高校の頃に参考にした参考書を読んで、己は全く歴史の流れを理解出来ず、これはプロフェッショナルによる作品だということを甚だ痛感したのであった。

その本は、歴史を勉強するための本ではなく、受験に合格するための本だったのだ。
そして自分は予備校生時代、そのことを深く先生から教えられていたので、その本のつくりに感動したのであった。

すげーや。マジで。

その先生は、大学に合格したら即座にその本を捨てろと言っていた。その本は受験に合格するためのツールでしかないと言っていた。しかし自分はその先生の授業を面白がっていたので、その本を捨てずにとっていた。それから十年。何の気なしに手に取った本のページを開いてみると、それは受験生なら持つべき知識を前提にした問題集であった。ストーリーでは決してない。その時代時代の重要な物事を問いかける書物であった。そして自分はその多くの繋がりを思いだせなかったのであった。

自分は相当な馬鹿であったのだなぁと思いつつページをめくる。愉快である。あはははは全然わかんねー! わからんけど愉快である。この時を生き抜けて受験に合格出来た自分に乾杯したい。まぁ結局自分は現代文・古文・漢文という三教科の顔をした実質一教科で受験を切り抜けたんですけど。日本史使わなかったんですけど。まぁそれはそれで。ページをめくるたびに思い出される先生の表情、受験にこそ使わなかったが、頑張ったなぁ、あの頃は、と邂逅した。そんな十年前である。

はは!



日記録0杯, 日常

2016年9月19日(月) 緑茶カウント:0杯

160919

お洒落なカフェーでホットチョコレートを飲んだ。板チョコを溶かしたような濃い味がするかと思いきや、パシッとしたスパイスが効いていて、まるでチャイのような軽い味がした。この店には無論一人で入ったわけではない。自分一人での外出であればまず選ばない店だっただろう。何故なら己は気楽な店が好きだからである。

だから、趣味嗜好に若干の差異がある友人との外出は面白い。

共通点もある。通じ合わない点もある。友人と出会ったのは高校入学直前、通学に入用な自転車を買うために専門の店を訪ねたときだ。以来、十五年間、つかず離れずとは言えないものの、ゆったりと親交は続いている。そして今日はおよそ一年ぶりか二年ぶりの再会で、蔵前にある文房具や革細工の店を訪ねた後、チョコレートショップで休憩をしたのである。小雨が降っていた。さらさらと。

ホットチョコレートなんて洒落た名称の飲み物を口にする機会などなかなか無い。故に己は板チョコを溶かしたような、ドロドロの、ウィリー・ウォンカが所有するチョコレート工場に流れる川のような、濃い液体を想像していたのであるが、それは意外にもサラッとしていて、スパイスが効いていて、甘みもちょうど良く、美味しかった。

高校時代、友人は進行方向とは逆の向きの席に座ると酔うと言うので、己はいつもそちら側の席に座っていた。あれも十年前である。しかし未だに一人であるというのに進行方向とは逆の席に座ってしまいそうになる自分がいて、「いやいや」と思いながら席を選ぶのだ。

また近々会おう。またいつか。