日記録0杯, アルバム感想, 日常, 筋肉少女帯

2018年11月11日(日) 緑茶カウント:0杯

筋肉少女帯の新譜を聴いて、こんなにも辛く、悲しく、感情が揺さぶられたのは初めてだった。そして思い出したのは、前作「Future!」を聴いて大きなショックを受けた人達がいたこと。そのショックの由縁を未だ己は知り得ないが、「ザ・シサ」にショックを受けている自分自身に対しては、その理由を紐解くことができている。

かつて、こんなにも愛や恋に駆られる人々が熱心に描かれ、愛や恋がポイントとして語られることがあっただろうか。いや、無い。だからショックだったのだ。「きらめき」の「愛など存在はしない、この恋もどうせ終わるさ」という歌詞に、愛は万能ではなく日常の一つであると感じ取って安心感を抱いていた故に。だから悲しかったのだ。恋愛に対してどこかシニカルな態度を見せてきた筋肉少女帯が、恋愛を至上のものとして描いたことが。

よって、この「ザ・シサ」というアルバムは己にとって難解で、理解したくても理解できないものだった。そして同時に苦しかった。恋愛の本質は理解できなくても、その人が嬉しそうなら嬉しい、悲しそうなら悲しいと理解して生きてきて、それで何とかなっていたのに、本質に共感できないことを突きつけられてしまったような気がして。

苦しかった。どうかどうか愛や恋を語らない曲が出てきてくれとざわざわしながら歌詞カードをめくり、「セレブレーションの視差」で、ここでも激しい恋がポイントとして描かれてたときの絶望感。歌詞を辿りながら、これならわかるかな、近づけるかな、と思いきや。

……遠かった。

聴き終わった直後は呆然として軽く吐き気すら感じた。びっくりするほど、わからなかった。難解だった。そして、ごく普通に世の中に溶け込んで暮らしていたつもりが、このアルバムによって見事に化けの皮が剥がされた心地がした。

何故今、愛や恋に駆られている人々が密に描かれているのだろう? 好きすぎて人を殺す人もいるだろうが、別の理由で殺す場合もいくらでもあるだろうに、何故好きすぎて人を殺した人が描かれているのだろう? どうして、こんなに愛や愛する人々が重視されているのだろう? 考えれば考えるほどわからなく、寂しく、悲しかった。頭がぐらぐらした。前作「Future!」の「告白」という一曲に救いを感じた人間だけに。

だが、「告白」をきっかけに「ザ・シサ」を自分なりに解釈することができた。よってここから先の文章は「告白」で言うところの「夢見る人間モドキ」による「ザ・シサ」の視差である。きっと他の人々にはまた別の感想、別の視差があるだろう。一つの視差として、ご覧いただきたい。

「なぜ人を殺しちゃいけないのだろうか?」というシリアスな問いに似つかわしくない、明るくポップな曲。この曲を最初聴いたとき、愛が殺人の理由として描かれることに違和感を抱いたが、聴き続けるうちにふと気付いた。

この黒いスーツを買いに行く男は、「告白」の男なのではなかろうか、と。

夢見る人間モドキである男は、誰も愛しておらず、愛の意味もわからない。ただ愛情とは永遠のものらしいとぼんやり理解している。そして彼は悲しい場面でも共感や同情ができない、ただ空気を読んで嘘の涙を流す配慮はある。

「なぜ人を殺しちゃいけないのだろうか?」と「人を殺しちゃいけないのはなぜか?」は同じようで意味合いが全く異なる問いだ。前者には「人を殺してはいけない」という前提条件がなく、殺人そのものに疑問を呈している。対して後者は「人を殺してはいけない」という前提条件がありつつ、そのうえでその理由に迫っている。

そう、この男は「人を殺してはいけない」とは特に思っていないのだ。そんな折、友達の女の子が恋人を殺してしまった。自分はピンと来ないが、世間的には人を殺してはいけないとされている。じゃあ、どうして彼女は殺してしまったのだろうか?

そうして考えて至った結論が「愛しすぎたから」。彼は愛の本質を理解できないまでも、愛は永遠であり、至上のものと語られていることは知っている。だから、愛がそれほどすごいものなら、愛しすぎた結果殺してしまったに違いないと考え、愛のための殺人なら許されるに違いないと思い、ちゃんとした服を買って証人として立ったのである。

このとき彼は「感傷的」と言われたが、きっと感傷になぞ全く浸っていなかったに違いない。「同情はしないけどくやしいな」という言葉には、夢見る人間モドキとしての愛がわからないからこそのあっけらかんとした憧れが見える。店員との会話でさらっと友人が彼氏を殺したことを語り、普通の人を装って「ダメっすよね」と語るも店員はきっと引きつった笑みを浮かべていただろう。そして極めつけの台詞は「人が殺されるとめんどくさい」。葬式に行く必要があるということは、殺された男も友人か知人だろうに、そこに対しての感傷はなくただただ黒いスーツを買いに行くことに対して面倒臭さを感じているだけなのだ。

恐らく、思う。彼女の殺人は愛が原因ではなかったのではないか。単に夢見る人間モドキの男がそう解釈しただけで、本当の理由は別のところにあったのではないか。

そんな彼が彼女に宛てた手紙には何が書かれているだろう。「君のことがうらやましいと思いました」と無邪気に綴られているかもしれない。

そして「夢見る人間モドキ」の視点に立って眺めてみれば、「ザ・シサ」は恋愛をポイントとして「人間」が描かれているアルバムと言えるだろう。必死で歌い叫び身代わりを立てようとするも、娘が恋に堕ちてしまったせいで逃げられてしまい、覚悟を決めて歌い続ける男、片想いのために地球を二度も滅亡させる男、妻と死別する老いた男、帰って来た美女の暴露に怯える男、そして一つのバンドのボーカルに恋をした母娘の物語。

「夢見る人間モドキ」にとって理解できない象徴のような一曲が「衝撃のアウトサイダー・アート」だ。これは自分自身、何度聴いても何も理解できない。唯一感じ取れるのは曲調が格好良いということだけで、びっくりするほど共感のしようがなく、何が描かれているのかもよくわからない。クレイジーな美って何だ……? いったいそれが、だからどうした……?

恐らく己は一生、この曲を感覚として捉えることはできないのだろう。

もう一つ、物語としては理解できるが感覚としてわからないのが「マリリン・モンロー・リターンズ」。そうか、ふむ、そんなに怖いのか……? と思いつつ、いまいちピンと来ない。同時に興味を覚える。この曲に芯からゾッとする人の存在に。

「ネクスト・ジェネレーション」は初めてライブで聴いたときには「若いファンに手を出すのはやめなさい!」と曲中のバンドマンに対して思ったものだが、重ねて聴くにつれ切なさの方が勝るようになった。

「ライブだけが人生で、他はみんな夢なんだ」と付き合っていたバンドマンが語る言葉を聞いて、呆れて捨ててしまったと母親は娘に語る。確かに、交際を続けている中で言われてしまえば冷めてしまうのも無理はない。

だがこの言葉は、ステージで叫ばれていた頃には、「彼氏」ではなく「ステージ上のボーカリスト」が発する言葉であったなら、きっと胸をときめかせるものだったに違いないのだ。

バンドマンである男は恐らく何も変わっていない。ただ、関係性の変化により見え方が変わってしまったのだ。そして、同じことが娘にも起こることが示唆されている。今付き合っていて、仲良しで、いい人で、でもバカ。この言葉が出てきてしまった時点で彼女にとってバンドマンはもうステージ上の存在ではなく、現実の視点から捉える存在になってしまっているのだ。

ライブだけを人生にステージに立ち続けるも、ファンと付き合うたびに現実を見せてしまい、別れを告げられる男のもの悲しさ。この女の子もかつてと同じように夢を語る彼に愛想をつかせ、異なる対象に心を燃え上がらせたとき、ずっと夢中になっていたバンドが、まるで別の人々とすっかり入れ替わってしまったような、そんな感覚を抱くかもしれない。

と、真面目に語りつつ、女の子の年齢が気になる。せめて高校生、できたら大学生であって欲しい。でも何となく中学生の可能性もあってざわざわする。頼むからお茶おごって映画連れてく程度のお付き合いであってほしい。頼む! 頼む!!

といった形で己にとって「ザ・シサ」は全体的に心がざわざわするアルバムなのだが、そんな中で「ゾンビリバー」「オカルト」「ケンジのズンドコ節」は癒しである。ありがたい。「ゾンビリバー」の「流れていったあの娘はひととき好きだった かまうな他にもきっと出会うさ」という歌詞には「そうそう、これこれ! これだよ!」と妙に安心してしまった。

「オカルト」は恋愛云々と言うよりも、個人の欲望を優先させて地球を滅亡させた物語なのでわかりやすかった。それにしても「献杯!」という言葉を歌詞に突っ込んでくる悪意よ。「なぜ人を殺しちゃいけないのだろうか?」の「人が殺されるとめんどくさい」もそうだが、じわっと滲む悪意が恐ろしいアルバムである。

「ケンヂのズンドコ節」は、まさか「猫のテブクロ再現ライブ」で語られた「悪陰謀」「いい陰謀」が今になって歌詞に描かれるとは思わず驚いた。ストレートな説教くささもありつつ天使の描写が実にダークでゾッとする。オーケンの描く天使はどうしてどいつもこいつも恐ろしいのか。声もあいまって非常に怖い。

インストゥルメンタルの「セレブレーション」から続く二曲目は「I,頭屋」。頭屋とは神社の祭礼や講に際し、神事や行事を主催する役に当たった人や家のことで、輪番制だったそうである。その頭屋に自身をなぞらえ、これが自身の役割であり運命であると言い切る。描かれる描写にはロックバンドのボーカリストとして歌い続ける疲れが見え、同時にそれでも歌い続ける覚悟が感じられ、オーケンにとっての筋肉少女帯の価値と、筋肉少女帯で歌い続ける自分自身への叱咤激励が読み取れる。見方を変えれば生け贄であり、人身御供であり、道化だが、「役割」であり「運命」である視差を選び取る力強さ。

オーケンはよく、自分がこうしてロックバンドのボーカルをしていることを不思議に思うと語る。それは、ロックバンドのボーカリストとして生き続けることへの不安もあるのかもしれない。そのうえで歌い続けると叫ぶ覚悟の先には何があるだろう。夢見る人間モドキとして「ザ・シサ」を楽しみながら、次はどこへ転がっていくのか期待したい。

怖さを抱きつつ、同時に楽しみだ。どこまでも必ず、見届けよう。



筋肉少女帯「Future!」感想



未分類0杯, 筋肉少女帯, 非日常

半年ぶりの筋少ワンマンライブで、己は太陽に焼き殺された。真夏でもなく炎天下でもない九月下旬、ライブハウスの暗闇の中で太陽に焼き殺された。

何の心構えも無く、何気なく開いた封筒から出てきたのは最前列が約束された整理番号。え? あれ? 何だこの番号……とぼーっとしつつ現実を受け止め、「えっ、マジで」と一人部屋の中で呟いた。

再結成から筋少のライブに通い続けているが、今までスタンディングのライブで最前列に行けたことは一度も無かった。ハイストレンジネス・チケットメンバーズが発足されるまではだいたい八百番くらいの整理番号が常で、たまに四百を引き当てると嬉しくて小躍りしたものだ。

故に想像できるだろう。どれほど嬉しかったかを。

何かしらのうっかりで会場に入れなくなることが無いよう、小銭を大量に用意して現地に向かった。そして無事会場に着き、番号を呼ばれていそいそ並び、走り出したい気持ちを抑えて中に入った。

初めて見たよ、ステージの前がぽっかり空いていて、人々がパラパラと吸い寄せられるようにバーに掴まる嬉しげな光景を。
自分も大人だが、大人があんなに嬉しそうにしている背中を見たのは初めてだったかもしれない。

己も同じように吸い寄せられ、しっかりと最前列の柵を握る。わくわくして、そわそわして、落ち着かなかった。後ろを見やれば既に人々の列が出来ていて、まっさらだった空間にどんどん人が詰め掛けていく様子がどうにも不思議な心地がした。

何も遮るものがない視界を楽しみながら、スタッフの方々が準備をする様子を眺める。MC表だろうか、オーケンの手書きと思われる紙を黒いテープで入念にステージの床に貼る様子が見えて、今日はいったいどんなに面白いことが語られるだろうとわくわくしてたまらなかった。

自分が立ったのはちょうどおいちゃんとオーケンの間のあたり。
そして己は、おいちゃんという太陽に焼き殺されたのだった。

すごかった。やばかった。たまらなかった。
おいちゃんと目が合ったという錯覚に陥った瞬間、その一瞬の間、確かに己は恋に落ちた。心臓が止まりそうになった。まぶたの閉じ方を忘れてしまい、目を離すことが出来なくなった。

格好良かった……。

ド迫力の笑顔と時折見せる苦しげな表情。ガシッとスピーカーに足を乗せて前のめりになってオーディエンスを煽れば、そのブーツが己の目と鼻の先にあって、実体の生々しさが凄まじかった。いや、知ってるんだ。おいちゃんが実在することは。知っているのだが、それでもその迫力があまりにもすごくて、ブーツを編む糸目まで数えられるくらい近くて、圧倒されっ放しだったのだ。

そして本編最後。退場しようとするおいちゃんがひょいと投げてくれたピックが。「ディオネア・フューチャー」を演奏してゴリッと削れたピックが、すっぽりと手のひらの中に収まったのだ。
まるで、自分のために投げてもらえたかのように、錯覚しそうになるほどにそれは、すっぽりと手のひらに収まったのだ。

死ぬかと思った。

震えながら手のひらを開くと、本当においちゃんのピックが手の中にあった。おいちゃんのピックを手にしたのも初めてだった。信じられない宝物をもらった気持ちになった。



「ワインライダー・フォーエバー」から始まり、ワンマンでは珍しい「元祖高木ブー伝説」と最近あまり演奏されない「日本の米」が聴けたのが嬉しかった。「日本の米」はオーケンが咽喉の手術を受ける前にメンバーが歌っていたのを聴いたのが最後だろうか。こうしてまた、オーケンの歌う「日本の米」を聴けるようになって嬉しい。あの手術も思えば随分昔のことのように感じる。そう感じられるようになって本当に良かった。

中央にスタンドマイクが運び込まれ、何が始まるかと期待したら大好きな一曲、「僕の宗教へようこそ」! やったーーーーこれを聴けるとは! これ! これを歌うときのスタンドマイクを操る妖艶な手つきが美しくて好きなんだよなぁ。

新曲からは「ネクスト・ジェネレーション」と「オカルト」が披露された。さらに! 「オカルト」はMV撮影もここで行われたのでびっくりである。まず誰もいないステージで「オカルト」の録音を流してオーディエンスが曲の流れを把握し、その後メンバーとカメラマンがステージに現れ、曲を流しながらあて振りを行い、オーディエンスはさながらライブに参加しているかの如く腕を振り拳を突き上げ盛り上がるという演出だった。わー、面白いなぁ。

ちなみにプライバシーを配慮してオーディエンスの顔には全てモザイクをかけるとのこと。ど、どんなMVに仕上がるんだ……? 若干の疑問を残しつつ、最前列ということは己の腕が映っているかもしれない。おお、ドキドキしてしまう。見つけられるかな。見つけられたら嬉しいな。

「ネクスト・ジェネレーション」は歌詞が聞き取りづらかったため全容を把握できなかったが、故にCDで聴くのが尚更楽しみになった。早く歌詞カードをじっくり読みたい。

「ゾロ目」はまさかのおいちゃんと橘高さんの弾き語り! おいちゃんふーみんの弾き語りライブで圧倒されたそれをまさかまた筋少のライブで聴けるとは! 本当に、この曲を弾き語りで、アコースティックギターでやる凄まじさに脱帽する。橘高さんの迫力ある歌声に重なるおいちゃんの分厚いコーラスが美しい。

ちなみに弾き語りライブでは「あなたと愛したあの日まで」と橘高さんはよく歌っていたが、今回は原曲どおり「恋した」になっていた。

「ムツオさん」も久しぶりで嬉しかったし、「ハッピーアイスクリーム」は掛け合いの中で日常ではなかなか言えない言葉を大声で叫べるのが楽しくてたまらない。この叫ぶという行為もライブの醍醐味だよなぁ。

本編最後の「ディオネア・フューチャー」でステージ前に出てきてコーラスを絶唱するエディに夢中になった記憶はあるものの、前に書いたおいちゃんからのプレゼントにより、他の記憶のほとんどは吹っ飛んだ。

アンコールが終わった後、新しい赤い衣装に身を包んだおいちゃんが客席に手を伸ばしてくれて、おいちゃんがちょうど己の真上にいて、おいちゃんの衣装から垂れる何本もの赤い紐が雨のように降り注いで顔や手に触れて、わあ、わあ、わあ、わあ……と声にならないほど興奮して、最後、手を握ってもらえて、死ぬかと思った。

死ぬかと思った。

橘高さんにも手を握ってもらえて、ありがたくて、嬉しくて、頭がポワポワして、興奮でふらふらしながら物販に並んだらオーケンのチェキも買えて、一日にいろんなものを、絶景と握手とピックとチェキと最高の演奏と楽しいMCを一気に受け取ってしまって、ちょうど、今ちょっとへこんでいる時だったから、筋少はいつも、己が参っているときに素敵なものをくれるなあと嬉しくなって、がんばろ、と思いながら家路に着いた。

本当に最高の一日だった。ありがとう、筋肉少女帯。ありがとう、おいちゃん。
きっとこのピックがあれば、辛いときも乗り越えられるに違いない、と信じて。




ワインライダー・フォーエバー

トリフィドの日が来ても二人だけは生き抜く
LIVE HOUSE(おいちゃんボーカル)
元祖高木ブー伝説

日本の米
カーネーション・リインカーネーション
僕の宗教へようこそ

ネクスト・ジェネレーション(新曲)
ゾロ目(おいちゃん・ふーみん弾き語り)
サイコキラーズ・ラブ

イワンのばか
ムツオさん
ハッピーアイスクリーム
ディオネア・フューチャー

~アンコール~
オカルト(新曲。演奏はせず完成品を流す)
オカルト(当て振りでMV撮影)

香菜、頭をよくしてあげよう
釈迦



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未分類0杯, 筋肉少女帯, 非日常

生きてるだけで汗をかく!

四時に起き、ろくろく睡眠をとれないままバスに揺られてひたちなかへ。初めてのROCK IN JAPAN FESTIVALに胸を躍らせつつ、チケットと交換した黄緑色のリストバンドを左手首に巻き、さぁ! と思って足を踏み入れれば地面から体内へ響き渡る大音響! 普段、都会の六畳一間に住んでいる人間には絶対に体感できない響きで、それは非日常の象徴に他ならず、ビリビリと地を這う振動を感じながら己は大いに興奮したのだった。

空は快晴。生きているだけで汗をかくような凄まじい気温。ただ、左右を見ればどの人もわくわくしていて、あぁ、己はフェスに来たのだなぁと実感しながら練り歩いた。どこへ行こう。まずはどこへ行くべきだろうか。初めて行ったフェスは去年の夏の魔物で、そのくらいの規模を想像していたので広さにびっくりした。うわぁ。ステージからステージに移動するのにこんなに時間がかかるんだなぁ。

とりあえずアーティストの物販エリアに向かってTシャツを買い、クロークへ移動。長蛇の列に慄いたが並ぶわりにスムーズに列が進んで事なきを得た。ありがたいことである。

タイムテーブルを眺めながらどこへ行こうかとあてどなくだらだら歩く。欅坂46を片耳に進みシシド・カフカの前を通り、少しずつ全体図を把握しながらゆるゆる歩き、ちょうど行き当たったのがMONGOL800だった。

おお! これは確か……群馬のバンドじゃなかったか!?

と思って見たものの全然違いましたね。沖縄でしたね。どうして群馬と間違えたんでしょうね。

と、言うのも、高校生の頃に同級生の誰かがカラオケでMONGOL800をよく歌っていて、同時によく歌われていたのが群馬出身のバンドだったから記憶が混ざったのだろうなぁ。MONGOL800の歌もね、聴き覚えがあるのに本家の声では再生されないんだ。あの日歌っていた複数人の誰とも判別できない同級生の声で再生されて、だから自分はこのフェスで初めてMONGOL800の声で、本家の声で本家の歌を聴いたんだ。

とっても格好良かったよ!

沖縄の風を吹かせましょう、という前置きで現れたのは赤いタンクトップと黒いブルマーを連想させる下着を身につけた男性。なんとなく、長州小力をイメージさせる。その方が大いに動き、盛り上げてくれた「せいうぉーうぉーうぉーうぉー」という曲がとても面白かった。あの方はいったい何者だったのだろうなぁ。

それでいて切なかった。過ぎ去りし青春を引き出されたような気がしたよ。

MONGOL800を堪能し、空腹を感じたのでふらふら歩いて屋台を探したら何とか屋台の並ぶ小さなエリアを見つけ、そこで小休止……をしたのだが……。


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この、ね。線を描いてるマヨネーズがね! 溶けるのだよ! ものの数秒で液状になって、ケチャップと混ざってびっちゃびちゃになって紙の中に溜まって、食べようと傾けた瞬間だばーーーーっと膝の上に落ちてきてね!? 炎天下の野外の恐ろしさを思い知ったよ! あぁ、べっとべとさ!!

ちなみに己がロッキンに備えて準備した装備は以下の通りである。

ゴミ袋三つ
日焼け止め
携帯簡易枕(バス用)
塩タブレット
ポカリスエット三本
レインコート
ウエットティッシュ
ボディ用ウエットシート
ボディ用冷感スプレー
替えのシャツ一枚

この中でいらなかったのはボディ用冷感スプレーかな。瞬間的には涼しくなるものの、一瞬だけなので無くても問題ないと思った次第であった。

ゆるゆる歩きつつ、LAKEステージのフジファブリックへ。どこへ腰を落ち着けようかと悩みつつ、己は大分後ろの方にあった段差に腰を下ろした。右斜め前で女性がずっとノリノリで踊っていた。あぁ、この人はファンの方なのだろうなぁ、と微笑ましく眺めていた。

「サーファー気取りアメリカ~」「メメメメメメメ」が印象的な歌が格好良くて最高に楽しかった! 友人がフジファブリックのファンで、亡くなったボーカルの志村氏に並々ならぬ感情を抱いていることは知っていて、言い換えればそれしか知らないのだが、今このロッキンで歌うボーカルの方の歌のうまさも素晴らしいなぁ、と無邪気に思った。

次の曲も聴いたことはあったが、知らない曲だった。

最後に演奏されたのは「手紙」という新曲で、己はただただ淡々と聴いているだけだったのだが、あの楽しげに踊っていた女性がタオルを両手に泣き濡れていて、あぁ、そうか、そうなのか。きっと友人も同じようにこの場にいたら泣くに違いないのだろうな……と感じさせられた。

しんみりしつつ、てくてく歩いてサウンド・オブ・フォレストへ。筋少を観るために向かいつつ、その前のステージの大森靖子を目の前にして、彼女の話はほんの少しだけ聞いていたものの、ほんの少しだけだったために、……圧倒された。だって、知らなかったんだ。

彼女の語りを、想いを、この場にいた人のどれだけが受け止められただろうか。

己は受け止められなった。圧倒され、聴き惚れ、感情移入しながら一歩一歩よたよたと前へ進みつつも受け止められなかった。器からぼろぼろと零れゆく感覚を得た。
崩れゆく赤いドレスの女性を目にしながら、呟く言葉を耳にしながら、この後に筋少はどういった空気でその場に立てば良いのだろうと不安に思った。実際は三十分の時間を置いての登場だったため場の空気は薄められていたのだが。目の当たりにしていたその瞬間は、彼女の威力に圧倒されてそう思わされてしまったのだよ。

彼女の言葉を受け止めきれず、零れ落としてしまったのにね。

大森さんの出番が終わり、人が散る中前へと進み二列目へ。そうして炎天下の太陽を光を浴びながらじりじりとその場に立ち尽くし、筋少の出番を待つのは非常につらかった。
間違いなく、今回のフェスで一番つらかったのはこの時間だろう。十五時の容赦のない日差しを全身に浴び、木陰に逃れることもできず、ぐつぐつに温まったポカリスエットをちびちびと飲みながら開演を待つ。もともと開演待ちが苦手で、故に転換の発生する対バンライブにはほとんど参戦しないのだが、屋根があるなら随分ましだよぁ、と改めて思い知らされるに至った次第であった。

しかし、いや、だからこそか。開演し、筋少メンバーがステージに現れたときの喜びったら!
オーディエンスに背を向けて立つメンバーと、表を向いて立ちながら、あーそうだったとでも言うようにそそくさと背を向け、眩しく煌く白の特攻服の背中をオーディエンスに晒すオーケンを!

あぁ、そうだ。このために。この時間のために来たんだ!! と喜びが血液に浸透し、全身を駆け巡ってぐつぐつした。
そっから先はどうだって? 楽しくないわけがない! 楽しくて楽しくて仕方が無くて、時間が経つのが惜しくて惜しくて仕方が無かった。

オーケンは白の特攻服にサングラスで登場。橘高さんはFuture!の白と黒の衣装。おいちゃんは濃い目のブラウンのジャケットを羽織り、うっちーは黒の長袖シャツ。何故、それを着た!! と思いつつ、背中を向けての登場はあまりにも格好良い。

初っ端から「踊るダメ人間」で大いに盛り上がり、ダーメダメダメダメ人間のコールに合わせて思いっきり地面を蹴る爽快感。汗をだらだら流しながら飛ぶのは実に楽しく、苦しい。そうだ、苦しいんだ。夏フェスは楽しいが、苦しいんだ!

二曲目の「ワインライダー・フォーエバー」はオーケンの歌詞がめためたで、それに対し「暑さで歌詞なんか覚えちゃいられない!」とオーケンが叫び、笑いが起こる。MCでは久しぶりにロッキンに呼ばれたので楽屋にカンロ飴や乾パンのおもてなしがあったかと思えば何も無かった! しばらくロッキンに出られなかったのは渋谷判定のためだ! と時事ネタで笑わせつつ、カンロ飴も乾パンもいらないと豪語する。

豪語しつつも汗はだらだら流れる。そこへオーケン、「皆の推しアーティストは暑いって言うの?」と問いかければ「言うー!」とオーディエンスより返答があり、にやりと笑うと「根性がないねぇ」とばっさり。それではと逆に「言わない!!」オーディエンスが叫べば「うそつきだねぇ」と切り捨てる。
そのうえで、「意外とここ涼しいね?」と言えばうそつきコールが蔓延し、「ロッキンで頑張っているアーティストに向かってうそつきと言う奴があるか!」と一喝! ゲラゲラと笑いが起こり、和やかな空気に包まれた。

絶好調なオーケンは止まらない。パンクやロックではなく、この年になったらボサノバをやりたい、何故ボサノバをやらないのかとメンバーとオーディエンスに問えば、サポートドラムの長谷川さんがボサノバのリズムを刻み出し、「せっかくやっていただけたけど対応できないですごめんなさい」とオーケンが謝る一幕も。そのわいわいがやがやした流れで、実はここでバラードをやろうと思っていたと告白するオーケン。どよめく観客。だが、思いっきり叫ぶ曲を! ということで始まったのは「高木ブー伝説」!!

熱中症が危惧される気候の中で、「塩分とれよ!」「水分とれよ!」と叫ぶオーケン。そして、「高木!」とマイクをオーディエンスに差し向ければ、一斉に大声で叫ばれる「ブー」コール! こんなの、楽しくないわけがない!

今回はエディがいないためシングル盤アレンジで、エディがいないのは寂しいものの珍しいものを聴けたことは嬉しい。ブーが終わるとまたMCに入り、筋少なんてやってるけど中高生の頃はゆーみん先輩やサザン先輩を聴いてましたよ、と告白し、オーケンはうっちーに「ゆーみん聴きたいよね」と振る。するとあれこれと話が盛り上がり、ゆーみんの物まねをしだすオーケン。そして「サザン聴きたいよね」と橘高さんに聞けば今度はサザンを楽しげに歌う橘高さん! レアなものを見た。

最後はゆーみんの物まねで……と謎の裏声で歌いつつ、それで終わるわけにもいかない。怒涛の「釈迦」に転換し、モンキーダンスでガーッと盛り上がり、これで終わるかと思えば……ラストはディオネア・フューチャー!!

嬉しかったぁ!!

駆け抜けるようなドラミングと炎天下の太陽光を受け叫ぶコーラスの迫力と威力! そして、新曲のこの曲がここまで育ってくれた喜び! 拳を振り上げ、声の限りに叫びつつ、どうかどうか、初めて聴く人の胸にも届け! と思わざるを得なかった。

オーケンがマイクを両手で挟みつつ、ディオネアの花が咲く様子を、つぼみが開く様子を両手で再現しているのが最高にキュートで、格好良かった。

全身がびちゃびちゃだった。汗でTシャツはおろか、下着もズボンもびっしょり濡れていた。半ば放心状態になりながらふらふらと歩き、スカパラの清涼な音を聴きながら一休みをして、またふらふらと歩いてご飯とビールを腹に入れた。

この日、己は麦茶500mlにポカリ1000mlを腹に入れ、さらにビールを4杯呑んでかき氷を食べたが、一度としてお手洗いに行く必要が生じなかった。全てが汗に流れ出た。改めて凄まじい環境だと思う。

日が影ってきた頃、どうしようかと迷いつつクロークから荷物を受け取りTシャツを着替え、DJやついいちろうのステージへ。既に人が溢れんばかりで、リュックを下ろして後方で見ようとしたのだが、流れる音楽の勢いとやつい氏の巧みなトークにより、気づけば少しずつ前へ前へと移動していた。

そして最後には、筋少のTシャツを着ながらパリピのようにぴょんぴょんと踊っていた。知らない曲を全身に感じながら踊っていた。
そのことを不思議に思った。高校生の頃から筋少を愛し、その詩に共感してきた自分が、筋少のTシャツを着ながらぴょんぴょん跳ねて踊っている。それはとても意外で、楽しく、不可思議だった。
最後、ドーンと空に打ちあがった花火の美しさったら! こんなに、こんなにたったの一日で、汗を流して爆音を体感して、夏を楽しんでしまって良いのだろうかと思ったほどさ!

良かったのだろう。きっと。また、ここに来る人の多くもきっとそれを期待しているのである。

現地に着いたばかりの時、道を覚えようと練り歩きながら驚いたのはミュージシャンのTシャツを着ている人が少なく、ロッキンのシャツを着ている人が多いこと。つまり、ロッキンそのものへの愛が強い人が多いのだろう。それほどこの空間は特別で、ロッキンという空間をみんなが愛しているに違いない。筋少を観るためだけにこの場に来た自分はその温度差に驚きつつ、最後には空間のパワーと魅力に魅せられて、なるほどなと実感した。

素晴らしい夏だった。
全身を襲う倦怠感に浸りながらバスの背に体重を預け、とろとろと眠りに落ちるのは心地良いひとときだった。
ありがとう、ロッキン。また縁があればいつかにきっと。



日記録2杯, 日常, 筋肉少女帯

2018年6月20日(水) 緑茶カウント:2杯


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疲れたんだ。とても疲れていたんだ。でもその中で無理をしてタワレコに行って良かったと思えたんだ。

筋肉少女帯デビュー三十周年ライブの前日である今日、リマスタリングされた四枚のアルバムに、凍結直前のライブDVDに近年のライブ映像を収めたブルーレイ、そして最新作を含む四枚のアルバムジャケットが美しい存在感を放つアナログレコード四枚。これらが一気に発売され、それを買うために己はタワレコへと走った。レコードだけは予算の関係で来月に回したが。

疲れたんだ。とても疲れていたんだ。でもその中で無理をしてタワレコに行って良かったと思えたんだ。

初めて聴いた「蜘蛛の糸」。初めて手に取った筋少のアルバム「レティクル座妄想」。もう十五年も前にレンタルCDショップで借りてきて、土曜日の昼下がり、母の作った昼食を食べながら皆で一緒に聴こうと家族を誘い、CDプレーヤーにかけたら放たれたるは少女の嘲笑。呆然とし、どうしようと思ったあの日から己は筋少にはまったのだ。

あの十五年前に手に取った、古ぼけたアルバムの新品を今こうして手に取れるなんて誰が想像できるだろう。まるであの日の衝撃を追体験するかのような鮮烈さに心臓を震わせつつ、改めて思ったのは初めて聴いたのがレティクル座妄想で良かったな、ということ。恐らく、他のアルバムが最初であっても己は筋少にはまっていたに違いないが、最初の出会いがレティクルであったことはきっと幸福に他ならない。

そして明日はデビュー三十周年記念ライブだ。筋少がデビューしたときにはまだまだこの世に生を受けたばかりだった自分がこうして、リアルタイムで祝えることのありがたさ。喜び。至福。それらを噛み締めながらリマスタリングされた楽曲に、ボーナストラックのデモ音源を楽しめる幸福。

あぁ、何て最高の前夜祭か。
アルコールを傾けつつ、アルコール以上の酩酊を味わう夜である。楽しい。



未分類0杯, 筋肉少女帯, 非日常

くったくたに疲れた帰り道。ラーメン屋に寄ってラーメンと餃子を注文したら、餃子そのものよりも酢醤油が異常に美味しく感じられて、つまりこのとき欲していたのは塩気と酸っぱさ。あぁ全力で楽しんで全身疲れきったんだなぁ、としみじみしながら酒を呑むが如く酢醤油をちびちび呑んだ。そんな夜である。

春分の日の開催であるため「春の筋肉少女帯ワンマンフルライブ!!」とタイトルがつけられたものの、今日は春の気配が全く感じられない寒の戻りの激しさが凄まじい日で、布団から床へと足を下ろせば冷え冷えとした感触に足が引っ込み、テレビをつければ雪の降った地域が紹介される。そんな中で唯一、おいちゃんのピンクのスーツと笑顔だけはまさに春そのものの暖かさだった。

さて、そんなわけでライブが始まるまでは寒々としていたが、始まってしまえば熱気の渦の中、春も冬も関係ない熱さで汗を流すばかりである。ワンマンフルライブということでタイトルからはセットリストが想像できず、何が聴けるだろうとわくわくしていたら思いがけずもレア曲がたくさん聴けて非常に興奮した。一曲目から久々の「モーレツア太郎」に、最近ご無沙汰だった「レジテロの夢」「僕の歌を総て君にやる」「中学生からやり直せ!」の畳みかけ。「ワインライダー・フォーエバー」と「ロシアンルーレット・マイライフ」もしばらく聴いていなかったように思う。

そして極めつけがアンコール一曲目の「恋の蜜蜂飛行」! これが最高に嬉しかった。歓声の中ステージに戻ってきたオーケンがそのままいつも通りMCに入るかと思いきや……立ち止まるや否や、さらりと特攻服の背中を見せ、合図と共に始まったのは激しいギターソロにドロドロとしたドラム! 己の心を鷲づかみにし、虜にしてやまない怒涛の勢いで奏でられる一曲が始まったのだ。この始まり方がもう、また、格格好良かったんだ……!

そのうえでさらに感激したのは、昨今「恋の蜜蜂飛行」では間奏で学園天国ヘイヘイコールが挟まれることが多かったのだが、今回はそれが無かったこと。学園天国のコールアンドレスポンスも楽しい。確かに楽しい。しかしこの曲だけは、ギターとドラムの音色と共に最初から最後まで目まぐるしく駆け抜けたいのだ。その願望を叶えられ、全身に大好きな音の洪水を浴びて、最高に幸せだった。

一曲目の「モーレツア太郎」もたまらなかったなぁ。「新人」でセルフカバーされたバージョンが大好きで大好きで、「どこへでも行ける切手」のDVDに収録されているそれを何度繰り返し観たことだろう。あぁ、聴くことができて、観ることができて嬉しい。筋少は「モーレツア太郎」でデビューしたから、今度の六月に開催するデビュー三十周年ライブの一曲目にやれば良かったね、とっとけば良かったね、とオーケンが語っていたが、いやいやいやいや、良いじゃないですか今日やって六月にまたやっても。そのときは是非、黎明も合わせて聴きたいなぁ。

「モーレツア太郎」について、エディがオーケンの声を褒めるシーンも。エディには様々な音が音符で聴こえるのだが、オーケンが独特の節をつけて叫ぶ「モーーーレーーーツ!!」や「ノーーーーーッマンベイツ!!」は音符に変換されないそうだ。そのうえその声を今も出すことができる、すごいと話していた。対するオーケンは照れもあったのか、十九歳か二十歳の頃の感性で作った曲を今歌うことに言及し、今五十の親父が「モーーーレーーーツ!!」って朝四時の居酒屋で叫んでたらやばいよねとちゃかして笑いをとったところ、若い頃に「モーレツア太郎」を歌うとき最前列の女の子の胸を揉んでスタートしていたことをエディに掘り起こされ、たじたじとなっていた。

ソールドアウトと言うことで場内はぎっちりみっちりで、開演待ちの間に二回ほど「一歩ずつ前に詰めてください」とアナウンスされたため開演前からぎゅうぎゅう状態だった。当初はあまり視界が芳しくなく、開演と同時に照明が落とされて若干動きが生じたときに、高い位置で髪をまとめている人の後ろに立ってしまって「あちゃー」と位置取りに失敗したことを痛感したが、その後ライブの最中に動きがあり、中盤以降は見晴らしよく楽しむことができた。しかし髪を高い位置でまとめるのはやめようぜ。見えないから。見えないから!

今年はデビュー三十周年ということで、嬉しい告知もたくさんあった。去年の五月に開催された「筋少シングル盤大戦!」のDVD化に、「レティクル座妄想」「ステーシーの美術」「きらきらと輝くもの」「最後の聖戦」がデジタルリマスターされて再発! さらには、かつてVHSで発売されていた「science fiction double feature~筋肉少女帯 Live & PV-clips~」のDVD化! これには嬉しくて悲鳴が上がりそうになってしまった。最後の聖戦ツアーの映像である。ずっと観てみたくて、欲しくて、しかし手に入らなくて、いつかDVDにして再発してくれないだろうか……とずっとずっと待っていたのだ。まさか今叶うとは! 嬉しいなぁ、ありがたいなぁ。

あとびっくりしたのが「4半世紀」「THE SHOW MUST GO ON」「おまえのいちにち(闘いの日々)」「Future!」のアナログレコード盤が発売されるということ。レコードプレーヤーは持っていないが、部屋に飾るためにこれも欲しい……。はっはっはっ。どんどん財布が軽くなりそうだ。嬉しいことである。

この告知をしてくれたのは橘高さんで、笑顔で淀みなくすらすらとリリース予定を発表してくれる姿の頼もしさったら。「みんな、わかってるよね?」とにっこり笑顔を向けられた日には、今から財布の紐をゆるっゆるに緩ませる準備をするしかない。

「航海の日」では珍しい光景も。この曲を演奏するとき、オーケンはステージからいなくなって着替えや休憩をするのが恒例な中、初めてステージに残ったのだ。そしておいちゃんの隣で椅子に腰掛け、アコースティックギターを抱えてニコニコ爪弾く。シールドこそ刺さっていなかったものの、とても楽しそうだった。

今までも、これと言って特に疎外感を抱くようなことはなかったに違いない。しかしこうして今、メンバーと並んでギターを弾けることがとても嬉しそうに見えて、シャンシャンと鳴り響く爽やかな音に耳を傾けながら、この光景を観られることを幸せに思った。

思えばオーケンがギターを始めたのは四十四歳の頃。あれから歳月が流れ、五十二歳のオーケンは定期的に弾き語りツアーを行い、照れくさそうな様子を見せつつも弾き語りのアルバムも発売した。奏でられる曲数も増え、二枚目のアルバムの制作にも意欲的な姿勢を見せている。七年前、八年前には思いも寄らなかったことだろう。

オーケンは言った。ハードで体力を使う筋肉少女帯は十年後二十年後どうなるか、先日橘高さんがオーケンのラジオにゲスト出演したとき、橘高さんが話したことを紹介して。「十分後にできてたらできたんだなと思えば良いし、できてなかったらあぁできなかったんだなと思えばいい」と。つまり、十年後二十年後どうなるかはわからないがやり続ければいい、できなかったらそのときに考えようと。

いつか気付く日が来るかもしれない。同時に、オーケンがメンバーと一緒に「航海の日」を爪弾く未来が来たように、過去には思いがけなかったものを観られる日も来るだろう。

今日のライブのセットリストは十七曲。最近は十八曲で構成される日が続いていた中でさりげなく一曲少なくなった。かつては二十曲だった。今回の十七曲がイレギュラーか否かはわからない。ただ、少しずつ変遷しつつも筋少は筋少としてステージに在り続けてくれるのだろう。だったら自分も、いつまでもステージの下からその光を仰ぎ見ようじゃないか。四十になっても五十になっても。

三ヶ月後のデビュー三十周年記念ライブには何を魅せてくれるだろう。無論、共に駆け抜けていく所存である。



モーレツア太郎
混ぜるな危険

レジテロの夢
僕の歌を総て君にやる
中学生からやり直せ!

イワンのばか
地獄のアロハ
愛の賛歌

ベティー・ブルーって呼んでよね
航海の日
パノラマ島へ帰る

ワインライダー・フォーエバー
ロシアンルーレット・マイライフ
釈迦
機械

~アンコール~
恋の蜜蜂飛行
ディオネア・フューチャー