2013年10月13日(日) 緑茶カウント:3杯
「君のこと、もうちょっとしっかりした人だと思っていたよ…」と苦笑いを浮かべ呟く友人の目の前で焦げる肉。知り合ってから七年目の友人に、よもやまさか今になってこんな場面で失望されることになろうとは。「君はカリカリベーコンを作っているのかい?」「いや、そういうわけじゃないんだが、何か、気付いたら焦げてたな……」
大学の友達と三人で焼肉に出かけた。燃える炭の上に丸い金網を敷き、その上に肉を置いていく。至って普通の焼肉である。ただ、「焼肉を焼く」ことに関する大きな意識の相違があったのだ。
自分はとにかく、一つの種類の肉につき、人数分を金網に置いた。例えば皿の上にカルビ、ハラミ、豚トロがあるなら、カルビとハラミと豚トロを三枚ずつ置く。そしてスペースが空いたら新しい肉を置く。ひたすら置く。置いた時点で誰かが食べるだろうと思っていた。自分が食べないレバーやタンも置いた。自分が食べる分だけ置くより、他人の食べる分も置いた方が親切だろうと思ったのだ。そのうえで、金網の上に肉があれば誰かが世話を焼いて好きなように食べるだろうと思っていた。
結果、肉は焦げるのである。
そうか。焼肉とは各々が自分の食べたい肉を金網に置き、世話を焼き、頃合を見計らって食べるのか。友人二人はそのつもりであったので、無論自分が置いた肉もそれぞれ食べていたのだが、「見落とす肉」が発生してしまったのだ。その場合、責任は肉を置いた人間になるということで、計画性の無さを叱責されたのである。
「自分が食べないレバーをどうして焼くんだ君は!」「自分がレバーの皿に一番近いから! 焼いたら誰か食べると思ってさ!」「自分が食べる分だけ焼きなさい!」「というより肉置きすぎだろ」「………すまん、何かスペースが空いたらどんどん埋めなきゃいけない気になって」「俺達三人しかいないのよ! もっと計画性を持って!」
返す言葉も無い。家族で焼肉をする場合は、自分が食べるもの食べないもの関係無く、近くの皿にある肉をどんどん鉄板の上に置いていく形式だったため、その癖を引きずっていたとはいえ、焼きすぎだ。そうだ。我々は三人しかいないのだ。急いで肉をどんどん焼く必要は無いのだ。そして何より、これは炭火と金網だ。ホットプレートより火力が強く、待つ間も無く肉はどんどん焼けるのだ。
「今日はウヲの知らなかった一面が見られたな」「次行くときまでにイメージトレーニングしといてね」と笑う友人。ちくしょう。次はもっとうまくやるぞ、と胸に誓って。