未分類0杯, 核P-MODEL, 非日常

非日常とは今日の日のようなことを言うのだろうなぁ。

ぎゅうぎゅう詰めでありながらもどこかまったりとしていて、過ごしやすいライブだった。別の表現をするならば、若干大人しかったとも言える。ヒラサワのライブでは開演直後の暗転したタイミングではなく、ステージにヒラサワが現れた瞬間に押しが発生することが多いが、今日はほとんど動きが無かった。

大きな熱狂が発生したのはライブ終盤、「それ行け!Halycon」でヒラサワが棒状のカメラを回しながらステージを練り歩いたとき。そしてアンコールで「OH!MAMA」と「いまわし電話」が奏でられたときだ。「OH!MAMA」では「ドアの開けざまにママ張り倒せ!!」と大声で合唱して非常に楽しかった。冷静に考えてみれば何てことを叫んでるんだと思いつつ、日常では叫べない言葉を口にできるのもライブの醍醐味だ。

本編終了後、颯爽と現れたヒラサワが早口でMCを叫び、早々と曲へと移るスピード感。ステージに立ち、長々とオーディエンスに礼を述べる昨今の姿とは異なる様子は格好良く、同時にオーディエンスとの距離の取り方を模索しているようにも思われた。

先日の平沢進のBack Space Passでのファンに対する忠告と、昨今のTwitterでのアナウンス。ヒラサワを介して自由気ままに遊ぶことを良しとしつつ、逸脱すれば制限をかけざるを得ないことを意識していかねばならぬことを改めて感じさせられた。

これからも一人のファンとして、見守り、熱狂し、喜びながらヒラサワという媒体に接していこう。今日は本当に楽しかった。



日記録0杯, 日常

2018年12月30日(日) 緑茶カウント:0杯

2018年を総括すると体調不良の一言に尽きる。あとは過労と不運とストレスと。円形脱毛症まで再発してしまった。なかなかどうして、ボロボロである。

しかしそれでも行きたいライブには行けて、思いっきり遊べ、人には恵まれたので悪い一年ではなかった。ただなかなか生き抜くのが大変な一年ではあった。現時点でも体調を崩している。どうにもままならないものだ。

ちなみに今年行ったライブは半券を数える限り二十七本で過去最多。一カ月に二~三本のペースで行っていたと考えると元気なようにも思える。いや、ライブで活力を得て何とか生きながらえていたのかもしれないね。

来年も特に楽になる見通しは立っていないが、まぁそうであっても今年のように楽しく過ごしたいものだ。あと健康。健康を大事に生き抜きたい。そのためにも急須を出す手間を惜しまず、緑茶をもうちょい飲もうかね。新年を機に新調するのも良いかもしれないね。



未分類0杯, 筋肉少女帯, 非日常

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最高に楽しかったなぁ…………!!

「ザ・シサ」ツアーの直後ということもあって「ザ・シサ」の曲を中心に構成しつつ、「ディオネア・フューチャー」「トリフィドの日が来ても二人だけは生き抜く」「僕の歌を総て君にやる」「ワインライダー・フォーエバー」に、定番曲の「サンフランシスコ」と「釈迦」という贅沢な構成。さらに、オーケンの弾き語りによる「人間のバラード」とインストゥルメンタルの「孤島の鬼」。

中でも「人間のバラード」はすごく嬉しかった。クリスマスにふさわしい曲かと言われれば首をかしげる侘しさが漂うが、後ろ向きで、とても寂しい人間賛歌だと己は思うのだ。

人に生まれて良かった。人に生まれて良かった。そう思いながら生きていたい。

毎年恒例の二十三日のライブということで、毎年恒例のクリスマスいじりがMCでは輝き、今日はクリスマスならぬ「キンニクマス」とオーケンにより命名される。そうしてクリスマスにも関わらず筋肉少女帯のことばかり考えている、世間一般で見れば隅っこにいる我々は水を得た魚のように大盛り上がりで、まるでここが世界の中心かの如く、キンニクマスを楽しんだのであった。

筋少物販では年に一度の福袋が販売され、橘高さんの物販では毎年恒例の抽選会が開かれる。つい、この空気を楽しみたくて早めに物販に並び、福袋をゲットできなかったもののこの日独特の賑わいに心がウキウキした。新商品のパーカーは買えたしね。

あとさ。嬉しかったのが。ずっと買う機会を逃し続けていた大槻ケンヂミステリ文庫の新譜を今日この場で買えて、さらにポスターとチェキがもらえたってことさ。これは予想していなかったことだったから尚更嬉しかった。こんなに素敵な特典をたくさんもらってしまって良いのかと、袋を抱えながらソワソワしてしまった。

いつだってこの日は特別なんだ。だから毎年、この日のために生きているんだ。

前方ゾーンに突入すれば、久しぶりの激しい圧縮とノリで全身汗だくになった。自分を含め、オーディエンスの群体がまるで一つの生き物のように感じられ、うねるうなりの中で何とか自分の足場を確保し、拳を突き上げてただひたすらステージを見つめる。特攻服を着たオーケンは激しく声を響かせ、赤いライトに照らされるとゾッとするほど格好良くて、「今後は母性だけでなく父性もくすぐっていく」と母性クスグラーを自称するMCでの姿とのギャップが凄まじかった。

アンコールではおいちゃんとふーみんがサンタの装いで現れ、ニコニコしながらお菓子を投げてくれる。取れなかったが、その姿を見るだけで幸せだった。開演前に流れるクリスマスソングの数々は普段イヤホンを耳に挿し、筋少ばかりを聴きながら街を歩く己にとって唯一、今日のみ耳にするものだ。そして開演を知らせる音楽は「二十一世紀の精神異常者」。そう、元号が変わろうとも我々はずっとここにいる。世の中の隅っこであろうとも、そこを世界の中心と信じ、いや、隅っこであると知りつつも信じるふりをして糧を得て、日常の世界を生きていく。元号が変わって例えこの日がこの日で無くなろうとも、この日があることを信じて一年を生き抜く。

そのように、信じさせてくれることがありがたい。
ありがとう筋肉少女帯。来年も、必ずこの日を。
メリー・キンニクマス! 



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日記録0杯, 日常,

2018年12月13日(木) 緑茶カウント:0杯

およそ十四年になる一人暮らしの中で、記憶にある限り恐らく初めて刺身を買った。生魚が苦手なためにこれまで自発的に食べようと思ったことがなく、故に縁が無かったのだ。

だから驚いたよ。刺身ってのはなかなか高いのだね。今までスーパーの刺身コーナーをじっくり眺めたことが無かったから全く知らなかった。こんなに小さなパックで五百円もするのか。なるほど、刺身とは贅沢品なのだなぁと頷きながら籠に入れ、レジに通して帰路に着く。初めての刺身。よって今日は刺身記念日である。

そしてこの刺身記念日は大根のツマ記念日にもなった。

刺身を別の器に移し、パックに残る大量の大根のツマを見て己は思い悩んだ。どうしよう、これ。どうしたものか、これ。捨てるには忍びない。しかし生魚が触れていたことを考えるとこのまま食べるのも怖い。この刺身だって火を通して食べる予定なのである。うーん、どうしたものか。

悩んだ挙句、煮た。とりあえず煮た。とりあえず煮るだけでは何なので出汁と味噌を入れた。くつくつ煮た。
で、これが美味しかったんだな。

これまで刺身との縁が薄かったため大根のツマを口に入れたことも無かった。よって知らなかった。大根のツマ、これはなかなか美味しい。汁物にしたらヘルシーなヌードルのようになって実に良い。シャキシャキとした食感も楽しく、食べ応えがあるのも良い。

良いじゃん。大根のツマ、良いじゃん。

思わぬ出会いに感謝しつつ、刺身はいらんので大根のツマだけ大量に食べたいなぁ、専用のスライサーを買おうかなぁ、と思いつつシャクシャク食べた。美味しいね、大根のツマ。



日記録0杯, 日常

2018年12月5日(水) 緑茶カウント:0杯

昨日から情緒が崩壊していてどうにもならなくなったため、午前中にあった用事を無かったことにし、ふらふらと公園を散歩した。イチョウが黄金に染まっていて、空も地面も輝いていた。つけている意味があるのかと問いたくなるほど長いリードを握った人が犬に引っ張られて歩いていた。

とめどなく涙が溢れていた。傍から見れば不審だろうなぁ、と他人事のように思った。

ぽくぽくと歩き、本屋に行った。ドリフターズの新刊を手に取り、棚をゆっくり眺めてレジに行った。買ったのは結局一冊だけだった。

そのまま歩く。どこに行こうかと迷った。木枯らしが寒かった。温かいものを飲もうと思った。

一度だけ入ったことのある喫茶店で生キャラメルミルクコーヒーのMサイズを注文した。普段、喫茶店ではブラックコーヒーばかり注文していてこういった変わり種とは縁がない。どんなものが出てくるかあまりイメージできなかった。

出てきたのは、コーヒーカップにたっぷりと注がれた真っ白な液体に、ふんわりと生クリームが浮かんだところに生キャラメルの線が引かれたもの。口にするととろりと甘く、苦みは全く無かった。

固いソファに体重を預け、もう一口飲む。おいしい。Lサイズにすれば良かったな、とちょっとだけ小さなカップを悲しく思った。

しばらく休み、喫茶店を出たら午になっていた。頭痛がしたが、涙は止まっていた。ひどく疲れていた。だからこの飲み物はちょうど良かった。ちょうど良かったなと思った。

まぁ、何とかなるでしょう。しばらくはしんどいに違いないが。